元気力UP!

元気力UP!

2025年06月01日
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カテゴリ: 吾輩は猫である





せんだってある学生にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまた馬鹿に記憶の善い男で、日本文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であった
ところがその時の傍聴者は約百名ばかりであったが、皆熱心にそれを傾聴しておった
それからまだ面白い話がある
せんだって或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファーノの話《はな》しが出たから僕はあれは歴史小説の中《うち》で白眉《はくび》である
ことに女主人公が死ぬところは鬼気《きき》人を襲うようだと評したら、僕の向うに坐っている知らんと云った事のない先生が、そうそうあすこは実に名文だといった
それで僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでおらないという事を知った」神経胃弱性の主人は眼を丸くして問いかけた
「そんな出鱈目《でたらめ》をいってもし相手が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人を欺《あざむ》くのは差支《さしつかえ》ない、ただ化《ばけ》の皮《かわ》があらわれた時は困るじゃないかと感じたもののごとくである
美学者は少しも動じない
「なにその時《とき》ゃ別の本と間違えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っている
この美学者は金縁の眼鏡は掛けているがその性質が車屋の黒に似たところがある
主人は黙って日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇気はないと云わんばかりの顔をしている
美学者はそれだから画《え》をかいても駄目だという目付で「しかし冗談《じょうだん》は冗談だが画というものは実際むずかしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみ[#「しみ」に傍点]を写せと教えた事があるそうだ
なるほど雪隠《せついん》などに這入《はい》って雨の漏る壁を余念なく眺めていると、なかなかうまい模様画が自然に出来ているぜ
君注意して写生して見給えきっと面白いものが出来るから」「また欺《だま》すのだろう」「いえこれだけはたしかだよ
実際奇警な語じゃないか、ダ・ヴィンチでもいいそうな事だあね」「なるほど奇警には相違ないな」と主人は半分降参をした
しかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ
車屋の黒はその後《ご》跛《びっこ》になった
彼の光沢ある毛は漸々《だんだん》色が褪《さ》めて抜けて来る
吾輩が琥珀《こはく》よりも美しいと評した彼の眼には眼脂《めやに》が一杯たまっている
ことに著るしく吾輩の注意を惹《ひ》いたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である
吾輩が例の茶園《ちゃえん》で彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたち[#「いたち」に傍点]の最後屁《さいごっぺ》と肴屋《さかなや》の天秤棒《てんびんぼう》には懲々《こりごり》だ」といった
赤松の間に二三段の紅《こう》を綴った紅葉《こうよう》は昔《むか》しの夢のごとく散ってつくばい[#「つくばい」に傍点]に近く代る代る花弁《はなびら》をこぼした紅白《こうはく》の山茶花《さざんか》も残りなく落ち尽した
三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯《こがらし》の吹かない日はほとんど稀《まれ》になってから吾輩の昼寝の時間も狭《せば》められたような気がする
主人は毎日学校へ行く
帰ると書斎へ立て籠《こも》る
人が来ると、教師が厭《いや》だ厭だという
水彩画も滅多にかかない
タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった
小供は感心に休まないで幼稚園へかよう
帰ると唱歌を歌って、毬《まり》をついて、時々吾輩を尻尾《しっぽ》でぶら下げる
吾輩は御馳走《ごちそう》も食わないから別段|肥《ふと》りもしないが、まずまず健康で跛《びっこ》にもならずにその日その日を暮している
鼠は決して取らない
おさんは未《いま》だに嫌《きら》いである
名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯《しょうがい》この教師の家《うち》で無名の猫で終るつもりだ
[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい
元朝早々主人の許《もと》へ一枚の絵端書《えはがき》が来た
これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑《ふかみど》りで塗って、その真中に一の動物が蹲踞《うずくま》っているところをパステルで書いてある
主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、竪《たて》から眺めたりして、うまい色だなという
すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている
からだを拗《ね》じ向けたり、手を延ばして年寄が三世相《さんぜそう》を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている



本文要約
主人の友人、美学者は「冗談を真に受ける人間の滑稽さ」に快感を覚える性格で、出鱈目の話を学生に信じさせてしまい、それが公の場で真面目に引用されることに面白さを感じている。さらに、読んでもいない小説を称賛し合う文学者たちのやり取りを冷笑的に語る。これに対し、真面目な性格の主人は「万一相手が本当に読んでいたら」と心配し、冗談のリスクを恐れる。美学者は「その時は言い訳すればいい」と平然と語り、主人を呆れさせる。
その美学者は「壁のしみを写生せよ」というレオナルド・ダ・ヴィンチの教えを引き合いに出し、主人に写生を勧めるが、主人はまだ行動に移さない。一方、かつて輝いていた黒猫が跛になり、毛の艶も失い、弱っていく様子が描かれ、吾輩は衝撃を受ける。
季節は冬へと移り、紅葉や山茶花も散っていく。主人は日々の仕事に不満を抱きつつ、芸術からも遠ざかっている。吾輩は変わらず名も与えられぬまま、無名の猫としての静かな暮らしを続ける。新年、主人に届いた一枚の絵葉書に、彼は夢中になって色彩や構図を何度も眺めて感動している。その姿に、どこか人間の滑稽さと愛おしさが同時に描かれている。
時代背景・解説文
この章は、明治期の知識人たちの表面上の知識と実際の空虚さ、そしてその滑稽さを鋭く描きながらも、漱石の温かみある視点が随所に感じられます。
まず、美学者の「知ったかぶり」は、当時のインテリ層にありがちな虚飾とハッタリを象徴します。知識を誇るのではなく、うまく知識人ぶることが通用していた文化を、漱石は痛烈に皮肉ります。それに対して真面目な教師である主人の戸惑いは、まっすぐな知識への姿勢を表しており、両者の対比に明治という激動の時代の人間模様が浮かび上がります。
また、猫の「黒」の老化と衰えは、過ぎ去った栄光と命の限界を象徴します。健康で誇り高かった猫が跛になり、目脂に覆われてしまう描写は、吾輩にとって大きな衝撃であり、人間でいえば老いと衰えの哀しみです。
そして新年に届く一枚の絵葉書に、主人が何度も見入る場面は、芸術が与える小さな喜びと人間の感受性の美しさを象徴的に表現しています。書斎にこもり、芸術を志しては諦め、冗談に笑いながらも本気で絵を眺める――漱石はこうした人間の矛盾した内面を、猫の視点を通して静かに見つめています。






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Last updated  2025年06月01日 11時23分22秒
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