元気力UP!

元気力UP!

2025年06月13日
XML
カテゴリ: 吾輩は猫である


「吾輩は猫である」シリーズ No.24
―― “東風《こち》”と“越智東風《おちとうふう》”の微妙な詩的自意識 ――


「私《わたく》しの名は越智東風《おちとうふう》ではありません、越智《おち》こち[#「こち」に傍点]ですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井《くもい》を腹の底まで呑《の》み込む。
「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近[#「遠近」に傍点]と云う成語《せいご》になる、のみならずその姓名が韻《いん》を踏んでいると云うのが得意なんです。
それだから東風《こち》を音《おん》で読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻の孔《あな》まで吐き返す。
途中で煙が戸迷《とまど》いをして咽喉《のど》の出口へ引きかかる。
先生は煙管《きせる》を握ってごほんごほんと咽《むせ》び返る。
「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。
「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管《きせる》で膝頭《ひざがしら》を叩《たた》く。
吾輩は険呑《けんのん》になったから少し傍《そば》を離れる。
「その朗読会さ。
せんだってトチメンボー[#「トチメンボー」に傍点]を御馳走した時にね。
その話しが出たよ。
何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。
それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者を撰《えら》んで金色夜叉《こんじきやしゃ》にしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮《おみや》ですといったのさ。
東風《とうふう》の御宮は面白かろう。
僕は是非出席して喝采《かっさい》しようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。
「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないから好い。
迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀《くじゃく》の舌とトチメンボー[#「トチメンボー」に傍点]の復讐《かたき》を一度にとる。
迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳《ぎょうとく》の俎《まないた》と云う格だからなあ」と笑う。
「まずそんなところだろう」と主人が云う。
実は行徳の俎と云う語を主人は解《かい》さないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化《ごまか》しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。
「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率《しんそつ》に聞く。
主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿《さ》したのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。
「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管《きせる》を大神楽《だいかぐら》のごとく指の尖《さき》で廻わす。
「どんな経験か、聞かし玉《たま》え」と主人は行徳の俎を遠く後《うしろ》に見捨てた気で、ほっと息をつく。
迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左《さ》のごとくである。
「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。
例の東風《とうふう》から参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云う先《さ》き触《ぶ》れがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。
昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑稽物《こっけいもの》を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。
寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブを焚《た》いて室《へや》を煖《あたた》かにしてやらないと風邪《かぜ》を引くとかいろいろの注意があるのさ。
なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気《のんき》な僕もその時だけは大《おおい》に感動した。
それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体《もったい》ない。
何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。
母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。
それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。
露西亜《ロシア》と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦《しんく》をして御国《みくに》のために働らいているのに節季師走《せっきしわす》でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。
――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以《もっ》て来て、僕の小学校時代の朋友《ほうゆう》で今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。
その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気《あじき》なくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。
一番|仕舞《しまい》にね。
私《わた》しも取る年に候えば初春《はつはる》の御雑煮《おぞうに》を祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風《とうふう》が来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。



要約


迷亭先生が訪ねてきて、話題は友人・越智東風の名前についてのこだわりに及ぶ。彼は“東風”を「こち」と読ませることに強い自負を持ち、「音読みされると文学的意図が伝わらない」と嘆く。文学への執着とユーモラスな自尊心がにじむ。
やがて、彼が朗読会で女学生に笑われた話題に移り、新たな会では「金色夜叉」の“御宮”を演じることになったと語る。主人や寒月は半ば呆れながらも興味を示す。
そこから話は迷亭の“暮れの不思議な体験”へと転じる。母からの手紙を受け取り、戦争で友人たちが亡くなったことを知り、生き方を反省。世の無常を感じるが、東風は訪れず、空しさが残るという心情の吐露で締めくくられる。

解説


この章では、東風という名前に込められた文学的自意識と、迷亭先生の自己愛的ユーモアが織り交ぜられて描かれています。夏目漱石がしばしば用いた皮肉と風刺が巧みに生きており、名前の読み方にこだわる人物像が浮き彫りにされます。
また、戦時中の空気を背景に、手紙を通じた母の思いや、戦死した友人たちへの追悼の感情がしっとりと挿入され、単なる滑稽さでは終わらず、明治という時代の不安や市井の感受性を深く描いています。
吾輩の冷静な視点も健在で、人間社会の滑稽さと哀しみをバランスよく映しています。



冬の和室。火鉢のそばで煙管をふかす迷亭先生、書簡を読むシーン、膝のあたりに吾輩が冷ややかに佇む。背景には水仙の花瓶。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025年06月13日 11時05分37秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: