パワースポット@神の島「Okinawa」

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2021.05.22
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カテゴリ: うるま市



「伊計島」は沖縄本島中部のうるま市にあり面積1.8平方km、長さ約2km、幅約1km、周囲7.5kmの南北に細長い島です。与勝半島の北東側に浮かぶ平安座島、宮城島、そして伊計島に順に並ぶ島々はそれぞれハナレ、タカハナレ、イチハナレと呼ばれ、昭和47年に海中道路が開通されるまでは屋慶名港から出る船が唯一の交通手段でした。「伊計島」の住民は島の南部にある「伊計集落」に集中し、さまざまな遺跡文化財を有しています。


(ヌンドゥンチ/ノロ殿内)

(ヌンドゥンチ内部/向かって右側)

(ヌンドゥンチ内部/向かって左側)

「伊計集落」の中心部に「ヌンドゥンチ」と呼ばれるノロ殿内があり赤い鳥居が建てられています。伊計島のノロ(神人)が神々に祈りを捧げる聖域で、殿内の内部には向かって右側にヒヌカン(火の神)と七福神の掛け軸が祀られています。向かって左側にもヒヌカン(火の神)とビジュル霊石とウコール(香炉)が祀られています。琉球古民家の仏間と家屋構造は文化的にも歴史的にも非常に価値があります。


(ウドゥイガミ/天神堂)

(ウドゥイガミ内部/向かって右側)

(ウドゥイガミ内部/向かって左側)




(神アシャギ)

(地頭火ヌ神)

「天神堂」の南東側に「神アシャギ」があり「トゥンチマー」とも呼ばれます。伝統行事の拝みの際に海から訪れた神をこの場所で集落のノロが迎い入れてもてなします。さらに樹齢の長いガジュマルの木の下に「地頭火ヌ神」が祀られています。ニービ石で造られた石碑にはウコール(香炉)が設置されており、幾つもの霊石が供えられています。「地頭火ヌ神」があるこの場所は昔から集落の中心部であった事が考えられます。


(伊計神社/種子取神社)

(弁財天)

「神アシャギ」と「地頭火ヌ神」があるこの地は「掟殿内(ウッチドゥンチ)」と呼ばれる「掟神(ウッチガミ)」を祀る聖地です。「ヌルドゥンチ」よりも古い歴史があると言われ「伊計集落」の祭祀行事の中心地として崇められました。現在、この地には「伊計神社」があり、境内には「弁財天」の社殿があります。「伊計神社」は「種子取神社」とも呼ばれ「琉球八社」の一つである那覇市奥武山「沖宮」の末社として奉仕されています。「伊計集落」の根所(集落発祥の地)に「伊計ノロ」の家と集落の4つの家の合資により建立された「伊計神社」の御本尊には「大黒」「恵比寿」「弁財天」が祀られています。 「沖宮」の先代宮司の一番弟子であったカミンチュ(神人)の「伊計ノロ」が建立した神社であるため「伊計神社」には「沖宮」との強い結びつきが生まれたのです。


(伊計権現堂)

「伊計神社」に隣接して「七観音」が祀られている「伊計権現堂」があります。ここで「伊計神社」の代表である「中村ユキ子」さんとの出会いがありました。中村さんは現役の「伊計ノロ」で「伊計神社」を建立した「伊計ノロ」は中村さんの母親です。中村さんは「せっかくだから、見てあげるよ」と言い私を権現堂に案内しました。自己紹介と生まれ年と干支を言い会話が始まりました。「ここに迷わずにたどり着けたのは神様に呼ばれた証。あなたのように御嶽などに足を運ぶのは、そこの神様に呼ばれているから。もし肩が重くなったり体調不良になったら、歓迎されていないので立ち去るべき。もし歓迎されているなら非常に心地良い気分になる」など私は現役の「伊計ノロ」との会話に引き込まれていました。


(権現堂の内部)

続けて中村さんは権現堂の祭壇に目を向けると「あなたは"琉球八社(七宮八社)と首里十二支巡りをしなさい"とたった今、神様から告げられた。時間がある時に無理せず急がず全て巡れば、扉が開き次の段階に行ける。次の段階では新しく理解する事に気付き、新しく見えるもがある」と「七観音」の神様からのお告げを私に伝えたのです。さらに「あなたが住んでいる場所の土地神は普天満宮だから必ず拝みに行きなさい。働いている場所の土地神にも挨拶を忘れずに行うこと」と続け、土地や自然への感謝は人として当然の事だと伝言を頂きました。


(伊計神社の祈りの30箇条)

更に中村さんから「伊計神社の祈りの30箇条」を頂戴しました。第1条は「伊計神社」を祈る事から始まる意味が込められて、30箇条は第2条から始まっています。「伊計神社」と「伊計権現堂」に描かれた龍の絵画の作者による「弥勒菩薩(ミルク神)」が添えられています。30箇条の全てが大切で重要な要素でありますが、


「5. 祈りは無欲無心に」
「18. 祈りは原始からの行動である」
「22. 祈りは魂の根源に存在する」
「23. 祈りは人間性を高める」

の5つが現在の私の心に特に響きます。非常に貴重なものを頂いたので額縁に飾り大切にしてゆきます。




「伊計ノロ」の中村さんは「今度来る時は電話してから来たら良い」と言って私は名刺を頂戴しました。最後に中村さんに「これから龍宮神に行きなさい」と告げられました。「伊計神社」から南に一本道を進むと「イツクマの浜」に出て「伊計亀岩龍宮神」に到着しました。「亀岩」と呼ばれる孤立した岩には「龍宮神」の石碑が東向けに建てられており、海の神様である「ニライカナイの神」が祀られています。「伊計集落」の神事の中心地である「ウッチドゥンチ」から「竜宮神」への一本道は昔から「神道」であったと考えられます。


(イツクマの浜/石獅子)

(ウスメーハーメー)

「伊計島亀岩龍宮神」に隣接して「イツクマの浜」があり、浜の脇には「石獅子(シーシ)」が設置されています。この「石獅子」は海中から発見されて引き上げられ、次のような逸話が伝わります。
『昔、ある男が土地の開墾の為に石獅子を3つに割り除去しました。すると男に災いが起きた事から石獅子の祟りだと信じられたのです。』
「石獅子」は元の姿に復元され「イツクマの浜」に向けて海の安全を見守っているのです。また「石獅子」の直ぐ西側には「ウスメーハーメー」の石柱が建立されています。「ウスメー」は"お爺さん"「ハーメー」は"お婆さん"の意味があります。


(セーナナー御嶽)

(セーナナー御嶽の鳥居)

伊計島の最南端に「セーナナー御嶽」があります。この地は伊計島に最初に人が暮らした地と言われる聖なる森です。この御嶽の入り口に「御嶽の鳥居」が建てられています。現役「伊計ノロ」の中村ユキ子さんによると、この御嶽は「伊計神社」と深い関わりがあり、神社建立の礎となった神様が降臨した聖地と崇められています。SNS、YouTube、インターネット上では「セーナナー御嶽」が間違えた認識で紹介されています。御嶽の先の岩場にある"丸い鏡"は新興宗教が勝手に設置したもので「セーナナー御嶽」とは全く関係がありません。勿論、歴代の「伊計ノロ」も現役の「伊計ノロ」の中村さんも岩場の"丸い鏡"を絶対に拝む事はありませんし、うるま市教育委員会も文化財として認めていません。


(セーナナー御嶽の石碑)

(セーナナー御嶽の社)

「セーナナー御嶽」の森に「金刀比羅大神、恵比須大神、大國大主神」が祀られています。「金刀比羅大神」は天神地祗八百万神の中で運を掌る神。「恵比須大神」は七福神の福の神、漁業の神。「大國大主神」は国造りの神、農業神、薬神、禁厭の神。石造りの拝所は本殿と社殿に3つの神々が祀られていると考えられ、それぞれの神にウコール(香炉)と霊石が供えられています。「セーナナー御嶽」は定期的に「伊計神社」の現役「伊計ノロ」の中村さん達により清掃され拝まれているそうです。


(セーナナー御嶽の拝所)

(御先神様御降臨の聖地)

「セーナナー御嶽」の森から海側に抜ける通路があり、向かって左側に御嶽の守護神である石造りの拝所がありヒラウコー(琉球線香)が供えられていました。海に抜ける道の先も聖域となっており、拝所は神聖な場への"お通し"の役割もあると考えられます。更に向かって右側に「御先神様御降臨の聖地」と刻まれた石柱があります。つまり、この石碑が建立されている森の一帯は神様が降臨した聖地であると示しています。森を抜けると突然辺りが太陽の光に包まれており、大小数えきれない程の色とりどりの蝶々が私の周りを舞っていました。後に「伊計ノロ」の中村さんに話したところ「聖地があなたを歓迎している証。実際に蝶々がいたのか、それともあなたにしか見えない神業か、いずれにせよその不思議な体験は、一つクリアした事になる」と仰っていました。


(聖地の石碑)

無数の蝶々に歓迎されて森を抜けた突き当たりにニービ石造りの石碑が建っています。「天帯子御世結び (てんたいしうゆうのむすび) 伊計種子取繁座那志 (いけいたんといはんざなし) 中が世産女母親 (なかがゆううみないははしん)」と彫られています。つまり「伊計種子取」の神様を祀る石碑で13〜14世紀の「天帯子」の三山時代に「産女母親」によって建立された事を意味しています。この「種子取」の神は「農耕の神様」を意味し「伊計ノロ」の中村さんによると「伊計神社」は元来、この農耕神を祀った神社で、その証拠に「伊計神社」は別名「種子取神社」と呼ばれます。実際に「伊計権現堂」には「伊計種子取神社」と木彫りされた古い扁額(へんがく)が存在します。


(伊計神社のフクギ道)

「伊計ノロ」の中村さんが歴代ノロから受け継いだ「種子取神」の伝承があります。その昔、伊計島の先人が「セーナナー御嶽」を抜けた岩場から海に浮く大きな甕壺を見つけました。いくら手を伸ばしても甕壺は逃げてゆきます。その時は汚れた衣服だったので、後日きれいな正装をして再び訪れると甕壺が海から飛び出し上陸したのです。甕壺の中にはサトウキビ、イネ、イモの種子が入っており、先人は荒れた地を耕し種を植えて育て伊計島に果報をもたらしました。それ以来、伊計島では「セーナナー御嶽」の先に降臨した「種子取」を"農耕の神"と崇めて来たのです。


(宮城島から見た伊計島)

「種子取」の神がもたらした甕壺が浮いていた海底には大きな亀裂が入っており、干潮の時のみ全貌を見せます。「伊計ノロ」の中村さんはその亀裂がある場所に来る度に必ず見えるものがあると言います。どこかの国の民族衣装を着た数名の古代人が亀裂のある場所で祭事を行っている光景で、もしかしたら琉球発祥の地は久高島でも浜比嘉島でもなく、実は「伊計島」なのではないかと考えているそうです。「伊計島」は未だに解明されていない数多くの遺跡があり、島全体に神が宿るパワースポットとして日出る太平洋に今日も浮かんでいるのです。






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最終更新日  2023.10.31 15:40:45
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