パワースポット@神の島「Okinawa」

パワースポット@神の島「Okinawa」

PR

プロフィール

kasurichan1010

kasurichan1010

カレンダー

カテゴリ

コメント新着

gomagoma0610 @ 恩納ナビーの墓について 佐野哲寛さんへ コメントを下さり誠に有…
佐野哲寛@ Re:恩納ナビーの琉歌の里@恩納村「恩納ナビーの歌碑/恩納集落」(10/05) 恩納ナビーのこの写真のお墓はどの辺りに…
地域の人@ Re:七神を祀る霊域と美女伝説の湧き水@那覇市「松川殿之毛/松川樋川」(06/17) 初めまして、松川樋川は「松川ミーハガー…
まるぴ@ Re:集落発祥の秘話と四方神の恵み@沖縄市「登川/ニィブンジャー集落」(01/25) 母方の名前が登川です。 今人生の折り返し…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2022.07.27
XML
カテゴリ: 南城市



沖縄本島南部の南城市に「佐敷(さしき)集落」があり「佐敷上グスク」がある「佐敷上グスク遺跡散布地」と、その東側に隣接する「島宜原遺跡散布地」の中間に「美里殿/ンザトドゥン」と呼ばれる拝所があります。「佐敷上グスク」から東側に約100メートルのこんもりとした林の中に鎮座する「美里殿/ンザトドゥン」は第一尚氏王統「尚思紹」の妻の父親(舅/しゅうと)であった「美里之子/ンザトヌシー」が暮らした住居があった場所であると伝わっています。「尚思紹」は「美里之子/ンザトヌシー」の娘との間に5男1女をもうけ、その長男が後に琉球王国を統一した初代琉球国王の「尚巴志王」となりました。


(美里殿/ンザトドゥン)

(美里殿/ンザトドゥンの祠内部)

(美里殿/ンザトドゥンに使われていた礎石)

「美里殿/ンザトドゥン」は現在コンクリート製の拝所が設けられ、その一部にかつて礎石として利用されたと伝わるニービ(微粒砂岩)の石材がはめ込まれています。 「美里殿/ンザトドゥン」は東側に隣接する小字「与那嶺」の地頭代補佐職であった「与那嶺大屋子」の「根所/ニードゥクル」で、稲穂祭と稲ニ祭の際には「佐敷ノロ」により祭祀が行われていました。「美里殿/ンザトドゥン」について、1713年に琉球王府が編纂した『 琉球国由来記』には次のように記されています。『美里之殿 与那嶺大屋子根所也 佐敷巫祭祀也。且、巫・根神・居神四人ヘ祭前日之晩ヨリ祭之日朝マデ、二度賄仕也。』


(美里井/ンザトガー)

(美里井/ンザトガー)



「美里井/ンザトガー」は「美里殿/ンザトドゥン」の西側に位置し、かつて「美里殿/ンザトドゥン」に暮らす人々が生活用水として井戸を利用していました。また「佐敷ノロ」が「美里殿/ンザトドゥン」で祭祀を行う際に、井戸の湧き水で身を清める禊(みそ)ぎの聖域であったと言われています。現在も「美里井/ンザトガー」の水は豊富に湧き出ており、旧正月に執り行われる字の「カーガー拝み」の祭祀場として周辺住民により崇められています。「美里井/ンザトガー」は「佐敷上グスク遺物散布地」に属し、グスク主体部の東側斜面下の森の中に位置しています。「美里殿/ンザトドゥン」と「美里井/ンザトガー」周辺の地形は「佐敷上グスク」の一つの郭として様相を呈しています。


(佐敷ノロ殿内/佐敷ヌルドゥンチ)

(佐敷ノロ殿内/佐敷ヌルドゥンチの祠内部)

「佐敷上グスク」北東側の敷地内に「佐敷ノロ殿内」の祠があり「佐敷ヌルドゥンチ」とも呼ばれています。「佐敷ノロ」は「佐敷」と東側に隣接する「与那嶺」の2箇所のシマを管轄して祭祀を行なっていました。「佐敷ノロ殿内」の祠内部には「ヒヌカン/火の神」専用の白い陶器製ウコール(香炉)・花瓶・湯碗・水碗、更に石造りウコール(香炉)と霊石が数体祀られています。『琉球国由来記』には『佐敷巫火ヌ神』と記されており、次のような記述があります。『稲穂祭之時、穂上ゲ、巫ニテ御崇也。且、自他人、飯相調、巫ヘ馳走也。稲穂祭三日崇之時、花米九合・五水二合百姓。毎年三・八月、四度御物参之時、三日崇トテ、神酒壱百姓。且、祈願之日、五水二合・神酒壱百姓。』


(佐敷ヌル殿内と彫られた石碑)

「三日崇」とはノロが御嶽や拝所に籠り「物忌み/数日間に渡り飲食や言行を謹んで心身を清める事」をして豊作を祈願する儀式を意味します。さらに『琉球国由来記』の「佐敷ノロ殿内」に関する記述は次のように続いています。『年浴三日崇之時、神酒壱百姓。年浴之日、花米九合・神酒壱百姓。麦初種子・ミヤタネ三日崇之時、花米九合・五水四合・神酒壱百姓。初麦種子・ミヤタネノ日、花米九合・五水四合・神酒壱百姓、供之。同巫ニテ祭祀也。』初代の「佐敷ノロ」は「尚思紹/苗代大親」の長女が任命され、その後の「佐敷ノロ」は代々「喜友名家」の系統女性が昭和初期までノロ職を継承していました。最後のノロが他界してからは後継者は途絶えたままだと言います。


(洗心泉/シーシンガー)

(タキノー御嶽への遥拝所)

(タキノー御嶽/クンナカの嶽)

「佐敷上グスク」の北西側の丘陵中腹に「洗心泉/シーシンガー」と呼ばれる井戸があります。沖縄戦後のアメリカ統治下時代に「琉球列島米国民政府/USCAR」に置かれた高等弁務官の資金により「洗心泉」が造られました。井戸水は「下代樋川/シチャダイヒージャー」から貯水して周辺住民の飲料水タンクとして使われ、現在も旧暦12月24日の「御願解き/ウガンブトゥチ」に拝されています。この井戸の脇には「タキノー御嶽」への遥拝所としてウコール(香炉)と霊石が祀られ、住民はこの拝所から南側丘陵斜面の深い森にある「タキノー御嶽」を拝しています。写真中央のこんもりした場所の周辺が「タキノー御嶽」の森で、そこから手前の丘陵中腹に「クンナカの嶽」があります。


(クンナカの嶽の石積み)



(クンナカの嶽の岩塊)

「クンナカの嶽」は「佐敷上グスク」の南西側の丘陵斜面に位置しています。『琉球国由来記』には『クンナカノ嶽 神名 イベヅカサノ御セジ』と記されており「セジ」とは「神威」の事で神の威光や威力を意味します。更に「クンナカの嶽」について「琉球国由来記」には『佐敷巫崇所。年浴並麦初種子・ミヤタネノ時、同于上城之嶽也。』との記述があります。「佐敷ノロ」により祭祀が行われ、稲作事初めに豊富な水を得られる祈願である年浴の際には花米や神酒が供えられ、麦初種子やミヤタネ(米種子)の際には花米、五水、神酒が供えられました。字佐敷の「ミロク節」には『佐敷クンナカや竹の若緑、トゥヤイ字民ヌ、ムテイジュラサ』(佐敷クンナカの嶽にある竹の若緑と同じように、字民が美しく栄えている)と謳われています。


(タキノー御嶽の森)

(タキノー御嶽の1つ目のウコール)

(タキノー御嶽の2つ目のウコール)








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.12.23 14:12:49
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: