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2023.01.20
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カテゴリ: 中城村



沖縄本島中部にある「中城村/なかぐすくそん」の中央部に「当間/とうま集落」があり、この集落の東海岸線沿いに「吉の浦公園」があります。この公園には


(吉の浦歌碑)

(中城村のマンホール)

「吉の浦歌碑」に記された歌は「国頭朝斉/くにがみちょうさい(1686-1747年)」により詠まれ「国頭親方」とも呼ばれた歌人であり唐名は「向 秉乾」といいました。 1718年に進貢正使として中国に渡り、さらに1925年には年頭慶賀使として薩摩に上国したと伝わります。「国頭朝斉」は「沖縄三十六歌仙/おきなわさんじゅうろっかせん」という琉球王国時代における代表的な歌人36名のうちの1人でした。琉球王国末期の著名な政治家であり歌人の「宜湾朝保/ぎわんちゅうほ」が1870年に編纂した沖縄初の和歌集『沖縄集』に「沖縄三十六歌仙」の歌が掲載されています。ちなみに首里出身の「宜湾朝保」は13歳で家を継ぎ宜野湾間切(現宜野湾市)を領して「宜野湾親方朝保」と呼ばれた琉球の「五偉人」の1人として知られています。現在、この歌は中城村のマンホールの蓋に採用されており、多くの人々に愛され親しまれています。


(仲松門中/屋号大仲松の屋敷)

(ウマアシグムイ跡)

(中城村立吉の浦保育所のシーサー)




(屋号井ヌ下/沖縄そば専門店まるち中城店)

(屋号井ヌ下の古井戸跡)

(沖縄そば専門店まるち中城店/旧ちゅるげーそば)

屋号「大仲松」の東側で「ウマアミシグムイ」の北側に「仲松門中」系統である屋号「井ヌ下」の屋敷があり、現在は「沖縄そば専門店まるち中城店」として営業しています。この沖縄そば店は築約80年の古民家を利用した地域でも非常に有名な沖縄そば店で、以前は「ちゅるげーそば」の店名で長年多くの地元住民から観光客にも愛されていました。この屋号「井ヌ下」の屋敷には古井戸跡がありウコール(香炉)が設置され水の神様を祀っています。現在、井戸の水は枯れていますが、かつては「高江洲屋取」の貴重な水源の一つとして重宝されていたと考えられます。また「高江洲屋取」には「カーラーヤー/瓦葺の家」が14軒あったと伝わります。当時「カーラーヤー」は金持ちの象徴で「当間集落」に移住した屋取の人々は当初財産がなかったため『人が2歩歩いたら自分は10歩歩く』と言って、一生懸命に財産を増やしたと伝わります。


(スガチミチ/村道潮垣線/ンマイー)

(龍宮神)

(龍宮神の祠)

(サチハマヌカー/崎浜ヌ井戸)

屋号「井ヌ下」沿いには「スガチミチ/村道潮垣線」が南北に通っています。この道はかつて馬の走り方の美しさを競う「琉球競馬」が行われていた事から「ンマイー」とも呼ばれていました。この道沿いで屋取の「サーターヤー」が昔あった場所に「龍宮神」が祀られる祠が東の海に向けられ建立されています。この場所は海から約200m離れた内陸にありますが、大潮や台風の際には「スガチミチ」まで塩水が流れ込む自然被害が頻繁にありました。この「龍宮神」は海の安全を祈るためにこの位置に祀られたと考えられ、戦前から屋取の人々のみならず「当間集落」の住民に拝されていました。「龍宮神」の祠から北西側に約200mの場所には「サチハマヌカー/崎浜ヌ井戸」があります。戦前、この周辺は石山になっており、井戸は生活用水の為ではなく昔から拝所として拝まれていたと伝わります。


(旧県道/村道吉の浦線)

(屋号西前ン田小/旧雑貨屋)



「当間集落」の中心部を南北に通る「旧県道」に戦前まで馬車駆動が通っており、現在「村道吉の浦線」として人々の暮らしに欠かせない道路となっています。この道沿いにある屋号「西前ン田小」と、現在「中城観光協会」の西側にある屋号「仲前ン田小」は集落で2件あった「マチヤー/雑貨屋」でした。屋号「西前ン田」の雑貨屋では母屋の別棟で米や日曜日を販売していました。さらに屋号「仲前ン田小」の雑貨屋は母屋の軒下にトタン屋根を伸ばして営んでいました。この雑貨屋では酒や塩などの専売品や食用油、砂糖、米、灯油などタバコ以外の日用品は何でも売っていたそうです。この雑貨屋の家主は荷馬車を所有する「馬車ムチャー」であったため、那覇に砂糖樽を卸した帰りに様々な商品を仕入れていたと言われています。


(ウマヌチミクマサー/蹄鉄師の作業場跡)

(タバコヤー/ダンパチヤー/ソバヤー跡)

(タムトゥガー)

「旧県道/馬車駆動」沿いで「中城観光協会」の北側に、かつて「ウマヌチミクマサー/蹄鉄師」と呼ばれる馬車馬や農耕馬の蹄鉄を装蹄する職人の作業場がありました。「当間集落」の「トーママーチュー」は馬車駆動の中継地点であった事から、この場所で開業していたと考えられます。更に「中城観光協会」の土地には戦前まで「タバコヤー/たばこ屋・ダンパチヤー/床屋・ソバヤー/そば屋」が軒を連ねていました。首里出身の人が床屋を営み「ダンパチヤーのターリー(父さん)」と呼ばれていたそうです。その後、長男に床屋を任せて「ターリー」は隣でタバコを販売していました。「ダンパチヤー」の北側に隣接して「ソバヤー」があり「山城」という名前の女性が沖縄そば屋を営んでいました。この「ソバヤー」は製糖作業で働く若者達で繁盛していたと伝わります。この「ソバヤー」の北東側には「タムトゥガー」と呼ばれる井戸があり、戦前は海石のカブイ(蓋)が付けられていました。昔は井戸の水量も豊富で良質な水であった事から豆腐作りに重宝されていたと言われています。






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最終更新日  2023.01.20 15:45:32
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