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2023.05.18
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カテゴリ: 恩納村



沖縄本島北部にある「恩納村/おんなそん」に「谷茶/たんちゃ集落」があります。1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」と1731年に成立した漢文による琉球王国地誌である「琉球国旧記」によると、恩納間切地頭代は『前兼久親曇上』と称する以前は『谷茶大屋子』と呼ばれていました。このことから「谷茶村」は琉球王国の行政村として確立していた事が示されています。また「谷茶村・仲泊村・前兼久村・冨着村」の4村は「山田ノロ」の管轄により「冨着神アサギ」にて合同祭祀が執り行われていました。「谷茶集落」の中央部にある小高い丘陵は村の御嶽となっており、この御嶽の東側に「ウドゥンガー/御殿ガー」と「シリンカー/後ガー」があり、西側には「メーンカー/前ガー」と呼ばれる井泉があります。この3箇所の井泉は集落の草分け旧家とその子孫に水の恩恵を与えた拝井として現在も大切に崇められています。


(ウドゥンガー/御殿ガーの祠)

(シリンカー/後ガーの拝所)

(シリンカー/後ガーの祠)

(ミージマバシ/新島橋)




(メーンカー/前ガーの拝所)
(メーンカー/前ガーの祠)

(メーンカー/前ガーのグムイ/溜池)



御嶽の西側で「アガリメーウフヤ/東前大屋」の旧家から北側に進んだ森に「メーンカー/前川」の上流があります。水量が豊富な小川の流れを堰き止めた「グムイ/溜池」があり、この場所に「メーンカー」の祠が建てられ「メーガー/前ガー」と呼ばれる拝所となっています。北側に隣接する御嶽に向けて建てられたコンクリート製の祠内部には霊石が6個祀られており、現在でも先人が水の恵みを頂いた拝井として多くの住民が参拝しています。「谷茶集落」の古島は「メーンカー」と「シリンカー」に挟まれた地域に民家が広がり集落を形成し発展してきました。人々の生活に欠かせない「ウドゥンガー」「クシガー」「メーガー」の井泉に祀られる3箇所の拝所は旧暦8月に行われる「カーウガミ/井泉祈願」で拝されており、かつて正月に汲む若水や産まれた子供の産水としての「ウブガー/産ガー」として村人に重宝されていたと考えられます。


(東リタカビチェー/谷茶村墓)

(ウフヤームンチュー/大屋門中之墓)

(亀甲墓)

「谷茶集落」の北東側に「谷茶古墓群」と呼ばれる標高約20mの丘陵があり「クガタ/此方組墓」と呼ばれる「ムンチュー/門中墓」が点在しています。集落の「アガリ/東リ・ウフヤー/大屋・イリ/入り」などの旧家は「クガタムンチュー」に属していました。「ムンチュー/門中」とは沖縄県における始祖を同じくする父系の血縁集団を言います。「ムンチュー」の一族は同一の共同墓に入り、墓の管理や運営も「ムンチュー」により行われています。「丘陵の中腹には「東リタカビチェー」と称する「ムラバカ/村墓」があり、他にも「ウフヤームンチュー/大屋門中之墓」など古い亀甲墓が構えています。この「タンチャオオブクロバル/谷茶大袋原」にある「谷茶古墓群」には亀甲墓の他にも堀込墓や破風墓があり、古墓の蓋石に大型のテーブルサンゴなどが用いられています。さらに丘陵の周囲からは獅子竈や近世陶磁器が発掘されています。


(旧ムラバカ/村墓)

(堀込墓)

(谷茶古墓群に移設されたムラバカ/村墓)

「谷茶古墓群」から更に北東側で「大湾川」の北側に「ガンジ原古墓群」と呼ばれる約3m程の小高い丘があり「アガタ/彼方組墓」と称する「ムンチュー墓」が造られていました。この古墓群には集落の草分け旧家である「ニーチュヤー/根人屋」などの「ムンチュー」が「旧ムラバカ/村墓」や「堀込墓」に葬られていました。この「ガンジ原古墓群」は「谷茶集落」と関連がある古墓とされていますが「谷茶古墓群」と位置が離れており墓の形状も違う事から、より古い違う時代の古墓群であると考えられています。その証拠に「ガンジ原古墓群」には堀込墓が多く「大湾川」から多数の厨子甕が発見されています。この周辺の丘からは厨子甕に使われた土器壺や青花が表面採集されており、さらに「寛永通寶」の貨幣も発掘されています。現在「ガンジ原古墓群」にあった「旧ムラバカ」は「谷茶古墓群」に「谷茶区合祀墓」として移設されています。


(谷茶前節の歌碑)

(谷茶前浜)



「谷茶前浜」には沖縄本島の代表的な民謡と踊りである「谷茶前節」の歌碑が建立されています。耕作地が少なかった「谷茶集落」では村を上げて漁具に力を注いでいました。集落では海の幸の恵みと感謝を示すため御嶽の祭祀には魚を神前に捧げたと言われています。「アカヒゲ屋」の人は三線が巧みで踊りや狂言も人気があり「マネク屋・トクムト・入り・与儀小」などの人々と共に「谷茶前浜」に押し寄せた数えきれない海の幸、大漁に心躍る青年達、忙しく魚を売りに走る乙女達の情景を「谷茶前節」で見事に歌と踊りに表現しました。因みに、 琉球音楽の世界で『唄三線の始祖』として信仰されている 赤犬子」が旅の途中に「谷茶」で物乞いをした時、そこの船大工は「ひもじかったら食べなさい」と丁寧に「赤犬子」をもてなしてくれました。「赤犬子」は谷茶の船を「谷茶速船」と名付け、それから谷茶の船は爽快に水を切って走ったとの伝承が残されています。






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最終更新日  2023.05.18 16:52:30
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