パワースポット@神の島「Okinawa」

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2023.06.05
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カテゴリ: 本部町



沖縄本島の北部の「本部町」に隆起珊瑚礁で形成された「瀬底島」があり「島尻マージ」と呼ばれる土壌が分布しています。「瀬底島」の中央部に「瀬底集落」があり、この集落の草分け旧家である「大城家/屋号ウフジュク」の屋敷に「神アサギ」が建立されています。「大城家」の「ムートゥヤー/元屋」である「大底門中」の先祖が「瀬底島」に移り住んだ15世紀中頃には島の先住民が暮らしていましたが「北山監守今帰仁按司」の子孫で武力と統治力のある「大城家」により島は支配されたと伝わります。「大底門中」は現在も集落の「ニーヤー/根屋」としてウフシヌヘー、ノロ、神人などを出し、島の祭祀の中心的役割を担っています。この「大城家」の屋敷の東側に神を迎えて招宴する「神アサギ」があり、内部には神の依代である「タムト木」と呼ばれる丸太が祀られています。「神アサギ」での祭祀の際にはこの「タムト木」の上に線香を供えて祈願します。


(大城家のカミヤー/神屋)

(カミヤーの仏壇とヒヌカン)

(カミヤーのトゥクシン/床の神)

(カミヤーの仏壇)

「神アサギ」は1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」に『麦・稲三祭之時、仙香 巫、花米五合宛・神酒壱宛 百姓。柴指之時、線香 巫、花米九合・神酒弍・五水五合・肴壱器 百姓。芋祭之時、仙香 巫、蕃薯三器・神酒弍・肴壱器 百姓、供之。瀬底巫祭祀也。』と記されています。「大城家」の敷地内で「神アサギ」の東側には「カミヤー/神屋」があります。仏壇には『大城親雲上・大城筑登之・内城按司・内城大主・内城按司女神・内城按司祝女・七之ウミナイビ乳母・七代先祖・八代先祖』などの位牌が建立されており、仏壇の左側には「ヒヌカン/火の神」の霊石が三体祀られています。「カミヤー」の中央には「大城家/大底門中」の先祖である「ウチグスク/内城按司」と考えられる人物を描いた掛軸と刀が飾られており、向かって右側には「寿」と記された木彫りの扇子が二面据え置かれています。


(大城家の鳥居)

(大城家のニーヒヌカン/根火神)



(アシビモー/遊び毛/フチャムイのガジュマル)

「神アサギ」の北側に面して「ニードゥクル/根所」と呼ばれる赤瓦屋根の祠があり「ニーヒヌカン/根火神」が祀られています。この祠は「大城家」の屋敷東側に建立されているため「大底門中」の「ヒヌカン/火神」であると考えられています。旧暦2月の麦の豊作祈願で麦の初穂を供える「2月ウマチー」と、旧暦5月の粟の穂を供えて粟の豊作祈願と集落の住民の健康祈願を行う「5月ウマチー」でウフシニヘーやノロなどの神人が「ニーヒヌカン」を拝します。また旧暦3月の麦の豊作に感謝しウブク(ご飯)・酒・カティムン(おかず)・線香を供えて祈願する「3月ウバングミ」と、旧暦6月に粟の豊作を感謝しウブク・酒・カティムン・線香を供える「6月ウバングミ」でもウフシニヘーやノロなどの神人により祈願が行われます。「大城家」の東隣には集落の踊りが行われる「アシビモー/遊び毛」があり「フチャムイ」とも呼ばれています。旧暦8月15日の「シシウグヮン/獅子御願」では「アシビモー」に獅子を安置し「ヤナカジゲージ」と呼ばれる「ヤナムン/悪霊」祓いの祈願をします。


(若狭松御願/ワカサマチウガン)

(若狭松拝所の石碑)

(若狭松御願/ワカサマチウガンの祠内部)

「大城家」の「神アサギ」から西側の場所に位置する「ウチマンモー」と呼ばれる広場に「ワカサマチウガン/若狭松御願」の拝所があります。その昔、この一帯に青々とした立派な松の木があった事からこの名前が付いたと伝わります。「ワカサマチウガン」の祠内部には石造りウコール(香炉)が2基と鉄製のウコールが1基祀られており、この拝所には『若狭松拝所 一九六三 . 八 . 廿五 .』と記された石碑が建立されています。「ワカサマチウガン」は「瀬底集落」の年中行事で悪風祓いと農作物の豊穣、さらに村人の健康と村の繁栄を祈願を兼ねた「ウフユミシヌグイ」の6日目に拝されます。この行事は一年で最も重要な祭祀で旧暦7月18日から24日の1週間に渡り行われます。この拝所は「瀬底の七門中/大城・上間・仲田・湧川・仲原・仲程・奥原」の「仲田門中」と深い関わりがあると言われています。


(御天竜神地の拝所)

(御天竜神地の石碑)

(御天竜神地のウコール)

旧暦7月23日の「ワカサマチウガンの日」の午後、神人および「仲田門中」の人々が「ワカサマチウガン」の拝所に集まり、重箱(仲田門中)・おにぎり・酒・シブイ(冬瓜)の薄切・刺身の味噌和え・線香を供えて祈願します。「ワカサマチウガン」に隣接して「御天竜神地」の拝所があり大小無数の石が積まれています。『御先 御天竜神地 ニライカナイ』と刻まれた石碑が建立されており、石造りのウコールと数個の霊石が祀られています。『御先/ウサチ』は「 アマミキヨ・シネリキヨ」の琉球開闢の世の中である「御先の世/ウサチユー」を意味し『御天/ウティン』は「天」を指します。琉球神道に於ける主神は遥か東の海の彼方に存在する「ニライカナイ/理想郷」に住む神であり、この海の神こそが


(慰霊塔)



(刻まれた戦没者名)

更に「ウチマンモー」の南側には昭和32年に建立された「慰霊塔」があり沖縄戦で戦没した軍人・軍属の御霊を祀り、毎年6月23日の「慰霊の日」に「慰霊祭」が執り行われています。1944年(昭和19)10月10日の「十・十空襲」では「瀬底島」と沖縄本島の「先本部」の海峡に停泊していた潜水母艦「迅鯨/じんげい」がアメリカ軍の攻撃により沈没しました。この空襲により「瀬底島」の民家と学校が消失し島民1人が死亡し、翌年の1945年(昭和20)4月22日、アメリカ軍は「瀬底島」に上陸したのです。沖縄戦に於いて「瀬底島」出身の軍人・軍属72名と一般住民102名が犠牲となりました。戦時中「本部町」の住民は「名護市」の「久志・辺野古」の収容所に移動させられましたが「瀬底島」の住民は収容されなかったと伝わります。この理由として「瀬底島」の主要な人物が島の学校を再建する事を条件にアメリカ軍と交渉して島民は収容所への移動を免れたと言われています。






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最終更新日  2023.06.05 16:46:27
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