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2023.11.10
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カテゴリ: 南風原町



沖縄県内で唯一海に面していない「南風原町/はえばるちょう」は沖縄本島南部に位置しており、この町の中南部に「照屋/てるや集落」があります。「照屋集落」は「喜屋武集落」と「本部集落」に隣接し、この3つの集落は「サンカ/三箇」と呼ばれています。「照屋」の村発祥は集落の東側にある「クガニムイ/黄金森」の「イシジャー」に住んでいた人に関わりがあるとの伝承があります。この人物の長男が「喜屋武」次男が「照屋」三男が「本部」の各村の始祖となり、子孫が広がって行ったと言われています。また「イシジャー」にいた「大城子」という人物が「ティーラバル/照屋原」で「喜屋武・本部・照屋」の三カ村の村立てをしたとも伝わっており、村の年中行事は古くからこの三カ村共同で行われてきました。


(アヘダ御嶽之殿/アヘダ之殿の祠)

(アヘダ御嶽之殿/アヘダ之殿の祠内部)

(アヘダ御嶽之殿/アヘダ之殿のヒヌカンの祠)

(アヘダ御嶽之殿/アヘダ之殿のヒヌカンの祠内部)

「照屋集落」の東部で那覇市安謝と糸満市潮平を結ぶ県道82号沿いの東側丘陵に「安平田の御嶽」があります。「アヘダ御嶽之殿/アヘダ之殿」の祠内部には石造りの「ウコール/香炉」が祀られており、火を付けない「ヒジュルウコー」が供えられています。また隣接する「アヘダ御嶽之殿/アヘダ之殿」の「ヒヌカン/火の神」の祠内部にはウコールに霊石が祀られ、さらに三体の「ビジュル石」が設置されています。1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『アヘダ之殿 照屋村 同御嶽之殿 照屋村』と記されており『稲二祭之時、神酒壱宛・穂・シロマシ壱器 照屋村百姓、五水四合宛、玉那覇村 百姓、供之。玉那覇巫祭祀也 此時、巫一人・居神一人、照屋百姓中ヨリ盆拵馳走仕ル也。』との記述があります。


(アヘダノ嶽/安平田の御嶽)

(アヘダノ嶽/安平田の御嶽の井戸)



「アヘダノ嶽/安平田の御嶽」は「照屋集落」に属していますが「照屋村」との直接的な関係が無いと言われ、西側に隣接する「津嘉山集落」の祭祀で拝まれる拝所となっています。この御嶽は「照屋集落」では「アヒダシー/安平田子」と呼ばれており「琉球国由来記」には『アヘダノ嶽 神名 ヨラムサノ御イベ 玉那覇巫崇所。』と記されています。「玉那覇ノロ」が「照屋村」にある「アヒダシー」の屋敷跡とされる「アヘダノ嶽」と、その一族の屋敷跡である「アヘダ之殿」を拝む理由は「玉那覇ノロ」の父親の旧跡として拝するようになったと言われています。その後、代々「玉那覇ノロ」が慣例として拝むようになったと伝わっています。また「ミーヤシチムンチュー/新屋敷門中」の祖先が「今帰仁」から「アヘダノ嶽」に来住したと伝わっており、旧五月・六月の「ウマチー」の際に御嶽を拝しています。


(照屋公民館/照屋自治会)

(ナガモー/ナガ毛の御嶽)

(トゥンヌシチャ/殿の下)

(トゥンヌシチャ/殿の下の拝所)

「安平田の御嶽」の西側で「照屋集落」の中央部に「照屋公民館/照屋自治会」があり、この公民館は戦後に現在の場所に移されました。この一帯はかつて「ナガモー/ナガ毛」と呼ばれる広場で、松の大木が生えた「アシビナー/遊び庭」としてムラの住民の憩いの場でありました。旧暦6月の綱引きや旧暦7月のお盆のエイサーが行われたのも「ナガモー」で、現在は公民館の敷地に「ナガモーの御嶽」があり、祠には3基のウコール(香炉)が祀られています。ナガモーの南側にある「メーミチ」沿いには「トゥンヌシチャ/殿の下」と呼ばれる拝所があり、石造りのウコールに霊石が祀られ線香が供えられています。この「トゥンヌシチャ」は「安平田子」の次女「マグジー/真呉勢」が浦添から「ナカマウフヌシ/仲間大主」を婿養子に迎えて結婚後に住んだ屋敷跡です。「ウマチー」の際に「安平田の御嶽」を拝んだ「津嘉山/親国」の旧家一行が帰路に立ち寄って休んだ場所であると伝わっています。


(サーターヤー跡の石碑)

(サーターヤー跡/仲組/西組)

(サーターヤー跡/上江洲組/西原組/仲筋組/新組小)

(メーミチ)

「ナガモー」の東側にはかつて6つの「サーターヤー/製糖小屋」があり「サーターヤーグミ/製糖屋組」により管理されていました。現在「サーターヤー跡」の石碑が建立されており、 石碑の下にはかつて「ナガモー」で若者達が力比べをした「力石」が埋められています。


(夜警団屋跡)

(トーフヤー/豆腐屋跡)

(ナカミチ)

(馬を水浴びさせたクムイ/溜池跡)

「ナガモー」の南側に「夜警団屋跡」と呼ばれる場所があります。「照屋集落」は交通の便が優れていましたが、泥棒や不審者の被害も多かったと言われています。夜間の警備のために若者が多く集まる場所として1950年に「夜警団屋」が建てられました。後に青年会員が消防団の役割も兼ねるようになると、火を消す道具や消防用資器材を保管して集落の安全安心を担いました。「夜警団屋跡」の北側に隣接した家は昭和13年以降に「トーフヤー/豆腐屋」を営んでいましたが、当時は行商人が多く集落に来ていて「首里山川」から毎日「トーフヤー」が豆腐を売りに来ていたと伝わります。「夜警団屋」と「トーフヤー」の間の道は「ナカミチ」で、この道を東に進むと「シーサーヌメーヌカーラ/カーラグヮ」にかかる橋があります。この橋沿いには「照屋ノロ」が公務で使う馬を水浴びさせたクムイ(溜池)の跡地があります。




(ヌルジー/ノロ地の井戸)

(照屋の石獅子/アガリのシーサー)

(照屋の石獅子/アガリのシーサー)

「照屋集落」の北側に「ヌルジー/ノロ地」と呼ばれる場所があり、かつて北側に隣接する「本部集落」に属していました。「ヌルジー」の「ミーフダ/三穂田」という水田では「ノロ/祝女」が祭祀の際に使用する稲穂が栽培されていました。現在、この土地では芭蕉(バナナ)が栽培されており古い井戸跡が残されています。なお「ヌルジー」の南側の屋敷はその昔「ユーフルヤー/銭湯」を経営していたと伝わっています。「ヌルジー」の西側には「照屋の石獅子」があり「アガリ/東のシーサー」とも称されています。現在「照屋集落」には2基の石獅子があり、どちらも「本部集落」に向いていると言われています。一方「本部集落」では「八重瀬岳」への邪気払いを意味する「フーチゲーシ」を目的に石獅子を設置しましたが、結果的に「照屋集落」を向くことになりました。「照屋」の住民は自分達の集落に石獅子が向けられていると思い、対抗するために「本部」に石獅子を向けたと伝わっています。






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最終更新日  2023.11.15 07:24:36
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