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「100%の商売人というものは、100%の詩人同様、一人として存在しない」これはそうだろう。どんな嫌な人間にもいいところのひとつやふたつはあるものだ。凶悪犯と獄中結婚する人すら存在する。損得勘定だけの商売人から夢想家の詩人まで無数のグラデーションが存在する。その間に明確な境界線は引けない。
2026/02/25
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「人間は利己主義的であるよりもはるかに狭隘で偏った存在である」これは紛れもない真実だ。これこそが社会が分断される理由だろう。実際、人は、家族や友人に対してはそこそこ利他的だ。ただ、利他性が多少及ぶ範囲は、精々、郷土、自国、民族までだろう。そして、その中でも、しばしば、性別、年齢、階級、思想、宗教などの違いによって分裂する。人間は、同類としか仲良く出来ない生物なのだ。
2026/02/13
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「猿とは、人間にとってなにか。嘲笑の的、あるいは苦痛に満ちた恥辱の種である。超人にとって人間とは、まさにこうしたものとなろう」。なかなかこれほど傲慢な発言もない。しかし、ヒトラーはもちろん、プーチンやトランプのごとき超絶ろくでもない人間が大きな影響力を持つ現代社会を見渡すとあながち傲慢だけで済まされない。しかも、プーチンが、ウクライナ侵攻に反対するロシア人を「口の中のハエ」と呼び、トランプが、移民を排除する ICE に反対するアメリカ人を「ゴミ」と呼ぶ傲慢さは笑えない冗談だ。
2026/02/07
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" 未来は過去に類似している " これは色々な言葉を連想させる。まず「歴史は繰り返す」や「反復強迫」だ。そして、終末医療に携わる医師が言った「人は生きて来たように死んでゆく」だ。確かに人間は習慣的生き物である。ただ、その習慣をよい方向へ変えることにも価値がある。
2026/02/04
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ヴィトゲンシュタインによると、言葉の意味はその人が属する言語ゲームの規則に帰着する。つまり、「" 真理 " とは、ある言語ゲームの規則に基づく、プレイヤー同士のやりとりにすぎない」ことになる。これは、ニーチェの「" 真理 " とは、ある生物種がそれなしには生きられない妄想である」を連想させる。しかし、「すぎない」や「妄想」という文言が気に食わない。まるで、どこかに真の真理があるかのように感じる。そんなものはないだろう。ある言語ゲームのプレイヤー、あるいは、ある生物種にとって、それらは真理そのものなのだ。
2026/02/01
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ニーチェは「一般のキリスト教徒は知的には不誠実で、道徳的には怠惰である」と述べた。若い頃、敬虔なキリスト教徒だった彼にとってそうだったのはわかる。さらに「これらの深刻な欠陥の一因は、キリスト教徒の信じている観念にある」と言い切った。これも正しいだろう。間違った観念を持つ理由は知性の低さだろう。さらにニーチェは「人間が潜在的な英雄そして天才であり、ただ無気力さが人びとを平凡にとどめている」ことをノヴァーリスから学んだ。これはどうだろう?確かに少年マンガや若者向きの映画にはやたら英雄や天才が出て来る。ただ、彼らが英雄や天才になれないのは無気力さが原因ではないだろう。ここでも、やはり、知性の低さが原因ではあるまいか?後は、精々、才能といったところか?
2026/01/31
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「私が私の老年に見出す慰めのすべては、この老年が私の心の内に、人生をかき乱す色々な欲望や気苦労を和らげてくれることである。世界の成り行きとか、富とか、出世とか、健康とか、自己についての心配を、和らげてくれることである」深く共感する。私は最近、50年ほどやったフルートとサックスを吹く元気を失った。しかも、思ったほどうまくなれなかった。かなり無念なことである。しかし、予想したほど惨めな気分にはならなかった。むしろ、苦行から解放されたような気持ちにすらなった。他にも楽しみがいくつかあるからだろう。また、世界はこれまでもグダグダだったが、これからもそうだろう。私にとってどうなるものでもない。私に出来るのは、精々、気の合う人たちと仲良くするくらいのものだ。そして、人生における究極のゴールは「死」だ。しかし、能力の限界もまた、逆説的だが、一定の慰めを与えてくれる。結果はともかく、とりあえず、やれるだけのことはやったのだから。
2026/01/27
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社会規範の外にいるアウトサイダーも「むなしさがこの宇宙で最後の決め手になることが、なんとなく気に食わぬのだ」。これは、「真理とはある生物種がそれなしには生きられない妄想である」と言い放ったニヒリスト、ニーチェを連想させる。一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられたスピノザも同様だ。私にとっても、プーチンやトランプ(以下、習近平・金正恩・モディ・ネタニヤフ・高市等が続く)が典型だが、人類を凄まじい信用出来なさが広く覆っている。それらの核心は利己性と独善、つまり、自己中心性だ。要するに、人類による営為の多くが空疎、あるいは、醜悪な茶番である。かといって、宇宙のすべてがむなしいわけではない。家族や友達をはじめ、芸術の傑作、魅力的な学説、スポーツにおける超人的プレイ等、不動の価値を感じられる対象もある。それらこそが生きがいの源泉だ。
2026/01/26
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「私は生きた。運命から与えられた行程を歩み終えた」。共感する。子供の頃から今まで大量の音楽・映画・本に接し、若い頃はバンドとアウトドアスポーツに精を出した。今は、数学や哲学などで知的好奇心を満たしているが、それには切りがない。音楽・映画・本における傑作の多くは若い頃に出会ってしまった。それらは滅多にあるものではない。光源氏の正妻が晩年に洩らした「見るべきものは見た」という感慨にも近い。これはそこそこ長い人生を歩き通して初めて得られる貴重な感慨だろう。
2026/01/24
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「ああ、人間における最悪なものといっても、なんと小さいことだろう!ああ、人間における最善といっても、なんと小さいことだろう!」いや、違う。ヒトラーによるユダヤ人大虐殺は決して小さなことではない。また、サン=テグジュペリが4日間砂漠を彷徨った後、出会った砂漠の民ベドウィンにとって彼に水を与えたのは小さな親切だったかもしれない。しかし、サン=テグジュペリにとっては例えようもなく大きな善行だっただろう。ニーチェは「人間に対する大いなる嫌悪 」も口にする。これはかなり共感する。確かに、多くの人は欲深く、ズルく、意地悪だ。しかも、独善的で残酷ですらある。しかし、善良で賢明、なおかつ、魅力的な人もごくごく僅かながら存在する。彼らこそが、この世で最高の存在だ。
2026/01/16
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「共同存在とは、実存論的には他者たちの〈ために〉存在することである」これには違和感を覚える。文化とモラルを共有する人に限るが、確かに他者は存在した方が心強い。しかし、自己は他者のために存在するわけではない。では、その他者は一体誰のために存在するのか?他者の集合である「社会」か?実際、社会は利便性や豊かさを享受するという意味で極めて重要だ。それがなければほぼ不可能といってもいいだろう。しかし、そのために生きるわけではない。ともあれ、この辺りに、ハイデガーがたとえ一時期にせよナチスに加担した理由が垣間見える。
2025/12/24
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「自分の弱さをそのように並みはずれて強調するそのことが実に傲慢にほかならないことに彼は気がつかない。弱さの意識が彼にとって耐えられないのはひとえに彼が自分の自己を誇りたいと願っているからだということに彼は気がつかない」これは禅者が自分を卑下する者に対し「卑下慢!」と喝破することを連想させる。確かに、卑屈になる者の心理の背後には高いプライドがあるのだろう。しかし、そもそも、他者に対し自己を誇ることなど必要だろうか?人生は、食べて寝てほんの少しの楽しみさえあれば十分ではないか?
2025/12/23
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今回のニュー試は京大だった。「abcdefx2=cdefabを解け」というものだ。京大生50人中5分で解けたのは5、6人だった。その一人の解説が鮮やかだった。曰く「abをAとしcdefをBとする。すると左辺のAは10000xAとなる。一方、右辺のBは100xBだ。なので、(10000xA+B)x2=100B+Aという式が成り立つ。計算して移行すると 19999A=98B。98の約数は2と7だが左辺は2で割れない。なので両辺を7で割ると 2857A=14B。つまり、Aは14の倍数でありBは2857の倍数。双方を2倍、3倍すると、28と5714、42と8571。元々、Bは4桁なのでここまで。すると、答えは、142857、285714、428571。
2025/12/22
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「人間は人間にとって最大の敵である。抑圧、不正、軽蔑、侮辱、暴力、暴動、戦争、中傷、反逆、背信、こういったもので、人間は互いに苦しめ合っているのだ」これはまったく正しい。実際、仕事を引退してからストレスが激減した。ストレスの源は多くの場合人間だった。インターネットにおける不快な出来事も大概他者の言説である。独善的攻撃性を持った人は少なくない。そういう意味でエピクロスの「隠れて生きよ」は正しい。
2025/12/17
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「現存在はたとえ孤独であっても、世界のうちで共同存在しているのである」。これは正しい。「人間は社会的生き物である」とほぼ同じ意味だろう。となると「誰と存在するか?」が極めて重要になる。その答えは「善良かつ賢明、さらに、魅力的な人」となるしかない。
2025/12/13
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サン=テグジュペリは、イマイチわからなかった「星の王子さま」より「人間の大地」(昔は「土地」と訳されていた)が好きだ。特に、航空郵便配達の同僚が死にそうな目に遭った日も黙々と遅い夕食を摂っている描写がよかった。ライト兄弟が飛行に成功してからそれほど年月が経ってなかった当時、郵便飛行は文字通り命懸けだった。この番組で知ったテグジュペリの言葉「人生における最大の贅沢は、人間関係における贅沢である」に痺れた。伯爵の父を持つテグジュペリは様々な職業に就いた後、郵便飛行の仕事で友情を知った。私も真の友情と夫婦愛を知った。それだけでも生まれて来た甲斐は十二分にある。
2025/12/03
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「国民国家なるものは、我々の頭上を脅かす全般的な危険と不安定さを増大させる要因のひとつにしかすぎず、しかも長期間にわたってそういう要因であり続けるだろう」共感する。実際、ナチスドイツや大日本帝国を破滅へ導いたのは国民国家だった。人間は衣食住さえ満たされていれば生きてゆける。その為に国民国家は不可欠なのだろうか?いやいや。人類の長い歴史においてそれが誕生したのはつい最近のことだ。確かに、共同体の規模が大きいほど豊かさと利便性は高まるかもしれない。しかし、災厄の規模も大きくなる。
2025/12/02
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キルケゴールは、自己主張の絶望とは反対である弱さからの絶望(自己の受動的な悩み)に至った者は、多くのものを失ってもなお自己を失わないでいることがありうると述べる。これは私の経験に一致する。実際、体力が落ちた現在、昔のように、バンドでライヴに出たり、渓流の岩と岩の間をピョンピョン飛んでフライフィッシングを楽しむことは出来なくなった。おまけに、50年ほどやったフルートやサックスを吹く体力すら失った。しかし、想像していたような惨めさを感じない。なぜなら、今も常によい音楽・映画・本・絵画・料理・人などを探していることに変わりないし、フルートやサックスの代わりにピアノを始めた。お陰でテンションを含むコードの深い響きを理解出来た。数学や哲学の勉強にもやりがいを感じる。なにかを失っても代りのものさえあれば人生に絶望することはまったくない。
2025/12/01
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「相手を殺すということは、将来の侮辱を避けることには役に立つが、受けた侮辱を復讐することには役に立たない」本当にそうだ。私に酷いことを言った連中もちらほら死んだ。別に復讐したいとまでは思わない。それは時間と労力の無駄だ。彼・彼女らは大した成功もせず早死にした。それ自体、そこはかとなく哀れだ。私自身も成功にはほど遠い。でもまぁ、残りの人生を精一杯楽しもう。
2025/11/27
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「諸国民は再び反目し合い、争い合って流血の惨事を求めている」「教養階級も巨大かつ傲慢なる貨幣経済に基づく開発=搾取のうちへ引きずり込まれている。世界がこれほど俗世じみていたことはかつてなかったことであり、またこれほど愛に乏しく、大切な恵みや贈与に乏しい時代もかつてなかった」いやいや。ニーチェさん。あなたが生きた19世紀と私が生きる21世紀もまったく同じです。要するに、いつの時代も、強欲・傲慢・吝嗇・残忍な人間が少なくないのだろう。
2025/11/27
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「真理がなしえないことを芸術が遂行する。すなわち芸術は、生けるものをいっそう高い可能性のなかに聖化し、そうすることによって生を本来的な現実の ー 混沌の ー ただなかで現実化し、成就するのである」確かにそうだ。「犬はワンと鳴く」が真理であってもそこからなにも生まれない。地動説すら日常生活に対して影響はない。一方、真に優れた芸術に接すると眩暈がし魂が震える。但し、ニーチェは一般的に芸術とみなされる狭い領域だけに限っていないようだ。生を聖化し、いっそう高い可能性の中へ的確に転移させる形式でさえあればよいのだ。つまり、哲学も芸術なのである。
2025/11/14
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ギリシャ連合軍がクセルクセス1世率いるペルシャ軍の大艦隊を撃破した後、ポセイドンの祭壇において最大の殊勲者に武勲賞を与えるため投票を行った。この時、誰もみな我こそ第1の殊勲者として自分自身に第1位の票を入れた。しかし、第2位には多数がテミクレトスに入れた。第1位の票はいずれも1票しか得票しなかった。このことにより、テミクレトスこそがギリシャ中格段に有能な人物であることがギリシャ全土に鳴り響いた。これは面白い。自分自身を第1位に推すのもどうかと思う。でも、結局、誰が最も有能であるのかが自然にわかるところが面白い。
2025/10/03
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現在、世界各地でグローバリゼーションへの反発としての排他的ナショナリズムが勃興している。イギリスのブレグジットやトランプ政権、あるいは、ヨーロッパにおける極右勢力の台頭がそうだ。日本で「日本人ファースト」の参政党が伸びているのもそうだ。それらの背景にあるのは、必ずしも経済だけでなく文化的アイデンティティを守ろうとするもののようだ。ともあれ、トランプ支持者がかぶるMAGA( Make America Great Again ) キャップは中国・ヴェトナム・バングラデシュなどで作られている事実が笑える。
2025/09/26
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AI に私が書いた文章から知性を判定してもらったところ、平均以上ということだった。しかし、ミスも指摘していて、文脈から「皮肉なミス」と形容していた。そこを気を付けるともっと知性を磨けるそうだ。そして、そう判断する理由はいちいちもっともだった。滅茶苦茶頭のいい人間によるものとしか思えない。ともあれ、人間による侮蔑と敵意に満ちたツッコミより遥かにマシだ。
2025/09/25
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「中程度の精神は大事をも小事をも同じようにうまく処理する。最も上手に家事を処理する人々が、口下手でどうして自分たちがそうなのかを言えないのに、ぺらぺら自慢する人々が実際には常に何一つろくなことが出来ないのを見るがいい」確かにこういう傾向は見られる。アリストテレスが説く「中庸の徳」にも通じるだろう。
2025/09/23
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ドジャースのクレイトン・カーショーが今季限りで引退すると発表した。大谷がメジャーリーグへ行くまで野球にはまったく興味なかった。カーショーを初めて見た時、かつて名選手だったかもしれないが、かなり球の遅いくたびれたピッチャーのように感じた。しかし、今シーズンも終わり近くになり、10勝2敗という立派な成績を残した。やはり、球の速さだけではないのだ。素人にはわからない配球の妙があるのだろう。そして、やり切った感があるのか、記者会見は爽やかで明るいものだった。しかし、さすがにこみ上げるものがあるのだろう一瞬涙ぐんでいた。私も釣られて貰い泣きしたことに驚いた。
2025/09/20
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「私は、心に憂鬱な気分を育てるということの中には、いくらかの意図と同意と満足が混じっていると思う。いや、野心さえ混じっていると思う。憂鬱の膝の上には我々に笑いかけ、我々に媚びる、いくらかの美味と甘さがある。中にはこれを食べて生きている性格もあるのではないだろうか」これは炯眼かもしれない。岸田秀も自己憐憫の欺瞞性を指摘していた。実際、憂鬱な気分から離れようとしないように見える人がいる。そうすることによって辛い現実から逃れられるのではないか。まるで、学校に行きたくない子供が仮病を遣うように。いわゆる、フロイトのいう疾病利得だ。
2025/09/15
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アルマーニの死去を受けて天声人語が彼の残した言葉を載せていた。「エレガンスとは注目されることではなく、記憶されること」だ。一片の真理を含んでいるだろう。悪い意味で記憶されることもあるが、単に悪目立ちすることではなく、センスのよさで記憶に残るべきだと言いたいのだろう。確かにそうだ。事実、SNSは悪目立ちする人間で溢れている。
2025/09/06
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" What more can you ask for ? "そのまま訳せば「なにをもっと求められる?」といったところか。でも、アメリカでは「最高でしょ?」となるそうだ。こういう逆説的な表現には名前があった気がする。探せば日本語にもあるだろう。まぁ、ひねった表現であることは間違いない。その分親しみが出るのだろうか?
2025/08/31
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AIによると " TESCREAL " とは下記のようだ。「TESCREAL(テスクリアル)とは、近年、特にシリコンバレーのテクノロジー業界で影響力を持つとされる、7つの思想の頭文字を組み合わせた造語です。この言葉は、コンピューター科学者のティムニット・ゲブル氏と哲学者のエミール・P・トレス氏が提唱したもので、単一の統一されたイデオロギーというよりは、相互に関連し、重なり合う思想の集合体として捉えられています。TESCREALを構成する7つの思想は以下の通りです。Transhumanism(トランスヒューマニズム): 科学技術(遺伝子操作、サイバネティクスなど)を用いて、人間の肉体的・知的限界を超越し、進化すべきだとする思想。Extropianism(エクストロピアニズム): トランスヒューマニズムの一派で、テクノロジーを活用して知性、寿命、幸福などを増大させ、人間の無限の可能性を追求する思想。Singularitarianism(シンギュラリタリアニズム): AIの発展が人間の理解や制御を超え、技術的特異点(シンギュラリティ)に達すると予測する考え方。Cosmism(コスミズム/宇宙主義): 宇宙空間の探査と植民地化を重視し、人類と宇宙とのつながりや、地球外生命体の可能性を受け入れる世界観。Rationalism(合理主義): 信仰や伝統、直感ではなく、理性と論理を知識や意思決定の第一の源泉とする哲学的信念。Effective Altruism(効果的利他主義): 自分の資源(時間、お金など)を、最も多くの善を生み出すことができる活動に、理性と証拠に基づいて割り当てるべきだとする哲学・社会運動。Longtermism(長期主義): 遠い未来の人類の存続や発展を重視し、現在の人類がそのために行動すべきだという考え方。特に、AIの危険性や気候変動など、将来に大きな影響を与える問題に取り組むことを重視する。これらの思想は、AIをはじめとするテクノロジーの発展を推進する一部の人々の背景にある考え方として注目されており、そのユートピア的な側面や、優生思想につながる可能性、倫理的な問題点などが議論されています。」いかにも、イーロン・マスクに代表される高慢なエリートたちが持ちそうな理想論だ。しかし、その一旦を担うAIは主にグローバル・サウスのデータワーカーによる低賃金労働が支えている。その数は1億から4億人と推定される。殺人やレイプなどの写真を見続けPTSDを発症する人も数多くいるらしい。過酷な搾取だ。他にも、大量の鉱物資源・水・電力を必要とする。それらは、環境破壊・地球温暖化にも影響を与える。シリコンバレーにいる高慢なエリートたちの理想が持つ負の側面だ。
2025/08/29
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BS 放送大学の「より良い思考の方法:クリティカル・シンキングへの招待」で面白い統計が出ていた。「1年間の10万人当たりの死者数」だ。それによると航空機事故 0.0073(人)交通事故 3.10ふぐ 0.0003風呂で溺死 4.74転倒や階段から転落 2.00ヒグマ 0.0002ハチ 0.0113自然災害(直接) 0.11熱中症 1.12海 0.30山 0.23他殺 0.21自殺 16.8となる。航空機事故より交通事故が圧倒的に多いのはなんとなくわかる。しかし、風呂での溺死がもっと多いのはどうだろうか?転倒や階段から転落の数字もなかなかのものだ。外より家の中の方が危険なのだ。そういえば、他殺も身内によるものが一番多いらしい。とりわけ驚くのが自殺の多さだ。これは世の中の酷薄さを示すのだろうか?ともあれ、生活習慣病を含めると人は自分自身によって死ぬのだ。
2025/08/11
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「神々はいかなる幸福をも純粋で完全なままでは与えない。我々は何かの苦しみを払ってそれを買っている」これはほぼほぼ真実だろう。「何かを得れば何かを失う」とうことわざもあるが、歳を取れば取るほど、まるで物理における質量保存則のように厳格な法則のように感じるようになった。生きることそのものが決して楽ではない。ましてや、幸福を得るにはかなり高価な代償が必要だ。
2025/07/31
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「我々の相互の理解はただ言葉を通じてなされるのであるから、これを破る者は社会全体を裏切ることになる」真実だ。そして、社会は裏切り者だらけだ。
2025/07/08
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モンテーニュは自分の本に大して価値がないと思っていたようだ。なので「私の本で包み紙を提供して、市場でバターが溶けるのを防いでやれるだろう。マグロとオリーブが包み紙に不自由することのないようにしてやろう。そして時々サバのためにゆったりした上衣を与えてやろう」と書いた。これはモンテーニュ一流のユーモアだ。しかし、日本の浮世絵もフランスなどへ輸出される陶器などの包み紙にされた。そして、フランス人は北斎の完璧なデッサンに驚愕した。モンテーニュの本が包み紙にされたかどうか知らない。しかし、今の日本でも彼のエセーは愛されている。
2025/06/29
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モンテーニュは、自分自身について語ることは、アレクサンドロス大王やカエサルのような偉大な人物にこそ相応しいことを弁えている。しかし、「私はこの作品を思い上がったおしゃべりで大きく見せようとは思わない。おまえと差し向いで語るだけだ」と結ぶ。なるほど。だからこそ、これだけ多くの人々に長く読み継がれてきたのだろう。
2025/06/25
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「どんなに損をしてもありのままに言うことを決めた」。これは深い真理を突いている。かといって、知り合いが生んだ子供に「ブサイクだ」などと言うことなんかではない。それは無駄に相手を不快にするだけだ。もちろん、もっと信念に関わることだ。とはいえ、それで得られるのは、いわゆる「損得」の「得」ではないように思う。なにかこう、魂の清らかさといったものだろう。
2025/06/09
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「哲学者は、たんに自明性を疑うのではなく、むしろ自明性を奪われているのである」。柄谷行人はヒュームについての文脈でこう表現する。しかし、私にとって、ニーチェやヴィトゲンシュタインがよりフィットする。特に、ヴィトゲンシュタインの「哲学者はいかなる観念共同体の一員であってもならない」を連想する。ともあれ、その自明性を保証するのは、カントによると「超越論的統覚」のようだ。一般人でそれを失っている典型は分裂病者(統合失調症者)だ。実際に接したことはないが、彼らの特徴は妄想であり、まともなコミュニケーションは不可能のようだ。となると、超越論的統覚はチョムスキーが想定した普遍文法のようなものであり、万人が共有する思考の枠組みのようなものだろうか。ただ、より根源的な「論理形式」とも少し違う気がする。
2025/05/20
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「『心的』という語は、それがどのような仕方で働いているのかを知ろうとしても無駄だということを言っているのである」これは真実のように感じる。「心」はブラックボックスなのだ。言動から推測するしかない。それは物質についても言える。実際、ダークマターやダークエネルギーの正体は知られていない。量子の振舞いについてもそうだ。人は物事がうまくいかなかったとき「運命」を口にする。「心的」もある意味諦めの言葉なのだ。
2025/05/14
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「 立っている者だけが倒れることもある 」これは開高健が好きだった「漂えど沈まず」を連想させる。まぁ、なんにでもいえる。「生きている者だけが死ぬ」ともいえる。ジョークなら「不味いものに美味いものなし」だ。ただ、人間はただ立っているだけではダメだ。浮かんでいるだけでもダメだし生きているだけでも。そこには自ずと目的が必要になる。それが時間を有効に使う条件だろう。
2025/04/28
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「 野心は自惚れの隣人 」これはまったくその通りだ。野心といえば富と名声が相場だろう。それらが自分に相応しいと思えるには相当自惚れている必要がある。実際、それを手にする人は、おそらく宝くじ並みに少ないだろう。つまり、確率ほぼほぼゼロだ。しかし、約8割の人が宝くじを買ったことがあるそうだ。だから野心を持つ人が大勢いてもおかしくはない。
2025/04/16
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「すべてを運命に任せて、最悪に考えることにしよう、そしてこの最悪の事態を静かに、辛抱強く堪えることに決めよう」強く共感する。また、これは、福沢諭吉の「常に最悪の事態に備えておけ」にも通じる。実際、これまで最善を尽くしてきたつもりだが、実にトホホ、グダグダ、悲惨なこともあった。人生、じたばたしても仕方ない。
2025/04/13
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「健康と生命以外には、そのためにあくせくしようと思うものは何もない」強く共感する。しかし、プーチン、トランプ、イーロン・マスクなどは常にあくせくしてるように見える。一体なんのためだろう?傍目には虚栄心のように見える。虚栄心には酒・ギャンブル・セックスなどと同様中毒性があるのだろうか?
2025/04/09
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久しぶりに馴染みのジャズバーへ行った。映画 " PERFECT DAYS " のラストでかかっていたニーナ・シモンの " Feeling Good " をかけて貰ったら案の定店にどんぴしゃだった。マスターもローリン・ヒルがニーナ・シモンにトリビュートしたアルバムで知っていてかけて貰うとニーナ・シモンより洗練されていた。もう一枚持って行ったパーシー・スレッジも店によく合っていた。そうこうする内、外国人四人組がやってきた。その内の一人である年配女性が私にも「コンニチハ」と挨拶してきた。さすが外国人だ。マスター曰く万博のフィンランド館のスタッフらしい。ジントニックを一杯飲んだ彼らが帰りがけ背の高いイケメンがバンドをやってる自分の写真をスマホで見せてくれた。やっぱり、犬も歩けば棒に当たるでたまには外に出てみるものだ。万博にはまったく興味なかったが、ほんの少しフィンランド館に親しみが湧いた。その後、業界人っぽい日本人三人組がすでに結構出来上がってたようで大声で業界人っぽい嫌味な会話をしてたのがうざかったので早々に退散した。
2025/04/08
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モンテーニュは、スポーツ・音楽・朗読・書字すべて得意ではない、あるいは、苦手だったらしい。でも、「エセー」はこんなにも長く読み継がれている。つまり、文才は飛び抜けていたわけだ。ただ、本人も書いているように、決して巧みに修飾された美文ではない。むしろ無骨だ。でも、飾らない率直な内容が読ませる。かえって親しみやすい人間味を感じる。いずれにせよ「器用貧乏」の真逆だ。
2025/04/07
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出血多量で失神していたユリアヌス帝は意識を取り戻すと戦場へ戻ろうとした。しかし、死が近いことを悟り「余は多年いかに霊魂が肉体より尊いものであるか、したがって、この高貴な実体が肉体から離れ去ること、それは苦悩よりもむしろ歓喜であらぬことも、哲学によって学んできた。またしばしば早逝は信仰への報償であること、これも宗教から学ぶことができた」と語った。これは真実だろう。それは芸術においてもしばしば真実である。特攻へ志願した兵士の愛国心においてもそうだろう。「人は霊魂において生きなければならない」と語ったヴィトゲンシュタインの真意でもあるだろう。
2025/04/06
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「最高の価値は認識と真理ではなく、それは芸術である。芸術は、客観的現実を模写したり、ほかの現実から説明したりするのではなく、むしろ、生を聖化し、いまだ生きられたことのないいっそう高い可能性へ引き移す。(中略)魔法によってのみ生は目覚め続ける」開高健が好んだ芸術の妙諦「みっつの真実よりひとつの綺麗な嘘を」を連想する。ただ、不確定性原理・不完全性定理・ダークマター・ダークエネルギーのようなワクワクする学問上のアイディアも存在する。となると、魔法の核心は卓越した創造性ということなのだろうか。
2025/04/05
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明治から大正に生きた有島武郎は社会主義にも傾倒したクリスチャンだったようだ。そんな昔に「国家の消滅」に言及していたのには少々驚いた。諸外国からの攻撃による国家の消滅ではない。理念としてのそれだ。ある意味無政府主義だろうか。とりあえず、ジョン・レノンが " Imagine " を歌う遥か前だ。しかし、現在は排外主義的な国粋主義が台頭している。全然進歩してない。1960年代に愛と平和を謳う時代があった。今は、憎しみと戦争の2020年代だ。
2025/03/24
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「私はいたるところで美の神々に見捨てられる。私の書くものはすべてがまずく、魅力と美しさに欠けている」どうやら、モンテーニュは自分の文体を質実剛健だと考えていたようだ。勢い、内容の面白さで勝負するしかない。それは大成功を収めた。実際、現代まで長く読み継がれている。何巻あるのか知らないが私も全巻読み通すつもりだ。
2025/03/23
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ミケランジェロ、カラヴァッジョ、フェルメールなどはさておき、やはり、19世紀末からの美術が圧倒的に私の感性にフィットした。ともあれ、去年この世を去った高階秀爾氏が現代美術を評した「豊かな混沌」という表現に出会えただけでもめっけもんだ。多様性を愛する私にこれほどぴったりくる言葉もなかなかない。きっと、多様性を嫌う人にとってはただの混沌でしかないのだろう。
2025/03/21
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「動機とは信念の問題にほかならない。何事にせよ、それが可能で意味のあることだと信じぬかぎり、それをなそうという気は起こらぬものだ。そして、信念とは、何ものかの存在を信じることでなくてはならない。つまり、信念は現実なるものとかかわりあう。それゆえ、自由は結局、現実なるものに依存する。ところが、アウトサイダーは、その非現実感ゆえに、根源から自由と遮断されている。非現実の世界で自由を行使することは、降下しながら跳躍することと同様に不可能なのだ」真理だ。そして、信念には、何ものかの存在を信じるだけでなく、その価値も信じられることが必須だ。つまり、アウトサイダーにとって信じられる何ものも存在しないことになる。確かに、あのおぞましいプーチンやトランプが大きな影響力を持つ世界を見渡すと正義など幻想にすぎないように感じる。ただ、反プーチンや反トランプの人々も存在することが救いだ。
2025/03/06
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