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サイド自由欄
次年度
その校舎の校舎長を受け継いだのは
奈良県内の校舎の統括責任者であったT先生
(実は今でも年に数回お会いしたり、逆に奈良県内の入試情報その他を僕に尋ねられたりと頼りにしてくださったりしている)
前年度途中までは順調だった校舎の塾生数も
年度後半からは新しい入塾がめっきり減り
むしろ退塾者が出つつあった
先に書いた事情の影響である
そんな事態が無性につらくてたまらなかった
せっかく順調に滑り出していた校舎なのに
おそらくであるが
地元の大きな個人塾2つも
当時の塾の存在に少しは意識していたはずである
にも関わらず
どんどんと崩れ去っていく現実
しかし立て直そうにも
責任者である校舎長は心ここにあらずの状態である
そんな状態に陥った校舎の建て直しとして
やってきたのがT先生である
仕事に対して本当に真剣に真面目に取り組まれ
休日でも無給で出勤され
何よりも生徒第一を考えて仕事をされていた
この先生とは直接下で働いたことはなかったが
一目見た瞬間から(失礼ながらも)
この先生のそのような姿勢を感じ取ることができたのと
担当されていた校舎に仲のいい学生講師がいたので
たびたびお会いしに行き
授業後の校舎や食事に行って指導論を聞かせてもらったりしていたし
僕の塾講師としてのモチベーションの高さをアピールしていた
とはいえ
やはり僕は去っていった元校舎長の腰巾着のようなお気に入りの講師
と思われているふしがあり
今回も一緒に○○塾についていくだろうと思われていた
そのため
次年度の校舎の構想として僕は入っていなかった
というよりも
正直言って校舎の新しい建て直しのためには
僕は邪魔な存在と思われていたに違いない
しかし一方で
新校舎長の他は全く講師がいない状態でもあった
3月になり何とか疑念を抱かれながらも
校舎に残り担当させてもらえることにはなったが
他の担当講師を見つけるのにも苦労した新年度の船出であった
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