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サイド自由欄
愛息2号はプラレールやトミカで遊ぶのが好きである
日曜日
トミカで遊ぶのに
トミカの道路を組んで欲しいとせがんできた
自分が遊ぶのだから自分でやりなさいとたしなめると
どう組んだらいいかわからないからやってほしいと言うのだ
実際には自由な形に組めるようになっているので
思うように自由につなげればよい
別に決まった組み方しかできないわけではない
しかし
それを自分にせずに人に頼ろうとする
本音は
わからないというのは言い訳で面倒くさいだけなのであるが
(ここでいう面倒くさいには2通りあって
一つは自分で組むのが面倒くさいというのと
もう一つは組み方を考えるのが面倒くさいということ)
今回は組み方を考えるのが面倒くさい
ということに焦点を当ててみる
なぜ考えるのが面倒くさいと感じるのか
それは発想がすっと思い浮かばないことに
いらだちを感じるからである
そのいらだちのストレスに耐えられない
だから考えることを放棄しようとする思考になる
もちろん無知の状態からは何の発想も生まれてこない
発想というのは経験則の量に左右されるものだ
実はトミカの道路やプラレールの線路の組み方には
基本的な接続例があらかじめ数パターン例示されている
最初はその接続例を試しながら経験則を増やしていく
そのうち
それらの接続パターンに飽きてきたころには
自分なりの組み方をしたくなってくる
そこには自分の狙いも伴ってくるはずである
狙いを基にこんなふうに組んでみたいと考えられるようになってくる
これはレゴのようなブロック遊びでも同様である
最初は
設計図通りに目的のものを組み立て
そこから得た経験則から
今度は自分の組み立てたい形を作り上げたりする
すなわち基本の習得があってからの
自由な組み立ての発想へとつながるのである
2号のこのような兆候は危険なのである
頑張って乗り越えるのだ2号よ