ぎょう乃介雑記

ぎょう乃介雑記

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2006年04月02日
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カテゴリ: 古典日記


「桜通り」と名づけられた道は果たしていくつあるのだろう、と思う程、東京にはその地元の人しか知らない桜が、花のアーケードとして人々の目を楽しませてくれます。

ぱっと咲いて瞬く間に散ってしまうところから、江戸っ子に好かれたのだ、だからこんなに多くの桜があるんだよ、とよく聞きます。

ぱっと散ってしまった後の寂寥感がいい、なんて、ひとつの人生の考え方です。

「春愁」を思うとき、「万葉集」に
4292「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思えば」大伴家持
                    (諸説ありますが、家持35歳の作)
という歌があります。

春陽の暖かさと吹く風の冷たさと咲く花々は、春を複雑なものにしていて、そこに秋とは違う春の物悲しさがあります。


3966「うぐひすの鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折りかざさむ」大伴家持
                  (家持30歳 病に臥しているときの歌)

4139「春の苑紅におふ桃の花下照る道に出で立つ乙女」大伴家持
                              (家持33歳)
この歌は中国の樹下美人を踏まえた漢詩訳の作だ、なんて言われることもありますが、
私の中ではなぜか三好達治の「甃のうえ」のイメージに重なります。

花が咲き誇っている木の下を「をみなごしめやかに語らひあゆみ」、それを理由の無い
寂寥感に包まれた自分がただ眺めている。

ひとりでいる春を歌うことで、古来、歌人は春の物悲しい気持ちをいやしたのでしょうか。





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最終更新日  2006年04月02日 14時37分02秒 コメント(3) | コメントを書く
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