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2005年11月11日
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倉本さんからのコメントで「ココロのそこにある情熱をちゃんとすべて発揮し燃焼させることだけを求めている」、「理屈っぽいのは演技でストレートな人格が素なんじゃないの?」というのをもらい

前半の言葉にはその通りだなと思い、後半の言葉にああ理屈っぽいってことになるんだと自分でも気づけなかった一面を発見した。

理屈っぽくなるのは、そのままストレートに表現しても、受け入れてもらえないとココロで思っているからで、そのための正当性の証明として理屈を使うんだろうなと思う。

対人関係に関しても、ストレートな自分というやつを受け入れてもらえないと思うがゆえに、常識の範囲内の行動、無難な発言にとどまる。

こんな仮面をつけて生きることは自分の人生を生きることにはならんだろうと思ってみても、受け入れられない辛さを味わうよりは受け入れられている感覚を求める。

結局中途半端、仮面をつけるなら、もっと周りから好かれる仮面をつければいいのに、そこまで自分を偽ることにはどうしても出来ない。
つけきることもできないし、完全にはずすこともできない。

ずいぶん前の事件になるが「酒鬼薔薇事件」その加害者である少年は「自分が透明な存在だった」と言っている。

これから書くことは、想像、推定、妄想、の範囲を超えないんだけど自分と言う存在表明する手段を完全になくしていたんじゃないかと思う。


世の中は自分の意思とは関係なく役割分担としての影響を自我が受けるとしたら、幼いころから周りの人間に合わせすぎて自我を表明する手段を失う。

でも思春期特有の芽生えからの反発心は大きくなる、けど表明する手段が無い、その攻撃性は弱い者、自分が操れるものに向かう。
まずは小動物に、

その内正当性を見出すため自分のなかの一神教を作り出す「バラモイド教」
完全に自分の都合で造ったその宗教の定理で自分より弱い人間を殺す。

自我というものは存在するけど普通にしていては認識できない「透明な存在」

PQ開発は逆で、自分という存在を突き詰め認識し、「世界の中心で自分の名前を叫ぶ」ことにより表明する。

前の倉本さんのプログで、自分にとって許しがたいことを認識することというのがあったが、まだ仮だけど僕にとって罪なことは「自分と向き合い自分の人生を生きないこと」最も許しがたいことは「自分から逃げ出し、他者に悪意をばら撒くこと」最も救いがたいのは「他者に悪意をばら撒くことを快感と思い、それが自分の幸せだと思っている人間」

自分の人生に迷い、戸惑うならまだいい、それを他人に向けちゃいけない。

僕はやっぱり「自分という存在の価値を自分を偽ることなく世の中に示したい」例えその原因が過去の辛い想いにあったとしても進まないと自分のことなんてわからない、そして世に示すことが出来ればその辛い想いも自分のものにすることが出来ると思う。

追記

男にはそういう直感性は無いと思う。

それは性欲が邪魔しているせいだろう。
「僕は前に好きなのか、欲情しているだけなのか、寂しさからきているのかよくわからん」と人に話したことがあるんですが、
PQが深まっていくとだんだん分別がつくようになってきたような気がします(気のせい?)

でもこの前TVで島田伸助が「好きーH=愛」というのを聞いてああそうだな、とりあえず付き合って、抱いてみないと答えはわかんないかもな。


基本的には男の一目惚れは「信用できない」と思います








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最終更新日  2005年11月11日 14時15分25秒
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