バックマンの思考と試行

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2006年03月11日
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前、僕がやっていたというより、やるような流れになっていた(コレはマジで避けられなかったという意味です)宗教があって

寂しかったからそこで知り合った女の子とこのまえ電話で話したんだけど
その子は熱心に一年間布教活動をしていて3月で終わるらしいんだけど感想を聞いたら、凄く良かったらしくて「人を助けることで、わが身助かるってこういうことなんやなぁ」と感じたとか言っていて

なんか凄く感動していて、幸せ感が伝わって、こっちも嬉しくなっていたんだけど

まあその子に前から気になっていた「こういうことを思ってはいけないみたいな」教えがその宗教にはあるんだけど、それってどうよと聞いたわけ

その子が言うには「まあ思うは思うとけどその後お祈りでああこういうことを思ってしまいましたと懺悔するんだ」と「別に思うことは悪いとは教理には書いていない、ただ思ったらそれを払うことが大事なんだ」と言っていたんだけど(お祈りすると凄く落ち着くしね、僕も結構好きだった)

で具体的は嫌なことがあったり、避けられなかったら、その中でもいい事を探すんだと言っていたわけで、「ああ、これはうざいことを、出来るだけうざく無いようにする」ということに似てるのかもなと思ったりして

宗教というのは確定された社会の中で幸せに生きるには必要なものだったんだなぁと思いました。

農民は農民、武士は武士、商人は商人と変わりなく繰り返し、それぞれが同じ生活を繰り返す



多分に教会内部で働く人はそれでいいと思います。
それは固定化されているから、それは変化する必要のない組織ならどこでも通用する幸せになれる方法かもしれない

ただ今は時代が違う、考え方ではなくて物事の方を変えられる、自分で何をすべきか選べる。

社会が固定化されていない、けれどまだ江戸の感覚が残っている部分があり
個人の思いに口を挟む

宗教に変わる教理が必要だ、それは自分の存在、自分のダークな部分を完全昇華し全肯定できる、何一つ自分の中で押さえつける必要のないガイドライン

PQとは感覚を深め、感情を深め、それらとどうやったら無理なく、仲良く、存在の全肯定で付き合えるかを思考と試行を繰り返すものなのかもしれない、それはどうすれば自分という存在が全肯定のまま社会と仲良くすることができるかと思考し試行することとも言える。

本当は誰だって、憎んだりしたくないはずなんで、解りあいたいから、相手が解ってくれないから、憎む、争う











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最終更新日  2006年03月11日 13時10分00秒
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