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日本メンタルヘルス協会の卒業式に。かなり以前に講座は終了、卒業レポートも提出していたのですが卒業パーティになかなか出席できずにいたところ、このほどようやく足を運ぶことができ、修了証をいただきました。出席する前に、テキストやノートを改めてみてみると今、学んでいるヨーガ・カウンセリングとリンクする部分が非常に多く多層的に実践しつつあるのをありがたく思います。久しぶりに拝顔した衛藤先生、林先生のパワーは相変わらずでお二人とお話できただけでも出席した甲斐がありましたが会場で同席させていただいた方々とのお話も実り多いものでした。両隣に座っていたのは医療関係と、精肉関係のお仕事をされている方々。昨今の食問題について盛り上がった後で、ヨーガの話に及びました。ちょうど取り組んでいるヨーガの方のレポートの引用にもマハーバーラタの「肉屋の詩」という智慧の話があるので味わい深く。修了証をいただいた後は、衛藤先生が引き当てられた番号を持つ方三人にレポートを読んでいただきました。心理学を学ばれた動機はさまざまあるものの、周囲と自分とのよりよい関係を求めて、という事情は共通。スピリチュアリティの根幹であるご家族との葛藤が癒されてゆく過程を開示していただき、我が事として聴く側も涙しました。よきご縁をいただき、ありがとうございました。これからも学びを深めて参ります。 「マハーバーラタ・肉屋の詩」
February 29, 2008
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今夜1日のゲストは中村中(あたる)さん。昨年、山本耕史さんと「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の舞台で共演された方。愉しみです☆***山本さんにとっては、「親父」と慕う存在がとても大きな意味を持っているようです。山「僕は子供の頃に、夏は蚊帳を吊って入って寝るじゃないですか。親子四人で寝るんですけど、咳払い一つできなかった子ですから」美「え?」山「『まだ起きとるんかー!』ってこんな感じ。そんなお父さんです。何か悪いことをすると、バットで殴られたりとか。その父さんが嫌いになって『みちのく』が売れて、何年もたって父さんが亡くなる病院に入る小一年前に初めて褒めてくれたんですよ、僕を。『譲二のう、わしは本当にええ息子を持った』『父さん、何言いよんかね、気持ち悪いわ』『そんなこと言わんで、わしの言うこと聞いてくれや。そりゃ下関にもお金持ちはたくさんいる。だけどな『たけちゃん、どうやったら譲二さんみたいなええ子に育つんか?』ってわしに相談が来るんと。そのときに俺は、勝ったと思った。それが嬉しい』って…」【美輪明宏さん・新刊☆】 美「素敵なお父様で、いい思い出で」国「そうですね。ずっと見てるわけですものね」江「それは今でも、自慢の息子さんですから」山「久しぶりに親父と話ができたようで…」国「独立のきっかけというのはなんだったんですか?」山「あの…30年勤め上げたときに、親父(北島三郎さん)の住んでいらっしゃる八王子の家に行ったんですよ。それで親父に初めて言ったんですよ。『30年、親父のそばでお世話になりました。親父の笠の中で『山本譲二』という事務所を立ち上げるのは、親父、間違ってますか?』って聞いたら『いいことだ!』って、親父は言ってくれました。『その発表は俺の口から言いたいから、俺に任せて欲しい』と。それで二年経って、32年が過ぎて、45周年を親父が迎えたときに、45周年の舞台の上で『山本を来年独立させます。今まで以上の支援をどうか皆さん、山本に。応援してやって下さい』それを親父の後ろで、自分は聞いていたんですね」美「襲名披露みたいなものを…」山「はい、そういう感じですかね…」国「北島さんのところを離れるというのは、どんな思いで?」山「親父はね『独立して、頑張らないお前だったら、独立はさせない。でもお前だったらできると思ったからさせるんだよ』と『だから頑張るんだ、頑張るしかないんだ。寂しいお前は見たくない』そうやって送り出してくれました。『常に前向きで明るく』それと同時に、本当に歌える喜びというんですか。それと『歌ってあげているんじゃない、僕たちは歌わさせてもらえているんだ』そういう気持ちが本当に強くなりました」美「それとね、ちょっと余計な差し出がましいことを申し上げるようですけれどね、あの…独立なさったでしょう?昔は親方日の丸でしたよね。今度は独立なさったら、一国一城の主ですから、そうすると家之子郎党、家来から家族からそういったところの責任が生じますよね。そうしたら今までみたいな賭け事や何かで無駄遣いをなさることは、許されませんよね☆つまり、ご自分のためにもなりますし、何のためにここへお出ましになったかといいますとつまりそれが結論で、引導を渡されるために出ていらしたわけですよね」国「最後に大きなメッセージが☆」美「申し訳ない☆」山「おっしゃる通りだと思います。もう本当にね、たくさんの方が観ていらっしゃるところでね、約束しますよ」国「約束しますか☆」山「競艇、止めますよ」国「これは大きな約束で、全国放送ですから☆競艇に山本譲二さんを見つけたときは『あー、いたー!』と言ってください☆」山「いや、もう…こういう時ですから。でも本当にもう『少し控えなきゃな』という気持ちにはなったんですよ」美「それがなければ、今までにどれぐらい財産が残ってるか、わからない」江「本当にそうみたいですね☆それはそれはね、お父さんもみんなそうおっしゃっる…もう…大変な財だと」美「そうでしょう、お父様そうおっしゃっている。私もそう思います☆」山「私もそうちょっと思ってます☆はい…いや、本当に止めます」国「大きなメッセージがあったので、これからは気をつけてください☆」山「…競艇場では歌いますよ!お仕事が来れば…」国「でも博打の方はもう…」山「これは本当に、この場での約束ですから」【スピリチュアルメッセージ】☆ 奥さまもお子さんも「与えられた命」みんなが幸せで、笑顔でいることの大切さを生きていることはそれだけで凄いということを理解している方です。【オーラの言葉】☆ 怒り憎しみ、悲しみ呪い…マイナス感情は抑えてうれしい時、楽しい時、幸せな時に感情を利用する。感情をコントロールできるのが、一番洗練された人間。読んでいただいてありがとうございました。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 27, 2008
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ご家族とは、やはり深い縁で結ばれているようです。江「失礼ながら申し上げてすみません、この奥さんとお子さんがいなかったら今の山本さんはないんじゃないかなと。さすがにお子さんが、ちょっと心配な風に生まれたときってやはり金銭的なこととかを考えましたものね。『先々、この子を背負って生きていかなくてはいけない』そのとき初めて『明日は明日の風が吹く』じゃなかった。それまでは『何とかなる!』自分以外のことはなかなか『何とかなる』って言えない。『自分が働いて、この子の生涯、楽にできるだけのものを残していかなくてはいけない』…」国「不思議な体験の中でも、ちょっと面白いような体験を。ちょうど競艇場にいたんですか?」山「競艇場じゃなくて友人の部屋で、電話投票です」国「お父さんの声だったんですか?」山「親父の声です。『3と4と5から、買わんか』って、それだけです」国「声だけですか。『あれ?』と不思議に思いながらも買ったんですか?」山「『親父の声やな。3-4-5』って…当たりました」美「一度切りでした?」山「一度切りです。その三時間位して、姉から電話があって『父さんが…』それで、行きました。俺と姉さんとお医者さま何人かと『延命器具をどうされますか?』という会話でしたね。俺は、はっきり言いました。『もう、取って下さい』意識はないんですけど、ものすごく痛がるんですよ、しかめっ面したり。まったく意識はないと思うんですよ、目は開けないし、ただ呼吸しているだけですから。あの…やはりどこか痛いんでしょうね…」国「お父さんとはじゃあ、最後の言葉を交わしたということは…」山「あります。まだ目を開けていて、しゃべれるときに、入院しているところへ行きました。父さんが手を出すので、手を握ったんですよ。小さな声で『嘘つくな』『約束守れ』『ちゃんとした男になれ』それだけでしたね。それが最後の言葉です」美「素敵な方ねえ」山「はい。高校時代は大嫌いだったんですけど、『みちのく』が売れてから本当にすごく好きになりました、何故か…」美「それが本当の人の道だということがもう山本さんの方でわかっていらしたからでしょう?」山「どうなんでしょうかね…まあ『みちのく』が売れると結構ゆとりもできてきたりして古里へ帰ると、父さんも競艇が好きなんです。『おい、ちょっと行こうや』ものすごく喜ぶんですよ。『ゴルフ行こう』すごく喜んだり。少し自分にも余裕ができたので『飲みに行こうか』『カラオケに行こうか』誘えるようになったんですけど甲子園に行った頃は大嫌いで、母さんをいじめている姿も見ているし…」江「でもお父さんはね、『ものすごく親孝行な息子』って言うんですよ。『一緒に競艇に行こう、というだけじゃなくて、もういい、充分だ、と言うのにどんどん送ってくるわ、いろいろしてくれるわ…というんで、そういう自慢の息子です』って言われるんです。親に対しても、お父さんよりもお母さんに対してなのかもしれないけれど『楽にしてやる、と言ってくれた約束を、ちゃんと守ってる』と言うんですよ。だからそういった意味でも『約束を守る男である』ということでお父さん自身は認めているし…これは本当に、夢物語として聞いていただいていいんですけれどね、お父さん自身微に入り細に渡り、体のこととかをすごく助けてくれてるんですよ。実はね、腰とか関節を山本さんはやられるんですよ。それを、どういう訳か仕事に支障のないように治るんですよ」山「3日前から腰を痛めているんですよ。でも仕事はできるんですよね」江「あのね、お父さんは自分の反省点として、全く体の気を使わなかった人なんです。それは非常に反省がお父さんの中にあってね『それを息子に繰り返させてはいけない』というんで『座る椅子に注意しろ』その座る椅子って何かというと、長いマージャン☆これね、時間があったらエンドレスなんですって。『あの姿勢で、あれだけ長い間座っていたら、そりゃ悪くなる』と☆ましてや独立もして、ということだから…ごめんなさいね何か…」美「いいのよ☆」江「いいですか?…その…ほどほどに。めちゃくちゃ使ったりだとかそういった意味でも独立ということはいい事であって…でもね、偉いのは、確かに度が過ぎれば奥さんは嫌な顔はするんですよ叱ったりもするんだけど、ほとんど野放しなんですよね。『自分で稼いだんだから、好きにしなさい』最後の責任とか落とし前はちゃんとつけられる人だと思っているから。ただ時々、困ったときだけ『どうしよう、こんなに使っちゃった…』って言ってくる時があって…」山「何でそんなのわかるんですか?いや、あの…」江「だからそういったときに『それさえなければいいのに』って奥さんはね思うらしいですよ。要するに、自分の甲斐性のうちでけじめをつけておいてくれたらいいんだけど、最後に『どうしよう…』という時だけ…☆」山「はあ…なんでこれ…そういうことが何でわかるんですか?☆おかしいじゃないですか☆」江「でも毎日、お家が『オーラの泉』じゃないですか☆」国「そうですね☆奥さんが相当、メッセージを送ってるんじゃないですか、山本さんに」山「あのね、競艇はだいたいその日に、キャッシュでやる方なんですよ。だけど、どうしても地方とかが多いもので、地方でもやりたくなるときがあるんですよね。それが積もり重なっちゃって、ある方に借金するんですよね。僕の悪い性格というか『ちょこちょこはあれだから、まとめて返すからな!』って借金が増えてしまうとうちの女房がそれを知っちゃうんですよ。それを全部、返してくれるんですよ」江「でも、それは全国に拠点をお持ちのようですね☆全国に、至る町に拠点をお持ちのようですから…」山「あの…競艇場は24箇所ありますから☆」美「かなわないわね、まったく☆」江「そういうことを含めて、お父様が全部話してくれるんです。全部何でも見てるってことですよね☆」山「すごく嬉しいですね」美「ありがたいですね」山「亡くなって一回、家に来てるんですよ。それは僕は見えないんですよ、残念ながら」美「奥さまと娘さん?どういう状態で?」山「『お父さんが来たよ』『嘘だろう?』って。これは本当に不思議なんですけど『お父さんが出てきて、本当に素晴らしい金の服を着ている。それに上下(かみしも)に白い服を着た方たちがいて、頭を下げたまま絶対に顔を見せない。それで私に『譲二がわしの眼鏡を持っとるから、悦子、探して欲しい』って。お父さんの眼鏡、持ってない?』『俺、持ってないよ』『あれ、絶対あるはず』半日かけて、あいつが探しました」江「どれ位前のことですか?」山「9年位前ですか…」江「実はそこに意味があって、ただ眼鏡のことを当てさせてるんじゃないんですよ。そこにメッセージがある。お子さんの目のこと。お子さんの視力が強くない、それを『大丈夫だよ。ちゃんと自分が目になるよ』要するに『自分が目の代わりになって守ってあげるよ』ということを伝えたかった」山「あの…今日、このTVを観ていて、うちの長女、びっくりしてると思います。視力がやっぱり強くないです」江「でも『大丈夫だ』ということが言いたい。この子からしたらお祖父ちゃん『目が弱いからって、気後れする必要はない』」山「そうですか…」国「長女さんは小さい頃から、あまり目が良くなかったんですか?」江「いや…そういうことではなく、一日検診、三日検診、一週間検診、十日検診…一年検診…って病院にいく間がどんどん長くなってゆくわけですよ。目の障害、脳の障害、まったく何一つひっかからなくて『それだけで、本当に親孝行な娘だな』って思い続けてきてある日突然、勉強し始めたんですよ。それで成績がものすごく上がったんですよ。その時から目がどんどん、視力が衰えて…」国「10年くらい前に…」江「もうそれをわかっていて。いろんな生活環境はあると思うんだけれどもやはりどちらかと言うと弱いんだと思う、普通よりもちょっと度が進み易い。そうすると気にするでしょう?心配になってしまうし。そういうことまでも、先に伝える。生まれて以降のはずなんですよ。だってそんなときに、何でわざわざ眼鏡のことなんか…不必要でしょう?」国「そこにはメッセージがちゃんとあるわけなんですね」江「そういうことなんです。ありがたい、その思いが」美「そうね」山「1時間や2時間じゃないんですよ、あいつ半日かけて…『絶対ある』って言い続けて、それで持ってきたんですけど。今はもう、肌身離さす、セカンドバッグに入れて、何か読むときはそれをかけてますけど…」江「お父さんを実感でき、何年もかかってそのメッセージも今日紐解き…」美「ようございましたね」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 26, 2008
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先ごろ独立し、事務所をかまえられた演歌歌手さんがゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→頼まれるとNOと言えない。☆ 怖いもの→蛇、ゴキブリ、北島の親父☆☆ 元気の源→ギャンブルです!…すみません!☆ 不思議な体験→父が亡くなる前に、不謹慎ですけど競艇をやっていて「3-4-5を買え、譲二」って声が聞こえて、それが来ました。☆ 人生の転機→30歳で「みちのくひとり旅」に出会えたこと。☆ 将来の目標→何かもう一回、バーン!と何か勝負してみたいなという感じがしてますけど…わかりません!すみません!国「さあ☆番組が始まって、もう2回謝りましたね☆こういう方、珍しいですね」山「何かあんまり、答えが良くなかったかな…」国「そんなことないですよ。どうですか、このスピリチュアルというものに興味は?」山「あります。うちの長女と嫁さんがよく見るんで…」国「あ、この『オーラの泉』を?」山「いえ、そうじゃなく僕にはよく見えないものが、よく見える。女房が運転してて、子供が横に乗っていて、僕が後ろに座っているんですけど、二人で『見ちゃだめ!』とか、そういう会話…『なんだよ、それ?』って聞いたら『今、あそこに立ってたから、見ちゃだめだって言ってるの』僕には全然、見えないです」美「不便ですねえ。浮気はできませんね☆」山「あ、見つかっております☆」国「最初は伊達春樹という名前でデビューしたんですか?」山「そうです」国「奥さんとは一緒だったんですか?」山「一緒だったんですよ。一応、同棲ですよね」国「売れていない時代に奥さんと一緒にいたというのは、お金の面とか結構厳しかったんじゃないですか?」山「はっきり言って、ヒモです☆毎日、僕は二千円もらって赤坂のパチンコ屋に行ってました」国「二千円もらって、パチンコに行っていたんですか?それを倍にすると?」山「倍どころじゃない、五倍ぐらいにしようと☆」国「出会いは何処ですか?」山「出会いはね、出版会社がありましてね、そこで電話番とかをしていたらバーっと入って来たんですよ。本当にね、光っていました、うちの女房☆」美「オーラだらけ☆」山「何かもう、眩しいぐらい☆阿弥陀如来が入って来たような感じ☆」国「奥さんは何をなされていたんですか?」山「女優とモデルをやっていました。顔を見て、ものすごく可愛かったんですよ。それでもう『わしが付き合うような人とは違うわな』っていう…」国「でもどうやって声をかけたんですか?」山「あの…僕のディレクターが、僕が弾き語りをやっている店に連れてきてくれたんですよ。『どこで生まれたんか?』と聞いたら『あ、栃木ですよ』って。『え?』そういう感じの人じゃないと思ってたんですよ。もっとツンとしてると思って」美「もっと都会的なね」山「『僕が思っていたイメージと全然違うな。なんて素敵なんだろう。惚れたな』みたいな☆本当に、僕が勝手に転がり込んでいったんですよ、彼女のマンションに、はだかで。普通、逆でしょう?『何にもいらないからお前、はだかで俺のところに来い』っていうのが。僕、はだかで飛び込んでいっちゃったんです☆そこから生活が始まるんですけど…」美「それはそれで、女の人は嬉しいものなんですよ」山「あの…『売れる!』って言い切りましたね。『時間かかるけど、譲二は売れるから大丈夫』ってそういう風に言ってくれたんですよ。その言葉がね、何かそれだけが頼りでしたね」国「奥さんの存在がなかったら、どうなっていたんですかね、山本さんは」山「違う人と一緒になっていたらねえ」国「歌手を辞めようと思った可能性もありますものね」山「うちの女房は、売れない頃に『うちのお父さんとお母さんに会って』とか『結婚して』とか、一切言わなかったです。例えば、僕が売れていない頃に『うちの両親に会ってくれるか』と言われたら行っています。それでお父さんとお母さんの前で『必ず幸せにしますから』幸せにしてあげるって、給料も四万円だから何にもできないじゃないですか。歌い手になる道はもう諦めていたかもしれませんね。本当に時給の良いところ、良いところへ行って…」国「ちゃんとした収入を…」美「責任感の強い方だからね」山「それがなかったのは、本当にありがたかったし僕は僕の大好きな歌の道を歩くことができたんですよね。そう思っていますけれど…」江「もっと素晴らしいのは、そういった時代から今に至るまで全く奥さんは変わらないでしょう?姿勢が。あの…普通はご主人がそうなったら奥さんも変わるというとか、あるでしょう」山「ないです。だから、僕のことが好きというよりも、女房の方が好きという奴の方が。うちの新しい事務所の中、六人しかいないんですけど、みんな女房のファンだと思うんです。俺が行ったら、冷たいもん☆『来たんですか?』みたいな☆」江「それでね、これはちょっと不思議なことなんですけど今日お家に帰られて奥さまに訊いていただきたいんですが…あの…生きているのが不思議な人なんですよ。お小さい時にも命を落としそうなときがあったんじゃないかと思うんです。もうひとつにね、お子さんを授かって産むときにもそうなの。お子さんもお子さんで、生まれて、生きているのが不思議な人。だからこのお母さん、お子さん、二人共に、命をもらっている人なんですよね。不思議な力を持っているというのは、この人たちってある種人間であって人間でないところが。その証拠に、何にもこの世のとらわれがないんですよ。例えば『あの人、みんなからこう言われているよ』というのを一切、気にしないし自分の目で見て、いいかどうかだけだし。または『あの人、素晴らしいよ』と言われても『私はそうは思わない』とか。絶対に表面でものを見ませんでしょう?」山「そうですね…」奥さまはお嬢様を妊娠中、かなり早い段階で破水なさったようです。山「うちの長女は本当に、726グラムで生まれたんですよ。それで…『脳の障害と目の障害は絶対ありますから、それは譲二さん、覚悟しておいて下さい』そうやって言われて…『えっちゃん(奥さま・悦子さん)、この子はいらん』って自分は言ったんです。『こういう弱い子はいらん。わしは玉のような子が欲しかったから、この子はいらん』言ったんですけど、その時に看護婦さんが入っていらっしゃって女房のお腹にベルトみたいなのを付けたんですよ。それと同時に『ドンドンドン…』って音が聞こえてきたんですよ。『看護婦さん、これ何の音ですか?』『子供さん、小さいけれども頑張っていますよ。心臓の音なんですよ』それを聞いたときに『えっちゃん、俺、何てこと、馬鹿なことを言ってたんだろう…』お医者さまに『多分、あいつ頑張ると思いますから、この子はやっぱり、何とか産まして下さい』点滴が始まるわけですよね、破水して羊水がもうないわけですから。羊水の代わりになるやつを下から入れて、点滴をして。『先生、今までのお母さん方で破水されて、頑張ったのは何日ですか?』『八日間頑張った方がいらっしゃいます、それが最高です』十五日、頑張ってくれたんですよ。もう刺すところがないんですよ…あの…極小未熟児の血管を見つけて刺す先生方が来てくれてもういろんなところを探すんですけど、もうないんです、血管が痛んでて。それであいつ『ここ(こめかみ)に入れてくれ』って言ったんですよ。それを聞いたときに『えっちゃん、もうええ。もう止めよう。頑張ったよ』『そうかなあ…』もう、動けないです、全然。健康な体だったのに、十五日も寝ているとやはりもう動けない。それで抜いた瞬間に、陣痛です。無菌室に戻して、それでもあいつが痛がっているから『先生、もういいでしょう、頑張ったじゃないですか、あいつは』『何言ってるんですか、譲二さん、今日からの一日は、あの子にとったら365日ですよ。お父さんがそんなに弱い気持ちでどうするんですか!』それを言いにまた会いに行ったんです。あいつはもう『譲二、わかってる。もう少し頑張れって言うんでしょ。今度会うときは、産んでからにしよう』それで生まれてきた子が、726グラムでした」江「だから与えられた命というのが奥さんの中にもあるし、奥さんがお子さんを見るときにも『与えられた命』という思いがあるから。奥さんがいつも言うと思うんですけど『とにかく、みんなが幸せでいよう。笑顔でいよう』」山「そういうのが大好きです」江「だから人に対して、みんなから好かれることのひとつにね、人に『駄目ね』ということは一切言わない人なんですよ。要するに生きていることって、それだけですごいことを、一番知っているわけですよ。『今日一日、生き延びて偉かったね』という思いがある方なんですよね。だから本当に、出逢ったときに『阿弥陀如来』さんに見えたのは、本当にそういう方ですよ。寛大、常に優しい。だから浮気なさっても、別に怒ったりじゃなくて『おいたが過ぎますよ』という程度だと思うんですよ」美「この方はね、人間として、この地球上には65億の人間がいるでしょう?一番洗練された、垢抜けた人間に近づくために、みんな進化して努力しているわけじゃないですか。一番洗練された進化した人間はどういう人間かというと自分の感情をコントロールできる人間なんですよ。みんな感情をコントロールできなくて、喜怒哀楽、泣いたりわめいたり気がつかないうちに人間はいつも感情で動いているわけです。ところがそれを『あ、こういう場合は…』怒ったとき、憎むとき、呪いたくなるとき、落ち込んだとき、『こういう感情はいらない。じゃあこの感情は抜きましょう』『感情を利用するときには』嬉しいとき、愉しいとき、幸せなとき、ロマンティックなとき『こういうときに感情は使いましょう』その感情の使い分けができるようになるまで、人間は大変な技術とか知性とか分析とか何度も生まれ変わらないとそれができないんですよ。だけどこの奥さまというのは不思議な方でね、感情で押し流されてコントロールできないってことがない方なの。できませんよ、なかなか。珍しい、不思議な方。お嬢様もそうなのね」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 25, 2008
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藤原竜也さん主演の公演に。海外遠征から戻られたばかりのためか、華奢な体がさらにほっそりとされていましたがどの場面にいても、どのようなセリフを放っても、輝くばかりの美しさは相変わらずで彼の姿と声を聞くだけでも、足を運んだ甲斐があるというもの。【舞台の内容に触れますので、お読みになりたくない方はどうぞスキップなさって下さいね】「身毒丸」はお金で買われた継母・撫子と、亡き実母を慕う息子・身毒丸の愛執の物語。「毛皮のマリー」を書かれた寺山修司さんが、浄瑠璃などに取り上げられている「しんとく丸」に端を得て、岸田理生さんと共作された作品のようです。親と子の情愛は、血を直接分けたものだけに熱を帯びていて互いの身も心も縛り付ける枷にも成りがちですけれどもそれが恋情に取って代わるのも、心のうちではままあること。ましてや血を分けない親子が一つ屋根の下にいるときは。絆を結ぼうとする行為が一転、激情に変わってしまうさまは古今東西、よく描かれ続けてきたこと。恋は相手を慕うかにみえて、己を切に守り、他から限りなく奪う思い。世と世の狭間で、この身も溶けよと抱き合う身毒丸と撫子の様に極めつけの自己愛を、まざまざと観せられて。カーテンコールに立ち上がることもできないほどの衝撃でした。 「藤原竜也くんの舞台」
February 24, 2008
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昨年のある朝、信じられないような組み合わせの対談番組があり一言一句聞き入り、見入っていたのが「ボクらの時代」。その日お越しになっていたのは、美輪明宏さん、瀬戸内寂聴さん、平野啓一郎さんという錚々たるメンバーで、単独講演をこなされる方々が集まっての対談は30分番組にとても納まるものではなく、まだ始まったばかりといった雰囲気のままエンドマークに。日曜の早朝、これまで観たことがなかった番組によくぞチャンネルを合わせていたものと思いながら、「この続きはいつかまた…」というナレーションに期待していたところ、ようやく今月、単行本として読めるようになりました。 美輪さんの新刊本は、公演でサイン入りを買うようにしているのですが今回は待ちきれず、すぐに楽天さんで購入。平野啓一郎さんは「黒蜥蜴」の公演パンフレットで美輪さんと対談された若き芥川賞作家。ちょうど再演が行われる年に、かの麗人に相応しい装丁での本を手に取ることができてとても嬉しく。 既刊で瀬戸内さんと美輪さんお二人の対談本も。途中からくらっと三島由紀夫さんのお話に切り替わってしまい、90ページに渡って彼の貴重なエピソードが語られているのが見どころ。新刊のラストでちらりと触れられている長慶天皇についてもこちらでは詳しくお話下さっています。新刊と既刊、合わせて対談が完成といったところでしょうか。 よろしかったらどうぞ。
February 23, 2008
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小学校の読み聞かせの会で松谷みよ子さんの「日本の昔ばなし」の中から「天の庭」「まめなじいさまと背病みじいさま」を読ませていただきました。子供はもう小学校を卒業しているのですけれども、在学中に会の立ち上げに関わったこともあり、五年生の頃に学校が荒れていて、子供が登校したがらないときに夜寝る前に読み聞かせをして気持ちを落ち着かせた経験もあって今も年に3回ほどお手伝いしています。松谷みよ子さんは、少し前まで再放送されていた「まんが日本昔ばなし」の原作になったお話を、日本各地でたくさん収集した方。教室に入ったときはまず最初に、このアニメを観ていたか子供たちに訊ね、松谷さんのことをお話してから、本を読んでいます。松谷みよ子さんは「小さいモモちゃん」シリーズも書いた方。四年生のクラスでは、今回もこの本を持っている子がいて「持ってる!」と反応してくれたので、初めて行った教室にもすぐに馴染むことができました。「天の庭」は、古事記のイザナギ、イザナミを彷彿させるようなお話。絵本ではなく、朗読のみなので四年生には少し難しいかなと思いましたが、最後まで集中して聞いてくれました。「まめなじいさまと背病みじいさま」は「舌切りすずめ」のような勧善懲悪のお話。こちらは一年生のクラスで読みましたが、同じく絵はなく文字だけ。読み進めていると前の方に座っている子はもぞもぞと遊び出しましたが、面白い言葉が耳に残ればいいなと思いながら。いただいた15分の時間が余ったので「もっと読んで」という声に応え「米福・粟福」も読んだのですが、少し長過ぎ、途中で時間が来てしまい、先生にお断りしてから読み終えます。家で読んでいたときは、ちょうど15分だったのですが事前にもう少し準備をしておくべきだったなと、次回に備えて短めのお話をチェックしました。以前、ある番組で美輪明宏さんが、紙芝居で「舌切りすずめ」を読んでいらして。優しくて親切で良いことをした欲のない人は、素晴らしい宝物を意地悪で悪いことをした欲深な人には、醜く恐ろしいものがもたらされるという勧善懲悪の基本を、シンプルにしかも愉しく子供の心に残るように伝えるお話の、筆頭に上げられるもののひとつが、この物語なのかもしれません。 昔話は、よくよく読めば、醜く残酷な設定もたくさんあるのですけれどもやはり、本当に命の大切さや美しさを知り、優しい心を育むにはその対極にある、醜いこと、恐ろしいことも知っておかなくてはと。単なる恐怖や嫌悪で終わらないユーモアの衣に包みながら穏やかに語り聞かされた昔話の記憶が、その子供の考え方、物のとらえ方の基本のひとつとなり成長するにつれて大きな財産になってゆくといいなと思いながら季節ごとの読み聞かせに参加させていただいています。「美しき日本の民話を読み聞かせ」
February 22, 2008
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今夜23日のゲストは山本譲二さんですね☆***19歳のときに失ったお母様に対する柳原さんの思いとは。国「逆に自分がお母さんに、言い忘れたこと、言い残したことというのは?」柳「それがね…忘れてしまうんですよ…その時はすごく感じることがあったけれども…もう、声も覚えていないし…どこかで聞いたんですけれど『声、顔、思い出』の順番に忘れてゆくって…すごく、あの…好きだったし…『こうじゃなかったか』とかいろいろ亡くなってすぐは思ったんです。『こういうことを言えば良かった』とか『もっとああすればよかった』とかいろいろ考えたんですけど、最近だと、出てこないんです…」美「いいことね」国「あ、これはいいことなんですか」美「両方が充実するとそうなるの。柳原さんが今のお仕事が乗りに乗ってきたじゃないですか。小さい頃からの夢が実って、作るネタや何かも受けている。何処へ行っても『可愛い』とかいろいろ言われる。そういう風にやって、充実してきた。お母さんはお母さんの方で、自分はやるだけのことをやった。愛情を注ぐ相手が、誰もいなくてこの世を去る人だっているのよ。そうでしょう?でも、あなたも甘えてくれたし、ものすごく可愛いかったし愛情面ではフル稼働したわけだから、何も思い残すことがないの」柳「母を思い出して、泣くことが…最近なくなったんですね…寂しいことじゃないんですね…」美「寂しいことじゃないのよ。向こうが充実してなくて、思いを残していてね違う次元の世界に行っていて『ああ悲しい』とかいろんなマイナスの想念を持っているとそれがこっちへ伝わってくるんですよ。そうすると、こっちも何か原因もないのに鬱々としてくるのよ。だけど向こうが『ああ、これで良かった。私はもう満足。愛情にも恵まれてやることをやって』しかも現在のあなたを見ていると夢が実現したし『娘が幸せだと思ったら、私も幸せ。それで充分、何にも望まない。私はもう結構、嬉しいし、こんな幸せなことはない』そうすると、マイナスの波動があなたに行かないの。充実してるから。あなたの充実していることが、お母さんの充実になるんですよ」国「ここまで涙を流していたのに、涙が出なくなっていったわけじゃないですか。何でなんだろうってずっと考えていたんですか?お母さんのこと、このまま忘れちゃうんじゃないかとか…」柳「…うん…」美「それはないのよ」江「それともう一つね、思い出しますよ、この先。また蘇えってくるの、たくさん。自分の人生の節目節目にね。『あ、そういう…あのときこうだった』というのが全部蘇えってくるから。自分とお母さんの年齢で『お母さん、このときこうだった』という時にふわっとその世界が蘇えってくる。そして全て『なるほど!だからお母さん、ああいうこと言ったんだ』『あ、だからああいう行動を取ったんだ』全部その都度、蘇えってくるということ。だって今の状況、お母さんが一番喜んでいるに決まっているじゃないですか。美輪さんがおっしゃったように、あなたがずっと泣いていてお母さんが喜ぶわけないでしょう」美「あの…『去る者日々に疎し』って、どんなに愛して、命がけで愛している人でも時間が経つと忘れてくるのよ。忘れてゆくことが罪ではないの。それに罪悪感を持つ必要は、さらさらないの。私も、もう何十ぺんもそういう目にあってきましたけれどもはじめは罪悪感を持っていたんだけれど、罪悪感を持つ必要はない。そういうことがわかってきたから。そうしてね、いい事だけ思い出してあげればいいの。愉しい思い出、いい事だけ思い出すようにして、マイナスのことは全部忘れるようにするの。そうすると、愉しい材料としていつでもね、孤独のときに引っ張り出して、思い出していい音楽をかけてね。思い出の上手な使い方ってあるんですよ」柳「上手な使い方…」江「ここからはちょっと番外編ね☆それはあなたの中で、もし思い当たることがあったらちゃんと取っておいて下さい。お母さんは『最期の姿だけ、誤解を解いておきたい』ということなの。あなた自身にトラウマというか、心の中でずっと引っかかっちゃっていて、それで『思い出すのも封印しておこうかな』というような問題になっちゃって『お母さんが最期に言ったことだとか、そういったことは、すべてが本当じゃない』と。『最期は自分自身で、すべての自分の我がままを出して、膿み出しして帰って行ったんだ』と。『だからあなたは、その全てをお母さんだと思わないで。それが全部、お母さんの本心だったんじゃないかとかこれがお母さんの本当の姿じゃないかとか、そう思わないで欲しい、違うお母さんは、あなたのお母さんのままよ』それを分かってもらえれば、あなたの中で全てが良い思い出として蘇えるのに最期のお母さんとの関わりが、今までのお母さんをすべて叩きのめしちゃったみたいな気分に…『その心の堰き止めているものというのを、今日、ここで解いておきたい。あなたの思っている通りのお母さん、それ以上じゃない、それ以下でもない』あとは、この先お父さんとね、どれだけいい時間をたくさん作ってゆけるか」柳「…うん…」美「あなたも聡明でいらっしゃるから、よくお分かりでしょうけれどねあなたは家事をやらせてもちゃんとできる人だし、よく気がつくし。そしてね、妄想癖があるのは諸刃の剣で、ネタを作ったりとか一人でいるときにいろいろ妄想して愉しむとか仕事の面に全部プラスに働く場合もあるけれども、それが被害妄想になると今度はどんどんマイナス思考で自分を痛めることになる。だからその妄想の使い方を上手にね、プラスの方だけにお使いになればいいわけ。自分で意識して、マイナスの方に使わないようにすればいいわけですよ。人は十人十色、人はいろいろ、水仙の…って思っていればいいわけだしこれで人間としてどんどん進化して、大人になってゆくとね、いい言葉があったでしょう、『案ずるより産むが易し』みたいなね、そういう格言をいっぱい知っていてそういう風になって、大人になってゆくと、人生の達人になってゆきますよ。でも本当にあなたはいい財産、不思議なのはね…話がちょっと変わるけれどもみんなスリムで痩せて顔が小さくてね、ファッションモデルで洋服が似合うにはそれがいいですよ、みんな女の人は、女の人の目を意識して『痩せて、格好いい』って言うじゃないですか。だけど男はね、昔『トランジスターグラマー(小柄で肉感的な女性)』といった方が好きなの。何故マリリン・モンローがあんなに世界中の男が憧れるかというと二の腕がむちむちして、ウェストは細いんだけど下腹はぽこんと出ていて太ももは太くて、膝から下はきゅっとしまっているわけでしょう。だからあなたは、最大の武器を持っていらっしゃるのよ☆それと微笑みとね☆」国「じゃあ、もてるんじゃない?いま」柳「やばいですね☆」江「あのね、ご自身では絶対に熱烈なる恋愛とか、結婚とか、そういったことはどこかで否定しちゃってるんだけど…あるらしいの、それが☆それで、その時は注意らしい☆のめり込むらしいから、それは注意☆まったくわからないはずなの、そういう自分が。何故かというと、これまでなかったから…ごめんなさい☆」美「免疫がないからね」柳「そうですね☆すべて全部、放っぽらかしていくようなものではないですね。仕事があって、何があって、例えば彼がいるなら、彼がいる。生活の一部の恋愛しかしたことがない…」江「こんな言い方申し訳ないけれど、いつも『心の部屋の中から見てる世界』だけだから。だから、窓を開けてお仕事をしたり、窓を開けてお友達と付き合ったり窓を開けて恋愛をしてみたり、出て行っていないから。窓を開けてのコミュニケーション。まあ先のことなんだけれども『案ずるより産むが易し』そのときに思い出す…」柳「なるほど…のめり込んだらやばいんですかね☆」美「そのときに江原さんの言葉を思い出せばいいんですよ。それでブレーキを引けばいいでしょう?」柳原さんの言葉「母のことをTVで話すのは嫌だったんですけど、話してみて、聞いてもらって背中を押してもらって…気持ちが楽になりました」【スピリチュアルメッセージ】☆ たくさん愛情をもらったのに、返せなかったと悔やんでもお母さんは嬉しくない。活躍する柳原さんの姿を見て 一番喜んでいるのはお母さんのはずですから。【オーラの言葉】☆ どんなに愛した人でも時が経てば忘れてしまうもの。亡くなった人を忘れることは罪ではありません。良いことだけ思い出すのが思い出の上手な使い方。読んでいただいてありがとうございました。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 20, 2008
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巧みな芸で愉しませてくれる柳原さんですが、普段はとても落ち着いた方のようです。国「リラックスするところが家と言っていましたけれども、それだけ人間観察をすると『自分を休めたいな』と思うと家になるわけですか?」柳「家になりますね。外を出歩いていると何かしらヒュンヒュンと会話が入ってきたりして、すごく疲れるんですよ」美「情報がね、多過ぎる」柳「そうなんです。だから休みの時はガッと集中して家で休むようにしてます」国「一回、家に帰ったら、外とかには出ないんですって?」柳「出ない…もう休みとなったら、コンビニにすら行けない、もう家から出られない。休むとなったら、全く完全に…」国「『洋服を買いに行こう』とかにもならずに…」柳「ならないですね…」美「もともと、生まれた時からそうだからね。そういう方なのよ、本当は」国「家では何をしているんですか?」柳「本を読んだり、犬と遊んだり、父と遊んだり…」国「父と遊んだり?会話したりということですか?」柳「あの…すごく仲がよくて、あの…『キヨシ(清)』って呼んでます」美「面白い☆」国「お父さんのことを?子供の頃からですか?」柳「そうですね、小さいときから『キヨシ』。最初は『キヨシって呼ぶのはどうかと思う』みたいなことを言われたんですけど『あなたはツヨシでもヒロシでもない、あなたキヨシでしょう?合ってるじゃない、いいじゃない』」国「そんなことを言われたら『まあそうだなあ』と言うしかないよね、お父さんは」柳「今でも結構、よく休みの日は二人でごはんを食べに行ったりとか居酒屋で飲んだりとか」国「躾けとかはどうだったんですか?」柳「母はやはり『勉強しなさい』だとか、ある程度言う人だっだんですけど父は何にも言わないですね。ここぞという時『ここは叱らなきゃいけない』という時だけ父が前に出るような感じの家庭でした」美「昔風なお父さんの役割とお母さんの役割の分担が昔風に上手くバランスの取れたご家庭だったのね。お幸せだったわね」柳「父が出てきたら『あ、さすがに自分も、もうやばいぞ、気をつけよう』って思うような関係はできていました。基本的にすごく過保護だったんです。30後半の子供だったので、すごく過保護で、母も最初、もうお人形のように育てていて小さい時に赤ちゃんモデルをやらせたりだとか…」美「可愛かったでしょうね」柳「このままです☆4400gで生まれたので☆」国「大きい!」美「マシュマロマンの赤ちゃんみたい、可愛い」国「一人っ子?」柳「一人っ子で、もうベタベタ育てられて、母親は中学に上がる位まで靴下をはかせてくれていたんですよ。お洋服も全部着せて、こうしてこうして…髪も結わえてリボンを付けて『はい靴下』って感じの母でした。すごく明るい母…」国「『やって』と言ったわけじゃなくて、お母さんがやってくれたというか…」柳「母は二年前、私が19の時に病気で亡くなったんですよ」美「お辛かったでしょう」柳「そうですね…やはりすごく、自分の中でうんと強くなったなって思いますね。何にしても母任せだったり、それこそ学校を休むでも、バイトを休むでも母親が電話して頭を下げてくれる人だったので、自分で何かしなきゃと思うようになったんですね」美「じゃあ、その切替は大変でしたか?」柳「大変…でした」美「だからね、やはり何から何まで可愛がってね『可愛い、可愛い』って可愛がるそれも結構、だけどそうすると、その子が一人になったとき、大変な思いをするのね。だから過保護、保護過剰というのは、自分は母親としては満足、父親としては満足だけれども子供のためには毒になる場合があるの。それで結局、自分が死んだりしたときに『この子は一人で生きてるだろうか?』生きてゆけない子が今、いっぱい出てきてるの」国「お母さんはTVに出ている可奈子ちゃんを知らないで亡くなった…」柳「知らないですね…」美「じゃあ、どうやって切り替えてゆきましたか?参考になる人もいるかもしれない…」柳「うーん…何だろう…その分すごく、19年間が濃かったんですね、本当に。親が生きているといったら、40、50…それくらいまではだいたい皆さん生きているけれども、その分の愛情を19年間で貰ったって、はっきり思えるんです。それで、亡くなったことが母の最後の躾けというか『きちんと一人で生きてゆきなさい』って言ってくれたんだろうなって…すごく精神的に考えて…自分で変わろうと思って、変わりました」美「もともと意志が強いのね、あなたは。頑固だし、その意志の強さがいい意味に働いたのね」柳「そうかもしれないですね…」国「そう思えるまで、時間がかかりましたか?」柳「かかりました。今、こういう風にカメラの前でしゃべっていることが不思議なんです」美「何故?」柳「うーん…話すことが、まずできなかった。乗り越えられないというか…」江「あと、悔いもね、あの…たくさんあるから。お母さんはたくさんして下さったけれどもやはり自分がね、返すということができずに終わったじゃないですか。だからそういったことへ悔いもあるし、いっぱい愛情をいただいたんだけれども自分の方からのこととかが、まだまだ足りなかったのに…という悔いとか。あとお父さんもお母さんも含めて、全部が自分の世界の全てだったでしょう?要するにお友達でもあり、親でもあり。本当に家族、お家が大好きなんです。そうは言っても、結構、衝突もしていたみたいで、お母さんともね。それも仲がいいからの衝突なのね。要するにみんなが内弁慶みたいなもので外では出さないんだけれども、あんなに憎まれ口を利けたりとか。お母さんにしてみたら、すごく充実してるんだけれども、ある部分を見ちゃうと『いい時間をどうしてもっと過ごせなかったんだろうか』『何で対立しちゃったんだろう』その気持ちを、お母さんは充分汲んでいて、お母さん自身の悔いはあまりないんじゃないですか」国「亡くなったのは、突然だったんですか?」柳「体はずっと悪かったんです。小学校の時からずっと入退院を繰り返していて…でも、わたし的な心の準備ができるほどの期間はなかったです」江「お母さん自身にも、割と精神的な不安定さというのがすごくありましたでしょう?やはり体と共に、精神的な不安定さがあったから、すごく複雑なねコミュニケーションの中でのやり取りというのかな、複雑なやり取り、気持ちの上でね。やはり娘という立場、いや、でもここは大人になって逆に守ってあげなくちゃいけないっていう葛藤。でもね、みんな生きていれば、夫婦とか家族になっていればやはり全てが思うようにはいかないじゃないですか。それをどういう風に受け入れて、良い方に少しでも向いてゆけるかそれが大事だということも柳原さんに、お母さんはある意味で人生をもって教えてきたんじゃないですか」柳「それは大人になってから話そうと思っていたのかな…?」江「そう」柳「うん…わかります」江「それはわかるでしょう?だから、そこが断たれちゃったようなところがあるわけ。だからこれから、本当の心を語れる時だったんだけど…」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 19, 2008
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様ざまな人物を巧みに再現する芸風で、人気急上昇中の若手女性芸人さんがゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→マイペース☆ 小さい頃なりたかった職業→小さい頃から、もうこの職業になりたくて。お笑い芸人になりたいと思ってました。☆ リラックスできる場所→もっぱら自宅です。☆ 好きな男性のタイプ→(しばらく考えて)…あんまり太っていない人☆☆ 座右の銘→「案ずるより産むが易し」国「まさかねえ☆可奈子ちゃんがここに座るとは思わない…」柳「ねえ、そうですよねえ☆」美「びっくりしちゃった☆だって江原さんはここにいるはずなのに何であんなところにいるんだろうって☆」柳「親子関係みたいな感じ☆」国「しかも仮装して☆」美「『女装したのかしら?』と思ってたのよ☆」国「この番組自体は、観たことありますか?」柳「あります」国「どういう印象を持ってますか?」柳「本音で言ってもいいですか?信じてるところも半分ありますけど、半分は『いやいやいや…☆』というところがちょっとありますね。これに出るということになって友達に『出る』と言ったら、私は絶対に『終盤で泣くタイプ』だと言われました☆」国「その友達は、めちゃめちゃ観てますね、この番組を。泣くタイブだと…」柳「わかんないですけどね☆」国「子供の頃から陽気な子供だったんですか?」柳「子供の頃は、すごく神経質な子供でして…明日の授業に使う忘れ物があるんじゃないかってずっとランドセルを確認するような子で。それで寝れないんですよ。林間学校に行くとなっても、三ヶ月くらい前から『ああ、もうどうしよう。ホームシックになったらどうしよう』『海で泳げなくなったらどうしよう』とか、そんなことばかり考えている子でした。そういう風に本当にいろんなことを気にする性格だったので、母が常々『案ずるより産むが易しだよ』って、いつも言ってくれてたんですよ。やはりそういう躾けみたいなものがあって、徐々に変わっていったところがありますね」美「暗示にかかったのね、いい暗示にね」国「じゃあ何かあったら、その言葉を思い出す感じですか?」柳「今もそうですね。心配し過ぎると『案ずるより産むが易しだ』って思い直したりとかしてます」国「学校では子供の頃、物まねとかをして目立っていたタイプなんですか?」柳「目立ちたがり屋でした、小学校の時からとにかく。先生の物まねをやったりとか」国「じゃあ子供の頃から、芸人という夢を持っていたんですか?」柳「もう、ずっとなりたいと思っていて、ちょうど小学校五年生くらいの時に『ボキャブラ天国(爆笑問題、ネプチューンなどが出演したお笑い番組)』のブームのあの世代の芸人さんたちがワッと出てきた時で、もう『なんて素晴らしい職業なんだろう!』と思って。『絶対になりたい!』小学校五年生の時からずっと思っていたんです」国「へえ。あれ、僕も出ていたんですよ。審査員席の方で」柳「え、本当ですか?!全く記憶にないですねー☆」国「…記憶にないわけですからね…」美「審査員ってそんなもんよ☆」国「…そうですね、はい…☆親は反対しなかったんですか、お笑い芸人になりたいということに対して」柳「うーん…やはり母親は常々『薬剤師になれ』って私に言っていたんですよ。小学校の時ずっとオール5だったんですよ。『いい大学に行くのは間違いないだろう』とみんな親戚も言っていたし『薬剤師だったら手に職もあるし、食いっぱぐれないからあなた、なりなさい』ってずっと言われていたんです」国「ネタ作りはどうしているんですか?代表的なもので言いましょうか、ショップ店員とかは?」美「あれ、可愛いのよね☆」柳「ショップ店員は実際に、そういうショップに見に行って、お客さんとして『これはどういう風に合わせたらいいんですか?』実際に聞いて『そうだなあ、結構、こういうカジュアル目なジャケットとぉ…』☆」国「腹立ちますね、この言い方☆」「いらっしゃいませー☆どうぞ、ご覧下さい、いらっしゃいませー…そのジャケット、気になっちゃう感じですか?いまみんな、可愛いって言ってくれてるぅー…」国「総武線のギャグはどうやって見つけたんですか?」柳「あれは、実際にああいう友達がいたんですね。『船橋のララポート、鬼熱いかんね』って☆『普通の会話でこんなことを言うのは面白い』と思って話しながら、すぐ携帯にメモして」美「船橋っていうのがおかしいわね☆」柳「船橋が聖地なんですよ。鬼熱いっていう…」国「今も連絡を取っているんですか、その子とは?」柳「そのネタをTVでやるようになって、連絡が来なくなりました」国「『私だ』ってバレたんだろうね☆」柳「最近は、見ず知らずの、電車で隣り合わせた人だったりとか喫茶店で隣に座ってた人の会話を盗み聞きして、作るようにしています」「超降りてく、超降りてく、超降りてく、ラッキー…今どこまで話したっけ?あたし的に西船(橋)から出たくないんだ、普通に…は?今、ららぽー鬼あついかんね…船橋のららぽーと。まじ、ららぽーと・イケアで一日遊べる…」国「僕、個人的には、業界に入ってからそういう人を見つけたんだと思うんですけど大物スタイリストさんの物まねをするんですよ」美「私は、それは拝見したことない…」国「じゃあ…」柳「『今ね、あの私、三宿の方でワインいただいてたの、それこそプレスのみよちゃんなんかともね、あの、お話してたんだけれど…』こういうしゃべり方…あの…黒い、ボブヘアで、色つきの眼鏡をかけて…」美「おっきいの☆」柳「そう☆『いつもプレス(出版社)の子と三宿でワインを飲んでいる』という設定なんです☆」国「これは面白いですね☆」美「本当に、キザで鼻持ちならなくてね☆でも、着眼点がいいわよ。だから一番鼻持ちならない連中をからかい倒すというのは、反骨精神で、またいいわよ☆ファッション業界、衣料業界ってね、ブランド物の名前を散りばめてね『虎の威を借る狐』で、洗練されてるぶっちゃうの。もう本当に…それが野暮だって気がつかないの。自分が何様だと思っている…もっとやって☆」柳「この間聴いておかしかったのが、そういう職種の人がレセプションパーティとかプレスのパーティとかの招待状を送ってくるじゃないですか。それにね『私のところに、全部印刷だった。ひと言もね、手書きを添えていなかった』って怒るっていう人がいて。それもすぐにネタにさせてもらいました☆」国「それはネタになるよね。そんなことで普通は怒らないものね☆」柳「『あなた、どう思う?ひと言も手書きを添えていなかったのよ。「先生がお薦めしてくれたバッグがとても売れました」そのひと言でいい、それがマナーなのよ』☆」国「これはすごいですね☆」「スタイリストの北条マキですぅ、あ、(名刺)頂戴しまーす…今日、インタビューしてくれるライターちゃん?(上から下まで眺めて)68点、高い方よ…やだ、どうしよう、お名刺切らしちゃってる、どうしよう…持ってないよね?どうしよう…忘れないよね、この顔ねぇ…この顔にピンときたら…って誰が犯罪者よ☆」続きます☆***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 18, 2008
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もともとは、夫の行き付けの床屋さんが猟をするために飼われていたセナ君。あまりにも優しく甘えん坊のためか、獲物が打ち落とされた後も他のワンコたちと共に走らず、飼い主さんにぴったりとくっついていたこと、飼い主さんの奥さまが、何故かセナ君だけにアレルギーが出てしまったことでご縁あって我が家にもらわれてきたワンコでした。床屋さんにもらわれる前にも、生後一年間ほど他所で飼われていたそうですが三人目の飼い主である夫に好くなついていました。エサと散歩のお世話をする私と並んでいても常に、第一はこの人、という瞳を夫に向けていたセナ君。終の棲家、安住の地を与えてくれたのは誰なのか、よく知っていたのだと思います。霊園から帰る道すがらも、車の後部座席にいる子供の横に「どこにいくの?お家に帰るの?」と好奇心いっぱいで尻尾を振る姿が見えるように。家に着き、居間でしんみりしていると一匹の小さな、蝿のような虫が現れて、夫の周りにくるくるとまとわりつきました。「きっとセナ君なんじゃない?」子供と私がからかうと「セナ君は蝿じゃない!」とナーバスになっている夫。「安芸之介の夢」のように、蝶などの虫になって戻ってくることもあるとしたら、またそれはそれで温かい気持ちになれるように思いましたけれどもそのときはそのままになりました。それから数日後、ボランティアで小学校で読み聞かせをするために松谷みよ子さんの「日本の昔ばなし」の中から選んでおいた「天の庭」というお話を読んでいると、先回読んだときには気づかなかったことが心に残り、夫に伝えます。「今ね、読み聞かせの本を読んでいるんだけど亡くなった妻を取り戻した夫が、天の庭の王からもらった袋を開けたら『一匹の蝿が飛んで出た』という文章があったの。その蝿が妻だったんだけど、この間の虫も、やっぱりセナ君だったんじゃない?」「実はね、次の日に車の中にもあの蝿がいたんだよ。少し飛んで、後はじっとしていたんだけど、追っても窓から出て行かないんだ。叩いたりしなくてよかったよ」「ベッドの近くにも、じっと動かない蚊がいるよ」と受験勉強しながら話を聞いていた子供。「それは、寒いからじっとしてる蚊☆」夫婦ですばやく突っ込みます☆(霊園に行った日に試験のあった学校には、無事受かりました。)文学に関する様子といえば、もうひとつ。「枕草子」に翁丸という涙を流す犬の話が出てくるのですけれども、介護の最中、セナ君は何度も何度もぽろぽろと泣いていました。目がほとんど見えなくなっていたのと、寒かったこともあると思いますが本当に大粒の涙を流し続け、ふらふらになりながらも、精一杯歩き、食べ、最後まで生き抜こうとしていたセナ君でした。介護日記は3日で終わってしまいましたが、老いとは、病とは、生死とは、家族とは何かについて考えさせてくれ、また温かい感情を残してくれた彼女に、心から感謝しています。
February 17, 2008
午後二時半。電話が鳴ります。「セナ君、今、息を引き取りました」とるものもとりあえず駆けつけ…たいところでしたが、頭は妙に冷静でまずは近くのスーパーに。鬼のお面がセットになった豆をひとつ買って段ポール箱をもらい、入院費をATMで調達します。「ちょっと小さいなあ」お医者さまの第一声。お店で一番大きな箱をもらってきたのですが16キロにまで痩せてしまったセナ君にも小さくて。ごめんね…と言いながら、ようやくおさめ、夫がビーフ缶と共に買ってきていたワンコ用毛布をそっとかけて、家に連れて帰りました。ずっと外で飼っていた子ですが、箱は玄関に入れます。受験勉強している子供を呼ぶと「うん…」元気なくやってきて、長い間、箱の前から動きませんでした。最後を看取れなかった夫に連絡して、朝からの様子を伝えると、「ありがとう…それから、近所の動物霊園に電話して」とのこと。事務的なやり取りがあり、夫が休みを取れる2日後に連れてゆくことになりました。その夜、車の音がして夫が帰って来た気配が玄関に。しばらく一人でお別れをしてもらってから、あまりに小さな箱におさめられたセナ君を一緒に撫でました。それから2日、出かけるときも帰ってきたときも、玄関にある茶色の毛布のかかった箱に挨拶をし、心の中で話しかけ、家族が揃えばこれまでの思い出を話し続けました。当日は、子供の一校目の私立受験。駅に送ってから、夫と共にホームセンターで大きな箱を購入、セナ君をゆったりと移し替えました。霊園には、ダンボールと、バスタオルと、お花しか持ち込めないとのことでちょうど庭にさいている椿を榊のような葉っぱを付けてどっさりと摘みます。紅桃色の花に可愛らしく飾られてゆくセナ君。お線香を焚いて手を合わせました。子供が受験から帰り、いよいよ霊園へ。受付を済ませ、セナ君を入れた箱を祭壇のある部屋へ運びます。きちんとお坊さんにお経をあげていただき、最後のお別れ。まだ柔らかい体にそっと触りながら湧いてきた思いは「今度は人間に生まれておいで」位牌をいただき、ずらりと並んだ中に一緒に並べて納めます。同じ日に亡くなったたくさんのペットさんたちの名前を見ながらそれぞれの飼い主さんたちとの哀しみを思いました。帰り際には、初七日、十七日、…四十九日の日程表(中陰表)をいただきました。法要は、旅立つ方への供養でもありますけれども、見送る側の気持ちを整える意味合いも大きいのだということを改めて感じながら哀しい中にもどこか温かい気持ちで、それぞれの忌日にハウスの前でお線香を焚き手を合わせています。
February 16, 2008
我が家のジャーマン・ポインター、セナ(♀ 14歳)が先日、息を引き取りました。11月の日記で、寒さ対策のための犬小屋カスタムのことをお伝えしていましたが今年に入って、さらに元気がなくなり、散歩の途中で歩けなくなった次の日、ついにハウスから自分で出てこられなくなっていたのです。食事も全く摂らないので、以前、子宮蓄膿症の手術をしていただいた病院に夫が連れてゆくと、回復の見込みはあまりないと、栄養剤の点滴のみで帰ってきました。元気のないセナ君の頭を撫でながら、ふと思いついて、ビーフ缶を開けてみると目先が変わったのか、食欲が出てゆっくりながら平らげます。お腹がゆるい子なので、いつもはドライフードなのですが、手術をした後もしばらくは缶詰をあげていたのを思い出したのがよかったようです。早速、夫とホームセンターに走り、ビーフ入りの缶を四種類、買い求めました。さらに、いつもメモ書き程度に付けている日記の半分を「セナ君の介護日記」にして食事や体調などを書き留めることにしました。病院から帰ってきた翌日、翌々日は気候も穏やかだったので、抱き上げて庭に連れ出すと、倒れそうになりながらぽつぽつと歩き、自分でトイレも済ませることができました。缶詰と脱水症状緩和のための蜂蜜入り白湯で柔らかくしたドライフーズを合わせたものを、いつもと同じくらいの量も食べていました。3日目は、少し寒い日になりました。食もあまり進みません。缶詰は7歳以上の高齢のワンコのための柔らかいものだったため、味が好みではないのかもしれないと思い、夫に電話します。「若いワンコが食べるビーフの形がちゃんと残っている缶を買ってきて」「何缶くらい?」「10缶」「気に入らないかもしれないから、6缶にしておくね」夫の帰りを待ちながら、スプーンでフードを口に運びます。ゆっくりながら、なんとか缶詰ひとつ分を食べたセナ君。庭に立たせてみると、フンフンと先の尖った草を探しながら、夫のバイクの周りを一歩、一歩、一周して見せてくれたところで倒れこみ、哀しそうに鳴き始めました。暖かくしたハウスに入れても、鳴き続けるセナ君。声がどんどん大きく苦しそうになり、痙攣が始まってしまったため土曜の時間外に無理にお願いして、病院を開けていただきました。もっと早く連れて行かなかったことを叱られてしまいましたがいつもと同じくらい食が進んでいたことをお伝えすると先回の様子を知るお医者さまの方がびっくりされていました。急遽行った血液検査も、非常に悪いという数値は見られず、体温も37度で、3日前に病院に連れて行ったときよりも上がっています。それでも、注射で痙攣はおさめていただいたものの、いつまた発作が起きるか予断を許さないとのことで、その夜はそのまま入院することに。「若いワンちゃんだと、起きたときにすっかり元気になっていることもあるのですがセナ君は高齢なので、このまま、ごめんなさい、ということになるまかもしれません…そのときは、朝一番にご連絡します。」翌日は日曜日で、もちろん休診日。朝10時半過ぎに開けていただくことになっていましたがもしかしたら電話がかかってくるのではないかと、起きてからずっとどきどきしつつ11時前に病院に着くと、まだ息があるとのこと。ゲージに入ったセナ君は、本当に虫の息で、撫でてみると、体温が低く低くなっていました(32度くらい)。連れて帰りたいと伝えましたが、発作が起きたときの対応ができないとのことで入院させたまま様子を見ることに。それが生きているセナ君との最後になりました。
February 15, 2008

ホットケーキミックスでも作れる好評のレシピを作成手順の画像付きで再録します。我が家で普段からよく作るレシピで、今回が七度目のご紹介☆「作ろう!」と思い立ってから、最短で40分後には出来上がっている手軽さ。ココアを入れない場合は、シンプルリングケーキになります。簡単チョコケーキ材料「粉系」ホットケーキミックス 130gココア 8g砂糖 30g「汁系」卵 1個蜂蜜 20gサラダ油 80g牛乳 70g********************ホットケーキミックスがないとき (()に置き換えるとヘルシーケーキに)「粉系」薄力粉(全粒粉) 130gココア 8gベーキングパウダー 5g または重曹 または2g砂糖(黒砂糖) 70g(黒砂糖の場合は50g)「汁系」卵 1個蜂蜜 20g(卵を使わない場合は40g)サラダ油 80g牛乳 70g *********************手順・オーブンを180度に温めておく。・エンゼル(ドーナツ)型にサラダ油(分量外)を塗る。・はかりにボールを載せ、目盛りを0にして、粉系の材料をはかりながら入れ、汁系の材料を入れ込み、スプーンで粉気がなくなるまでよく混ぜる。・オーブンで30-40分焼く。☆大さじ○、○○g、○○ccなどの単位がいろいろなものを、すべてgに統一しましたので、材料を書いてある順に計りながらどんどんボールに入れてゆくと、タネがあっという間にできます。洗いものはボールひとつと混ぜるスプーンと型だけですみますよ。☆焼けたかどうか、お箸をさしてチェックしてください。刻んだクルミを焼く前に型に入れたタネの上にふりかけると香ばしくて綺麗です。チョコチップを入れるとさらに美味しい。☆8-10等分してラッピングして配ったり、丸ごと差し上げたり。☆ お子様でも簡単にできます。☆ エンゼル型がない場合は、普通のケーキ型でもOK。少し低めになりますが、美味しくできます。 今回はホットケーキミックスを使わないときの画像です。 【粉系すべて投入】→ 【汁系すべて投入】→ 【スプーンで混ぜる】・はかりにボールを載せ、目盛りを0にして、粉系の材料をはかりながら入れ、汁系の材料を入れ込み、スプーンで粉気がなくなるまでよく混ぜる。(左側の画像に見える薄い茶色のお粉は黒砂糖、濃い茶色はココアです。) ・チョコチップを入れた場合。今回は30g入れました。 ・型にサラダオイルを塗って、タネを流し込みます。 ・くるみを入れた場合。今回は30g刻んで、表面に散らしました。 ・あらかじめ180度に温めたオーブンで30分焼いて、完成。あら熱が取れてから、フォークをふちに入れて外します。 ・ひっくり返してお皿に出したところ。元に戻して、くるみが見えるようにします。・八等分に。 冷ましてからいただくと、しっとりとしてさらに美味しくなります。よろしかったらお試しになってみてくださいね。「チョコチップ」おなじみ「ヴァンホーテン ピュアココア」香ばしいくるみも。「栄養満点くるみパック1kg」テフロンが便利「エンゼル型」
February 14, 2008
16日のゲストは、柳原可奈子さんですね☆***強い意志と周囲の助けによって、無事に出産された間下さん。国「初めて赤ちゃんを見たときは、どう思いましたか?」間「嬉しかったんですけど、ほっとした気持ちの方が大きかったですかね…やはり病気を持っている体で、人の命を今、娘といえども人の命なのでそれを預かっているという重さをすごく感じられたし何とか無事に産みたいという思いが強かったので、やっと外に出て自分の目で、泣いている娘を見られたときは、ほっとしたし『生まれてきてくれて、ありがとう』と伝えました」国「『ありがとう』と…」間「この子も多分、お腹の中で頑張ったと思うし、とにかく『ありがとう』娘にも、神様とか、周りとか、主人とか、皆さんに対して多分『ありがとう』という気持ちだったと思うんですよ」美「今度の出産は、十月十日ですか?」間「9ヶ月、36週で。やはり私の体が、あまり思わしくなくなってきてしまったので先生も考えて『じゃあ、出しましょう』ということで、帝王切開で1ヵ月早めに。全身麻酔だったので、生まれる瞬間を見ることはできなかったんですけど」国「じゃあ、だんなさんが一番最初に見たわけですか?」間「そうですね。手術室から出てきたのを、主人と家族が私より先に見たという形です」美「女の人の一生は大変ですよね。だってそうでしょう。男の人には、そんな思いはわからないでしょうよ」間「主人ね、多分、私より辛い部分があったと思うんですよ。やはり、主人って何もできないじゃないですか。何をしてあげていいかわからないし何もできない。歯がゆさというものが、すごく辛かったと思います。あと、この病気を知っていただきたくて、分かったときに皆さんにメディアを通じて発表したんですけれどもそのときにたくさんのメールをいただいたんですね。同じ病気で闘っている人とか、普通に子育てをしている人とか本当にいろんな方ですけれども、そういう方の力も、やはり手助けしてくれたし一緒に闘ってくれたんだと思います」江「また逆に、普通に生まれること自体の幸いと奇跡、という方を忘れちゃいけませんね、逆の目もね。『普通に生まれて、当たり前だと思っちゃいけない』ということ。だから育児に疲れている人もね、その子がどれだけの奇跡の積み重ねでこうやって存在しているのかということを理解したら子供に対する不平不満、育児の問題もありますものね」美「本当にわたくし、この歳になってそう思うんだけれどもね生きているというだけでも、大変な確率で、すごいことなのよ。よく身の上相談でね、例えば『50、60になって、何にもなくてただ、飯を食らって生きてきて偉くもならなかったし、財産もできなかったし、一体、俺の人生なんだろうと思う』とかね『私、主婦でずーっときて、子供を育てて、抜け殻みたい』『子供たちもみんな片付いてしまって、夫婦二人で。一体、私たちって何だったの?』そういう相談がいっぱい来るんですよ。だけどね『あなた、世の中は危険だらけで、病気だらけ、この歳までそうやってねとにかく生き抜いてそこまで来るのは、もう大変な技術ですよ。至難の業で生きてきたんだから、ご立派なものですよ』私はそう言うの」江「それでね、私は思うんですけど、病気をどこかで『悪』に捉える方が世の中多いと思うんですよね。だから『どうして、こんな病気に自分だけなったんだ』となっちゃいますでしょう?『病気は悪』と捉える方は、もしご自身が健康だったら病気の方に対して『悪』と思うんですよね。偏見になっているはず。これって表裏一体でね、美輪さんがおっしゃったように生きていること自体が奇跡で、病気になることもある。そこはどういう風に肥やしにしてゆくかであって、それを理解すると別の病気である方に対しても『悪』じゃなくて『ああ、そうやって今、一生懸命闘って、生きているんだ。懸命に命を積み重ねているんだ』という目に変わると思うんですよね」美「『明日は我が身』ということは『いつ自分がそういう風な目に』そしてね何故病気というものを『悪』だと忌み嫌うのかというと、『うつるんじゃないか』『変な因縁を背負っているんじゃないか。それがこっちに来るんじゃないか』とかそういうことで軽蔑したり嫌がったりするんですよ。『だけど、もしあなたがそういう目にあったら、どうなさいます?』そういう風には考えないんですよ。だから、ただ感情的に病気を捉えるんじゃなくてもっと冷静にね、あるべきこととして『じゃあ、どう処置すればいいか』冷静に分析してゆけば、人を忌み嫌ったり軽蔑したり嫌がったりする必要はさらさら何にもないの」江「実はね、全ての答え、大きなテーマをひと言で言うともう美輪さんがさっきおっしゃっているんですよ。『女の一生って大変ね』というひと言。それが、間下さんの人生のテーマ、全てなんですね。それこそ『子供を生む機械』発言とか、近年でもあったけれども、そういう古い感覚、偏見…」美「封建時代の…」江「…そういうようなことと闘いたい部分が魂の中にあって…」間「あります。すごく、頭にきます」江「あとは何の悪気のない人でも、すぐに『赤ちゃんはまだ?』とか『子供は?』とかすぐ聞くでしょう?男の人も、もう少しデリカシーを持って欲しいというかね。例えば国分くんも優しい人だから、結婚したらきっと『子供欲しい』と言うと思うんだけれどそれをあんまり言うことが、そうじゃないとかえって傷つけて…さっきの奇跡と同じ。『得て当たり前』『結婚した、子供できる、当たり前』『産まれる、当たり前』と思ってると万が一。何でもスムーズにいくとは限らない、みんなテーマが。だからそこで傷つけてしまうことが。悪気がなくても、傷つけてしまうことってすごくあるわけですよね。でも、そういう痛みをいろいろ知ってゆくということは、大切なことで。話は戻りますが、そういう偏見、差別をなくすことに対する役目をやはり持っていると思うんですよ。だから『そんじょそこらのことでは、負けやしない』というか子供とか女性、出産ということになったら『私は出なきゃいけない、闘わなくてはいけない』という風な強さがものすごく現れると思うんですよ。さっきのおもちゃを鳴らす音と、5歳の子が出てきて頭を撫でた夢、これはよくよく見たら、同一人物です。この子自体は、間下さんの現世に生きて出すことができなかったお子さんであることは確かです。ただ、生きて産まれることができなかっただけで、生きたんですよ、お腹の中で。だからそういう意味で、ちゃんと誕生はしているんですけどね。ただ、その子があなたのお腹の中に入って、それで悲しいんだけれど産まれることができないことを前提に来ているのね。何故かと言うと、病気を伝えるためなんです。その時は病気はわからなかったかもしれない次の子を妊娠して気がついたかもしれないけれど、その死産がなかったら詳しく調べようとか、先生もより深く、慎重にゆかなければという風な方へいかなかった。だから、ご自身の役割は果たしているんですよ。今、言っているメッセージとしてはね『ご自身のお子さんが産まれて、安堵感に浸っているかもしれないけれどもご自身の体のことは、絶対に目を離しちゃいけない』」間「じゃあ、ちゃんと薬を飲んで…」江「検査も。『全部、ちゃんと継続してゆかないといけない』と。要するに『子供のためにも、日一日を生き延び、そして世の中に子供のこととか不育症(妊娠しても胎児が育たす、流産や早産になってしまう病気)のことも含めてちゃんと伝えてゆかなくてはいけない』だから、自分のことを管理するのも役割。…なんていいながら、実は私も耳が痛いですけどね☆」間「本当に、親の役割だということは、心がけています」美「『産んでしまったから、私のことはどうでもいいや』ではなくてだってこれからが大変なんですもの。これまでも大変だった。でもね、育ててゆく、一人の人間にしてゆくまでというのは、責任があるんですよ。『自分なんかどうでもいい』じゃなくて、どうでもよかったら、子供はどうします?これからが必要なんですよ、親は」間「本当に、美輪さんがおっしゃった通り、産んだだけが仕事じゃなくてこれからが大変なわけで、これで亡くなってしまったら本当に大変なことになってしまうので。まさかこんなに若くして、こんな病気になると思っていなかったんですけど病気と上手く付き合いながら、上手に生きていって子育てできたらいいなと思っているですけれども…」江「辛かったでしょうけれども、役目があったんですね」美「こんな言い方は失礼かもしれないけれど、悪運が強いでしょう?☆『もうだめだ』と思うと、スポッとどこかから」江「そう、そうなんですよ」間「今の子も亡くなっていてもおかしくなくて、先生との出会いが大きかったんだと思うんですね。普通だったら私みたいな病気は『不育症』といってお腹の中で子供を育てられない女性のことを不育症と言うんですけれどもそれって、2、3回、流産、死産を繰り返さないと医学的に『不育症です』という話にはならないんですね。でも、私は1回目じゃないですか。普通はそういう検査ってしないんですよ。たまたま出逢った先生が、たまたま、そうやって声をかけてくれて検査してくれたから…」江「たまたまじゃないんですけどね☆」間「あ、そうなんですか☆だから本当に先生には、感謝感謝で…。その先生も、たまたまその先生のお父さんが、私が生まれたときにたまたまいた先生だったんです。お母さんが私を産んだときに立ち会って手伝っていた助手の先生の息子さんが、その病気を見つけてくれたんです」江「だから、たまたまじゃない☆」美「すべてね、赤ちゃんのこともそうだけれど、仕事のことだとか今までの人生で思い出していただくと、奇跡的な運の強さがいっぱい重なって今までいらした方なの。だから、そういうちゃんとした原因がわかるお医者さんにすぐお当たりになって、ラッキーだったんだけど、そうじゃなくて原因がわからなくて何度も死産を重ねる人もいるでしょうしね…」間「メールをいただいた中で、やはり3回も4回も繰り返してやっとわかったという方もいますし、やはりこの病気のことを知っていただいて『そうかもしれない』と思ったら、ぜひ検査に行っていただきたいしまた男性の方も、女性の方もですけれども『産めない女性、駄目な女性』みたいに思わずに『そういう病気なんだ、上手く育てることができない病気なんだ』ということをわかっていただければ、心の傷とかそういうものも与えなくて済むんじゃないかなって思います」美「いい番組ですねえ☆ね、いい番組をやってるんですよ、あなた☆」国「はい…☆」間下さんの担当医・千葉大学医学部付属病院 鶴岡信栄医師のお話「流産というのは、決して珍しいことではありません。10回妊娠して、1回や2回は当然、起こることなんですけれども、ただ『抗リン脂質抗体症候群』に関しては、未治療だと8割くらいの方が流産するところを10-15%くらいにできる治療法がしっかり確立されているので検査をしっかりしてもらえれば、妊娠、出産を成功に導くことはできると思います」【スピリチュアルメッセージ】☆ 亡くなった赤ちゃんは あなたが気づかなかった病と命の奇跡を教えてくれました。今度はあなたが世にそれを伝え 多くの命を救うこと。それがあなたの役目です。【オーラの言葉】☆ 世の中は危険だらけで病気だらけ。生きているだけですごい事。人は生き抜くことに価値がある。読んでいただいてありがとうございました。
February 13, 2008
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2006年8月に再び妊娠されるも、原因不明の難病「抗リン脂質抗体症候群」であることが判明。血管の中で血が詰まりやすくなり、心筋梗塞や脳梗塞などを引き起こす病気で母体も胎児も危険にさらされることに。間下さんの担当医・千葉大学医学部付属病院 鶴岡信栄医師のお話「普通は心筋梗塞とかいうと、高齢の方に起こる病気だと思われ勝ちですがこの病気を持っている方だと若い方でも起こす可能性があります。妊婦さんに関して言えば、胎盤の血管が詰まることで流産や死産に繋がったりとか赤ちゃんが小さく生まれたりとか、そういうようなリスクが高まります。間下さんも、実際にそのような危険性が高いということをお伝えして『一緒に治療しましょう』という風にお話しました」***国「初めて聞く名前なんですけれど『抗リン脂質抗体症候群』という病気ですけれども自覚症状はどういうような…」間「自覚症状は、ありません」国「ないんですか?これは妊娠何ヶ月目で…」間「妊娠2ヶ月くらいでわかりました。たまたま、私は本当にラッキーだったんですけれども最初、妊婦検診で血液検査をしたら『ちょっと血小板の数が少ないから気になるのでもう少し詳しい検査をさせてもらえないか?』って、たまたま初めて行ったときに初めて会ったお医者さまが言って下さって。もう2回目ですから『何でもしてください』ということで、検査していただいたら、この『抗リン脂質抗体症候群』という病気が見つかりました」美「それは例えば、そもそもそういう体質に生まれついている人と後天的にね、食事や何かが偏ったり…」間「いま、難病に指定されているんですけど、難病に指定されているということは原因がまだわからなくて。何が原因でそうなるのかということはわからないですし…」美「何かはあるんでしょうけどね」間「はい。遺伝性があるかとか、そういうことも今、調べている最中で。『多分、前回の子もそれが原因で亡くなったんじゃないか』と思ったので強い言い方になっちゃいますけど『また子供を殺しちゃうかもしれない、私…』とすごく思いました。やはり私のせいで『私がこんな体じゃなければ元気に生まれてこられる子なのに、私の体のせいでまた殺しちゃうかもしれない』と思いました」国「その中で産もうと思った…」間「そうですね。もうすでに、わかったときにはお腹の中にいたので、その子をね殺してしまうとかということはできないので『とりあえず前に進むしかないやれることをやってゆくしかない』と思ったので、とりあえず一番良いとされている治療を主人と調べたり、先生に相談したり、ネットで調べたりして一番いい方法を見つけるように努力しました」国「どんな治療が始まったんですか?」間「本当に確立されていないので『これが効く』ということは一つもなかったんですけれどもとりあえず血液をサラサラにする注射を毎日打つという…」国「毎日ですか?」間「はい。計5カ月くらい、毎日打ったんですけれども」国「それはもう、病院に行って…」間「病院に行って、毎日打ってもらう。やはり周りは、うちの父とか先生とかも『体の方もしんどいし、毎日打つのは大変なんじゃないか』と。それに『この注射が絶対に効くという確証もないし、それは考えた方がいいんじゃないか』と言われたんですけれども、もう…本当に後悔したくなかったですね。『あのとき注射しなかったから、死んじゃったんじゃないか』とかそういう後悔は後からしたくなかったので、注射を選びました」国「『怖いものは注射』というようなことをチェックで言っていましたけれどもこのときくらいからなんですか?」間「いえ、ずーっと昔から。本当にTVに注射が映るだけで、気持ちが悪くなるし注射を打つ度に病院で倒れているような…本当に苦手を通り越した病的な駄目…だったんです」国「なるほど。そこでもやはり、注射をやらないとと…」間「何でしょうね、やはり母になるって強いんですかね…『この子の命を救えるのであれば、そんなの乗り越えてやる』自分でも不思議なくらい強くなっていまして…迷いはなかったですね」美「でも元々、強くていらっしゃるのよね」間「自分は全然、そう思わないんですけれど…」国「先ほどチェックのときに『自分の性格は気が弱い』と言った瞬間にお二人は目を合わせて笑っていましたから☆」江「よく見てますねー☆あの…別の言い方をすれば、常に自分の身の保険のために最悪のことをいつも考えているから。そういった意味で悪い場合を考えるというよりも『最悪の場合はここ』というのを知っておくと安心なんですよ。それも強さ、ある意味ではね。『最悪を知っておいて、だから頑張ろう』みたいなね。それでいて、割りと『頑張ろう』の切替が早くて素直だから言葉が悪いかもしれないけれど、いい意味での『単純さ』を持っているんです。だから本当にポジティブでね」間「それは悪いことじゃなかったんですね」美「だからね、『石橋の上を叩きまくる方』なの☆」江「前世も、子役をなさっているときもそうだけれどいろんな苦難、困難があったのが見えるんですね。だけどその都度、切替上手なんです。親御さんや周りの大人たちの『こう考えるんだよ』『こういう風に頑張れば?』というのを素直に受けて。だから、長々引きずらなかったでしょう?」間「長々、ずるずる引きずるの、嫌いですね☆」江「ね?あの…本当だったら、ごめんなさい、亡くなってておかしくないんです」美「そう」江「ごめんなさい、お子さんのみならず」美「母体もね」間「そうですか…本当に…」江「いただいた命…」間「自分の死のことは、全く考えたことがなかったですね。本当に『自分が死んでも、子供の命は助けたい』と思っていたので自分の死は思ったことがなかったですけれど…」国「そのときのだんなさんの存在も、やはり大きかったんじゃないですか?」間「そうですね、主人じゃなければ、多分、乗り越えることができなかったと思うし…やはり、足に血栓って溜まりやすいんですよ。それを聞いたら、主人が毎日、毎日ですよマッサージしてくれて。主人も仕事があるので、結構疲れていたりはしたと思うんですけども毎日、少ないときで30分、多いときで2時間くらい…」美「なかなかできないことですよね、素晴らしい」間「できないですね。最後はちょっと、意地になってましたけれど☆」国「すごいですね。毎日ですものね」間「毎日…」美「愛情が深いのね」間下さんのご主人の日記より「夜遅くに帰宅の途に。帰るコールをすると やはり体調が優れないのんちゃん(間下さん)。昨晩はほとんど眠っていなかった。身体の数ヶ所を指圧+マッサージ。だいぶ体調が戻ってきた。まだ熱はあるものの、今日は眠れるかもしれない」「毎晩 寝る前に、ぴよちゃん(赤ちゃん)が生きているか 確認する。毎朝 起きた時に、のんちゃんが生きているか 確認する。そんな日も、あと何日だろう」2007年3月、無事に出産されたとき「何だろう。自分でも分からない。もう声にならない声で泣いていた。看護婦さんが言った。『女の子ですよ~』そのとき、赤ちゃんが泣き出した。それを見て、ボクは笑顔で泣いていた」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 12, 2008
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難病を乗り越えて出産、育児に臨まれている方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→意外と心配性で、気が小さいです。☆ 毎日欠かさずすること→今は子育てで毎日はできていないんですけど主人と夜、小さな幸せを報告する会みたいなものをやってます。☆ 海外で心惹かれる国→行ったことはないんですが、昔からエジプトが気になります。あと、国じゃないんですけれども、日本の江戸時代がすごく興味があるなと思います。☆ 怖いもの→今は大分、大丈夫になったんですけど、注射が大嫌いです。☆ 不思議な体験→つい最近、娘を寝かした後に誰もいない部屋で娘のおもちゃがひとりでに鳴ったことがありました。☆ 印象に残っている夢→死産をした後、5歳くらいの小さな男の子が私の頭を撫でながら「大丈夫だよ」と言ってくれた夢がすごく印象的です。国「さあ☆、初めましてになるんですか?」間「初めましてです、よろしくお願いします。ずっと出たいと思っていたんですけれどもやっとここに来ることができてよかったなって。でもすごく緊張しています」国「出たいと思ったのは、いろいろとメッセージを聞きたいなという…」間「そうですね。やはり、子供を死産した、亡くした後に『子供がどうなったか』とか『また舞い戻ってきてくれるのか』とか、そういうことを江原さんとかにお聞きしたくて。でも、それは『そのとき聞いちゃいけないんだな』と思いつつ…でもやっと子供が生まれて、一段落ついたので、ここに来ることができた…必然かな?…なんて思ってます☆」国「さすがですね☆やっぱりよく観てますね」1978年に東京で生まれた間下さんは、天才子役として活躍、その後アメリカに留学して写真を学び、写真家としても活動中。26歳で11歳年上の男性と結婚、妊娠されるも安定期に入った頃に死産されたそう。国「とても話し辛いと思うんですけれども、死産というのはどういう状況だったんですか?」間「ずっと順調に来ていたんですけれど、5ヶ月に入りますと安定期ということで安心していて、少し胎動も感じていたんですが、ある日、感じられなくなってしまって『これはおかしい』とお医者さんに行ったら『もうエコーでは、亡くなっています』と言われて…。『え?何で?』というのと、とにかく赤ちゃんに『ごめんなさい』という。『何か自分が悪いことをしちゃったんじゃないか』ということが。すごく罪悪感そういうものが胸の中でいっぱいになって…もう涙が止まらなかったです…」国「6ヵ月と…」間「そうです、6ヵ月になるところでした」国「お腹の中でもとても大きく…」間「実際に産んでみたら、280グラムだったんですけれども…」国「産んだというのは?」間「お腹の中に置いておくわけにはいかないので、陣痛の促進剤を打ちまして妊婦さんと一緒のように、ちゃんと陣痛を越えて産んだんですね…でもやっぱり『自分の子供をこの世に出してあげたい』という気持ちが大きかったので『早く産んであげなきゃ』という気持ちで、陣痛は乗り越えられたんですけれども…見てみたらもう…綺麗な赤ちゃんで…目がきらきらしてて…もう涙が出るというより笑顔、嬉しくなっちゃって、主人と一緒に笑ってみていましたね…」国「なるほど…でもやはり、辛い思いをずっとしてきたと思うんですけれどもそれをどうやって乗り越えてきたんですか?」間「産んだ後、やはりずっと落ち込んだし、家の中に閉じこもったり『どうして私だけこんな目に遭うの?』『みんな産んでるじゃん、どうして私だけ死んじゃったの?』っていう思いから全然関係ない人を恨んでしまったり…そういう、本当に嫌な人間になっていたところに…」江「まして胎動を感じてからというのはきついですよね。存在していたことが実感できた後だものね…」美「それはそうなっても仕方がないですよね、それはありますもの」間「…でもあるときに、インターネットを見てましたら、ある文章があったんですね。『毎日、お空の赤ちゃんはあなたのことを見ています。泣いているのが赤ちゃんも悲しくて、何とかママを喜ばせようと幸せを運んできています。でも赤ちゃんは体が小さいから、ちっちゃな幸せしか運べません。その幸せに、あなたは気づいてあげていますか?』っていう文章を見たときにハッとしたんですね。『あ、私、こうやって泣いたりしてるのは、自分のエゴだったんだ。別に息子のためでも何でもなく、自分のために泣いていたんだ』やはり息子が悲しんでいるのは、母親として嫌なので、何とか笑わせたいというところから『元気にならなくちゃ』っていう風になれたんですね。そのブログのことを、帰ってきた主人に『こういうことがあってね、元気になろうと思ったの』と言ったら『じゃあ、ちっちゃな幸せってなかなか気づくことができないから寝る前に二人で、幸せ報告会をしようよ』と主人から提案がありまして。まあ本当に『今日は空が綺麗だった』とか『ケーキが美味しかった』とか『朝の占いが良かった』とか、くだらないことなんですけどそういうことを一つずつ、拾い集めてゆく中で、なんとかこう…立ち直ることができたんだと思います」国「スピリチュアルチェックの中でもありましたけれども『小さな幸せ報告会』というのを、だんなさんと一緒に…」間「そうですね、主人のアイディアだったんですけれども」美「幸せをね、確かめるというのは、本当に大事なことですよ。自分が本当は幸せなのにね、不平不満の方ばかり、今の人たちは見ているんですよ。それで幸せというのを見ようともしないの。『どうしてこっちばかり見てるの?こっちも見なさい』と言うんだけど、全部不平不満の方ばかり、うなだれて、首を下に垂れてぶつくさ…攻撃的で『何をそんなに怒る必要があるの?』というくらい、現代の人ってみんな何かイライラ怒っているでしょう?でもね、世の中にはプラスとマイナスがあるんだから、マイナスの方ばかり見ないでプラスの方も見ればいいの。数え上げれば不幸の数以上に幸せの数もたくさんあるんですよ。だから、それに気づかないのを『気づきましょう』という運動をなさっているのは、素晴らしいことだと思いますよ」国「『5才の子に頭を撫でられる夢を見た』と言っていましたけれどもやはりそのときぐらい…」間「ちょうど、その頃ですね。寝ているときに、道を歩いていたら電柱がありましてそこに七三分けの5歳くらいの丸顔の男の子がいて、寄っていったら、ちっちゃいのに何故か私の頭に手を伸ばしてひと言『大丈夫だよ』って言ってくれた…その後すごく心があったかくなったので『あ、もしかしたら息子だったのかもしれない』…って私は信じてます」国「これは…?」江「後ほど☆」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 11, 2008
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美輪明宏さんと藤原竜也くんの舞台チケットの予約を。地上波放送されたばかりの「デスノート2」の録画を子供が観る傍らで、延々とコール。「黒蜥蜴」と「かもめ」、人気のお二方が同時受付されたためかなかなか電話が通じませんでしたが、携帯と固定電話を駆使、40分後に無事に繋がりました。案内葉書の必要事項を振込み用紙に記入しつつ、改めて出演陣を確認、「かもめ」のメインキャストが、今流れる映像と同じねと遅まきながら気づき、そのまま白い雪の降る中を銀行へ走ります。その日は「L change the world 」の公開日でもあり、月末には藤原くんの「身毒丸」の舞台もあり。美輪さんの舞台は六月で、その月は山本耕史さんの「ヘドウィグ…」もあり。今年も愉しきイベントでカレンダーが彩られてゆきます。 美輪さんの舞台の予約のあとは、毎年、香水を買い求めます。お好みの「タブー」、舞台直前になかなか手に入らなかったことがあったため次の年からは早めにチェックするように。幸い、今回はすぐにヒットしました。「タブー」と一緒に、自分用の香水もひとつ、買うようにしています。普段はラヴェンダーのエッセンシャルオイルで作ったクリームを使うくらいなのですが「タブー」を毎年買うようになってから、少しずつ自分の「ノート」を増やせるように。これも美輪さんの舞台を拝見する際の、小さな愉しみのひとつです。 「美輪明宏さんの舞台」「藤原竜也くんの舞台」「山本耕史くんの舞台」
February 10, 2008
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ご自分が20年後どうなっているかということが、今、一番気になること。宮「今、ドラマで人の20年後が見えて、自分だけが見えていることに対して『何と言ってあげたら、どうしてあげたらいいだろう?』ということで毎回悩む…みたいな話にしているんですけど、そんなことを書きながら僕は自分の20年後、20年後に限らず自分の未来というのはどうなっているのかがやっぱり気になるからこういうドラマを書いたのかな?とどこかで思っているんですね。自分の未来も気になるから…」江「だからね、そうじゃなくて言葉を変えれば『人の未来が決まっているのかどうか』ということが気になるんですよ。それも『型』でしょう?『だとすると、もがいても無駄なのか?』そこが気になっているわけで。いつも美輪さんとお伝えしていますけれども、『宿命』と『運命』は違うんです。『宿命』は素材、『運命』は料理なんです。だから人の人生は大方の素材は決まっているんだけど、料理は決まってないんですよ。だから生まれてくる意味があるし、そうでなかったら努力する意味がなくなってしまうんですよ」宮「あー…それ、ちょっとドラマで使ってもいいですか?☆」江「どうぞ☆」宮「『あなたの素材は決まっているわよ』と。『でもこれをどう料理するか』…」江「『このままで、ただ流れにまかせていったら、そうなっちゃうよ。料理すれば?何故しないの?』」宮「その料理の方法とか、どうするかというのを…」美「それは自分自身の自由な選び方だから」宮「すごく『俺はこうだ』って自分で思っているんでしょうね。『型』を…」美「だから『型』というのは宿命なんですよ。青写真」宮「素材の方ですね」美「そう。お家を建てるときの青写真。自分の心がけ次第で『もうちょっと、ここをこうした方が住みやすい』設計変更ができるわけですよ。その設計変更の可能な部分が『運命』。だから自由なんですよ」宮「素材は決まっていても、料理次第で…」国「そのキーワード、すごく気に入っていますね☆」宮「僕は『型』を気にしないで、『型』を破っていけばいいのか『型』は『型』で残した方がいいのか…」美「それも考えない方がいいんです。それを考えると『型』になるわけ。流れのまにまに『自分が成長するんだったらすればいいし、そこで留まっていてもいいし道草をしてもいいし、どこへ扉を蹴破って飛び出してもそれもいいじゃないか』『ねばならならぬ、ということは、どこにもない』という風に、そういう生き方を今度は会得して、体現して、愉しむために生まれていらっしゃったわけだから」江「これからの一番の先生は、多分お子さんだと思うんです。一番『型』がないということもあるじゃないですか」宮「そうですよね、自由ですよね…もうすごく自由でいいですね、これから」美「そう」宮「締め切りも『型』ですもんね☆」国「宮藤さんはお子さんがいるんですものね。お父さんにはちゃんとなれているんですか?」宮「そうですね…まだ二歳半、もうすぐ三歳で『可愛いな、可愛いな』というか『面白いな』が一番なんですけれど、何か二度目の転機じゃないですけれど『随分変わるな、自分が』というのは思いますね」国「そんなに変わりますか?」宮「にやにやしてますね。日々変わってゆくから『面白いな』と思いながら…」美「どう表現したらいいのか…緑色の植物に光が差してきたような雰囲気になってきていません?」宮「あの…緑色と言われて、すぐ思ったんですけど、大体僕は町を歩いていて『下を向いて怖い顔をしているか、にやにやしてるかどっちかだ』とよく人に言われたんですね。『どっちの時も話しかけ辛い』って言われるんですけど☆最近は『散歩に連れてって』と言われて、ちょっと嬉しかったりします」美「そういう風に新しい世界がふわあっと広がってきてるんじゃないかなと思ったの」宮「子供が生まれたというのは関係なく、もっと前からなんですけど、いい話教訓とかはあまりにも自分の中で関係なかったものなので、新鮮だったんですよね。自分で書いていて、自分がやってきたことのないスタイル、ちょっと気持ちがあったかくなるようなせりふとかを書いた時に、すごく恥ずかしいんですけど何か『服を脱いだな』みたいな『人の家で靴下を脱いだ』みたいなリラックスした感じですかね。若い時、20代の頃は何か作品を書くということに対して『こういう風に書いたら、人にこう思われるんじゃないか』とかそちらの方が先に立っていて、集中できていなかった部分があると思うんですけどちょっといい話を書いたりして台本を送った時にそれを読んだ人から『いい話ですね』なんて言われたら『ちょっとうれしいな』みたいな。『ちょっと今、足崩していいですよ』と言われたみたいな感じが、ちょっとありますね」国「それはいつ頃からですか?」宮「やはりドラマをやりだしてからですね」美「それとね『自分がエキセントリックでないといけない』とかね、自縄自縛で自分の殻とかタイプとかスタイルを、自分で縛って作りあげていて『そうじゃない自分というのは気恥ずかしいし、ちょっと許せない、格好悪い』そういうものとせめぎ合っていらしたのがね、箍(たが)がフッと外れた瞬間に『あ、こういうエリアも自分の一部であるんだから、認めればいいじゃないか』とフッと楽におなりになったのね」宮「そうかもしれないですね」国「今はどんどん脱げていっている感じですか?」宮「いや…もうこれ以上脱いだらね☆長瀬君になっちゃいますからね☆『そろそろ服、着てください』みたいなことを言われても☆」美「自分はこれだけの、例えば『100坪なら100坪の土地だ』と思っていたのが測量してみたら『こっちの10坪もある』『こっちも5坪ある』どんどん広がっていって『これも自分、あれも自分。自分の可能性ってもっと大きかったんだ』それを発見してゆくと、面白いですよね」宮「そういうのを実感したくてやっていたりとか…」美「いえ、人間ってやっぱりね、生きてくるとだんだん自分自身も世の中も見えてくるんですよ。相手の気持ちもわかる、自分の立場もわかるいろんなことが見えてくる。年を追うごとに見えてくるんですよね。そうすると『自分はこうでなきゃいけない、こういうタイプじゃないといけない』と思い込んでいたのが実は『これも自分、あれも自分』自縄自縛が取れてくるんですよ。そうするとどれもこれが全部、自分の一部なんだから、どんどんと広がってゆくんですよね」宮「そうかそうか…そういう時期なんですかね、今…」美「人間はどんどん成長して、太ってゆくんですよね」宮「へえー」美「太ってゆくんですよね☆」江「…(横を向かれ)☆」国「すごいパスを今…☆」現在放送中の「未来講師めぐる」には、江原さんと美輪さんに関するセリフも。「宿命と運命」のキーワードも使われる模様です☆【スピリチュアルメッセージ】☆ 未来が気になるのは、運命という「型」を気にするから。宿命は素材、運命は料理。あなたという素材は決まっていますから、あとは料理次第。運命は変えられるのです。【オーラの言葉】☆ 「自分はかくあらねばならぬ」という思い込みは、自縄自縛の落とし穴。人間は年を追うごとに、世の中も自分のことも見えてくる。自分の可能性の大きさを発見できる。読んでいただいてありがとうございました。次回のゲストは、難病を乗り越えて、先ごろご出産された間下このみさんです。 ***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 6, 2008
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今夜9日のゲストは間下このみさんですね☆***TOKIOの長瀬智也さんとはお仕事をよくご一緒されるそうで「真夜中の弥次さん喜多さん」の撮影中にはこんなエピソードも。長瀬さんの言葉「地方で泊まりのロケだったんですけど、ちょっと驚かせようと思ってあの…洋服を全部脱ぎまして☆宮藤さんの部屋に先に入ってカーテンを閉めた状態で窓枠に裸でへばりついていたんですね。疲れ果てた宮藤さんが普通に部屋に入ってきて、荷物を置いて、普通に寝たんですよ。寝た後に僕がカーテンをバッと開けて『お疲れでしたー!』と言ったら宮藤さんが普通に『お疲れ様でした』って裸の僕に言ってきたんですね。意外につまらないリアクションするなあと思って☆」***国「これ長瀬君が体を張って☆」宮「本当に申し訳なかったです☆」国「どんな状況だ?という話でもあるんですけど、長瀬くんの」宮「そうなんですよ。その日は結構シリアスな状況だったんですよ。『明日の撮影、できるかな?』雨が降っているわで。夜中の一時を越していてみんなスタッフも疲れていて、僕も疲れてそのまま、バタンと倒れたんですよ。そうしたらガラッと開いて全裸で『お疲れ様でした!』と言われて『お疲れ様でした』…その後に『あ、そういえば僕、今日は長瀬君にTシャツ上げようと思ってたんだよな』と急に思い出して、鞄から『長瀬君、Tシャツ』と言って…しばらくたって『あれ?!』すごくびっくりしたんですけど。その後『長瀬君、ごめんね』ってすごく謝りましたね」美「でも長瀬君の出ていた落語の…転換の仕方とかね、ポーンと飛んでみたりとかあれは宮藤さんの中で計算し尽くしてやっている部分とものすごい勘でふと閃いてやっているのと、両方が交錯しているような感じがするんですけれどね」宮「そうですね。自分は結構、調子が良い時とかは、その二つが。勘も冴えているし、計算もよくできる。冴えているときは、どちらも上手くゆきますね。ただ、どんよりした気持ちの時とか、場所によっては全く集中できなかったりもするので」国「それは部屋だったり…」宮「後は状況ですかね…僕はあまり集中して同じ場所で仕事ができないんですよ」国「家で書くとかそういうわけではないんですか?」宮「違いますね。喫茶店、マンガ喫茶とか、入れ替わりが激しいところで書いていることが多いですね。自分の部屋で『ものすごく仕事がはかどるな』と思ったことはないですね。何ででしょうね?」国「これは何かあるんですか?書けない理由とか…」江「あります」宮「来たぞ…☆」江「今からもう話しちゃいます?」国「ちょっとじゃあ、後に取っておきましょうか☆」宮「待ってください…☆」「タイガー&ドラゴン」の長瀬さんの役どころは、落語家に転身したヤクザ。「ゼブラーマン」では相川翔さんが、コスプレ好きの教師からスーパーヒーローに変身。いつも意表をつくアイディアで演じる方々に刺激を与えておられます。相川さんの言葉「もう倒れましたよね、おかしくて。あんなに脚本で笑えるのも久しぶりでね…なにか凄まじい才能だなと思いましたね」現在放送中の「未来講師めぐる」の深田恭子さんの役は満腹になると人の未来が見えてしまう塾の講師。深田さんの言葉「一話で、カステラを丸ごと一本食べるんですけどみんな本当はやってみたいことなんじゃないかなって。絶対やっちゃいけないことだけど、できたこととかが貴重な経験だなと思いました☆」***国「発想はどういうところから生まれて来るんですか?」宮「どういうところですかね…ゼロの状態から第一歩を踏み出す時は完全に勘に頼っていますね。『タイガー&ドラゴン』落語のやつも『長瀬君が高座に上がって、しかも話が全然面白くない』っていうのが面白いなと思って…」美「いえ、その発想自体が計算なの。逆転の発想だから。『まさかこの人がこういうことはしないだろう』というものの積み重ねだから。意外性の、どんでん返しなの。それは計算ですよ。子供のようなところがおありになるから、子供のいろんな妄想とか空想とかを持っていながら、今の計算がピュッと結びついてしまうんですよね」宮「ちょっとわかる気がしますね…」江「全然、違うことを言ってもいいですか?トイレにフッと入っていっちゃうところが見えるんですよね。ちょっと奇妙でさほどもよおしていないのに入られたり、意味のわからない行動を取られる。宮藤さんの魂のテーマは、全て『型』なんですよ。『型があるかないか』これが全部のポイントなんです。オーラの部分でもすごく繊細さが現れていて、あんなに愉しいことをなさったりする方なのにブルーなんです。だから常に冷静で、自分のことをいつも『自分はこういうやつで、ああで…』ってすごく観る…ものすごく繊細で神経質。人と会うにも何処の空間にいるにも全然落ち着かない。落ち着かないとトイレとか自分だけの空間に入ってため息をつく。人と接しているのは愉しいけれども、ものすごく疲れる。その連続の中で、時々頭の中がハレーションを起こすみたいなね。時々『あ゛ー』って変な声を上げているのが聞こえるんですね☆生活の中で」宮「びっくりしました、今☆よくやってます」江「密室の中で『あ゛ー』とか、捨てゼリフとか、自分で何か吐き出したいことをそこで吐き出して『王様の耳はロバの耳』みたいなものでね☆それで出て行って、違う自分を演じてみたり…まず自分で自分のことを脚本家として『自分の今日の動き』を決めているというか…」宮「はいはい…」江「現場の雰囲気でも、撮影の中でも『今、こんな状況になっちゃったから明日の俺はこういう風な自分ということでやっていこう』という脚本を自分で書くんですね。だから日替わり弁当のように、今日の宮藤さん、明日の宮藤さん、違うと思うんです。その現場の状況に合わせて」国「どうですか?まるきり言われている通りの行動を取りますか?」宮「ええ…割とそうですね」江「不思議なもので、自分で型に入れていたりするんですね。でも、型が大嫌いなんです。さっき言ったように、ドラマでも絶対型にはめるのが嫌なんです。だから時代劇なのに、バイクが出るとか、絶対にあり得ないこととかに込めてゆきたいわけですよ」美「意外性…」江「意外性。さっきからお話をうかがっているときに、実はずーっと私ちょっと抜けさせていただいて…☆」宮「いたじゃないですか☆」美「いえ、いなかったの☆」江「あの…幼い時分から見ていて『自分って何か型と違うな』『型にはまっていないな』お父さんが厳しかったとおっしゃるけれども、お父さんの中の厳しさは全て『型』なんですよね。『こういった時にはこう返事をするものだ』『こういった時に何故お前はこれを言えないんだ』これをずーっと言われ続けていて。けれど決して、本当に厳しいお父さんじゃないんですよ。『型』に対してすごく厳しい人で、それがちゃんと理解できていないものだからお父さんという存在があるだけで、常に責められている気がするんですよ。言われていなくても、ただその存在だけで。その切替のきっかけのひとつは、大学に行かれた時でしょうね。『自分自身はこれをやりたい』と決めた時に、『型』からのひとつの脱却。だって空気から言ったら、悪いけれど芸術方面に行くというのはお父さんにはちょっと言いにくいところがあった。要するに、お父さんは『型』をすごく大事にする人だから『そんな学部に行って、就職どうするんだ?』みたいなね」宮「まあ、そうですね。まさにその通り」江「大学に行ったという時点で、まず1回目の脱却。辞めた、第2回目の脱却。もうどんどん、脱いでいったわけですよね、『型』というものを」宮「そうですね…今、『服を脱いだ』とおっしゃいましたけど、そういう感じでしたね。せいせいしたというか『大学辞める、どうしよう』とはならなかったんですね。『何とかなるんじゃないかな』と思いながら、多分それは悶々としたところから抜けたからかなって思うんですけど」江「奥さまの言葉が何故光ったかというとね、『型がない』からなんですよ。『じゃあ、辞めたらいいんじゃない?』常に型のない人なんですよ、奥さんて。じゃあその大元、どうしてそういう人生になるのかということへ行くんですけど一番象徴的に見えてくるのが欧州でね、フランスとかそっちの方じゃないかと思うんですが貴族なのか立派なお家で、ちょっと田舎なんですね。田舎の領主みたいな、ある程度立派なお家なんですよ。けれども、とにかくご自身がそのときも『型』が駄目だったんです。そのときに長男で家を継がなくてはいけない、一家、一族を背負っていかなくてはいけない。乗馬や剣や、あれもこれもとやるのが大嫌い」国「それは親がやらせているんですか?」美「しきたりだから。だって貴族は全部、狐狩りから何からそれも貴族の資格の一つに入っているわけなの」江「『自分はこの家に生まれてはいけなかったんだ』という悔やみまで感じて。『自分は駄目』と最初から投げているんだけど、許してもらえない。要するに『そういうわけにはいかないだろう。お前の根性を立て直してやる』立て直すも何も『駄目なものは駄目』と言っているのに…そういうわけで、結局全ての魂のテーマが『型』」国「どうですか?」宮「何か『型』ということを言われて、すごく今『ああ、そうなのか』と思いましたね。納得いく部分は確かにありますね」江「『こうでなければならない』という…」美「『ねばならならぬ』が大嫌い」宮「そうですね。『何でだろう?』と思っちゃうんですよね。『何でそれをやっちゃいけないんだろうな』とか、『これ何でですか?』とか『あ、そうか、そういうことか』とわかったりしても、何かどこかで納得いかなかったり…めんどくさい人ですね☆」江「いえ、そうは思わない。むしろわかりやすいと言えばわかりやすい人で『型』というテーマを知れば。そのテーマがあったから、その戦いがあったから表現すること、作るという仕事の上で華が咲いていると思うし。だから無駄になっていないと思うんですよ」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 5, 2008
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エンターティメントの世界で大活躍される方がゲスト。【スピリチュアルチェック】☆ 自分の性格をひと言で→短気です、せっかち。☆ 毎日欠かさずすること→家族、特に奥さんに「ありがとうございます」って心の中で言います。☆ 好きな言葉→低姿勢☆☆ 人生の転機→大学を中退した時。☆ 充実感を感じる時→ドラマとかのシナリオを書いて「これで、OKだな」と思って頭に戻って1番から数字を、1、2、3、4...とシーンナンバーを振ってゆく時に一番「あー終わったー!」って思いますね。宮「すみません、僕、あまりにも緊張したものですから、カメラじゃなくて照明を見ていたので、もう…何も見えない…☆」国「いろんなゲストの方がみえましたけれども、相当、挙動不審でしたよ☆」宮「すみません…今朝まですごく楽しみだったんですよ、番組に出るのが。来る途中ですね『駄目だ…』と思って…すごく帰りたいですね」国「宮藤さんから見てどうですか、このオーラの泉という番組は?」宮「僕自身、ほとんど霊感とかもないですし、見てもらったこともないですしものすごくまっさらな状態なので…よろしくお願いします☆」美「面白い☆」国「まさに低姿勢☆美輪さんとも初めましてですか?」宮「あの…一方的に。昔、ジャンジャン(渋谷ジャンジャン 1969-2000 公演通りにあった小劇場)っていう劇場で…」美「ずっと出ていました」宮「歌っていらっしゃったのを僕は観させていただきました」美「どうもありがとうございます」宮「年下の男の子と付き合っている歌(人生は過ぎ行く 作曲:J.Hoimes 訳詩:美輪明宏 編曲:池多孝春)があるじゃないですか。あれがすごく好きで…」美「そうですか」宮「年下の男の子と付き合っている美輪さんが☆ストーリーで最後、飛び降りるんですよね」美「そうそう。男に捨てられてね」宮「♪飛び降りるわよ!…暗転…みたいな☆」美「よく覚えていらっしゃる☆何かのインタビューでね『会いたい女性は美輪明宏』っていう風におっしゃったっていうのね」国「それは覚えていますか?」宮「はい、言いましたね。もしかしたら、この番組をやられてからかもしれないですね」国「お話がしてみたいとか?」宮「お話してみたいですけど、怖いことは言われたくない、みたいな☆」大学在学中に「劇団 大人計画」に参加、大学は中退し、その後はエンターティメントの世界で生きることに。国「それで人生の転機が、大学を中退した時ということなんですか」宮「そうですね。大学から『復学届』と『休学届』と『退学届』を三枚もらってきてずーっと見てたんですよ。『どうしようかな…』その時に、今のうちの奥さんが『辞めちゃいなよ』って言ったんですよ」国「奥さんはどんな方なんですか?」宮「もともと知り合ったのは『大人計画』の芝居に、僕が最初は演出助手という立場で関わった時に、劇中で踊るダンスとかの振り付けをしてくれた方なんですよ。僕の映画とかドラマも最近、よくやってもらってます」国「大学を辞めるきっかけになったのは奥さんが…」宮「何かこう、踏ん切りがつかない時に言ってくれたので『そうか…』と思って退学をしたんですね。後々聞いたら、うちの奥さんは同じ大学をちゃんと卒業してたんですけどね☆それで、親に一応、報告するのに電話じゃ軽いかなと思って『もう、僕は仕送りをいただかなくても結構です』みたいな手紙を書いて…まあ、テンションが上がっていたんでしょうね『大学、辞める俺、ちょっと格好いいぞ☆』みたいなのもあって『もっと格好良くしてやれ』『仕送りはいりません!』って書いたんですよ。その時、何も言わなかったんですね、親も。結構、父親は厳しかったんですよ。教師で、家ではすごく厳しかったです、僕には。でも、厳しいというのも『節分の日に豆まきを何故しない?』とか☆部屋でマージャンなんかをやっていたら、遠くの方からバラバラ!バラバラ!って音が聞こえてくるんですね。父親が豆をまいているんです☆まきながら近づいてくるわけです☆バラバラ!バラバラ!…」国「そういう音がどんどん大きくなってくると…☆」宮「それで、マージャンをしてた卓の上にバラバラ!『なんで豆まきしない!』☆俺も何でそれを怒られたのかな?みたいな…」国「宮藤さんの性格が曲がっていて、そこを直しなさい、とかではないんですね。『豆まきをしろ!』と」宮「大晦日にはみんなで集まって、一年の10大ニュースを読むという行事があるんですね。『お母さん、脚立から落ちる』とか☆そのくらいなんですけど、それが意外とトップニュースだったりしたんですけど☆それに参加しないとなると、ものすごく怒られる。『何で参加しない、10大ニュースだぞ!』」美「それは『しきたりとか、秩序というものは守らなければいけない』ということを教えていらしたのね。宮藤さんも『それは当然だ』と納得なさったから反抗もなさらないし、素直に受け入れたんじゃないですか?」「木更津キャッツアイ」、「ピンポン」、「ガンジス河でバタフライ」など数々の脚本を手がけられるほか「クワイエットルームにようこそ」をはじめ俳優としても活躍、2002年にはミュージシャンとしてメジャーデビューも。国「最初は劇団でお芝居をやってたんですか、役者としてそれとも脚本家だったんですか?」宮「もともと言うと、TVの構成作家になりたくて、ラジオとかが好きだったのでそういう仕事をしたくて出てきたんですけど、大学に入ってコースを選ぶ時に『脚本』というコースがあったので。まあ、短いものですけど、書いて、提出してはやってたんですね。その中で選抜された人だけが受けられるゼミがあって、その試験に落ちたんですよ。『何で落ちたんですか?』と先生に聞いたら『君は、僕がいくら言っても僕の言うことを聞かないから』と言われて…『そんな…別に言うこと聞くのにな…』それで、辞めたんです、もともとは」国「言うことを本当に聞いていなかったんですか?」宮「あのね、びっくりさせることしか考えてなかったんだと思うんですよね、読んだ人を。だから『びっくりするだろうな』なんて思って。いま思うと相当つたないものを書いていたと思うんですけど。脚本家になりたいとかということよりは書いたものを人が読んでくれて面白いと言われることが、すごく嬉しかった。だからラジオに葉書とかを書いていたんですね。夜中のラジオを聴いて、読まれたら夜中の3時位に『母ちゃん、読まれたよ!』と言って☆『う?うん…』」国「お母さんは寝てますからね☆その感動はないですものね、お母さんには」宮「『読まれたよ!』『う?うん…』☆そんなことをやっていたら、知り合いの放送作家の方が紹介してくれてバラエティの作家として仕事を始めるようになって、何だかんだしているうちにドラマも書くことになり…みたいな感じなんですよね」美「でも脚本というのは、文学とかそういうものに縁の遠い生活をしている人がいきなり脚本を書けるもんじゃないじゃありませんか?それはどうなさって、ずっと培っていらしたの?」宮「いや…でも…東京に来てからですね。映画とか、観たことなかったです」美「本は?」宮「本は『世界文学全集』みたいなものが、バーっと部屋にあったんです。『読め』と言われたんですけど、めったに読まなかったですね」国「あっただけであって、子供の頃にすごく読んだとかでもないんですか?」宮「そんなに読まなかったですね。TVばかり観てました、TVはすごく好きでしたよね」続きます。***これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。
February 4, 2008
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クリムトと薩摩切子があしらわれた映像に清々しく流麗な音楽の乗る美しいオープニングから今年はしっかりとオンタイムで観ている大河ドラマ。これまでも、女性が主役の大河はありましたけれどもタイトルロールで、しかも女優さん本人がテーマ曲と共に現れる作品はなかったように思います。金と赤を纏い、恋人たちの足元の花々が咲き舞う中にたたずむ可愛らしくも凛々しい篤姫。お気に入りのタイトルバックです。 昨年、2004年の大河ドラマ「新選組!」をDVDで繰り返し観てなんとか幕末の史実が頭に入ったところで、今度は女性の立場と、薩摩側からみた同時代が描かれてゆくのがなんとも嬉しく、興味深いところ。実家の父が薩摩藩の流れを汲んでいるので「新選組!」の隊士さんたちに惹かれながらも一方でやや複雑な思いを持ちながら幕末の行方を追っていて。どちらかというと反判官、勝てば官軍、強者の立場の薩摩藩出身の志士たちを下積み時代から見られるのでこれまでよりも親近感を持っていただきやすくなると思います。また、流行りの「大奥」絡みを取り上げるところも視聴者の望みに敏感なNHKさんならでは。時代考証も美術もしっかりとした世界をみせてくれることでしょう。 篤姫の宮崎あおいさんは、映画「NANA」やCMで拝見するぐらいだったのですが観る人をひき込むような笑顔と明るい声音がとても好きです。幼い時代を演じられても違和感なく、良家のお姫様の品もあり、かつ男性と渡り合う潔さ賢さも持ち合わせた、よき表現をされていると思います。あっという間にいなくなってしまわれた調所(ずしょ)さまこと平幹二郎さん。「義経」の後白河上皇以来の登場で、爛々と灯る大きな眼で悪役を全て引き受けて立つ役どころがとても素晴らしく、もう少し長く拝見していたかったです。回想シーンでの復活を希望☆家祥(家定)の堺雅人さんは、登場する度に、ついつい子供と「山南さんがうつけ者に…」と言い合ってしまうのですが、実はそうではない、というところも観られてワクワクしました。今後の篤姫との関わりがとても愉しみです☆ 「NHK 篤姫HP」
February 3, 2008
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山本耕史さんの主演ドラマ「居眠り磐音」の続編が今年9月から放送決定だそうです☆昨年、大好評を博した「居眠り磐音~陽炎の辻」。「強く、優しく 美しく」、しかもスキのある、モテる人の条件を全て兼ね備えた罪な方、磐音さま=山本さんの剣豪姿にあまり時代劇をご覧にならない方々も、通の方々も釘付け☆の木曜夜8時のNHK時代劇放送枠でした。放送中から、すでに続編の話が出ていたそうで、取り組む役どころに完全燃焼、全力投球の山本さんの雄姿がまた拝見できますね☆放送枠は、土曜の夜7時30分からになるようです。原作は20数巻も発刊されている人気シリーズ。「陽炎の辻」は原作の6巻までのエピソードが使われたそう。ドラマ放送中は、原作本のフェアがあちこちの書店で目についたので帯がドラマ仕様になっていた本を選んで購入。続編が決まれば、本屋さんに磐音さまがさらに華々しく登場することでしょう。☆ 今回はぜひぜひ、メイキングブックを作って下さい、NHKさま ☆ 「NHK 公式HP」(ドラマページのトップに「NHKドラマが変わります!そしてあの続編も…」とあるのは彼のことですね☆)「山本耕史くんの舞台&映画&ドラマの日記」
February 2, 2008
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自宅でのヨガ教室が無事に始まった一月。これまでの会場が使えなくなったため、お集まりになる方々にとってはやや時間がかかるようになったものの、足を運んでいただいています。昨年、実は2度、会場の変更を余儀なくされました。変更の度に、自宅でのクラスの可能性も考えていたのですが、生徒さんたちとの関係がまだ緊密ではなかったため、時間をかけて来ていただくことに抵抗がありました。2度の会場変更を経て、なおヨガを続けたいという方々をようやく安定した場所にお招きできるようになったこと、双方の関係がより近づいたことに感謝しています。1月は以下の本とのご縁を得ました。三島由紀夫さんの全集の貸し出しを公民館で更新してから、ふと目に入った本。ちょうど法華経をゆっくり読み進めているところなので理解の一助になるでしょう。法華経理解の一助といえば、こちらの著書も。「いろはに法華経」美輪明宏さんの法華経を読み解いた「微笑みの首飾り」と同じ出版元の本を選んでみました。三島由紀夫さんの全集は、ようやく第三巻に突入。分厚い冊子丸々、かの「禁色」です☆今月観賞した映画&絵画展映画 実写版「ベオウルフ」奥田瑛二監督「風の外側」ボストン美術館「浮世絵 名品展」今年も続けているのが「感謝したこと」を手元の手帳に書き留めること。今月のギフト・夫の父の法要が無事に終わったこと。・家族全員、健康でいられたこと。・だいぶ弱ってきたセナ(我が家のワンコ 14歳)が エサを食べられるようになったこと。・ヨガのレポートが完成したこと。・「風の外側」の初日舞台挨拶で、奥田監督を至近距離で見られたこと☆***日常がどんなに喜びに満ち溢れているかが、目で見てもわかり、潜在意識にも教えてあげられる方法。お薦めです☆「今月のギフトの日記」☆ この日記をアップしてすぐに、ヨガ関係のギフトが続けて二つもたらされました。 すべての出会いに感謝します。 ☆
February 1, 2008
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