ヒロヒト(裕仁)たちの残酷な(特攻命令)に、愕然とする・・・・戦争犯罪は 徹底的に追及されるべきだった!! 2026-8-5 はんぺん
戦後の日本は、勝者である 連合軍司令部( GHQ ) の完全管理下に置かれたのは、当たり前の事だった。 勝者が、敗者を裁く ことに、世界 は、異を唱えることは無い。
日本国憲法制定にあたっては、占領軍( GHQ )の強い意志・決意が込められることは、間違いない・・・それを、何を血迷ったのか、 「日本人が、勝ち取った」(福島瑞穂) などと言うのは、 狂気 に近い!!!
「平和憲法真理教」 のリベラルたちが、 「戦争放棄」「非武装中立」「安保反対」「自衛隊反対」 ・・・などと、 間違ったスローガン を 未だに叫び続けていることに、僕は、呆れている・・・と言ってきた。
僕は、一般論としては、当たり前に 「戦争反対」 は、賛成だ。
が、 戦争は、一人で起きるモノでは無いのであって、相手のあることだ・・・
だから、 「非武装中立」「自衛隊反対」・ ・・などで、自分たちを守れるのか?という素朴な疑問に対して、多くの「真理教」の皆さんは、 スルー してきたのだ。
「とにかく平和を!」「二度と繰り返さない」 と叫んでいれば、(戦争)は、無くなるのか? ・・・・無くならない!!
こちらに(戦争を)仕掛ける気が無くても、相手方から、仕掛けられる事態は、いくらでもあるのだ・・・・・
そう、今、日本を取り巻く情勢は、世界でも、超危険な緊張状況の中にある・・・・
超軍事力拡大中の 習近平の中国共産党 は、南シナ海、東シナ海で、威嚇と挑発を 繰り返している。 北朝鮮の独裁者(金正恩) は、国民の窮状には無関心で、核開発、ミサイル開発には、超熱心で、何度も日本海に、ミサイルを撃ち込んできた!!
ロシアの独裁者:プーチン は、日本の北方領土に、新軍事基地を建設し、北方地域の覇権を強めてきた。
戦前のヒロヒト(裕仁)の軍隊 は、侵略の側に立ち、欧米列強と競っての植民地政策を推進してきたが、 戦後の極東では、(丸腰)の日本は、逆に(攻められる)側に、なっている 。この状況の変化をみずに、オウムのように (非武装中立)(自衛隊反対) などを繰り返して、いったい誰が、喜ぶのか? と聞きたいモノだ。
ヒロヒト(裕仁)たちの始めた(アジア太平洋戦争) で、貴重な人生を奪われ、残酷にも(死地)に追いやられた若者たちの (怨念) の事を、良く思う。
もし、彼らが生きながらえることができていたら、この 戦犯ヒロヒト(裕仁) に対して、何を思うだろうか?
「人間の命を機械の一部品として使うような兵器」である「桜花」(本文)・ ・・・・・ 殺された特攻兵たちの肉親・遺族 は、 ヒロヒト(裕仁)たちの戦争犯罪 を、決して許さなかった事だろう!!!
皆さんは、どう思われるか? はんぺん
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戦争末期の日本軍が作ろうとしたのは「人間爆弾」だった…「いったい誰を乗せるんだ」 31 歳軍人が口にした “ 驚きの人物 ”
『ドキュメント 軍人たちの戦後』より 神立 尚紀 2026 年 8 月 4 日 文春オンライン
「誰を乗せるんだ」―― 1944 年、戦局悪化の日本軍で設計者に提案されたのは 命を機械の部品とする衝撃の兵器 だった。怒声混じりの設計者の問いに、発案者である日本軍人が口にした「驚きの人物」とは?
これまで 500 人以上の元軍人・遺族にインタビューをしてきたジャーナリストの神立尚紀氏の新刊『ドキュメント 軍人たちの戦後』(小学館)より一部抜粋してお届けする。(全 2 回の 1 回目/続きを読む)
「人間爆弾」と呼ばれた特攻兵器「桜花」 (写真:筆者提供)
◆◆◆
戦況悪化の日本で生まれた 「人間爆弾」
31 歳の大田正一少尉が、 「人間を乗せるグライダー爆弾」、 のちの桜花の素案をもって、海軍航空技術廠(空技廠)を訪ねたのは戦局が悪化の一途をたどっていた 1944 (昭和 19 )年 7 月のことである。
空技廠は、横須賀市の追浜に本廠、横浜市の金沢八景に支廠を置き、 2000 名の職員と 3 万 2000 名の工員を擁する、海軍の航空機開発、実験をつかさどる組織である。
桜花の機体設計を担当した三木忠直技術少佐が戦後、書き残したいくつかの手記や、元空技廠の技術大尉だった内藤初穂が三木に取材して書いた 『極限の特攻機 桜花』(中公文庫) などによると、大田が 「グライダー爆弾」 の素案をもって空技廠に現れたときの模様はおおよそ次のようなものだった。
海軍航空技術廠長の和田操中将から設計課主任・山名正夫技術中佐のもとへ、「グライダー爆弾の案を持ってきた者がいる。説明するから廠長室に来い」との電話が入った。山名は、新型機の設計を担当する設計課第三班長だった三木少佐をともなって、和田中将のもとへ赴いた。三木は当時 34 歳。双発の陸上爆撃機銀河の設計主務者として、急降下爆撃、水平爆撃、雷撃(魚雷攻撃)をこなす高性能かつ流麗な機体を生み出したばかりで、その手腕が高く評価されていた。
新型機の研究、開発の仕事に多忙をきわめていた三木は、「どうせまた、すぐには実現困難な案にすぎないだろう」と考え、あまり気乗りしないまま廠長室に向かった。無人のグライダー爆弾の構想はこれまでにも何度か浮上してきたが、問題はその 誘導装置 である。無線操縦をはじめ、目標に照射した光線のなかを飛行させるとか、熱線や超短波に感応して自動照準で目標に命中させるなど、さまざまなアイディアが出され、なかには実験室レベルで成功した例もあったが、いずれも実用化にはほど遠いシロモノだった。
廠長室には、和田中将と向かい合って大柄な男が座っている。差し出された名刺には 「海軍少尉 大田正一」 とあり、右肩のところに「第一〇八一海軍航空隊」とペン書きで添えられていた。
「そんなものがつくれるか!」
和田中将にうながされて、大田が鉛筆書きの設計図を広げる。そこにはプロペラも脚もないグライダー爆弾の姿が描かれ、頭部と尾部からのびた引出線の先には、それぞれ「爆薬」「ロケット」と記されていた。さらに図面の隅には、 グライダー爆弾を双発の攻撃機(一式陸上攻撃機)の機体に吊るした図 が添えられている。 一式陸攻で運び、敵地上空で投下する ということのようだった。ここまでは、従来出された案と比べて目新しいものはない。
「それで、誘導装置は?」
やや辟易しながら、三木は訊いた。
「人間を乗せます」
大田は答えた。
「なんだって?」
三木は思わず声を上げた。大田の説明によれば、 一式陸攻で敵艦の近くまでグライダー爆弾を運び、人間が乗り込み、投下する。あとは滑空しながら搭乗員が操縦し、ロケットを噴かせて敵機の追撃をかわし、一発必中で敵艦に体当りする 。つまり、 人間が誘導装置になる のだという。
たしかにこれなら、誘導装置の問題は一挙に解決できる。だが本来、 技術は人間を助けるためのものであるはずなのに、 人間の命を機械の一部品として使うような兵器 をつくるのは技術への冒瀆だ、 と三木は感じた。
「なにが一発必中だ。そんなものがつくれるか! 冗談じゃない」
憤然として首を振る三木に、和田中将が、「技術的な検討だけでもしてあげたらどうか」ととりなす。三木は大田に、「体当りというが、いったい、誰を乗せていくつもりだ」と疑問をぶつけた。
「私が乗っていきます、私が」
気迫に満ちた大田の答えに、三木は不意をつかれた思いがしたという。
つづく・・・・・・・
(神立 尚紀/ Web オリジナル(外部転載))
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