NHK「龍馬伝」は高視聴率を誇っています。しかしその半面、どうにも好きになれないと言う人もたくさんいます。
私もその一人です。数回観ただけで観る気が失せました。それが何故なのか、考えてもよく分からなかった。福山雅治のきれい過ぎて線の細い配役が気に入らないというだけではない、何か別の理由があるという思いがあった。
それが、朝日新聞5日の「意義あり」というオピニオン記事で、高知出身の精神科・評論家である野田正彰氏が「龍馬伝」について、インタビューに答えている記事を読んで合点が行った。
”「龍馬」崇拝は成熟拒否”だと言うのです。本来、人は年齢を重ねるとそれなりに成熟して行かないといけない。なのに青春像にしがみつくのは人格的に未熟だからだという。
脱藩の自由他人、時代の先見性、大胆な行動力。それらは青春という言葉に込められている。企業経営者が好きな サムエル・ウルマンの「青春」 にしても、青春を持ち続けることを理想とするのは「成熟拒否」以外の何者でもないと言うのです。
私も、龍馬が好きで「龍馬がゆく」も読んでいるし、龍馬のポスターを部屋に貼ってあった時期もあった。それはやはり若いころの事で、龍馬に心酔していたのも事実。日本中を「体験旅行」と位置づけて、一年間の放浪生活をした経験はその気分と重なっている。
それは若気の至りというやつで、麻疹みたいなものです。誰でも罹るんです。
「龍馬伝」を観ていると、リアリティーがあまり感じられず何だか落ち着かない。
青年たちの多くがこのドラマを観て感動するのは分かる。青春の血をたぎらせて武田鉄矢のように私淑する気持ちで見入っているのもわかる。が、青年たちだけでは高視聴率は稼げない。福山雅治の人気と大衆受けする演出が奏功しているのか。
ちょっと前の大河ドラマはもう少し骨太だった。ドラマそのものに重みがあり、説得力があった。
あの市川海老蔵が演じた「武蔵 MUSASHI」あたりからつまらなくなった。視聴率重視のドラマ創りが前面に出て、人間を描くという観点が薄くなってきたように思う。
見せ場と展開で面白くしようとするため、どうしても人物の掘り下げが甘くなり、人間が描ききれないまま上滑りしている。
巷では、龍馬龍馬で大騒ぎ。しかし、地元では史実と違いすぎると、冷めているらしい。龍馬が長崎で武器を大量に買い付けている事実があるのに、「列強は日本を植民地化しようとしている、だから幕府を倒さないといけない」と、ドラマの中で何度も言わせている。
しかし、実際には、龍馬が植民地化への危機感を持っていたという史実はない。そういうウソが番組の中にメッセージとして込められていると言う。明治時代になって、龍馬が軍国主義に利用されてきたことを指摘し、それを危険な事だと野田正彰氏はいう。
また、理想化した人物と世俗的な自分の生き方が、一人の人間の中でファンタジーのまま共存すると、人格の自然な統合が出来ない。人格が分裂してしまう恐れがあるとも言っています。
♪ イクメンの剣取られていそいそとおむつ替えつつ龍馬伝みむ
「成熟拒否」はまさしく今の世相を反映しているように思う。
出世欲がなく、適当に安定した生活を求め、あまり高望をしない。青春という、社会で甘い扱いを許される位置に留まり、漠然とした夢を観るでもなく見ている。
現実逃避と、無い物ねだり。それと、夭折へのあこがれ。
それをマスコミがこぞって煽り立てているというのが、今の日本の実情でしょうか。
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