PR

×
Dec 20, 2008
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
先日センターに行ってきました。


家が近い事や友人が勤めているので、時々顔を出しに行っているのですが、
12月の為かそこには放棄犬であふれかえっていました。


30センチ近い乳腺腫瘍ができた犬は治療費が払えないと持ち込まれたそうです。
撫でてあげると、もっと撫でてと頭を擦りつけて甘えてきます。


ダックスとプードルのミックス犬を持ち込んだオヤジは
帰り際に子犬舎を見て、「1匹貰おうかな」とホザイタそうです。

そのダックスとプードルのミックス犬を抱き上げて言葉を失いました。
フワフワした愛らしい外見からは想像ができないほど、骨と皮でした。


ご飯はほとんど貰っていなかったのでしょう。
私が手からごはんをあげるとバクバクと食べ始めました。
これって虐待です。
虐待した犬をセンターに持ち込んでしまえば、罪に問われないのでしょうか?????
許せません。


老犬のマルチーズも持ち込まれていました。
意識ははっきりしているものの、足が悪くもう起き上がる事ができません。
それでも立ち上がりたいと、一生懸命立ち上がろうとしては
倒れ、這って移動していました。
本当に可愛い小さい子で赤い服を着せられていました。
お部屋には毛布が用意されていましたが、

あまりにもかわいそうなので、手で支え立たせてあげたり、沢山撫でてあげました。
こんなに生きているのに、こんなに愛らしいのに
最愛の飼い主に最後に裏切られ
持ち込みの為翌日には殺処分されてしまいます。


本当にゴミを捨てるかのごとく

理由は医療費が払えないから
引っ越しするから・・・・・
取ってつけた言い訳をしています。
もう飼いたくないだけなんでしょ!?
理由は後からつけています。
自分を正当化する飼い主。虫唾が走ります。
高度治療を受けなくても、愛情いっぱいで看病すれば、それはそれで良いしと思います。
引っ越しするのであれば、最初からペット可の物件を探せば良いだけです。


昨日再びセンターに行くと
数日前には収容された犬達でひしめき合っていた部屋が
何室も空室になっていました。


これがセンターの日常です。

013.JPG
_______________________________


wanlifeの代表の方のブログで、是非とも読んで頂きたい記事があります。

転載はブログ管理者に許可を得ています。


森絵都さんの『君と一緒に生きよう』と言う時期で、2008年9月9日まで、毎日新聞に連載されていたそうです。




君と一緒に生きよう ~最終回~

『救われない命たち』 

8月の末、私はこの連載最後の取材として某施設を訪ねた。捨て犬や迷い犬が収容されるセンター、俗にいう保健所だ。

人との出会いで救われた犬の話を伝えつづけた1年だった。が、それはごくごくひと握りの幸運な例にすぎず、大多数の捨て犬は救済を待てずに死んでいく。その現実に直面しつづけた1年でもあった。

私はもう1年前のように単純な気持ちで、犬との生活を人様に勧められない。簡単に犬を飼う人は簡単に捨てる。飲み物に毛が入るから、との理由で犬を手放す飼い主がいる。不妊手術をしていない飼い犬に何度も子犬を産ませ、そのたびにセンターへ持ちこむリピーターがいる。そんな話を聞きすぎた。

人間の気まぐれで飼われ、捨てられ、センターへ収容された犬はどうなるのか?

最後にそれを伝えてこの連載をしめくくりたい。

犬の不幸を書くのはつらい。読むのもつらいと思う。無理強いはできない。けれど、できれば目をそらさないでください。これは遠い世界の惨事ではなく、私たちの社会の片隅に常にある茶飯事なのだから。

その建物は人気のない土地にひっそりとあった。足を踏み入れると、敷地内の空気は重かった。これは私の感傷のせいかもしれない。

午前9時半、センター職員の案内で犬の収容場所へ通された。どうか、いませんように。祈りもむなしく、檻(おり)の中には多くの犬がいた。恐怖で表情を失っている犬。所在なげに徘徊(はいかい)している犬。尾を振り寄ってくる犬。その多くは飼い主に捨てられた犬たちだ。中には首輪をつけた迷い犬もいるけれど、飼い主が現れる犬は全体の2パーセント程度にすぎないという。

だから、死んでしまうのだろう。今日ここにいる犬たちも、飼い主が迎えにくると信じたいけれど、そう信じて救われるのは私だけだ。実際問題、彼らは数日後に葬られる。その現実を噛(か)みしめながら、1頭1頭の姿を瞳に刻んでいく。

歩みを進めるにつれ、檻の中にいる犬たちに残された時間は減っていく。収容されたばかりの犬は一番手前の部屋に入れられ、日を追うごとに奥へ、奥へと移動させられるのだ。収容期間は自治体によって異なるが、最も奥の部屋へ行きついたその日が彼らの命の果てるときだ。

奥へと進むほどに私の足も重くなる。鼓動も速まる。殺処分の時刻が近づいていた。

犬の保護に携わる方々のお陰で今回は特別に許可が下りたが、通常、殺処分の現場へ部外者は立ち入れない。どこのセンターでも見学できるのは死の一歩手前までだ。理由は「規則だから」の一点張りで、なぜそのような規則があるのかと尋ねたところ、「あまりにもショッキングで見せられないため」との声も返ってきた。「あまりにもショッキング」な方法で犬たちは殺されているわけである。

その日、処分対象の成犬は12頭いた。どの犬も元気で若々しく、毛並みもきれいで飼い犬となんら変わらない。彼らだって捨てられるまでは誰かに飼われていたのだ。今、この瞬間も飼い主が迎えにくるのを待っているかもしれない。

しかし、迎えは現れない。死へ直結する最後の部屋にいた彼らは、リモート操作で動く壁により、否(いや)応なしに通路へ追われていく。

最後までいやがり、逃げまわっている白い犬がいた。白熊(しろくま)みたいにもこもことした中型犬。人懐っこそうなその犬も、ついには通路へ追いやられた。今度は通路の壁が動き、12頭をガス室へと誘導する。人の手を一切介することなく、彼らは処刑場に収納された。

ガス室はステンレス製の四角い箱型で、側面にはのぞき窓がついている。その窓から見える12頭は皆、ひどく混乱しておろおろとしている。ここはどこ? 何が始まるの? 恐怖と不安で息が荒い。

炭酸ガスの注入が始まると、ますますその息は荒くなる。そして彼らはがくがくと痙攣(けいれん)を始める。1頭、また1頭と倒れていく中で、さっきの白い犬が窓ガラスを隔てた私たちの存在に気づいた。助けを求めるようにやってくる。最後の力をふりしぼって窓ガラスに前脚をかける。目が合った。死にたくないと全力で訴えている目。

ごめんね。私には心で謝るしかできなかった。ごめんね。助けてあげられない。あなたの名前もわからないから、誰にも伝えてあげられない。

これだけ鮮明な死を前にして何もしないのは、私が殺しているのも同然だ。そう思いながら犬たちの絶命を見届けた。

炭酸ガスの注入から数分後には、どの犬も動きをなくしていた。苦しみ、あえぎながらみんな死んでしまった。

「なぜせめて安楽死をさせてやれないんだろうね」

殺処分から十数分後、職員のひとりがガス室に入り、12頭の臨終を確認していった。1頭1頭きれいに横たえ、両手を合わせるその目は濡(ぬ)れていた。

「毎回、涙が出る」

多い日には30頭以上が処分を受けるという。それが日本各地のセンターで毎朝くりかえされている。一方でペット産業は大いに栄え、インターネットのオークションでは1円から犬が取引されている。

この社会は果たして健全だろうか。私たちは子供に「命を大切にしましょう」と言えるのか。

生きたい。そう叫んでいた犬の瞳を脳裏に焼きつけ、今後も考えつづけたい。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  Dec 20, 2008 05:14:14 AM
コメント(5) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: