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「キリストとは何かを、ヨハネ福音書の立場からいえば、キリストとはロゴスのことです。ところが、そのロゴスは、実は一人ひとりの人間の中で言葉として存在しているのですから、そもそも音声を発して言葉を互いにやりとりするとき、実はその中にキリストが生きているのです。
しかし現在の私たちは、言葉でそういうキリストの生命を共有している、とはまったく考えていません。言葉は一種のヴェールのように、魂を覆い隠す手立てにさえなっています。
政治家の言ってることを聞いていると、ひたすら本音を隠すために言葉が使われている、としか思えません。
ヨハネは、今はそんな言葉になってしまっているが、本来は言葉の中にキリストが生きている、ということを言いたいのです。ですから、「初めに言葉があった」のです。
現代人が言葉を粗末にするに応じて、キリストもしくは神が人間から離れていくのです。従って、ヨハネ福音書の思想は、人間が言葉との関係を取り戻すための思想です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・途中略・・・・・・・・・・・・・・・・
シュタイナーが「キリスト衝動」と呼んでいるのも、それに関係があることで、本当の言葉の意味を自分の中に生かすことは、キリストの衝動を生かすことになる、という教えです。 シュタイナーは、この問題を、二十世紀の宗教の本来の問題として提示したのです。
オウム真理教の問題も、このことの関連で考えてみたいのですが、オウム真理教は、ある意味では、悪の問題と霊性の問題とがどんなに不可分な関係にあるのかを、痛ましいほどに示してくれました。
オウム真理教にとって、言葉がどんなに無意味なものだったかは、どんな嘘でも平気でつけたことの中によく現われています。徹底的に嘘をつき通したわけです。
例えば、「われわれ仏教徒にとって、一番基本的な教えは、五戒であり、その中に、不殺生、不妄語が入っているから、人を殺したり、嘘をついたりできるはずがない」と主張したのです。
そのように、あまりにも信じられないくらい徹底して嘘をついたので、他のほとんどの人が、学者や評論家を含めて、判断を間違えてしまいました。こんなに見事に嘘がつけるはずはない、と思ったのです。ですから、坂本さんの事件のいきさつをたどってみても、嘘があまりにも見事だったので、警察の司法関係者も、その嘘に引きずり廻されたのが、初めの頃の段階でした。
言い換えると、言葉という宇宙叡智を徹底的に否定し、冒涜したわけです。 そういう宗教が、現代において有力な力をもち、魅力をもっていたということも、大変ことです。
言葉に対する絶対的な信頼、絶対的な畏敬の念がないままに、宗教生活が成り立っていること、それが現代のもっとも危険な精神状況を示しているのではないでしょうか。」
高橋巌(シュタイナー研究家)
※統一教会は、神の摂理を進めるためなら「嘘も方便」で様々な嘘をついてきました。
つまり、 言葉(キリスト)という叡智を徹底的に否定し、冒涜しているわけです。
そのような宗教に、果たして神は働いているのでしょうか?
東京シュタイナーシューレ2期生の斉藤工君 2011年01月10日 コメント(8)
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