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道の途中、ひとりの男が倒れていた。そしてうめいていた。
「頼む、食べるものをくれ」
「わかった。いま助けてやるぞ」
私はもっていたパンを彼に与えた。男はむさぼるように食べた。そしていった。
「頼む、もっとくれ」
私はすべてのパンを与えてしまったので、もうないといった。すると男はいった。
「うそを言うな! 本当はあるんだろう! 助けてやるぞといったじゃないか。あれは嘘だったのか? この偽善者め!」
男はそう怒鳴ると、立ち上がってふいと去っていってしまった。
私は空しい気持ちになった。自分のすべてのパンを与えたのに、感謝されるどころか、偽善者呼ばわりされるとは、いったいなぜ、善意があだで返されるのだろう。なぜ報われないのだろう?
すると、二人の天使が舞い降りてきた。そして、右の天使がいった。
「もしも、善意を施したのだから報われなければならないと憤慨しているのなら、それは取引なのであって、善意ではありません。もし人生が、善意に対して必ず報われるのだと決まっているのなら、人は自分の報われに対して、それは自分の施した善意のためだ、自分がいかに善人かを証明するものだと、自惚れてしまうことになります。これでは、自分が善人であることを認めてもらうために慈善活動をする偽善者と変わりません。これでは、人間が取引という二元性から解脱して、一元的な愛の境地に目覚めることはできないでしょう。真の善意は、いかなる結果も問いません。ただ、無条件に与えるだけです」
続いて、左の天使がいった。
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