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[いのちのゆくえ]
死ぬと、生命は体から離れる。死の瞬間、過ぎ去った人生が大きな画像のように、死者のまえを通り過ぎる。生命は記憶の担い手であり、その記憶が解き放たれるからだ。
[こころのゆくえ]
地上への愛着から離れる時期が始まる。心のなかの衝動・願望は、死後も存在しつづける。体の喜びは心に付着しており、欲望を満たすための道具である体がないだけだ。地上に結び付いている欲望がなくなるまで、心霊の世界の期間は続く。物への願望が強ければ、死後の生活において意識が曇る。物への執着をなくしていくにつれて、意識が明るくなっていく。生まれてから死ぬまで、自己の発展の妨げとなるものを作る機会が多々ある。自分本位の満足を手に入れたり、利己的なことを企てたりしたとき、私たちは自分の発展を妨げている。だれかに苦痛を与えても、私たちの進歩の妨げになる。心霊の世界を通過していくとき、進歩の妨げを取り除く刺激を受け取る。心霊の世界で、人間は自分の生涯を三倍の速さで、逆向きに体験していく。ものごとが逆の姿で現われるのが、心霊の世界の特徴だ。自分が発している衝動や情熱が目に入るのだけれど、それらが自分のほうに向かってくるように見える。自分の行為によって他人が感じたものを、心霊の世界で体験する。自分が相手のなかに入って、そのような体験をするのだ。そのように、人生を誕生の時点へと遡っていく。
[たましいのゆくえ]
新しい状態が始まる。苦悩から解放された、精神の国での魂の生活だ。そこでは、地上の鉱物があるところは空になっており、そのまわりに神的な力が生命的な光のように存在している。地上の事物のなかに存在するものが、精神の国の大陸を作っている。地上では生命は数多くの存在に分けられているが、精神の国における生命は一個の全体として現われる。精神の国の海だ。心のなかに生きるものが、精神の国の空気を作る。人間が地上で抱く喜びと苦しみが、精神の国では気候のように現われる。かつて体験したことが、いまや大気圏として人間のまわりに存在する。精神の国のこれらの領域に思考が浸透している。
[輪廻する私]
人間は精神の国で、みずからの元像を作る。精神の国に持っていった、地上の人生の成果・精髄が、そのなかに取り込まれる。この元像が凝縮して、物質的な人間になる。人間は新しいものが学べるまでは、地上に下らない。生まれ変わるべき時期が来ると、魂は精神の国で作った元像に従って心をまとう。そして、神々によって両親へと導かれる。両親が与える体は、生まれようとする心と魂におおよそしか適さないので、体と心のあいだに、神々によって生命が入れられる。生命をとおして、地上的なものと、天から与えられたものとが適合する。生命を得るとき、これから入っていく人生を予告する画像が現われる。
東京シュタイナーシューレ2期生の斉藤工君 2011年01月10日 コメント(8)
雁屋 哲の「美味しんぼ日記」 2010年10月23日 コメント(6)
人生の試練に出会ったら。。。 2010年08月15日