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人生の意味や目的を問うことは理論理性の能力の及ぶところではない、と主張したのは
近代ヨーロッパの理性そのものでした。それ以来200年間、「この世に生を受ける」と
いうことの意味を「科学」の名の下に考えることはほとんどなくなってしまいました。科
学はもっぱらこの世の現実に仕えることに終始し、哲学はそのような科学の方法論として
生きのびようとしているかのように見えます。この世の現実そのものの意味を問うことは
、むしろ文学の課題になってしまいました。そして今、大学生たちがアカデミズムに対す
る闘争をあきらめたあとを受けて、もっと幼い子どもたちが自殺と暴力行為を通して社会
に精一杯の抗議をしているのに、大人たちがそれに対する本質的な対応の仕方を見いだせ
ない教育の現状を見るにつけて、この200年間の付けがまわってきたと思わずにはいら
れません。
新たな地平模索
これまでにも、ディルタイ派のいわゆる「精神科学」がこのような課題にこたえるもの
として登場し、わが国でも大いに歓迎されたことがありました。感情移入、了解、構造分
析、歴史科学としての精神科学などの概念を使って、教育学、美学、歴史学、心理学など
の分野で、この立場から多くの優れた業績が出されましたが、どこか論旨が常識的になり
がちで、たとえていえば、設計家に向かって、設計の本質は良い家を建てることにある、
と力説しているようなところがしばしばありました。戦後の思想的状況の中で一時もては
やされた実存主義や存在論も、存在することの切実さを思考の対象にすることには成功し
ましたが、それも悪くたとえていえば、冬山で遭難している人に向かって、寒さの体験の
切実さを説いているようなところがありました。
そうした状況の中で、ここ10年間、20世紀前半に現れた三つの方向にそって、科
学が新たに生きることの意味を問いはじめているような気がいたします。その三つの方向
はいずれも、近代社会が見失ってしまったイマジネーションの力を甦らせて、近代人の意
識のために新たな地平を開こうとする点で共通しています。(1)エリアーデ、ケレニイら
の文化人類学 (2) C・G・ユングの深層心理学 (3)ルドルフ・シュタイナーの人智学
この三つの方向は現在のところまだいずれも、多少なりとも異端の科学ですが、その中で
もいわばもっとも異端度の高いのが第三の人智学です。
神智学を再構築
人智学は1902年ころからオーストリアの思想家ルドルフ・シュタイナー(1961
~1925年)によって創始された新しい人間論の立場を言います。彼はこの立場を19
世紀のロシアが生んだ最大の神秘思想家へレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー夫人(18
31~1891年)から受け継ぎました。ブラヴァツキー夫人はよく知られているように、
今日でも世界各地に存在する神智学運動の創始者です。そして、これはあまり知られてい
ない近代ヨーロッパ精神史の一側面ですが、この運動、特にブラヴァツキー夫人の人格的
影響は非常に多方面に及び、20世紀におけるキリスト教神学のひとつの頂点を示してい
るといわれるロシア正教の、特にドストエフスキー、ソロヴィヨフ、ベルジャーエフに代
表される神学、モンドリアン、カンディンスキー、スクリヤビン、シェーンベルクらの前
衛芸術にも深刻な影響を与えただけではなく、ヒンズー教や仏教から日本の教派神道にい
たるまで、東洋の宗教思想にもその影響は及んでおります。
ルドルフ・シュタイナーはこの神智学の伝統--それは新プラトン主義、錬金術、カバ
ラから近代の浪漫主義的自然哲学までを含みます--を20世紀の思想的状況の中で新た
に復興させようとした稀有なる人物です。
そのために彼はカントの認識批判に耐えうる思想として、神智学を「人智学」として再
構築しました。その際彼はゲーテの中に人間と自然とに対する新しい認識の萌芽が見いだ
せることを指摘しました。それを (1)有機的形式の研究(形態学)、(2)直観の論理、
という二点に集約することができると思いますが、この二点をシュタイナーは生涯をかけ
て追求し、現代文化のあらゆる側面に適用して見せてくれました。1970年以降、特に
ここ数年、わが国でもにわかに注目されるようになった彼の業績--教育家、建築家、バ
イオ・ダイナミック自然農法の創始者、類似療法(ホメオパシー)医学者、治療教育学者
、オイリュトミーという新しい運動芸術の創始者等々としてシュタイナーの業績はすべて
、このゲーテ的認識態度の発展であるといえます。
ルドルフ・シュタイナーの生涯を顧みると、40歳までと40歳からとでは、まるっき
り異なっていることに気がつきます。彼は意図して自分の人生をそのように形成していっ
たようです。前半生はウィーン、ワイマール、ベルリンで、ゲーテ学者、エドゥアルト・
フォン・ハルトマンに近い認識論哲学者、文芸批評家として働き、ドレフュス事件で反ユ
ダヤ主義に対する論陣を張ったり、ニーチェやヘッケルの最初の理解者として数多くの論
文を著したりしました。それは、彼が幼少のころから体験していたいわゆる超感覚的知覚
と科学的認識批判の立場とをどう結びつけるかという後半生の課題のための準備期間であ
ったということもできると思います。
弾圧・無視超え
このようにして彼は後半生の25年間を、正に超人的な努力を重ねながら、人智学的文
化運動にささげました。この彼の働きはただちに多くの同時代人(たとえばアルバート・
シュヴァイツァー)の関心をよび起こしましたが、ナチスの時代に弾圧され、戦後は合理
主義的な風潮の中で無視されて、70年代にいたったのです。
しかし今日、真剣に生きようとする人たち、しかも予感的な衝動から新しい生き方を求
める人に彼がどれ程大きな影響を与えうるかは、たとえば1976年度のノーベル文学賞
を受けたソール・ベローの『フンボルトの贈り物』がよく示しています。この小説の主人
公は、あらゆる現代の文化現象を通過する中で、人智学的認識を通して、次第にその人生
を変革させていきますが、その過程が重厚なタッチで実に生き生きと描かれております。
1981年6月19日付 朝日新聞夕刊より
高 橋 巖
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