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(Q)
アセンションを読み進めているうちに、毎週教会に行く事が自分にとって正しいのか? と言う疑問が湧いてきました。
プロテスタントの聖霊を重んじる教会で、歌を歌ってるときは楽しいのですが、のめりこむのはなんとなく危険なような気がします。
囲い込まれそうな気がするのです。
牧師先生は、すべてを肯定するニューエイジ運動は危険だ、と言われます。
ニューエイジ自体意味あるものと解釈はしてませんが、キリスト教とアセンションの関係について明確な図式を知りたいのです。
聖書にはアセンションと関係があるような記述はとても多く見うけられます。
アセンションには、宗教は無用なのではないでしょうか?
(A)
ほぼわかっていらっしゃるようですね。
整理しきれていないということでしょうか。
宗教について判断するときは、教祖、元の教え、そして教団に分けて考える必要があります。
その他に宗派の違いもありますが、これは本質ではありません。
まず「教祖」ですが、例えば釈迦、キリストそしてマホメッドなど、いずれも人類の覚醒を支援するために人間に転生した高次元の魂、換言すれば「天」の使徒です。覚醒はアセンションに通じます。
アセンションつまり1つの学びのプロセスを終了して次の高い次元での体験へ移行すること、そして究極的に自分の「源」へ帰還することは、宇宙のあらゆる存在(意識)にとって太古からの永遠のテーマです。
「天」の使徒が、自分自身のアセンションを含めて、それを意識しないわけはありません。
しかし人類は、もっと低レベルのことで山のように問題を抱えていたし(これは現在でも同じですが)、当時はグローバル・アセンションのタイミングではなかったので、アセンションを直接的に説くことはしなかったのでしょう。
地球の人類に転生する魂の(直近の)「源」は多岐にわたっていますが、どんなに優れた魂であっても、地球環境の重い波動と人間の肉体を持つことによる制約を受けない者はいません。
そして、それぞれが、お互いに対等の存在であることに違いはありません。
たとえ特定の使命を持つ使徒であっても、「神(根本創造主)」ではありません。
「神」に祭り上げたのは、後世の人々が勝手にやったことです。今日見るような教団の組織を造ったことも。
したがって、崇敬することはいいとしても、超自然的な存在とみなしたり、奇蹟を期待して《すがる》ことなどは見当違いです。
「元の教え」は、教祖に会ったこともない後世の教団幹部による意図的な歪曲や加筆あるいは削除が行われたとみられるため、純粋な形では残っていませんが、大まかに各宗教の教えの共通項が、それに該当すると考えていいでしょう。
要は宇宙的な原理を、その時代その地域の実状に合わせて、説いたものです。
この意味で、今日でも立派に通用する内容を持つことは間違いありませんが、歪曲されている部分の識別は簡単ではありません。
アセンションを目指す人にとって、今日では、もっと純粋で平易な教えを手にすることができます。例えば『神との対話』です。
以上のように、各宗教の根っこは同じで、各宗教の優越意識や相手非難、そして対立抗争は、正当な根拠を持たない泥仕合のようなものです。
おわかりのように、その背後に「教団」という存在があるわけです。
どんな組織でも、組織化されると、組織の維持発展が主命題になり、その他の目的は二次的なことになってしまいます。
そのため、時には殺人でさえ是とされてきたわけです。
人は誰でも、自分の現実を自分で創る力を与えられています。
そして、自分の「源」につながることによって、適切なサポートを受けることができます。
教団にとって、これはたいへん都合が悪い真実で、これを否定することを筆頭の「教え」とせざるを得ないのです。
つまり、人間は創造力を持たず、当事者能力のない弱い存在で、教団が「推奨」する「神(教祖)」を、教団が指定するやり方であがめることによって、はじめて道が開けると信じ込ませなければならないのです。
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