育てているのは未来です

育てているのは未来です

中学校の同級生 M君とお母さん


 M君のお母さんも、なにかにつけて私を気にかけてくれ、時々は屋根裏部屋に泊めてもらったりもしましたが、私たちが目を覚ますころには、すでにお母さんは畑から持って帰った葉野菜を、前の小川で洗って出荷準備をしていたものです。M君も、ウサギを飼っていて、育つとそれを売って家計の足しにしていました。
 お母さんは色の白い優しい顔をした美人で、舅・姑さんになにかにつけて叱責されている姿をよく見ましたが、私も含めた子どもたちにはそういう辛さは全く見せず、いつも笑顔の優しい人でした。とても芯の強い人だったのだと思います。
 つつましい生活をしながらも親子三人が助け合う様子は、美しくうらやましくもありました。地元の県立高校に行った彼は、優秀な成績で卒業しましたが家族を支えるために大学には行かず、家を手伝って農家の跡継ぎになりました。この頃、肥溜めから汲んだ屎尿を薄めた水桶を両天秤に、大汗をかきながら畑仕事をしていた彼に出会ったものです。
 やがて地方都市にもバブル景気の波が訪れ、レンコンしか出来なかった湿地は埋め立てられて広大な住宅地になりました。貧農だった彼の家は一気に大地主の資産家になった訳です。この時代、たくさんのバブル長者が生まれましたが、持ちなれないお金を持った人たちはそれをうまく管理できず、気がついたら土地も、その代償だったお金も無くしてしまった人がとても多かったように思います。
 彼は手に入れた土地を売って遊興にふけるようなことはなく、自ら宅建免許を取って土地を担保に銀行の融資を受け、アパートや貸事務所を建築して不動産のオーナーになりました。借金の返済額も多かったので派手な生活ではありませんでしたが、親子三人、屋根裏部屋の時代には想像も出来なかった暮らしができるようになりました。
 生活が順調になった後、彼は畑にしていた300坪の土地に、家庭菜園を持っ150坪の本格的な日本建築の家を建てました。たまに訪ねると、桧柱の立派な玄関を掃除しているお母さんに出会うことがありましたが、昔と変らない優しい笑顔で親しく声をかけてくれる姿に、苦労されていた頃のことが思い出されてなんとも言えない思いがしたものです。彼は自身が大学に行けなかった無念さもあったのでしょう、我が子を医者と薬剤師に育て上げました。今年亡くなったお母さんも、さぞかし晩年は幸せだったことと思います。
 先日、祖父母の墓参りで宇和島にいった時、ふと思いついて訪ねてみると、立派な家に夫婦だけになったM君と奥さんが、かわらない昔ながらの質素ないでたちで迎えてくれました。同級生たちはとうに定年になっていますが、二人とも現役なのでいろいろと仕事の話もします。でも、お互い歳をとりましたから話はだんだん病気のことや相続のことになって、もう「飲み会をしよう」というような話にはなりませんでした。

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