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『昆布茶と塩麹』

『昆布茶と塩麹』

2019.10.19
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​​​​​​​​​​​​​​ 皆様こんにちは。

今日は10/15の日本の神話と台風19号の続きになります。
まだの方は、10/15のエントリーから先にお読みくださいね。

​さて、大事なことなので前回のおさらい


【覚えておいてもらいたいポイント】
天の高天原にいるアマテラスをはじめとする神様を「天津神(あまつかみ)」
 その土地にいる神様を「国津神(くにつかみ)」と言います。
​​スサノオは「天津神」→「国津神」になった神様です
スサノオと稲田姫との結婚は「天津神」と「国津神」との結婚と言えるでしょう。

今日は出雲大社のお話しです。



縁結びの神様として名高い出雲大社は、国津神の総元締めです。

この出雲大社に祀られているのが「大国主命」

大国主命は、若い時オオナムジといい
「因幡の白兎」 ​の神話でもおなじみで心の優しい若者でした。​

(お話はリンク先でご覧ください。↑出雲大社の神話のページにリンクします)

オオナムジには80人の兄がいました(八十神(やそがみ)と言います)
八十神は大変に意地が悪く、あの手この手でオオナムジをいじめます。

因幡の白兎の時に自分たちの荷物を全部持たせるなど序の口で
オオナムジに山の下で待機させ、「悪い山の神を追い出すから捕まえろ」と命じて、
山の上から真っ赤に焼けた岩を落として受け止めさせたり、

木を割いておき、オオナムジを騙してその間に挟んで殺したり・・・

そのつど、オオナムジの母が危機を救ったり、生き返らせたりしています。

しかし、八十神のいじめはエスカレートするばかり。

危機感をもった母は、彼に黄泉の国にいるおじいさんに会いに行くように勧め、
八十神に内緒で旅立たせます。


そのおじいさんこそ、素戔嗚尊(スサノオ)でした。
根の国についたオオナムジはスサノオの娘のスセリヒメの出迎えをうけました。

しかしそこからスサノオの手荒な試練が始まります。

スサノオは蛇がウヨウヨいる蛇の室屋でオオナムジに一晩過ごすよう言いつけます。
オオナムジが途方に暮れているとスセリヒメがやって来て、
そっとヒレを渡して言いました。
「蛇が襲ってきたらこのヒレをお振りなさい。」
オオナムジが言われた通りにすると、蛇たちはおとなしくなったので、
その晩はぐっすり眠ることができました。

次の日はムカデと蜂の室屋でした。しかしそこでもオオナムジはスセリヒメから渡されたヒレを振って難を逃れます。

最後にスサノオは広い草原に放つとヒューッと音の出る鳴鏑矢をうちこみ、
オオナムジにその矢を取ってまいれ。と命じます。
オオナムジが矢を探しに草原の中に入ると、周りをぐるりと燃え盛る火が取り囲みました。
さてさてオオナムジの運命は・・・。
詳しくは
​根の国訪問「古事記-712年献上 太安麻呂」さまサイト​ でご覧下さい。

ちなみにオオナムジが大国主と名乗るのは、
スセリヒメを連れてスサノオのところから逃げ出すときに
スサノオから与えられた名前です。
(この辺りも上記サイトで紹介されています)

さて、出雲国に戻った大国主は、
その知恵で兄の八十神をやっつけ、国づくりを始めます。

体の小さいスクナビコの知恵を借り、またスクナビコが去った後も様々な神の力を借りながら出来上がった出雲国は、それはそれは豊かな美しい国でございました。
ところが、豊かになるにつれ、
自己中心的で、勝手なことをする神様方がいたのです。
出雲は、ウシハク国(※1)となりつつありました。
(我ながら乱暴な表現だと思いますが、細かく説明すると長くなるのであえて割愛。)
ところが、これを見ていた高天原の天照大神はこれを良しとしませんでした。
スサノオは元は禍と嵐の神です。その子孫が地上をおさめるなどとんでもないこと。
あまりに葦原中国(アシハラノナカツクニ)地上の国・日本のこと)が騒がしいので、平定に動き出します。
ところが、天界から使者として遣わす神が皆、大国主の財力や、贅をつくしたもてなしに骨抜きにされ、取り込まれてしまい、誰一人として高天原に帰ってきません。
天照大御神は、知恵の神であるオモイカネをはじめ、多くの天界の神と相談し、
剣の神であるイツノオハバリに国ゆずりの使者を頼みます。
話を聞いたイツノオハバリは、息子であるタケミカヅチ(建御雷神)に
使者をするように言いつけます。
タケミカヅチは天照大神のところへいき、支度を整えて、
アシハラノナカツクニ、出雲の浜辺へ向かいました。
浜辺につくとすぐさま、タケミカヅチは白く砕ける波の上にひらりと飛び降り、
長い剣を天に向けて突き立てると、その上に胡坐をかいて座り、
大国主命が住んでいる山へ向かって呼びかけました。
「天つ神の仰せをお伝えします。
天照大神はこのアシハラノナカツクニは天つ神の子孫が納めるべき国だといわれています。
あなたの大々おじいさんにあたるスサノオは黄泉の国を治めていますが、
その後を継いで、大国主も黄泉の国を治めていただきたい。
しかし、 あなたのこの国に残された仕事の数々をたたえ、
この国にもあなたの住む宮殿を立派に作りましょう。
また、広々とした田を作り、一生おいしいご馳走をささげましょう。
このように大切にあなたをおまつりしますから、
なにとぞこのアシハラノナカツクニを 天つ神の子孫にお譲りいただきたい。
これを聞いた大国主は、
「自分も年を取ったので、国のことを任せてある二人の息子と相談してお返事する」
と答えました。
長男のヤエコトシロヌシは、この話を聞くとすぐさま
「天の神々がこの国を欲しいといわれるなら差し上げましょう。」と答え、姿を隠しました。
ところが
「誰だ、この国へ来てこそこそ言っているのは。」
と大岩を担いでやってきた次男のタケミナカタは、タケミカヅチに力比べを申し出ます。
タケミナカタが、タケミカヅチの手をグイっと握ったとたん、タケミカヅチの手は氷に変わり、はっとたじろぐうちに剣の刃にかわりました。
恐ろしさにタケミナカタが手を放すと、
タケミカヅチは「今度は私の番だ」と、タケミナカタの手をぐいっと握ったところ、
タケミナカタの手は、ぐにゃりとつぶれてしまいます。
タケミナカタは恐ろしさに飛び上がり、
逃げて逃げて信濃の国、諏訪湖のほとりまで追い詰められました。
タケミカヅチが、さあ最後の一突き と剣をかざしたとき
「わしを殺さないでくれ。わしも兄や父のいう通り、
このナカツクニを日の御子に差し上げよう。
そして、この土地から1歩も動かずに世を終わろう。」
とタケミナカタも降参しました。
そこでタケミカヅチは剣をおさめ、出雲へ引き返して 再び大国主に問うと、
大国主は
「二人の息子がそういうなら、わしに異存はない」と
妃を伴って黄泉の国へ姿を隠しました。
無事に使者の役目を果たしたタケミカヅチは天に帰り、
天照大神に「ナカツクニがすっかり平らかになった。」と報告をしたそうです。
           (参照:日本の神話(松谷みよこ著)・要約ここまで)



※1
まず最初に知っておいてほしいのは「シラス」と「ウシハク」の違いです。
(ねずさんのひとりごとブログ様より抜粋)
古事記に「シラス」という言葉があります。
古事記では、漢字一文字で「知」と書かれています。

この言葉こそ、日本の歴史の根幹にある言葉です。
この言葉は古事記のいたるところに出てきます。

わかりやすいのは、大国主神の国譲りです。
そこでは、シラスとウシハクが、会話として出てきます。

出雲の国の伊那佐(いなさ)の小浜(をはま)に降りたった建御雷神は、
十掬剣(とつかのつるぎ)を抜き、その剣を切っ先を上にして波の上に立て、
その上に大あぐらをかいて坐ると、大国主神に、次のように問うのです。


「汝のウシハクこの葦原中つ国は、 我が御子のシラス国と仰せである。
 汝の心やいかに。」

ウシハクの、「ウシ」は主人のこと、
「ハク」は刀を腰に佩(は)くというように身につけることです。
そこから派生して私的に領有し支配することを意味します。
これは、所有と被所有の関係です。
権力者にとって、その権力の及ぶ先が私物であるとするものが、ウシハクです。
被所有とされた者は、所有者によって殺されようが、服役させられようが、文句は言えません。
なぜなら所有物であり、私物であるからです。

それに対してシラスは、民衆を神のオホミタカラとし、大切にすることで権力が責任を負う立場となります。
高天原におわすのは、全員が神様です。
​そして国家最高権威は、その神々を代表して、創世の神々と繋がる立場です。つまり国家最高の存在として、神々(地上においては民衆)を代表して、神々と繋がるのです。これを「シラス(知らす、Shirasu)」と云います。​

政治権力者は、その国家最高権威によって親任されます。
政治権力者は、ウシハク存在ですが、その権力者は、権力者よりも上位にある天皇によって責任を負う立場となり、また天皇の「おほみたから」である国土や民衆への責任を持つ立場となります。
なぜそうなるかというと、「シラスのなかにウシハクが内包されている」からです。そしてこの仕組みこそ、神話の時代からずっと続く我が国独自の統治の根本です。



中国や西洋の歴史はそのほとんどが「ウシハク」統治です。
例えば、時の権力者が見そめた女性がいれば、
彼女が結婚していようが、婚約者がいようが
お構いなしに宮殿へ召し上げられました。
逆らう者は気分のままに処刑しても、誰も咎めませんでした。
(走れメロスに出てくる暴君や中国の皇帝がそのいい例です。)
なぜなら、権力者は財や民を所有する側で、家臣や民衆は彼の私物だからです。
だから、奴隷としてこき使うなり、民の命さえも自分の気分次第で奪うことができました。 そして、王様や皇帝は一切の責任を負いませんでした。
対して日本はどうか・・・と問いますと、
仁徳天皇の「民の竈」の話のように、民が困窮すればその責任は権力者にあります。
だから上に立つものは民の幸せを常に気にしました。
江戸時代の260年に及ぶ平和は、単に平和だったわけではありません。
飢饉などで一揆が起これば、藩のお殿様は幕府から厳しい御咎めがあり、
場合によっては藩の取り潰しなどが行われています。
ですから、犯罪が起こる前に予防することが発達し、
また、民衆も風刺画や狂歌などで、お上に対してものが言えたのです。
例えば、江戸時代には「主君押し込め」というものがあります。
主君はお殿様ですから、その藩において最高権力者です。
しかし、お殿様も人間ですから、間違いややりすぎることもあります。
そういうとき、家来で相談して、お殿様をお寺などに謹慎させることができたのです。
牢屋ではありません。鍵もありません。出ようと思えばいつでも出られる。
しかしそれをしなかった主君のなんと多い事か。

そこへ家老などが来てとことん話し合う。そういう姿勢を大切にしました。
節約による藩の財政立て直しで有名な上杉鷹山も、
節約の度が過ぎている。ということで、一時主君押し込めにあっています。

反対に南北朝のきっかけとなった後醍醐天皇は、
天皇でありながら隠岐島に流罪になっています。

もう一度権力の座に返り咲くべく、そこから抜け出して挙兵するのです。


話を戻しますが、
大国主命は、国譲りをするにあたって、建御雷から条件を提示されています。

先ほどの建御雷の言葉を抜粋します。

「天つ神の仰せをお伝えします。
天照大神はこのアシハラノナカツクニは天つ神の子孫が納めるべき国だといわれています。 あなたの大々おじいさんにあたるスサノオは黄泉の国を治めていますが、
その後を継いで、大国主も黄泉の国を治めていただきたい。
しかし、 あなたのこの国に残された仕事の数々をたたえ、
この国にもあなたの住む宮殿を立派に作りましょう。
また、広々とした田を作り、一生おいしいご馳走をささげましょう。
このように大切にあなたをおまつりしますから、
なにとぞこのアシハラノナカツクニを 天つ神の子孫にお譲りいただきたい。

平安時代の出雲大社の社殿は地上48m、まさに天にも届くほどの大社殿でした。
(遺跡が出土しています)



詳しくはコチラ(↑の画像クリックでもソースにリンクします)
出雲大社の謎 古代に存在した巨大神殿のルーツに迫る (國學院大學)

遺跡をもとに復元された平安時代の出雲大社の模型
 (まるで人が豆粒のようです。中央白い着物姿)


その3に続きます。





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Last updated  2019.10.21 00:16:49
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