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2005年01月15日
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零戦という飛行機は、自分が小学生時代には巨人、長嶋と
同じぐらいのステイタスだった。旧日本軍艦載機などと
いうような諸雑件とは訳が違う。「巨人、大鵬、タマゴ焼き」
級のどでかい存在だったと思う。

坂井三郎というのは、当時の小学生からは内閣総理大臣岸信介
などよりも遥かに尊敬されていたのは間違いない。

しかし、自分は40年以上坂井三郎の「大空のサムライ」を読む
ことがなかった。つまりはまぶし過ぎたのである。

いま、改めて思うのは自分にとって零戦とはついに坂井三郎と

関係となっていることに驚く。

まずはこちらをお読みいただきたい。
例によって、 松岡正剛氏の「千夜千冊」 である。

実はその赤井先生が坂井三郎の大ファンだったのである。
なにしろ授業の途中で10回以上も坂井三郎の名が出てきた。
数学とは何の関係もない。ところが、これがものすごく記憶に残った。
まあ、中学生が10回も一人の人物の話を聞かされれば、誰だって記憶
に残る。


その坂井三郎のことにもう一度出会うとは思っていなかった。
ぼくが25歳のときである。そのころ初めてアパート暮らしを
はじめたのだが、その三軒茶屋近くの三宿のアパート「三徳荘」
の二つ隣りに古ぼけた床屋があって、そこでぼくは『遊』を創刊
するにあたってすっぱり坊主頭になった。そうしたら、床屋の
オヤジの栗原清司に大いに気にいられ、稲垣足穂の『ライト兄弟
に始まる』の話をしたら、飛び上がるように抱きつかれた。
 このバーバー栗原のオヤジがとんでもない坂井三郎ファンだった
のである。「そうか、松っちゃんも坂井三郎を知ってるのか。
坂井三郎は神様だねえ」。そう言って眼を細める栗原のオヤジも
飛行機乗りで、しかもカナキン貼りのプロペラ機しか乗らないと
いう頑固者だった。



いや、分かる。分かりすぎるほど、興奮が伝わってくるのである。
昨今この興奮が再現できるとすれば、岡野雅行ぐらいのものである。

ところで、零戦は21型につきる。
初期型の完成度の高さは、大方の認めるところである。
さわればさわるほど、バランスを崩し使いにくくなったそうだ。
坂井三郎の著述にも、21型の完成度についてなんども言及されて
いるのを発見できる。


象徴的ななにかだという気がする。

戦後(25回以上渡米)、「こんなに大きな、資源があり余る国と
戦って勝てると、なんで思ったのか。
なぜ、海軍上層部は、『勝てません』と、はっきり言わなかったのか。
戦略、戦術以前の問題…。あまりにもばかばかしくて…」と、あらためて
旧海軍首脳への怒りと悔しさを痛感したという。


坂井さんは、94年11月25日、東京・有楽町の外国人記者クラブで
講演、記者の質問に答える形で、「天皇制は必要」「国民統合のために
天皇がおられることが良いと思う」との前提をおきながら、「軍人から
言うと、天皇の責任はもちろんある。最高指揮官であり、私たちは
開戦の詔勅を信じて命をかけて戦った。命令した人に責任がないなど
ということはありえない」と、昭和天皇の戦争責任を肯定する発言をした。


次女を米国の大学に進学させ、米国人の孫を持つ坂井さんが、「太平洋
戦争の歴史は、とかく、かつての上層部の人々が語る記憶なり、残した
記録によって作られていることが多い。しかし、特務士官、准士官、
下士官・兵として戦ったわれわれが語る歴史もまた真実である」
<日本の撃墜王>より






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最終更新日  2005年01月16日 00時26分21秒
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