新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

2005年10月24日
XML
日曜日に、雨の中を清掃活動をして近江中庄で雨宿りかたがた近隣の古老から
琵琶湖を取り巻く生活の来歴を耳にしようという企画があった。われわれ参加者への
県の気遣いというものだ。

これがなかなか面白い。

話題は、当然面白いが語り口も愉快だ。年寄りの話も、たまには聞かねばならない。
老夫婦、とはいえわが母よりは遥かに若い。

幼なじみ同士が、琵琶湖の湖岸での愉しかった日々を懐かしさをこめて語る自然。
朴訥なはなしが、ほんとうに聞き入っている自分らの心も和ましてくれる。

数日その愉しく過ごしたい時間を反芻していたのだが、ふとあの森崎和江のいう

しかし、70代の老夫婦のなんともいえない可愛い仲良しぶりを拝見していて
この夫婦の結びつきが琵琶湖と、そのほとりで過ごした幼年期の愉しかった暮らし
を抜きにして考えられないということは間違いないと思われた。夫婦も、水の
美しく、鮎や雑魚が無造作にあふれかえって賑わいしていた往時の琵琶湖の素晴らしい
美しさや、恵みの豊かさは、就学前の児童であった男の子と女の子には、なにもの
にもかえがたい至福の体験だったという。

我々は、なにゆえ「湖岸の思想」「海岸線の思想」を見失ったのか。



言葉をくださいましたでしょう。本当にたすかりました。

上野千鶴子;助かったってどういう意味ですか?

森崎;私も同じようなことを、何度もいろいろと書いてきましたけれど、
でも吉本さんは集団とか個人というものと対幻想を並べてお書きになってる
でしょう。これはとても助かったんですね。

上野;「共同幻想論」(河出書房新社刊)が出たのは1968年ですけれど、
出た当時にはお読みになりました?

森崎;難しくてね、きちんと読んでないんです。でもたった一度お訪ねした
ことがあるんですよ。いつだったか忘れちゃいましたけど、ある編集者の方が
この近くに吉本さんがいらっしゃるから引き合わせましょうとおっしゃったの。
こわいからいいですって言ったんですけど、すぐそこだからって。ご自宅で
ちょっとお話ししてすぐおいとましましたけど。お会いして本当によかったと
思いました。ああ、この方は対幻想というのを分かって生きていらっしゃるな
と思ったのね。存在から感じとれた。ひょっとしたらこの方は海辺で育たれた
のではないかしらという感じがしてね。潮の時間というか、海辺の時間というか。
海辺には独特の対意識というのがあるんですよね。

上野;え、どういうことでしょう。

森崎;こんな話でいい?海辺っていうのはもう全く違うんですよ。生命に
あふれていて。私、海岸線の思想というものを書きたかった。

                   見果てぬ夢/「性愛論」上野千鶴子




村上ファンドの「不愉快さ」というものを考えればわかろう。今回、日本シリーズ
で阪神タイガースが四連敗を喫した、その遠因に村上の一連の所業が影を落としては
いなかっただろうか。

マルクスの資本主義批判の精神は、いままさに小学生や子どもにすら瞬時に理解できる
具体を得たという思いがする。いかにも、資本主義社会も社会主義体制でのスターリン

種の狡猾な誤解にもとづくものという気がしてならない。しかし、マルクスは一定人間
社会に対して極めて正鵠を得た視点を投じた。すなわち、資本主義社会においてすべ
からく人間は「欲望」に翻弄され、欲望追及をそれ自体目的と化する(物質力)不可避さ
にからめとられてゆく腑甲斐なさ、無力さを避け難く甘んじて受けざるをえない運命に
あると喝破した。貧富の差は、歴然として露呈し始める。そのような社会は、けして


株、為替、ヘッジファンド、、、株式上場益などという不埒な利得を膨大な規模で掻き
集めるものが英雄で、市井でコツコツとモノづくりを行う賢者が、愚か者扱いを被る。
そのような社会が、われわれが生きているこの社会である。

マネー経済における取引規模が、農産物や工業製品などのいわゆる「実体経済」の生産や
貿易取引よりも遥かに凌駕するほどの規模となってしまっているなど狂気の沙汰である。
カジノの経済は、市井の八百屋、魚屋、手工芸職人、漁師、農産地従事者らの国民経済と
国際貿易取引などを突き放してしまうほどの病んだ巨大さを誇っている。

ものをつくらず、生産を目差さぬ金貸しと山師が、ファンドだのキャピタルだのと騒がしい。
モノやサービスの貿易取引額の軽く25倍ものマーケットだとされている。

「海岸線の思想」とは、森崎の述べるように男女の対の契り、金剛不壊の結合をはからう
状況論であるかのように思われるかもしれない。しかし、かつてそれは普遍的な社会の
イメージ的な起原に誰しも疑いをさしはさまぬというほどの堅固さがあった筈だという風
に思う。そこに所有、非所有の「彼我の支配、被支配」が、笑い飛ばせるような淡白さが
存在したのだ。

よくよく考えてみて欲しい。

われわれの一生、生きている間。地球から、少々物質を拝借してこの肉体を構成するため
の諸元素を借り受けて、わずかばかりのあいだ生かされている。かつて祖父らはそのよう
に思い、神への敬意と畏怖を忘れた事はなかった筈だ。相互に豊かさをみちびくため、
肉体を仮の宿と思いなし挺身的な他者愛に満ち溢れた生活とはたらきは、やはり農家のみ
ならず、漁労者や林野での就労者にも広く共通感覚として行きわたっていたものではなか
っただろうか。

いつしか米穀などを中心に、農業生産が始まった時代から「所有」だの「交換」だのと
大地を畏れず囲い込み、「荘園」だの「領地」だのと「おのれのもの」とし、森や自然
の食物連鎖を小刻みに切り刻むという徒輩が歴史に登場する。さながら地上を支配し、
「所有権の王」としての、資本主義が彷徨するようになるまで一気に人間のつくりあげた
システムはこの惑星を覆い始めた。なんとかファンドとやらは、その集約に過ぎない。

さて、琵琶湖は湖底が次第に汚れ始めてきていると嘆く老夫婦。琵琶湖という閉鎖性水系では
ひとたび汚れ始めると完全に水がいれかわるのに19年以上かかると言う。元に戻すには
19年かかるのだと、大阪ナンバーのレジャービークルらに告げ知らせる教育は、
人類の義務である。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年10月27日 07時17分05秒
コメント(0) | コメントを書く
[神よ、御照覧あれ!] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: