
学生時代の友人のひとりが、検察官だという事は何度か述べた。
学生時代の気安さで、彼の家に乗り込んでその父親も現役の検察官時代に
いろいろ話を聞けたものだ。すくなくとも正義の体現者とはほど遠いものだ。
彼らは、犯罪者を糾弾する公務員というよりも犯罪を刻印する絶大な権力を
駆使して、社会から犯罪という特殊なサービスを取り次ぐ一種の周旋業という
側面が間違いなくあると確信したものだ。
警察が、ヤクザや広域暴力団と深い関わりを持つのだが、そこに検察が関与
しないという事は考えられない。むしろ、彼らの組織が積極的に警察とヤクザ
の交渉に仲介し、仲裁役で積極的に関与せずに瞬時も成り立たないという
風に思った。警察は、検察に根回しせずにヤクザと大手を振っては交際が
できない仕組みになっていると私は思う。
警察が、さまざまな不正を働いてきているのはいまや市民周知の事実だが、
その見返りについては、間違いなく「分け前」の上納先という意味あいで検察
の組織があるとみて間違いないだろう。
起訴=有罪主義に陥っている
刑事事件の被告は裁判所の有罪判決が確定するまでは無罪として推定される。これが無罪推定の原則。「疑わしきは被告人の利益に」と同じ思想だ。しかし 現実には起訴=有罪主義は明らかに働いている。
最近の犯罪白書の統計は確認していないが、少なくとも99.9%の有罪率だ。
私は弁護士になる前に13年間検事をやっていたが、その意味で検察官の感覚を色濃く残している。私のいう検察官感覚というのは、客観性と公平性という意味で、決して罪を犯した人間を厳しく処罰すればいいというものではない。
検察の捜査や起訴に至る判断というものは客観的で、なおかつ慎重であるべきだ。これは私の想像だが、これまで 証拠不十分として不起訴処分にした事例であっても、検察がいかにも慎重に調べて起訴しましたという顔をすれば、半分は有罪判決となるのではないか
。そういう意味では裁判官も起訴有罪主義に陥っている。
まして一般市民もそうではないか。ところが逮捕された事件の中で、起訴される事件の割合は有罪率ほど高くない。結構不起訴になっている。
匿名報道継続を報道各社に要望
男性の将来を最優先に考慮すべきだ
―京都・児童傷害事件で弁護団が報告―
代表世話人/前野育三(関西学院大学教授)
野村 務(弁護士)
発行者/人権と報道関西の会
市民・メディア 事務局/木村哲也事務所
「想像」などとは、とってつけた話だ。
実態で起訴すれば罪人にできる(できてしまう)という特異な権力なのだ。
起訴、不起訴という検察官の「裁量範囲」が、検察組織という権力の外にさらなる権力もどきの実態を形成し、ひとつの裏利権を形成してしまっている。裏利権に、警察の裏事情が複雑にからみ、この国の司法、行政ごと国民のほうを向いている暇などないほど金と、腐敗しきった組織原則で迷走してくださっているというのが現実だろう。
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