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2007年08月15日
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「はだしのゲン」が、連載を開始した73年当時はまだ石油パニックやニクソンショックの前で、それなりに穏やかな景況だったのではないか。学生運動も退潮期にさしかかり赤軍派も海外へ出稼ぎに。前の年の浅間山荘事件が、もう大きく若者の気持ちを内向化させ始めていたのが如実に時代相にもあらわれていた時代だ。由実かおるという同年代の俳優が、ヌードポスターで街角にあらわれた「同棲時代」が、その気分に重なる。たしかに大学のキャンバスでもゲバルトよりも女だ、という眼のひかりだったのだろう。そんな時代に、きちんと屹立するように連載が始まったのは、いまから思えば有意味なことだったように思う。



ただ自分は、あの漫画を連載開始から少年誌でみかけていながら怖くて読み続けられなかった。いま、あの全集が全国の小学校図書館に設置されていると聞いて、信じられない思いがする。どう考えても冷静に読んでいられる漫画とは思えないからだ。



5歳の時に、放火されて自分の実家が焼け落ちた。たぶん両親は、半狂乱になりながら世帯道具を持ち出しに懸命だっただろう。自分は、燃え落ちる家の前で、鈍い子供特有のアパシーというのだろうか、綺麗な火炎を長いあいだ眺めていた記憶がある。自宅が焼けた程度でも、熱戦は自分の身体の表面の体毛やまつ毛、毛髪を焦がしていたらしい。熱ければ逃げればいいのだが、親がここにおれと指示したのを真面目に守っていたのだ。親も、それほど危険な場所に自分を放置したわけでもないと思う。聞き分けの良すぎた子供だったのだ。まだ妹は2歳だし、母親も忙しかっただろう。放火だったのは間違いない。翌朝、面倒を見てくださった近隣のおうちで朝食に貰ったオニギリがおいしかった。

家が焼けただけでも、身体の表面が焦げそうになるのである。


7000度の巨大な熱球が頭上で破裂したら・・・われわれは瞬間に蒸気にされて文句も言えない。そんな中で、「はだしのゲン」こと、著者の中沢啓治は6歳で原爆投下の憂き目に遭遇する。自分の火事体験とは比べものにならない大惨劇だ。しかも、彼の動きは作品を通してみている限り、大人にも勝る立派なものだという気がする。怖くて読み進めなかった自分自身の虚弱な精神をおして、一度なんとか通読してみたいと思った。少年ジャンプ連載から35年ほども経つのだと感慨深い。










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最終更新日  2007年08月15日 16時39分52秒
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