ひばりのおっかさんとケンカして、牛若丸姿のひばりがそれをジッと見ていたそうです。

当時、ひばりのバックは例の山口組でそのおっかさんとケンカするということは山口組とケンカする覚悟が必要とされました。

伝説の人です。

(2007年09月17日 09時56分49秒)

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2007年09月16日
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70年代に、同志社大へ竹中労がやってくるというので出かけた。当時すでに、小太り気味だったが、歌舞伎役者にしてもいいだろうという程器量のいいオヤジが早口でありとあらゆる話題を時間一杯まくし立ててさっさと帰っちまったので、主催者も聴衆もあれよあれよと煙にまかれ茫然と立ち尽くすような濃密時間だった記憶がある。

すでにガンで他界してから16年以上になるようだ。

さいわい、彼の最晩年のメッセージが残っている。彼の最後のメッセージは、間違っても塩崎恭久や、坂本龍一、舛添要一ら(あるいは、栗本慎一郎なども射程だったのかもしれない)には届きはしないが、ガンの告知を受けて竹中自身死期を悟っていた最晩年の竹中の語りには明らかに彼らへの怒りがあると私には思えた。

竹中労は、世間からは極左の教祖のような言われ方をしたがいつも個人で徒党を組まなかったことを鮮やかだと思った。折々に党派に潜り込みはしたが、結局いかなる党派も作りはしなかった。恐喝まがいのことも山ほどやったようだが、常に国内でも最高権力者とサシでの闘い。

取り分け、いまでも印象に残っているのは長期政権で並ぶものなき内閣総理大臣、佐藤栄作夫人との熾烈な応酬だ。彼は、喧嘩屋の名に恥じず喧嘩っ早いが堂々としたもの。お手本にしたいような様式美ほどのもので、周囲を惚れ惚れさせるものがあった。

上掲画像をクリックいただければ、例によって他界する直前の竹中労の姿がみられるのでご笑覧を。









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最終更新日  2007年09月16日 23時28分56秒
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Re:竹中労の遺言(09/16)  
杉山巡  さん

Re[1]:竹中労の遺言(09/16)  
杉山巡さん

>伝説の人です。
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あの時代の共産党員って、ほんとうに命知らずの
捨て身な人が多かったけれど竹中労みたいなのも
珍しいですよね。

話は、変わりますが竹中労の父親の竹中英太郎は、
石原莞爾がなぜか気に入って眼にかけていたとか。
やることは、親子ともどもよく似ていたそうです
けれど・・・

それと、嵐寛寿郎という映画俳優。この人は、自分
らの年代でもすでに過去の人というイメージでしたが
彼の著作で、その仕事の偉大さを啓蒙されました。

嵐も、竹中だからこそ聞き語りにこたえたような処
があると思います。歴史の表からは消えてゆくけれど
空気の中に漂って、生霊のように漂流してそうな
凄い魂がいっぱいあるのを感じます。


(2007年09月17日 10時54分18秒)

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