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2007年10月13日
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新左翼といっても、世界潮流だったのである。ロシア革命で叩き出された左翼反対派というロシア赤色陰謀団の分派が、起源となって世界中にさまざまな党派をもたらした。党派ごとに主義、主張を掲げているが彼らの政治信条を、実のところ担保していたのは結局、ロシア革命の末期的な段階で、ひそかにスイスからロシア入りしたレーニンらユダヤ人陰謀団が実行したロシア革命政権だったと言って良いのではないか。レーニンが、個人倫理としても左翼思想を抱いていたのは偶然に過ぎないと思う。レーニンの革命の原動力には、軍事冒険主義的な傾向を隠しもしなかった新興帝国主義国日本の巨額の工作資金が侮り難く機能していたのも事実。陰謀団は、リアリストでけして思想信条だけで政権が維持できるなどと信じてはいない。

だから、60年代のこの国の新左翼とは結局日本的な固有の事情と世界的な新左翼的都合が「野合」したものだったと思う。それら外部的な要因をはずして日本の新左翼の固有性だけを、議論すれば私見では一種の「経済的要求実現」をはかった「都市型多発一揆主義」だと思っている。実は、西欧型新左翼にもこれに似たような事情がある。アナルコサンジカリズムと呼ばれるものがそれで、謂ってみれば「無政府系労働組合運動」とでも言うようなものだ。日本の学生叛乱は、一種の労働予備軍として国公立大学、有名私立大学に収容されていた都市型の知的労働者準備委員会が、企業社会に収容される前に労働争議だけをぶちあげたようなものなのである。巨大前衛党派、日本共産党の下部組織である民青同(全国学生自治会総連合、いわゆる全学連)に対して「モノトリ」と繰り返し侮蔑してはいたが、結局のところ彼ら反日共系と括られた連中にしても、結局は暴力的なスタンスの違いはあっても経済闘争に限りなく近傍にあった。分かりやすくいえば、この国日本から最大利益を与えられんとする闘争ではあっても、国家転覆を目指した社会革命を志向していたにしては恐ろしく稚拙であったのだ。その稚拙さは、幼さ若さのゆえではない。彼らは、最初からこの国を痛撃することだけを目的としていたにすぎない。だから極左と標榜してはいても所詮は、一揆主義者に過ぎない者たちだったのだといえる。



しかし、このような解釈はあの時代の空気を吸っていた自分がせいぜい思い出して知恵を絞ってなした要約ではあるが、努力の甲斐ない総括だと言わざるを得ない。


遠景からいえば、農村から離脱して都市流入を果たしつつあった企業労働者予備軍たちの事情は世界に同時並行して到来した「状況」だったのだ。これが当時彼らが散々ほざいていた、世界同時革命なるものの正体である。だが皮肉なことに、当時世界で蔓延していた都市化の同時進行は、アメリカがデタラメに増刷した中東原油の簒奪。油買いのドル大増刷が起因していると言わねばならない。今にいたるバブルの連鎖は、実は同根なのではないだろうか。




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最終更新日  2007年10月13日 19時51分08秒
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