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2007年10月14日
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日本で新左翼およびその同伴者へ走った連中は、当時は多数派だったのだろうか。そんなことはない。路上の激突が頻発していた時代だって、ヘルメットの隊伍に参加しない者が圧倒的に多かった筈。いまや全学連と全共闘、新左翼とトロツキズムの差異など理解されもしない時代にあって、団塊世代などと括られて新左翼の時代と重ねられては迷惑だというムキも多いだろう。


自分は、彼らの後続世代になるのだが彼らの無造作、無意識は彼らの内部で完結することなく後続する我々を巻き込み、理不尽を繰り返し、しかも一顧だにされてこなかったという恨みはある。団塊の世代は、サルトルを読んだか。読んだかもしれないが、理解はできなかっただろう。サルトルが描写する実存体験は、彼らの撒き散らす不条理を一身に背負ってきた我々の年代こそ頻発して被ったものと確信する。



彼らに、シンパシーはないが固有の内在する状況論議をいえば彼らには国家的不条理の連鎖を生きたという義憤があったのだ。彼らは意外なことに、戦後八紘一宇の空が晴れ、アメリカが政治文化支配を貫徹する国土の上でくりひろげられる「言論抑圧の排除」、「人権弾圧の排除」、「政治活動弾圧の排除」、それら要するに近代社会の回復劇を解放軍と錯誤するほど歓迎した。これは最近のWEBに巣くうネットウヨク諸君らには想像できない心情圏だろう。彼らは、なんと当初(つまり幼少期に)アメリカ軍を解放軍だと錯誤すらした世代である。たしかに敗戦以前、日本国内は歴史や洋の東西を問わず必須とされなければならない社会的基盤形成が日本国家に維持扶育できない事態に陥ったために、それを手早に回復するアメリカ占領軍の占領政策がまばゆく映ったことは、あながち責められはしない。哀しいことと、アメリカ占領政策の指令、そのひとつづつが赫々と光を放っていたのである。残念ながら戦争に負けるということは、そういう事だった。


国際共産主義者たちが、実のところコミュンテルンなどという虚構の巨大組織をぶちあげインターネット無き時代のまま理念レベルとしても世界網としてとしても維持できていず、ただのロシア陰謀左翼の国際謀略組織同然で機能させていたように、この国でペリー艦隊来航以来、明治維新全期を通じてついに果たせなかったような近代改革のほとんどを「マッカーサーの二千日」で実現してしまった。この夜が明けるような体験をした彼らの一部が、その後わずか十有余年で怒涛のように反米闘争に走る。これはいかように考えても奇異だったのである。


かたや占領軍の「改革指令」に狂喜乱舞し、その一方で平和憲法を2週間で書き上げて押し付けておきながら5年後の1950年には「日本再軍備」を事実上強力に指令してくるアメリカに茫然とする。これがいわゆる団塊の世代の内面を読み解く際に欠かせない固有の内実だ。アメリカが踏んだアクセルとブレーキに歪む内面を理解せずに、彼らを読み解けない。そう思う。








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最終更新日  2007年10月14日 12時58分57秒
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