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2007年12月28日
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『時計じかけのオレンジ』A Clockwork Orange・・・不思議なタイトルだ。

自分は、72年に京都でこの作品をみている。今回、この映画をどうしても見たいと思った理由は、その衝撃的な暴力 ●● 殺戮のシーンで一斉を風靡した作品の主題がよく理解できなかったからだ。すでに監督のスタンリーキューブリックも他界してご存命でない。


この映画は、普通SF映画だと紹介される。公開後も物議をかもし、さまざまな映画作品に影響を与えたようだ。監督自身は、その思いもよらぬ影響の裾野の広さから、しばらく上映を封印したらしい。イギリスでは、監督の没後1999年まで上映が禁じられたという。


作品は、72年映画館で見たときはたしかに未来性溢れるものだった。いま、再び作品と再会して驚くのは、まさしく現代そのものを描ききっているようにすら思えるその視野の透徹ぶりだ。無差別に、粗暴な殺人が繰り返される都市の荒んだ心象はすでに鬼才キューブリックには、60年代に所与のものとして予見されていたかのようである。


更に驚いたのは、この映画の本当の主題はかならずしも描写の斬新さで観客を(魅了させたといっても良かったのだろうか)シンボリックなまでに近未来型暴力(いまでは日常となっているのであるが)を描写している事に留まるものではなかった。たとえば、光市 母子殺人事件を想起してみよう。あの事件は、今日われわれを二度驚愕させている。殺人事件そのものの残虐さ、そしてそれを庇護する人権派弁護士の台頭。このメカニズムには我々は立ち尽くすだけの無防備さである。 映画「時計仕掛けのオレンジ」では、まさにこの不可思議な理解を絶する暴力と、その庇護者の登場を構造的に見抜いているかのように予見していると思われた。

都市部において、理由なき暴行 陵辱が繰り返しといってよいほどに頻発するというメカニズム。それと併走して、その悪行が社会的に衝撃的であればあるほどあたかも呼応するかのように機制としてそれを庇護する怪しい社会的なお定まりのような社会勢力の台頭。なぜに市民の健常な良識を削ぐバイアスが、人権派の貌をひっさげて登場するのであろうか。つねに誰何する我々である。その謎を解く鍵は、なんと72年のこの映画の主題だったのだ。そう気づいた。平素から自分にも首肯しえない怪異さが氷解する思い。35年ぶりに、この作品を鑑賞した価値はあった。













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最終更新日  2007年12月29日 12時51分45秒
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