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かぜをひいて微熱があるんです。頭がボーっとするわぁ。そうそう、先日夢を見ました。一晩のうちに何度も、地震が来てビルやマンションが倒壊する夢。さすがに朝起きてから怖くなりました。(っいうか一日中不安だった)夢の意味を調べたら、計画が壊れるとか、そんな内容。これでもかと言わんばかりに次々と建物が倒壊する夢だったので、これは完全にメッセージ・・・。その夜、ミクシイの足跡を見ていて、足跡のマイミク一覧をボーっと見ていたら・・・一人だけとっても気になる方がいたんです。その方のページに行って見ると、その方は無料で生年月日の占いと人生相談をされている方でした。いつもならすぐに飛びつかず、しばらく悩んでしまうのですがなぜか「この人!!!」と思える方なので思い切って鑑定をお願いしました。(例の夢を見て、不安でいっぱいだったので決断が早かった(笑))その方は快く受けてくださり、すぐに鑑定結果が送られてきました。その鑑定内容は細かく長文で、決め付けも傷つくような言葉はひとつもないんです。そして、とっても当たってます。その方曰く、生年月日にはたくさんの情報があるとの事ですが、もしかして、生年月日のほかにも霊視しているのでは???と思えるほど詳しく、私のオーラの色まで当てられました。鑑定の中で、「来年の誕生日までが収穫期なので早めに行動しましょう」とありましたが、実のところ私はこれ以上何をどう行動していいのかわからず悩んでいたんです。なので、その方にスピリチュアルがどうしても好きなこと、以前に白龍さんに言われたメッセージのことをお伝えしました。「アカシックレコード体験~白龍に乗る」すると、すぐに返事が返ってきて、「9」が最初に来る人は、魂レベルが大変高いので、普通の現象的な事だけでは、魂の喜びを感じる事ができない人が多いんですね。 やはり、スピリチュアルな方面をしないと満足感を感じないと思います。 開発する時期については、天が知ってますから、その時まで、静かに待っている方が良いと思います。 ひろえんじぇるさんは、どんな方面でも成功できる数字がありますから、自分がそれを、ワクワクする、人を癒す、喜び、光を与える方面の仕事なら良いでしょうね。 天からの啓示は、遠からずあるように思います。 素晴らしい、将来が開けると信じてます。 キャーo(*≧∀≦)o″!!この文中の天が知ってますから、その時まで、静かに待っている方が良いと思います。 の文が本当に腑に落ち、安心しました*:.。☆..。.(´∀`人)・・・で、気付いたんです。あの、建物が倒壊する夢は、私に焦るなと警告していたのと、この方にアクセスしてメッセージをもらうためだったのだと。さすが。天のやり方はウマイ!!!この辺りからですよ。家族中風邪の症状が出たのは。エネルギーチェンジですね。
2008.10.05
早いものでもう10月になりました。 先日、一人で森林公園に行き、往復2キロ歩いてきました。 しょっ中通路脇の草むらでカサカサッと音がしていて、 よく見たら小鳥です。 耳を澄ますと「コンコンコンコン」と木を突くキツツキの音。 そして通路にも可愛らしい小鳥が下りてきていました。 珍しく、歩く間ずーっと小鳥が側を飛んでいたり、 餌を捜していました。 いつもは友人と行くのですが、今回は一人なので、 小声で独り言を喋りながら歩きました。 そんな中、雪の訪れを告げる雪虫が(ピントがこれ以上合わなくて・・・) この雪虫が現れたら、10日から2週間の間に初雪が降ると 言われています。 この写真は9月上旬に同じ森に行った時の、切り株に並んで生えた きのこの写真です。 これは、トノサマバッタ。 ちょっと気が早いのですが、寒がりな私たち家族は、 早くもコタツを出しました♪ 灯油高騰のいま、コタツのお陰で燃料代が安くついています。
2008.10.01
私が今取り組んでいること・・・それは、自分の思い込みさがし。思いもしないようなことが起こったり、心が傷つくことが多かったけれど、それって、もしかして、外側に原因を求めていたけれど、あるときふと、心から思ったんです。私の周りの現実は、実は内側、自分の心の反映・・・!?この手の内容は本でもよく目にしますが、そう心から気付きました。そして我流ですが、そろそろ真実を見る目を開こうかなと、イメージで目を開きました。大きなひとつ目でした。10センチはある!?5分ほどして、リビングに置いてあるシルクジャスミンに目をやると真っ白いジャスミンの花が2つ咲いている!今年の初めに友人から頂いたもので、本来は観葉用とされ、花は咲きづらいとの事でした。でも、綺麗な花が二つも咲いている。とってもいい香り・・・。すぐに久し振りにシルクジャスミンをくれた友人に電話した。驚いて、喜んでくれた。久々にいろんな話をしているうちに友人が『ひろえんじぇるちゃんは、いつも真っ先に自分が悪いんだと思い込んでいるそして、いろんなケースを引き寄せている』ハッとした。この言葉で目の前がパーッと開けた。実は私の娘も同じで、意地悪されても真っ先に『もしかしたら自分が悪いのでは・・・』そう思ってしまうので相手も調子に乗って意地悪を繰り返してきたのだ。娘は私に体を張って無意識に教えてくれていたのかもしれない。自分が悪いのではないか・・・こんな思いが私の中に根強くある。先日沢山の人と集まる機会があったので、実験で『私は悪くない』と自分で思い込んでみた。うん。なかなか気持ちがいい(単純w)今日は新月。そうそう。新月の願い・・・。☆自分の中にある沢山の不必要な思い込みの存在を知り、手放したい。あ!「もう叶いました」って形で願うんだっけ。 ☆自分の中にある沢山の思い込みという枠を全て知り、手放すことが出来ました! ありがとうございます!
2008.09.29
私が中学生の頃、家が裕福ではなく、新品の服は買ってもらうことがなかった。同級生の間では、流行の服や小物を当たり前に持っていた。それまで服装のことは特に気にしていなかった。そんな時、当時仲良くしていた友人に言われた言葉「いつも同じ服を着ていて、ダサいよね」この言葉を言われてから、流行の服や髪型、小物にやたらと目が行くようになった。それは、おしゃれすることが楽しいからではなく、少しでも皆に追いつかなければと、お金がないのに必死だった。少しでもダサいと何を言われるかわからない。それから先も、私の周りには必ず流行に敏感な人がいた。そんな人は、必ず私の頭からつま先までじーっと一瞥する。そんなおしゃれさんに『ダサい』と言われないようにと頑張るのだが、いつもどこか抜けているようだった。私は服装に対して、コンプレックスの塊だった。ここ数年は、頭からつま先まで一瞥してくるような人が私の周りからいなくなった。私はようやく、自分の着たい服がわかるようになって、おしゃれの楽しさがわかってきた。昨日、どうして私の周りには攻撃的なおしゃれな人がいたのかを考えた。ふと、19歳の頃、あるファッション関係の人から私の発言に対して『だっせぇ』と言われて傷ついたことを思い出した。突然私の頭に、『恐れ』という言葉が響いた。私という、おしゃれに対してコンプレックスを持つ者と、最先端のファッションで決めて、私を一瞥してダサいと言う人。このどこに共通点があるのかというと、おしゃれを楽しむ・・・のではなく、おしゃれは鎧。自分を大きく見せるもの。ダサくてはいけない。格好良く見せるもの・・・という考え方。そのままの自分では、駄目というものではないだろうか。実際にその人はどうかわからないが、少なくとも、私にとっては『映し鏡』だったのだ。私がコンプレックスを持っていると、そのコンプレックスを刺激するような人が必ずいた。服だけでなく、体型、学力、いろいろ・・・。周りの人にはいないのに、何故か私の周りには強力な人間がいつもいた。でも、最近はいない。その代わり、私は自分のことを少しずつだが認めることがきるようになった。人と比較した優越感や劣等感ではなく、自分にしか出来ない、自分らしいところが少しずつだがわかるようになってきたのだ。頭では人と自分を比べるのはよくないとわかっていたが、そのような時期って、あるんだよ。こうやって人は学んでいくんだよ。今の自分のまわりが、自分と同じ(鏡)と言うのなら、私は嬉しいな。長い年月をかけて、自分の内部を見ることができるようになってきた。以前レイキティチャーに言われた言葉で『あなたが自分自身に対して思っていることを、相手の人は言うのです』本当にそうなのねー。
2008.09.08
ずっとまえからあったこと。悪口とまではいかないが、誰かと話しているときに、『以前こんなことがあったんだよ』とか、『以前こんな酷いことをされたんだよ』という話を無性に話したくなるときがある。はっきり言ってネガティブだから、言わないほうが良いのかもしれないのに、相手によって無性に話したくなるときがある。話そうとすると胸の辺りが変に暑くなって私の体は「言わなくていい~!」と私に訴えているのにめっちゃくちゃそのネガティブな話をしたくてたまらなくなる。そして、葛藤の末「えぇい!!話しちゃえ!!」と話し始めると・・・決まって小さな子どもが「おばちゃん、これみて~」とか、「ねぇねぇ、あのね~」と話しかけてくる。話したくて仕方のない私にとって、『邪魔くさ~い!』と思うのですが、友人の子供だったリするので邪険に出来ない(笑)子どもの話が終わっても、無理に話すと、だいたい後で後悔することになる。なんとなくわかってはいたのよ(笑)流れからいって話すなっていうことなんでしょ?ってね☆だって、私の体も、ネガティブなこの話はここではしないほうがいい!って胸の辺りで大騒ぎしていたもん。大抵後になって『あんな話するんじゃなかったぁぁぁ』って後悔しまくりだもんね。(あの人にわたしはどう思われたんだろう・・とか)後になって気がつくんです。何故か、私が話すことで傷ついていることに。胸の辺りが、ざわついているのだ。で・・・。昨日、北海道神宮に一人で行った。本当は行く予定がなかったのだけれど、車を展示しているのを見に行くつもりが道を間違えて、気付けば北海道神宮が近かったから、参拝した。(ちょっと来なさいと呼ばれた!?)おみくじには・・・『原因が結果を生み、結果がまた原因となり、世の中は原因結果の連続だ。罪で作った財産は、不幸が起こって逃げていく。先ず徳を積むことである』その後行った書店では、『ネガティブな言葉がネガティブを引き寄せる』という言葉が目に入り、普段よく聞く言葉ではあるけれど、このときは妙に心に入った。そのあと、あ!そうゆうことか!と気付いたのでした。過去にこんなに酷いことがあった、酷い人がいたという話をしたくなって、その時に自分の体や、流れがそれを阻止しようとしていたのは、今、そんなことを口にしたら引き寄せちゃうよ~という警告でもあったのだ。勿論、絶対にネガティブな話をしてはいけないというのではなく、それが苦しくて、『解放』という形をとっているならいいと思う。今度から、ネガティブな話をしたくなっても、きちんと流れも読むし、私の体の声も聞くからね。そして、いいものを引き寄せるからね。よし、先ずは・・トヨタ・プリウスが欲しいから引き寄せるぞっ!
2008.08.28
う~ん久し振りの日記♪最近の休みといえば、キャンプばっかり♪三日前のキャンプでは、『ニホントカゲ』を見つけました!トイレの入り口に、太い蜘蛛の巣にしっぽと足を絡めて悪戦苦闘しているトカゲを娘が発見。金色の体に黒い縦じま模様。しっぽがきれいなメタリックブルー。体調約10センチ。私のほかにも友人が数人いたけれど、誰も触れず、私が足としっぽに絡まっている蜘蛛の巣を見事とってあげて(笑)その後は私の手のひらで少しだけ触らせてもらってからかえしてあげました。すっごくかわいかったぁ!!!あまりにも鮮やかな模様だったので、後で触った手が腫れ上がりはしないかと心配したが、大丈夫。家に帰ってから、ネットで調べたら『ニホントカゲ』の子どもと判明。改めて感動したのでした♪写真がなくてごめんなさいね~♪あまりにも突然の出来事で、自分のデジカメで写真をとることが出来なくて。でもでも、友人の携帯にバッチリ写っているので、入手出来次第載せます♪
2008.08.26
先週、友人と二人で原生林に森林浴に行きました。綺麗な森。苔の生えた木を発見。虫の目線になって写してみた。エゾアジサイの花が落ちていたので、一枚。いたるところにチシマアザミという花が。ふと通路の横に目をやると、おたまじゃくしがいっぱい♪友人と感激していた♪ここにくると、突然空気が変わったような気がした。はじめてみるような鳥をここで何羽も見た。感激した♪木に触れてみた。あたたかい気がした。上を見上げると、光が七色に射していた。葉っぱの間からの日の光。優しいね。ちょっとシダの間から向こうを覗いて見た♪葉さえも優しいこの森。桂。向こうが見える。おもしろい。いったい何年生きてきたのだろう。桂の木に触れてみた。あたたかく包み込んでくれるような優しくて大きな木。友人と約3キロ近く歩いたが、全く疲れなかった。全ての疲れを取り去ってくれ、あらゆる木の精に包まれるようななんともいえぬ心地よさでした。こんなにも森が素敵なんて。北海道に住んでいて、本当によかった。そう実感できた素敵な森林浴だった。
2008.06.30
久し振りに虹を見ました。随分長いこと虹を見ていなかった気がする・・・。珍しく長い間(一時間以上)虹が出ており、夕日に染まったピンク色の空に虹があって感動しました。何かいいことが起こるかな♪この日の夜の夢。野鳥が私の手に乗り、とてもなついて顔を擦り付けてきた。その野鳥は綺麗なスカイブルーだった。・・・幸せの青い鳥!?嬉しいねぇ♪*:.。☆..。.(´∀`人)
2008.06.26
わたしはこれまで、人に『あなたは大丈夫』って認めてもらって安心していたのかもしれない。早い話、自分で自分のことが『大丈夫』って思えなかった。自信がなかった。だから、誰かが認めてくれたら私は大丈夫(らしい)といつも人から承認をもらっていた気がする。で、何かがあったら不安になって誰かに『あなたは正しい』と言ってもらって少し安心して・・・。で、自分が人から否定されていたと知ると、パニックになりそうになる。そんなことが続いた。娘がクラスの女の子に嫉妬を受けて、嫌がらせを受ける。こんな出来事がまた起こってしまった。娘は心を痛める。自分にどこか悪いところがあるのではないかと自分の行動、言動を振り返る日々。いつも気を使い、自分らしさを出せない日々。それでも嫌がらせは終わらず、親の私や娘が先生に話して解決・・・。そんな日々が続いた。年頃の女の子たち。男の子に人気の娘に対して嫉妬してしまうこともあるだろう。娘は、この頃から嫌がらせを受けても、それを訴えても、当のいじめの本人が「そんなつもりはなかった・そんなことした覚えはない」と聞くたびに、傷つき自分を疑った。自分の感じたことを信じたいと思うのと、当の本人から『そんなことしていない』と言われるたびに自分の感覚を疑うようになっていった。だから、意地悪をされても、自分の勘違いなのではないかと自分を疑い、心も深く傷つく日々・・・。私が『自分の感覚・感じたことを信じる』と決めて、しばらくたった。でも当然、面と向かって否定されたり、違うところで否定されることもある。自分の感じたことが変なのか、違うのか。私がおかしかったのか・・・。そう自分で思うことは、本当に辛い。でも、時間がたつとやっぱり自分の感じたことが正しかったりする。こんなことの繰り返し。10年前は、自分が人に対してどのように感じても自分の感覚は一切信じなかった。それから見ると成長したようだが・・・。どうしても、自分のメンター的な存在に『私は大丈夫でしょうか』と確認したくなる。でも、その方には滅多に逢えない。そんな中再発した娘の悩み。解決しても解決しても後からどんどん出てくる嫉妬によるいじめ。いじめの本人に訴える・・・。これも大事なことだが、本当の解決にはなっていない。本当に解決するには、娘の心の中にこそ鍵があるようだ。これまでは、周りを変えようと頑張っていた・・・。鏡の中の自分を手を伸ばして変えるように・・・。ここまで語り合うと、大いなる存在は娘に何を気付かせようとしているのか。娘もなんとなくわかりかけてきたようだ。・・・あれ???・・・なにか私と似てない?えっと・・・共通点を探してみよう・・・あ、自分を信頼できないところだ。私はいつも「わたしってだいじょうぶだよね」と人に確認していた気がする。でも、今はそんな風に確認できないような流れが来ている。確実に流れが変わっている。・・・!意味がわかった。もう、人に確認するのではなく、自分で自分をはじめからまるごと認める時期に入っているのだ。これまでは50%信じて50%人の承認をもらっていたのだ。ちょっと怖いし、まだ本当の自信があるわけではないけれど、私は自分に責任を持って自分の感じたこと、感覚を人に確認せずに信じることに決めた。そう決めて夜眠りにつくと、朝方、曇りひとつないクリアーな水晶のピラミッドが何度も夢に出てきた。目覚めると朝。急に北海道神宮に行きたくなった。呼ばれているのかもしれない。暑くもなく寒くもない、心地のいい気温の中、北海道神宮に入った。参拝して、夕べ決めたことを神に宣言した。おみくじを引いた。『吉』だったが、内容は吉なのに凄くよかった。『運気盛んにして事をなすによいけれど万事細やかにきをつけて一度思い定めたことはわきめもふらず一心になさい何事も成功します』心の自立に向けて一歩すすんだ。はじめのうちは怖いかもしれない。でも、自分考えや、思い・感覚に責任を持って進んでいくことは自分の未来にとって、夢にとって、不可欠なことは間違いない。最近になって一度に起こった出来事は、これを示唆していたのかもしれない。そう思うと、宇宙や神々、あらゆる存在に育てられている・・・そう実感した。
2008.06.20
清清しい気分です。昨日私の大切な友に沢山話を聞いてもらいました。その方は、暖かくて、大きくて、まるで羽毛に包まっているかのような気分でした。人を判断するのではなく、丸ごと受け入れる人。人の本当の優しさって、本当に辛いときに身に染みてわかります。口先だけではない、本当の優しさ・・・。自分をいい人に見せようとしてきれいごとを言うのではなく飾らない、ただただ本当に太陽のような光を言葉と一緒に私にくれた友。人間関係のもつれで、沢山傷ついていた。そんなときに、ハッキリと明暗がわかるように私を飾らない優しさで助けてくれた数人の友だち。天使のようだった。本当に感動した。いざというときに、人がわかる。いざというときに、こんな形で勇気付けてくれて、私もこんな人になりたいと思った。辛い経験をした。でも、その分人の温かさがみられた。自分が経験したような酷いことは、決して人にはしない。心からそう思った。こんなに素敵な友を私と出逢わせてくれたことに、心の底から感謝したい。私の友達は、本当に素敵な人ばかりだ。本当にありがとう。
2008.06.13
六月に入ってから、いろんな意味で忙しい。最近になって、さまざまなことが終わりを告げている。・・・といっても、ひとつも悪いことではないんです。結婚して13年。これまでの結婚生活の中で、大きな悩みだった夫の母のことも、やっとやっと!夫が理解してくれた。13年間いろんなことがあったが、ずっと見て見ぬフリをされ、悲しかった。昨日ひょんなことからその話になり、気付いたら泣きながら子供のいる前でこれまでのことを話している私。何を考えていたわけではないのに、勝手に口が動く。その言葉に夫ははじめて心が動いたのか、これまでの自分の立場がわかったのか。結婚して初めて、夫が私の両親に温泉旅行をプレゼントしてくれることになった。私はこれまで、どんなことをされても、どんな人に対しても『仕返し』をしたことがなかったことに気がついた。子育ての一番大変な時期に夫の母の意地悪に苦しみ続けた。今思えばお気に入りのコップのひとつ割ったり、嫌味を言って悔しがらせたり・・・いろんなことが出来たはずなのに、そんな発想すらしなかった自分が素敵だ(笑)アハハ♪逆に、私は夫に対して同じ思いをさせたくなくて、滅多に私の実家に夫を連れて行くことはしなかった。(正月くらい)勿論私の両親は意地悪や嫌味なんて言わないが、気を使わせたくなかったのだ。私の両親も夫に対して同じ気持ちだった。昨日になって、初めて夫はそのことに気付いたのだ。照れ屋なので、面と向かって謝ることは出来ない人だが、夫の両親にプレゼントしようとしていた温泉旅行を、私の両親にプレゼントすると言ってくれた。嬉しかった。言葉にならない嬉しさが込み上げた。今日は、夕べ散々泣いたので目が腫れている。先ほど父に電話した。「父の日のプレゼントに温泉旅行をプレゼントするよ。」と。父は、遠慮しながらも喜んでいた。私になるべく迷惑が掛からないようにと、滅多に連絡してこない父。私は私で、母は再婚相手なので、気を使わせないようにとなるべく連絡をしないでいた。夫に自分の両親をいたわってもらうのって、なかなか嬉しい。涙が出る。ぜんぜん親孝行をしてこなかった私だけど、これからは喜ばせたいなと思った。やっと夫に理解してもらえた。長かったこれまでの苦しみが解放された瞬間だった。最近に入ってから、本当にいろんなことが入れ替わるように終わりを告げている。意識も変わってきた。先日、夢で、朝日を浴びながらカブトムシがピラミットを作っていた。そして、箱の中から、あらゆる種類の甲虫がさなぎから孵ってでてきた。その中で、「7月からはじまる」というメッセージがあった。素敵な友が少しずつ増え、刺激を受ける。景色が変わる。意識が変わる。見方が変わる。苦しかったことがどんどん終わりを告げているので楽しみになってきた。
2008.06.10
一ヶ月以上前。夢のなかでミツバチがやってきて私の額を刺した。ミツバチの針はなかなか抜けず、両手で引っ張っても引っ張っても抜けない。しばらく悪戦苦闘した結果、ミツバチの内臓が出て、やっと抜けた・・・。ミツバチは多分死んだ。目が覚めたら朝だった。深く印象に残る夢。これはなにか私に夢を通して忠告してくれている・・・。この夢を思い出したのは、昨日だった。あ、もうミツバチの針(いやなできごと)が抜けるんだ。と思った。そう。この夢を見てからずっとずっと一月以上苦しんできたのだ。夢のお告げは当たっている。この一ヶ月間、自分の感じたものが当たっていると思うのと、いや、違うかもしれない・・・という苦しい中にいた。そのほかにも、いろんな出来事がやってくる。私にとっては初めてのケースばかりだった。本当に大変で、苦しかった。そして、そのほかに自分流でゆったりと過ごして行こうとしていた私の元へ来た新しい?価値観。自分の中の芯の部分は、多分ぶれていないのだろう。最近流れがスムーズにいかなくなったこの状況を自分の奥から見ていたのだ。以前は、どんなときにも流れがバッチリだった。自分の中がいつも軽く、明るいもので満たされていた。しかし、最近は違った。明らかに流れが滞っていた。そして、心の中も得体の知れないもやもやしたものでいっぱいだった。そんな時、以前に買ってあった本に目がいった。今日はこれをやめてみよう!やっぱり使命感を持たないといけないのかな?やっぱりもっと勉強しないといけないのかな?今の自分では、まだまだなのかな?そんな疑問に対する答えが載っていた。肩から、力がどんどん抜けていった。使命なんて持たなくて良い。これ以上勉強なんてしなくて良いんだ。○○しなくてはいけない!なんていう考えは、私にとって流れを妨げるだけ。私はやっぱり自分の感覚を信じて、肩の力を抜いて自然体でいくの。人によって答えは本当にさまざま。これが絶対に正しい!なんてものはないと思う。この一ヶ月、本当に苦しかったのは、自分の感覚を半信半疑だったから。そして、最近。ふとしたことで、私の勘や感じたことが当たっていたことを知った。こうなると、芋ずる式でこれまでの嫌な感じの「何故?」がわかっていった。結局は、自分らしい考え、発想に戻っていった(笑)でも、迷子状態だった私にとって、貴重な貴重な一ヶ月だった。より、自分らしい自分になっていくための訓練期間のように。今日は天気予報では雨か曇りだったのに、晴れ渡っている。私の心の中のドヨンとした雲は、ようやく過ぎ去り爽やかな風と、太陽の光に満ちている。全てのいろんな出来事が、私の成長の後押しをしてくれている。ありがたいな。
2008.05.26
本当に久し振りの日記♪長い間日記を書かなかったのは、落ち込んでいたからと言うわけではなく、気が乗らなかったから(笑)さて、レイキ3rdは、3月下旬に伝授が終わりました。3回に分けてレイキを伝授されるのですが、最終日の伝授が終わる瞬間は、沢山の光の花(真っ白いスミレのような花)が上から舞っていたそうです。レイキティーチャーさんも、このような光景は初めてだったそうです。私にはその花はひとつくらいしか見えなかったのですが、私の周りのあらゆる存在が祝福してくれているかのように思いました。・・・だって、ここまでくるのは本当に大変だったんです。多分、ここまでのも、これからのことも私の魂は沢山計画している筈なんです。3歳で母と別れ、それから現在まであらゆる苦労がありましたが、一生懸命悩み、考え、今いる場所まで自分で選んできた・・・ように見えて導かれてきたと思います。さてさて、レイキ3rdが終わったら、爆発的に私は変わると思っておりましたが(笑)実際には、自分の中が変わりました。・・・っていうか、いろんなものの謎が見える?といいますか、洞察力がついた様に思います。これまでの人間関係で、わけのわからないもののカラクリが頭をひねって考えなくても、わかるようになりました。もちろん全てではないです(笑)映画「めがね」を観ましたか?あの、なんともいえない、本当の自由。心のコリが取れた状態・・・。私はレイキティーチャーに、「『めがね』のような状態になりますよ。そして、家族を大切にし、自分を大切にし、自分のペースで、幸せな満たされた状態のとき、上からふっとインスピレーションが来るんです。それをあなたは好きなときに、自由にアートをするんです」今の私の状況は、「めがね」の状態・・・気持ちが本当の自由・・・というより、どちらかというと、ほんもののめがねを着けた様に、人や状況がよく見える!って感じです。・・・で、いま、15歳のときから夢だった、『本を書く』ということがもしかしたら実現するかも・・・という状況になっております。先日、ある有名なカウンセラーでもあり、ベストセラー本を出している方から、講演会である質問をしたことがきっかけで、「あなた!本を書きなさい!!そして私のところに持ってきなさい!あなたの本を待って救われる人がどれだけいるか!あなた名前はなんていうの?」と言われたんです。・・・驚きました。でもどこかで、いつかこうなることは予想していた気がしました。ずっと昔から、生い立ちを本にすることがビジョンとしてあったんです。このさき、どうなるかわかりませんが、面白い展開になってきました。
2008.05.20
あと3日でレイキサード伝授の日です。今日までに、いろんな体験をしました。ある友人に勧められたセラピストさんに、セッションしていただいたら『あなたは、自分の力を使えます。あなたは自分の外側のものに依存しようとしている。天使にも依存しようとしている。レイキは必要ありません。あなたの外側から来るエネルギーに依存するのではなくあなたの内側のエネルギーを信じなさい。』こう言われた。その日から、レイキに頼っていたのをいったんやめ、自分の内側から(自分の中の内なる宇宙から)エネルギーを出すようにしてみた。その日以来、人の体にたまっている滞ったエネルギーがわかるようになり、触るだけで、意識するだけでその滞ったエネルギーが循環して行くようになった。実際、感情を子宮に溜めていた数人の女性は、その後数時間から一日の間に生理が来た。そのほかにも動物の感情がわかるようになった。動物は、人間が思っているよりもずっと、慈愛に満ち、繊細だ。人間が思うよりずっと、いろんなことをわかっている・・・。私の体は年末から、右ひざが卵大に腫れあがったり、左目に巨大なものもらいが出来た。(普通の人の酷いケースの2倍くらい)今は、膝の腫れも、ものもらいも完治した。最近では、唇に口内炎ができ、歯の根の治療のため痛みと戦っている。そして・・・二日前から、右耳からずーっと音が聞こえている。2種類の音。宇宙音のようなのだ。(ピープーピープーピプピプピプピーという音がずっと続く)結局、そのセラピストさんに『レイキは必要ない』といわれたものの、私にとっては特別な存在のレイキティーチャーなので、どうしても会いたい。私はレイキティーチャーに逢うことをいつも目標にやってきた。運命さえ感じる。大きな、大きな、宇宙のような人なのだ。最近目覚める直前に見る夢は、空を何十万羽の白鳥が北から南へと飛んで行く夢や、空一面の、星空・・・星座の絵が沢山描いてある一面の輝く星空の夢や、夫との関係を意味深に教えてくれる夢が多い。 * * 私がレイキサードを伝授してもらう3週間の間に、驚くことに、夫が厳島神社に行くという。夫はもちろん私のレイキのことも、知らない。突然、厳島神社の近くの会社で契約をするのに、出張になったのだ。夫は普段神社仏閣には全く興味がない。そんな夫が、『広島に出張になったから、厳島神社に行ってくるんだ♪』と言うなんて・・・・。何かが始まっている。私の体の異変も、浄化のようだ。私がレイキサードを伝授してもらったら、一体どんなことが起こるんだろう。私の魂からの喜びが待っているような気がしてならない。
2008.03.10
前回の日記の続きになるが、このところ母について思っていた。最近良く目にするのは、『母親らしさ』『私の中の理想の母親像』と言う言葉だ。シンクロだ。新聞でも、パソコンでも、友人から借りた本からもよく目にするのだ。『ホームレス中学生』を読んだ。友人から借りた本なので、早めに読まなくてはと思い、一気に読んだ。沢山泣いたし、沢山笑った。著者は、母親のことが大好きで、読んでいても母親の愛、息子の愛が伝わってきた。著者は、父親については全く恨みもないという。むしろ感謝していると。私は自分の親に対して恨んではいないが、感謝もしていない。最近の私は、自分の子育てと、母の子育てを比較してしまう。小さい頃はなんとも思っていなかったことが、親になって、子育てをするとそのギャップに驚き、つい、そこに母から私に対する愛を探してしまったのかもしれない。メッセージをもらってみた。 その人は、その人らしさを出しているのだ。一般とか、常識とはではなくその人は、その人なりに精一杯生きているのだ。だから、この人に愛されたのか?と疑問に思うよりもその人を理解して、その人の中の自分を見つけて行ったほうがより自然なのだ。自分が愛されたかにこだわる必要は全くなく、あるのは今そのままの人、あなたである。親という枠をつけて見るから条件を出してしまう。夫も妻も子も友人も、全て一人の人間としてみるときはじめてその人がわかる。あなたは枠をつけてその人を見ていた。母親なのに・・・と。そしてあなたも母であり、人間だ。子も年齢だけが違うだけで、子なりに一生懸命考えている。皆、一人の人間なのだ。親だから、先生だから、夫だから、妻だから、子だから・・・と常に考えていたら、相手の行動に制限をつけてしまうのだ。皆、尊い一人の人間。そうゆう目で人を見て行くとき、はじめて相手の気持ちがわかるときがある。
2008.02.06
自分と娘の関係を考えた。子は親の鏡というを言葉よく聞く。他人を見ていても、自分の親にしてもらったこと(いろんなことを含めて)と同じようなことを無意識に自分の子どもにしてしまうことはよくあるように思う。しかし、私の場合、今の母で3人目。生みの親は、私が3歳のときに両親の離婚で別れ、当時3ヶ月の妹がいたが、妹は母に引き取られた。4歳で新しい母が出来、同時に同年齢の兄が出来た。まぁ、ここからがよくある!?しっくりいかない母と娘の関係があるわけだが、小学6年生のときに、新しい母、兄、そして新たに出来た当時4歳の妹と両親の離婚で別れるのだ。17歳のとき、父が再再婚したので、また新しい母が出来た。前置きが長くなったが、私は、親と同じ子育てをするという意見に対して、実の母の当時の記憶がない。では、2番目の母親?・・・なんか違う・・・だから、自分の親と同じような子育ての仕方と言われても、正直わからなかったが、先日、友人と話をしているときにハッとした。たとえ3歳までしか一緒にいなかったとしても、私の子育ての仕方、考え方は、実の母と似ていることに・・・。実の母とは、数年に一度の割合で電話などで話をする。そのときは、あまり良い印象がない。どっちが大人だかわからなくなるのだ。気付けば、母の悪いところばかりを数えていた自分がいた。実母のいいところを見ようともしていなかったようだ。数年に一度電話で話すたびに、母は一生懸命自分のいいところを話していたり、苦労話をしているのだ。そして、私に説教も。母は、私に認めて欲しかったのかもしれない。母を恨んでいるわけではないが、尊敬もしていないと言うのが正直なところ。でも、ようやく入り口が見えてきた感じです。もっと母のことについて、掘り下げてみようとおもう。新たな気付きがあったら、また日記に書きます。
2008.01.25
先日、遠隔で友人にアカシックレコードリーディングというものをしてもらった。私は、自分にとって必要なものを見せてくださいとお願いした。結果は・・・感動的なものになった。時間を決めてリラックスして、その時間を待ち、自分のアカシックに繋がる準備をした。しばらくすると、白く、平たいものがギザギザにに揺れながら私の元へやってきた。これは珍しく、目を開けている状態で見えた。迎えに来てくれたのだ。それから目をつぶり、イメージでそれに乗ると、白龍がいるところまでつれて行ってくれた。その白龍は、私がはじめて見る白龍で、白龍のBさん(龍神様)とは違い若くて、うろこの感じもぴんとしている。目はルビーのように赤く、声優さんのような低い声だった。目の赤い白龍の背中にまたがると、丸い筒状のトンネルに入って行った。白龍はこれから何を見せるのか、背中に乗っている間私という者の説明等をずっと説明してくれていた。(今はすっかり内容を忘れた)目的地に到着すると、白龍の背中から降りた。私は、三蔵法師の格好をしている。連れて来てくれた白龍とは別に、私にとっておなじみの白龍のBさん(龍神様)がきて説明してくれた。いろんな人と関わるときに、目の前の人の心、魂を感じ取りそれを伝え、あるときは必要なエネルギーを注入しひとつの方向からではなく、いろんな方向、すなわち多角的?いや、玉を全体に見るような見方で相手の魂、心を見て、私もそれを見て共有し、感動し、あるときはアートで、文で、歌で、その感じたものを形にしていく。そして、イメージで見せてくれたが、私が降り立つとそこに水の波紋のようにエネルギーが広がって行く映像も見せてもらった。こんなに!こんなに!素晴らしいことを私はこの世でさせていただくのですか!!!と、感動して涙が出た。本当に嬉しかった。これらは私の大得意分野だと自分で感じ取った。私がやろうとしていることは、私ひとりしかいないことも。そろそろアカシックリーディングも終盤に差し掛かり、側にいる白龍のBさん(竜神様)に「ねぇBさん、そろそろ帰るから最後に背中に乗せてよ」というと、Bさんが背中に乗せてくれた。Bさんの鱗は、先ほどの若い白龍とは違う。一枚一枚がふわっと丸みを帯びていて、白銀に、優しく品よく輝いている。Bさんが私を乗せて螺旋を描いて上に上にと昇ってくれた。大きくて、すごく勢いがあって、安心感があってとっても気持ちが良かった♪そして、私は目を開けた。
2008.01.12
年末からの私の体は、大変化している。といっても、急にスリムになったわけではない。2週間ほど前に、いきなり右足の膝のさらのうえに、ゆで卵1個分の腫れがあった。それはもう、びっくりした。でも全く痛くない。触るとプリプリしていて、どうやら水が溜まっているようだ。一瞬青くなったが、どうも病気という感じはしない。これは私の体の中に溜まった長年の涙がひざにたまり出て行こうとしているのではないか??と思った。関節には、感情が溜まると言う。私は病院に行かない決心をした。そのときの私に必要なことは、自分の心の内奥と繋がることだとおもい、その時間を狙っていたが、あいにくそのときは大掃除でなかなか時間が取れない。ようやく時間が取れたときには、膝の腫れは卵SSサイズだったのがLLサイズの卵大になっていた。夫と子どもたちが買い物に出掛けた隙に、自分の内奥とつながった。聴いたことのないおばあさんの声で、解説が始まる。今までに関わってきた人たちのなかで、特に私がキツイと思った人たち大勢をイメージし、それをひとつの波動の集合体にしてみた。私がきついと思った人全員に共通する、彼らが持つ感情を感じた。そして、その波動の集合体を一人の人にしてみた。小学生の男の子になった。意地悪そう。生意気そう。辛らつな言葉を吐いてる・・・でも、寂しそう。どうして意地悪するのかも、なんとなくわかった。満たされない心、寂しさからであることがわかった。老若男女問わず、これってあるかもね。その男の子のお腹の部分が気になったので、光を入れてみた。次に自分のインナーチャイルドを出してみた。男の子と同じ歳位のかわいらしい♪女の子だ。すると、思いもしなかった光景が目の前で繰り広げられた。男の子と、インナーチャイルドの女の子が抱き合ってキスをして回転したかと思うと、ひとつになり、そのまま回りだし私の第1チャクラから二本の赤い線になり、縦にくるくると交わり(DNAのように)各チャクラを通ってクラウンチャクラ、そして宇宙に繋がっていった。第一チャクラから頭、そして宇宙へとズドーンと激しいものが突き抜けていったのだ。この瞬間に、ちょうど夫と子どもたちが帰ってきた。なんていうタイミングのよさ。ふと見ると、膝の腫れは、LLサイズの卵一個分から、SSサイズの卵縦半分の大きさになっていた。夫も子どもたちも、たった10分の間に小さくなった膝を見て驚いていた。それから1週間以上その大きさを保ったままだったが、前回の日記での第3の目を開いた状態で、相手の気になるところを撫でさせてもらい、その方の要らなくなったものを取り除くお手伝いをさせてもらっている間にみるみる膝の腫れが無くなっていった。周りのお友だちも驚いていた。宇宙のエネルギーなのかなぁ。すごいなー。私の体は、まるで膿みだしのように、あちこちから順番に変わった現象が起こっている。現在は、過去最高のものもらいが左目に出来、物凄い腫れ方をして、膿を出している。
2008.01.10
最近になって、面白いことが出来るようになってきた。 私の周りの親しい仲間は知っているが、・・・というより実験台に なってもらったのだ。 まず、妙に特定の人に会いたくなり、 あって、しばらくすると、その方の体の一部、主に背中が 気になりだすんです。 そのときには私の第三の目がぱっと大きく見開いている状態で 背中の一部(人によって場所が違います)を撫でるんです。 相手の体の感覚が私にもはっきりわかるように移ってきます。 撫でているうちにブロックであった部分や、 おそらくもういらないであろう手放すべき感情が肉体に 溜まっている部分がわかり、撫で続けるとどんどん奥から 必要のない溜まったエネルギーが出て行くのが 脳裏で感じるんです。 撫でている私のほうはエネルギーがどんどんあふれてくるので とっても気持ちが良くなります。 多分相手もそう。 撫でているうちに数年から十数年以上溜まっていたエネルギーが 出たと言う証に、げっぷが出るんです。 先日は一日に二人を撫でさせてもらい、相手の過去世が見えたり 逆に、未来を感じました。 以前から相手の特に背中が気になって撫でるということがありました が、自分を信頼しだしてから!?でしょうか。 パワーアップしたように感じました。 私の周りの友人たちも、どんどん開花しています。 みんな個性があって、それぞれのエネルギーがでて、 面白いなーと思います。
2008.01.08
長い 長い間疑問だったことがある。いったい、どこからどこまでが悪口なのか。誰かに言われてショックを受けて、聞いて欲しいときがある。でも、それを言うことは、悪口になってしまうのか・・・聞いてもらいたくて話した際に相手によって、悪口だととられる場合もあるし、本当に難しい。悪口の定義って、なんだ????あなたの中では、溜まったものをすっきり言いたいのと、それを言うと悪口になるという見えない鎖で縛られているのです。実は、殆どの人はあなたと同じです。ただ、そこに意味を見出したりすること無く、その場しのぎの部分もあるし、枠にとらわれることが気付かないうちにありそのまま過ごしているのです。あなたの言う悪口とは、感情の高ぶりのケースが殆どで、その感情の高ぶり(苦しさも含む)を表現することが悪口となってしまう。でも、言ってスッキリしたいというジレンマもあるのです。世の中の殆どは、「悪口・陰口はいわないこと」といわれておりますので、皆、何の疑いも無くいけないことだと思っています。人間は感情の生き物でもありますので、なにか腹の立つこと、嫌なこと、苦しいことがあれば当然のように心がざわつきます。そこに親しい人がいれば、話したくなるのも当然でしょう。問題は、悪口と捉えられるか、発散と捉えられるかのちがいですね。悪口とひとくくりに捉えて欲しくないというあなたの訴えなのですね。では、本当の悪口・陰口とはどんなものかといいますと、『故意のもの』となります。それは、愚痴でも発散でもなく、相手を陥れるために噂を流すなどです。そして、相手が噂によって独りぼっちになって悲しんでいるところを見て一人ほくそ笑むことなのです。私共が捉える悪口とはそんなところでしょうか。人に嫌なことをされて、そのことを聞いてもらう行為、すなわち発散とは、相手を陥れることでもなんでもなく、その人にとっての嫌なことがあったという事実なのです。何でもかんでも悪口と捉えるのはストレスになりますね。私共からみれば、発散しないで溜め続けるほうが心にも体にも毒といえるのですから・・・
2007.12.23
私は、直接は耳にしたことが無いが、噂を流されることがある。どんな噂なのか・・・わからないが、明らかにはじめてあったときと態度が違うのだ。何年も経ってから「実はね・・・」と聞かされることもある。その内容は、実際とは異なりすぎていて笑ってしまったことがあった。そんな人の側には、大抵決まったある種の人がいる。そんなこんなを乗り越え?今日の私がいる。どんな噂を流されているのかも知らないのに、噂撤廃をするのも馬鹿げているし、かといって、噂を「気にしない、言わせておけ」っていう気分にもなれない。無性に腹が立つし、悲しい。でも気がついた。噂を聞いて、ころっと態度が変わるひとは、所詮私とはウマが合わないことに。今、あなたの周りで起こっていることは、枠はずしですね?あなたの中で、枠が外れてきているのと同時に、一人ひとりが他人から言われて染み付いた先入観でみることから、自分の感性で見るという流れに変わってきているのです。あなたは、多くの噂を流されてきたのかもしれない。しかし、幸いあなたは直接その噂を耳にすることはほとんど無く、ただ噂を聞いたであろう人の雰囲気が良くない(又は急に変わった)という程度のまま来たのです。それはあなたにとって幸いなことでした。あなたのことを快く思っていない人がそれを 「悪口」とは取れないような形で噂を広めそれを受けて信じ込む人と、自分の目で確かめていく人大きく分けて2つに分かれます。あなたの元には、「噂で聞いたあなた」というサングラスのようなものを通してあなたを見るのではなく、あなたという人はどんな人なのだろうと、自分の感覚で判断した人が残る形となっているのです。本当にあなたにとって良かったことは、あなたに近づいてきてくれる人には自分の感性を信じている人が多いことなのです。ふるいみたいなものですね(笑)だからあなたはこの先どんな噂を流されようと、その噂を撤廃することなく、ただ黙って放って置けばいいのです。一概に噂は悪いものではなく、悪い噂を流されれば流されるほど本当の信頼できる友が発見できるものなのです。やはり、何度も言うように、一人ひとりが先入観を取り払い、どう感じたかということが一番大切なのです。だから噂は放っておきましょう。自然現象として放っておきましょう。一見悪いような中にも、このお陰であなたにピッタリな新しい友が待っているのかもしれないのですから。全てはうまく行っているのです。そう思ってあなたは自分を信じて進むことでそれを見ている人は必ずいるのですから。
2007.12.22
私は自分の中で重たいものを感じてきた。それはなんなのか、天使にメッセージをもらってわかった。私の考え癖のひとつに、自分の過去の言動を許していないというのがあった。そして、他人の過去の言動にもこだわっていた。「あ~、またあんなこと言っちゃった」「あんな風な言動をとって、よかったのかなぁ」就寝時、起床時、自分の過去の言動を徹底的にチェックしていました。それが日課になっていたかも。最近人と長く話すことが多くなり、振り返って自分の言動をチェックすることが大変になってきた(笑)チェックすることなんてやめたらいいのに、そのときに言葉を発している自分がまだ信用できなくて、ついついやっちゃう。でも先日天使と繋がって、このことに関して聞いてみたら、もう過去の自分の言動と、他人の言動にこだわるのはやーめた!!と本気で決心した。つい先程、ご主人が『言っちまったことは、仕方ないでしょ』といいましたね。わかりますか?あなたの重さの大半は、あなたの過去の言動を引きずる、そして、人の言動を引きずることなのです。それらは全て過去から来ているものです。もう今はありもしない過去をあなたは思い出し、悔やんでいます。どんなときでもそうです。それが今、まざまざと見せられ、そして、手放すときがやってきたのです。悩んでみてどうでしたか?(ただ苦しくて、悩みエンドレス・・・)そうなんです。あなたはずっと長い長い間、自分で作り上げた重荷を担いできました。もう、相当な量になりました。この先を軽く生きたいなら、もう過去の産物はいらないのです。今、たった今から、まっさらに変わりませんか?(ハイ!変わります!)一瞬一瞬を注意深く、今を生きればいいのです。反省の必要はありません。
2007.12.10
都留晃一さんという人の文をよんで、ずっと疑問だった今の自分の現状が何故このようになっていたのかがはっきりとわかった。私という存在が、魂の成長を望む人のお役に立てたら良いなとちょっと書くのもためらってしまうが、思っていました。そんなに立派な人?私って。なーんて突っ込むもう一人の私もいる(笑)それが奉仕するということに当てはまったのか、都留さんの文を読むと見事に当てはまるんです。いつも複数の思念が私の体に絡み付いている感じがしていた。依存されてイライラしている自分がいる。複数の意識が飛んできて、『私を誉めて。私を見て。あなたがいないと駄目。』と感じる。苦しくなる。肩がこる。頭が痛くなる。どうして?どうして?どうしていつも依存してくる人がいるの?意識を切り離そうとしても、どんなにやっても駄目だった。奉仕したい、他人の成長のお助けをしたいと考えていたが私が依存させていたことがわかった。なぁんだ、この現象は私が引き寄せていたものだったのかぁそのからくりに、やっと気がついた。要は、誰かのために自分を犠牲にするのではなく、『自分がやりたいからやっている』ということだと。だからこれからは自分のしたいことだけをやっていこうと思った。(これまでもそうしていたつもりだったんだけどね。意外と見えない落とし穴があったわぁ)
2007.10.11
私の周りに○○○な人がいる。類は友を呼ぶ!?私も同レベル!?恥ずかしい・・・というのはもうそろそろやめようか。とことんそんな人を見て感じ取ってみようかな。いろんな見方が出来るようになったらいいな。そのことについてメッセージを取ってみた。◎今のあなたの段階というのは、自分で知っていますか?(『受け入れる』でしょうか)そう。あなたにとって今まで『否定』としてきたもの。自分で「こんな人が私の映し鏡!?」と思ってきたもの。『この人嫌な態度をするなー』と思ってきたもの。それらの全てをこれまでよりも遠くから見た形で受け入れるのです。こうゆう現象が起こるから自分はまだ低い(幼い)とか、現状を受け入れずに来ましたが、全ては受け入れて、否定しないことで前に進むのです。人に嫌な受け答えをされ、いちいち感情的になることをあなたは沢山してきました。次は、その相手の嫌だと思うその態度等もどこから来たものなのか想像することもできるでしょう。そうして広い目で人を見ることで、相手のことも理解していくのです。怒ることは『悪』ではないのです。怒ることも全て踏まえてその気持ちすら受け入れていくのです。否定するということは、それを飲み込めずに目の前にためていくということになります。それらをよく咀嚼して、受け入れていくのです。そうすることでその『受け入れたもの』は喜びますし、新たな学びとしてあなたの血となり肉となっていきます。これらのことをひとつの言葉で『許し』とも言いますね。でも、いいですか。受け入れなくてはならないと受け入れることが出来ないのに無理に丸呑み(受け入れ)してしまうとどうなるかわかりますね?喉や胸に詰まってしまうんです。どうしても受け入れられない。そんなときは、『どうしても受け入れられない』その気持ちを尊重して受け入れるのです。何事も無理はいけませんよ。そして、そのうち時が経ち、自身の心も変わってゆくと、ものごとや人がそれまでとは違う角度から見ることが出来、受け入れることが出来るようになるのです。私が強く言いたいことは、自分のどんな思いも感情も自分で受け入れ、否定しないでいると進み方が本当に早くなるということです。今の自分丸ごとを受け入れていてください。そうすることでぐるぐると繰り返す回線から脱出できますよ。自分の思い一つ一つを尊重してくださいね。~だから私は駄目なんだと思わずに。人を受け入れる前に、自分と、その思考、感情を受け入れてみてくださいね。
2007.10.05
私はいつも自分に正直でありたいので 物事ははっきり言います。 先日、ある関係で数人集まったとき、「あれ?」と思った。 なんとなく、なんとなくだが、様子がおかしい。 恐らく私の陰口までには発展していない様子。 でも、私のことを好ましく思っていない様子がわかる。 その時、そんな人たちの様子と無言のメッセージを敏感に感じた。 数人対一人の私となると、どうしても私が悪いんだ・・・と なってしまう。 でも、よく考えた。 私が何をしたんだろう。と。 恐らく、はっきり物を言うことからきているのかと。 え?それって悪いことなのかな。 でも、そんな雰囲気が伝わってくる。 言葉に関しては注意深くしているので傷つくことは言っていない(と思う) そのうちどんどん「私が悪いことを言ったんだ・・・私は駄目なのかな・・・私は幼いのかな・・・」と自分を追い込んだ。 そして、どんどん苦しくなっていった。 次の日。とある病院内に飾ってある詩が目がはいった。 内容は確か、どんな小さな夢でもいいから夢を持とう・・・という内容。虹色の字で書かれていて、とても綺麗だった。 その詩とは関係ないが、いきなりメッセージがきた。 あなたはそのときにどのような感じを受けましたか? その感じたものは、綺麗なものでしたか? それともあなたが苦しくなるような感じでしたか? 相手がどんなに正論を振りまいていたとしても、 あなた自身がその方たちから受けるものがダークなものなら、 あなたは真に受ける必要は無いのです。 このメッセージが来たとたん、私の心はパーッと晴れた。 そうか!他人がとやかく言おうと、 どんなにこちらがぐらつくような正論を振りまいたって、 自分を責めてペシャンコにするのではなく、 言葉の内容よりも、 私がどのように感じたかを見ていけばいいんだ! そうすることで私は人の言葉や、攻撃でも凛と立っていられる♪ そう気付いた。 人に影響されない強さを持ちたい・・・そう考えていた私にとって、この上ないありがたい体験であり、大きな気付きとなった。
2007.08.29
人と比べて自分が小さく見えたり、或いは、人から大きく見てもらえたり・・・以前、他人の自分を見る目を基準にしていた自分がいました。だから、自分を大きく評価してくれる言葉は嬉しかった。でも・・・誰かに言われたから自分は大きいのだ♪と調子に乗りそうな自分が危険に感じた。そんな時「いつも等身大の自分自身をみてください」そうか。そうなんだ。いつも等身大の自分を見ていたら、少なくとも人の酷い言葉に惑わされることも誉め言葉に酔いしれて、肝心な部分が見えなくなるようなことがなくなるかもしれない。人から誉められると嬉しい。でも、そこにしっかりと等身大の自分をわかっていたら調子に乗りすぎることもなく、ただ喜ぶことが出来る。人から見る自分が心地よいものであっても、いつも自分自身が等身大の自分をわかっていれば・・・ひとつ私が恐れていることが 無くなりました。
2007.08.09
これらの写真は、私がいつもお話いている白龍のおじいさんのBさんです。7月8日のお昼頃でした・・・10分ほど出てその後太陽と重なりました
2007.07.10
天気のいい日曜日。 家族で車で1時間ほどかけてチカ釣りに行くことになりました。 その途中の一時停止で偶然見た平屋建ての一軒屋に2羽のつがいが巣を作っているのか、出入りしていました。 その瞬間、すずめは足を糸状のものに引っ掛けて、宙ぶらりんになってしまいました。 私『助けなくちゃ』 夫『いいから、(魚釣りに)行くぞ』 後ろ髪を引かれる様な思いでその場をすぎて行きました。 港に着くと、夫と子供たちはチカ釣りを始め、私は車内で読書。 様子が気になり夫たちの元へ行くと、クーラーボックスにチカのほかに、食べても美味しくないと言われる魚も入っていたので海に逃がした。その様子を見ていたほかの釣り客も同じように食べても美味しくない魚を海に逃がしていた。 その魚たちは命拾いして元気よく海へと帰っていった。 ・・・とここまでは良かった。 私たちのすぐ隣に50代位の夫婦がやってきた。 その人たちもチカ釣りに来たようだが、釣れる釣れる・・・ 食べても美味しくないと言われる魚ばかりが・・・。 そして、その魚は海へ返すわけでもなく、足元にどんどん置いている。どんどん増えていくアスファルトの上でバタバタ跳ねる魚たち・・・。でも、釣ったのはその夫婦。 娘に『魚がかわいそう!お母さん、あの人たちに海に帰すように言って!』 私も意を決して、軽い感じでその夫婦に『魚がかわいそうなんで、海に返してあげてもいいですか?」というと、その夫婦は『海に返したら、また針に食いついちゃうでしょ』 こういわれたら私は何も出来ない。 そうするうちにもアスファルトの上に魚は増えていく。 娘には、『おかあさんは助けたいけどこれ以上は出来ないの・・・。でも、○○は子供だから、子供の権限?で、勝手に助けられるよ。』といい、私はその場にいるのが辛かったので車に戻った。 しばらくして、子供たちは目を真っ赤にして戻ってきた。 娘が路上に放置されて苦しんでいる魚を見て、勝手に海に逃がしてあげていると、その夫婦はまだ生きている魚たちを足で踏み、海に『カモメのえさだ!』と投げたらしい。 海は魚の死体でいっぱいになったという。 この日、私は自分がこのような時、どうしたらいいのか 沢山考えた。生き物を大切にする・・・一体どこまで? どこに線を引いたらいいの? あの釣り人を責めることは、違うと思った。 人を善悪で裁くことは出来ない。 一体どこに線を引くの?物事の境界線ってどこ??? そんなことを思っていると 「線なんて、どこにもないのです」 頭の中で声が響いた。 そして、以前TVで観た、 接触事故が多い道路をどのようにしたら事故が少なくなるのか・・・それは、中央車線を消したら事故が圧倒的に少なくなった・・・ということが思い出した。 「そう、線を消すことで、各々が自己の責任においてスピードを緩める等の処置をするのです」 そうなのだ。一人ひとりが注意深くなることが大切なのだ。 線が引いてあるから、人は注意散漫になってしまう。 他人を制することは出来ない。 他人を変えることもできない。 だからこそ人の心に線を引きたくなるが、引けない。 皆愛すべき点をもっている。 今回のあの夫婦も、多分良いところがある。 ○○な気持ちを持つ人は×とは決められない。 だからこそ、一人ひとりがその時その時を注意深く見るのかもしれない。 帰り道、すずめはまだ宙づりのままだった。 一度だけ羽ばたいたように見えた。 助けたかったが、夫はそのまま止まることなく車を走らせた。 私には、いつも助けなくちゃ!というものがある。 でも、どこまでやったらいいんだろう・・・といつも思っていた。 この事に関しても、線なんてどこにもないのだ。 チャネラーさんにこのことを話すと 「命についての勉強をしましたね。 魚のことに関しても、すずめのことに関しても、 そして、どんなことに対しても、 立ち上がれる人が、立ち上がるんです」 と教えてくれた。
2007.06.27
現在レイキセカンドの伝授を受けている。3週にわたって マントラとシンボルの伝授を受け、そのつどレイキティーチャーに宇宙エネルギーを通りやすくしてもらっている。 現在2週目。 この間間にいろんなことがあるんだろうと覚悟していた。 その出来事たるや、すごかった。 レイキセカンドの一つ目のシンボルを伝授の日の前日の夕食前。 味噌汁をおわんに入れ1~2分経った頃、娘がこぼした。 どこの母親もそうだと思うが、味噌汁をこぼされたら嫌なものだ。私はぷんぷん怒っていた。 火傷するほどでもない味噌汁だと思っていたのに、 娘の手は真っ赤。 冷やしても赤みは引かず、腫れてきた。 翌朝。レイキセカンド一つ目の伝授の日。 相変わらず娘の手は真っ赤で少し腫れている。 右手なので鉛筆は持てそうにない。 そして、学校にも行きたくない様子だった。 学校に火傷の話をして娘を休ませることにし、 なんとなく娘の火傷より心のほうが気になったので 少しずつ学校の話をほじくって聞いてみた。 いじめられているようだった。 それも、一人や二人ではなく、女子の大半に無視されたり どつかれたり、娘を睨みながらコソコソと耳打ちしたり、 やってもいないことを娘のせいにされたり・・・。 掃除当番では、本来順番に掃除用具を使うのに、 いつも娘だけがちりとりをさせられ、やっとの思いで 教室のゴミを掃ききったと思ったら、Aちゃんがわざわざ関係ないクラスの前の廊下のゴミを運んできて 「ちりとり係!ここにごみがあるよ!はやくとって!」 娘はA子ちゃんに「それはおかしい」と抗議していたが、 威圧的で聞いてもらえないという。 娘によると先生や男の子の前ではA子ちゃんの態度は違うという。 今年からA子ちゃんと掃除当番が一緒になって毎回のようにちりとりをしていたせいなのか、目がアレルギーになってしまった。 塾では学校でも同じクラスでもあるBちゃんに、いつも威圧的にBちゃんの勉強が終わるまで待つようにと言われ、1時間くらい娘は待っていたという。いくらBちゃんに先に帰りたいといっても言うことを聞いてくれなかった。 ある日、どうしても先に帰るというと、「それじゃ、今度の塾の日は絶対に一緒に帰ろうね!約束ね!もし一緒に帰れなかったら、あなたはBになにしてくれるの!」「・・・約束を守れなかったら、ノートをつけるよ・・・」ノートとは、塾の学習プリントが終わったら、その日にどの教材をやったのか等各自ノートにつける作業だ。 学校でも塾でもこんなやり取りがあったというのだ。 娘も自分がいじめられているという認識はなかったが、 私に一つ一つ話すうちに自分はいじめられていたんだ!という 認識に至ったようだった。 その日は私にとって予約してから3ヶ月待ったレイキ伝授の日だったので、娘を家に置いてレイキ伝授を受けに出掛けた。 レイキティーチャーにその旨を話すと・・・ちょうどこの日にもらうシンボルとマントラは身体的なものに効くという。 空中にシンボルを書きながらマントラを3回心の中で唱えながら、手から宇宙エネルギーを放射する。 娘の火傷は、まさに、グッとタイミング。 帰ってから早速娘の手にレイキを通した。 とりあえず、痛みは引いたようだった。 それからすぐに先生に電話し、娘が私に話してくれたことを伝えた。娘は今回の一件はおおやけにして良いと言うので、 先生には娘が傷心しきっているので、明日は休ませること、 そして、この件で傷ついて学校に行きたくないと言っていることをクラスのみんなに伝えてくれるように頼んだ。 先生と話していてなんとなく娘の考えすぎ、敏感すぎなのではないか・・・というものが伝わってきたので、 私の経験上、娘の話してくれたことは筋が通っており、信憑性があることをしっかり伝えた。 先生は娘と直接話がしたいと言ってきたが、 なんとなく娘が先生に丸め込まれる様な気がしたので、 「娘はいま、心が傷ついている状態です。大人のように出来事を理論的に話せるような状態ではありません」といって お断りした。 翌日夕方。先生から連絡が来て学校に行った。 誰もいない教室で、これまでのいじめの話を改めてした。 先生は娘が休んだ日に、生徒たちに娘のことを語り、用紙を渡して娘に対するメッセージを書かせたらしい。 そのときの様子と、一人ひとりの用紙を先生が読み上げていった。 「ね。みんな、○○ちゃんのことを心配しているんだよ。 ほら、この子だってこんなに○○ちゃんのことを心配している・・・」 私には、先生が子供たちが100%正直な心で書いたとは思えない文を見せながら、娘の捉え過ぎと言わんばかりに娘に言い聞かせていた。 私は「一見、この文だけを聞いていると、娘は捉えすぎで、本来は何も問題がなかったととれますが、私は冷静に娘の話を聞いて、自分の経験から見ても、娘の話のほうが現実味があります。そして、娘が体験したことは事実だと思っています。」 と伝え、先生が何とかこの場で円満解決を・・・という思いを 壊した。 このままでは、何の解決にもならず、肝心な部分が何も変わらないからだ。 その夜、Bちゃんの母親と電話で話した。 やはり、Bちゃんの母親の立場ともなると、多少のこちらの発言に対する疑いも出てくる。 その辺のこともきちっと話し、Bちゃんに確認を取ってもらってから改めて電話をもらうことになった。 そして、Aちゃんの母親とも連絡が取れ、その旨を話し、Aちゃんに確認を取ってから、改めて連絡をもらうことになった。 Aちゃんと、Bちゃんは娘からみても、私が話を聞いても、特にひどいなと思ったから、この2家庭にだけ私が母親と話すことにしたのだ。 翌日。Aちゃんと、Bちゃんの母親から電話連絡が来た。 双方とも、涙声なのか、小さな声で謝ってきた。 どちらも親子で沢山沢山話し合いをし、泣いたりして、反省したようだった。 「配慮が足りなかった。これから教えていこうと思います」 双方の母親が言った。 そして、どちらも 「○○ちゃんとは娘はこれからも仲良くしていきたいと 言っています。いつも苦しいとき○○ちゃんに助けてもらっていたのに、本当にこんなことをして申し訳ございませんでした」 と言ってくれた。 今回、私は相手の母親を責めることはせず、事実だけを話してきた。 こうゆう場合、こちら側があんまり感情的になると不利だからだ。 母親たちと話し合った内容は、連絡帳に書いて先生に渡した。 あとは学校に行って、娘といじめに携わった子、先生を交えて話し合いをしておわりだ~!今日の夜には全部終わってる♪ ・・・と思ったら、娘は今までにないくらいに落ち込んで帰ってきた。 先生に怒られたという。 「どうして先生やお友達に相談しなかったの!!」 「Cちゃんがいじめたっていうけど、それはちがうよ。 あの子は優しい子だから。」 「お母さんたちだけで話し合うなんて駄目なんだよ!」 「○○ちゃん(娘)だって、悪いところがあったんじゃないの!?」 そして、娘とAちゃんは別室に2度も呼び出され 2度も同じ話をされて、怒られたという。 私がしてきたことが、先生にぶちこわされたのだ。 冷静に娘から先生になんていわれたのかを一つ一つノートに書いた。 娘には「先生にまた怒られるから、悪いのは全部自分なんだから、お願いだから先生に電話するのはやめて!!!!」と 言われた。 いつのまにか、悪いのは全部娘になっている・・・・ カーッ!!!!ときていた。 学校に電話して先生を電話口に呼び出し、 「娘になにを話したんですか?今まで以上にひどく落ち込んで もう学校に行きたくない、と言ってますが。」 先生はしどろもどろに順を追って話し始めたが、 「『どうして誰にも相談しなかったの!』って言ったそうですね。それが出来ないから今日ここまで来てしまったんじゃないですか! 私は娘が話してくれたことは嘘偽りがないと思ってます。私の経験上、今回のような流れになってもおかしくないと思ったからです。 先生が今回娘に発言したことは、先生として言ってはならない発言ですよ!!! 一昔前の大人の対応じゃないですか! ぶち壊しですよ!・・・」などなどまくし立てた。 先生がこの日、娘たちをたたみこんだように、 私が先生をたたみこんだ。 先生は「そんなつもりじゃなかったんです・・・配慮が足りなくって・・・」と話していたが、 「『そんなつもりじゃない』って、娘は縮みあがってますよ! 結果としてそうなってますよ! 先生の対応が変わらないのなら、私は校長のところにも どこでも行きますから」 といって電話を切った。 翌日、娘は元気いっぱいに帰ってきた! 朝、教室に行くと先生が走りよってきて、娘の背中をさすりながら「ごめんね~ごめんね~」と謝ってきたという。 他に娘を無視したり、睨んだりした子供たちも一人ひとりが 「いままでごめんね」と謝って来たという。 娘によると、今まで威圧的だった先生がフッと小さく優しくなり、それまでの教室内のぴりぴりした雰囲気は優しくなったと言う。 先生から連絡帳が戻ってきた。 「○○ちゃんがクラスのみんなに投げかけてくれた問題は 今までの自分を見つめ、考えるとても大切なこことなりました・・・」 今回自分でも本当に誉められるほど、私は頑張った! 私は娘を100%そのままでいることをみとめ、 娘を守った。 娘の視点はいつも大人のようだ。 確かに他人に比べると感受性が豊かだ。 感じすぎるなんて思わない。 それが娘だから。 今まで、自分の思うように娘にここを直せと言ってきた。 今となって、娘は娘のままでいい。 ありのままの娘の姿をそのまま認め、 いつも親として注意深く見つめて、 今回のように、いざというときに守ってあげることが親として出来ることと思った。 そうすることで、子供にも責任をもって前に進むことや、 愛され、守られている安心感を感じるのだと思った。 今回の私は、ひとつとして娘を否定しなかった。 完全肯定して守った。 そして、他の子も、親と充分話し合い、現状で不満な点や ストレス等を親に話しただろうと思う。 親も勉強し、子も学んだ。 結局、人間には、悪人も善人もいない。 そのときそのとき、適切に学んでいくんだね。 レイキセカンド伝授中は、普段起こらないような問題?が 起こり、必ず解決できるようになっているようだ。 私から気付き、はじまった光は、私を中心に回りに広がっていく。 いま、娘のクラスの子供たちは、本当にキラキラした笑顔で満ち溢れていた。 ドラマのような展開で、簡潔に終わった。
2007.06.01
先日変な夢を見た。 父親が死に、体をばらばらにしてクリーニングに出す衣類と一緒にビニール袋に入れている。 夫の車に入れているが、暑いところに置いてあるので腐敗するのが不安。何より夫の車に匂いがついてしまうのではないかという申し訳なさのほうが大きかった。 夫は袋はきつく縛ってあるから大丈夫といった。 夢の中では3日経っている。 早く火葬場に持っていかなければ・・・と考えていたところで目が覚めた。 なんて夢なんだろう。 びっくりした。 ちょうどベット脇に日記帳とペンが置いてあったので、 眠れなくなったついでにどうしてこんな夢を見たのかを 天使に聞いてみた。 あなたの親に対する思いであると同時にそのように扱っているご主人の姿も感じ取れますよ。 本来、子にとって親とは絶対的に大切なものです。 それをそのような扱いをしたうえに、あなたがご主人に気を使っている姿こそが今のあなたとご主人の関係を物語っているのです。 世間で言う夫婦のわがまま、人権主張、近所、いろいろあるでしょうが、あなたたちの場合明らかに差があるのです。 あなたが親を粗末に思うほどあなたは自分を軽んじていると言えるメッセージなのです。 だからこそ、全てにおいてあなたのインナーチャイルド、 人格においてあなたは軽く見すぎなのです。 あなたは捨て駒ではありません。 あなたは大きな大変貴重な人格を持った立派な魂であり、人間なのです。 自分の価値を認めるように努力してみてください。 あなたはもっとわがままでいい。 今のあなたでは助けることが出来るのはあなたと同じような自己肯定間が全体的に見て低い人(価値がない、もしくは少ないと思っている人)だけしか助けられないのですよ。 子供が何故親を大切に想うのかわかりますか? それはたとえどんな親だとしても、親を大切に想う分だけ自分を想うことに繋がるのです。 あなたは子供の頃、父親をまだ評価していなかった頃、 本当に大切な、自分の命よりも大切な存在だったのです。 その頃のあなたは幼いながらも、世間のことは知らないながらも、人格を持ち、親を大切に想う分自分自身を尊重していたのです。 あなたがその後感じてきた世間というものさしであなたは親を評価し、自分自身も同時に評価してしまったのです。 子供にとってはいくつになっても親という存在は自分を表す絶対的なものと写ります。 その親を評価してしまうというのは、おのずと自分を評価することに繋がります。 世間の常識というものさしで自分と親を計っていますが、 果たして本当にあなたが見てきた世間が正しいのでしょうか。 私共は世間を知らない子供の心の頃の価値観もとらわれも ものさしもない心の目で見、感じた親の姿こそがあなたを映し出す姿だと思っています。 だからこそ親を理由も根拠もなしに愛していたのです。 世間的に見た姿ではなく、子が親に対してまっさらな目で見た姿こそが親の真の価値であり、子の価値であり、 誰もが親を恨みながら生まれてくるわけではありません。 必ず親をただただ愛した時期があるのです。 そのときを思い出し、心にもう一度入れてください。 その後、親に虐待されたことを思い出したとしても、 それはあくまで表面の人格です。 どうか、子供の頃に感じた親の大きさ、偉大さ親に対する尊敬の念、大きな気持ち、愛を思い出してみてください。 本来の尊いあなたはそこにあります。 本来の価値とは、魂の目で見た親の姿を見る子供の愛です。 あなたは比べるなら子供の頃のあなたと今を比べてみてください。 自分で足りないと思っている点がそこにはあるかもしれません。
2007.05.14
昨日は4月22日 良い夫婦の日だったそうな。 その前日の夜、私はパソコンしていて、子供たちは 和やかに遊んでいて、主人はお酒を飲んだあと二階で眠っていた。 それはそれは和やかな・・・。 むくっと主人がおきてきて、テーブルの上にある夕食の残骸を見て 「はぁ~。おまえだったらどうして片付けないんだろうな!パソコンばっかりやって○×△*・・・」 と言いながらビールを出していすに足を伸ばして、 文句を言いながらくつろぎ体制。 とっさに、私は悪い母!妻!と頭がよぎる。 いつもは「ごめんなさい!」って早くに片付けたり、 主人の言うことを聞く妻。 ・・・ん?まてよ? 今日は珍しく疑問に思った。 以後、私の口が機関銃になった。 「・・・って言いながら、何であなたはくつろいでいるの?! 私はゆっくりやりたいときにやるから気にならないんだ。 どうして気になるあなたがお酒飲んで寝て読書、飲んで寝て読書を繰り返して、文句言ってるのかな! 気になるなら、気になる人が動けばいいんじゃないかな! 男は働いているからそれでいいって言うのは、おかしいと思う。」 主人は飲み残したお酒をそのままに 捨てゼリフを言いながら二階に消えていった。 私は自分を正当化しているけど、 本当のところ正しいのかどうだかわからないけどね、 私思うんだ。 家事ってやってもやっても仕事探したらいくらでもあるよね。 いろんな意見があると思う。 でも、自分がくつろぎたいときにくつろがないで、 我慢に我慢を重ねて、年とって爆発している人もよくみる。 そんな人は大抵被害者意識が凄くて。 そして同じようなことを押し付けがち。 私は嫌なものは嫌だし、自分のために無理やり嫌なことは しようとは思わない。 我慢できないような嫌なことは、日々を快適に過ごすために主張していくの。 ある人から見たら「まちがってる!母、妻たるものは・・・」と 怒りそうだけど、人のせいにしていきたくないから。 朝。読売新聞の日曜版に、漫画「あたしんち」が載っていて、 内容は、母は子供も夫も自分に甘えているとおもって、 「これからびしびし行きますからね!」とガンガン子供や夫を怒鳴りまくるんだけど、実際のところ、母が結構置忘れとか、冷蔵庫閉め忘れをしていて、裏では母が知らないうちにフォローされているという内容。 子供たちが読んで読んでというので、読み上げてあげたら、 後ろには珍しく主人もニコニコして聞いている。 「あー、お母さん(私)と一緒だね!皆どこの家庭もこうなのかもね(笑)」と笑っていると、 主人が新聞をめくり「もっとお前のようなものがここにも載ってるぞ」 新聞を見たら、新刊本の宣伝。 『30点かあさん』 という本。 お母さんが自転車の前後に子供を乗せて、楽しそうに坂道をシャーって降りている画。 そこにこんな見出しが。 「うちのおかあさんは、お料理やお掃除はちょっぴり苦手。 でも、そんなおかあさんが大好きです」 以来、私は主人に「30点かあさん」と ニコニコしながら何度も呼ばれている。 なあんだか、肩の荷が降りたって言うか、 楽になった感じ。 そのあとは、あるブログで 亡くなられたお友達の夫婦間の話を読んでいたら 主人がやってきた。 「私が死んだらどうする?私のお葬式であなたの知らない顔ばっかりで、あなたは近くにいながら私のことをぜんぜんしらなかったって後悔するんだろうね。 だって、あなたは私のことを知ろうとしないもん゚.+:。(pωq)゚.+:。エーン」 と泣いた。 主人は私の肩をもみながら 「30点かあさん・・・」とつぶやいた。 私はかなり幸せかもしれない。 主人は30点の私でも満足してくれている。
2007.04.25
夕べTVで、沖縄県は「自分大好きな人が多い第1位」とやっていました。沖縄の人でCMに出たい人を募集し、その人たちに自分の長所・短所を用紙に書いてもらうと・・・ほとんどの人が長所をびっしり書いている。おまけに短所の字を自分で消して、そこに自分の長所の続きを書いている人も。インタビューした農家の方や、街の方、全員が「自分大好き」と言っていました!そして、「あなたを芸能人に例えると」の質問にも堂々と「松坂慶子」とか、綺麗どころの芸能人の名を躊躇なく言っちゃうんです。これをみて私すごーく羨ましくなりました。私もどちらかといえばそうゆう性格・・・。自分の嬉しかったこととか、自分ってすごいなと思ったことも話したくて仕方がなくなるんです(笑)よく私は友人から天真爛漫なんていわれました。でも、北海道ではあんなふうに堂々と言っちゃう人はお祭りやお酒飲んでハイになっている人くらい。しらふでなんて言えないかもー。いいなー!沖縄!自分が大好きな人がいっぱいいるから沖縄は波動が高いんだ!だから人にやさしくなれるんだ!自分が嫌いって言っていた(そんな時もあった)ときって、人に優しく出来たかなぁ。自分が嫌いなことが当たり前の人たちの中に入ると、自分の欠点が気になり、見られているような感じもするけど、自分が大好きなら、人の欠点なんて気にならないよね。私はあの番組にヒントをもらった気がして、背中をぽんと押された気がして、嬉しくなった♪いいんだよ!すっごく個性的だけど、どんどん出していこう♪そして、自分大好き楽しいパワーを撒き散らしちゃおう!!
2007.04.11
沖縄に行ってからと言うもの(しつこいか!?) 以前のようにノートに書いているときにメッセージを もらう形から、なんでもないような一人のときに ポンと一言メッセージでくることが多くなった。 数日前、就寝前にベットでありがとうの祈りをし終わって 眠ろうかなと布団に入った瞬間に 「感謝をして暮らしていると、地上は天国に見える。 感謝を忘れると、人のあらが見え、不平不満がでてくる。」 という一言メッセージが。これは白龍のBさんから。 感謝をすることで、人の良い部分がピックアップされ、 自分の魂が輝きだし、波動があがり、さらに良い人が 自分の周りに集まってくるという相乗効果もあるそうだ。 これは、イメージで見せられた?感じたもの。 で、ここ数日、人のアラが見えて、 「なんでこの人はこんなことをするんだぁ!?」 っていう状況にありました。 夜に感謝の祈りをするときは綺麗になるんですけどね(笑) まだまだ感謝が足りません、ほんと。 で、先程もその腹が立つ人の言動を思い出して 「なんでこうゆうことが平気で出来ちゃうかなぁ!! これって、私が今「低い」からこんな風に思っちゃうのかい? どうしてあの人は・・・」なんて、ぶつくさ思っておりました ら・・・ 「その人の立場たって見たらいいんですよ」 BY 天使 ああ、そうか。そうだった。そうしたら相手の未熟な部分も 許せるかぁ・・・。 学習が足りなくて、何度も同じようなことを言われてマス。
2007.04.05
vision Quest タロットカードというものを持っている。 沖縄旅行に行く前に、 「今の自分は?」ということで引いてみたら、 ~ 安定 ~ とでた。 そのカードのメッセージは、 人生において自分が本当に必要としている物質的安定が どの程度のものなのか、そして、この安定が自分にとってどん な意味があるのかに気付いてください・・・ という内容だった。 それから今現在に対して満足しているかということを 考えた。 すると、結構現状に対して不満を持っている、または、 今を楽しんでいないということがわかってきた。 天使に繋がってみた。 そうなんです。あなたは、今のそのままでいいのです。 苦しくなる理由は、今が未熟としてこの先努力をして進まなけ ればという気持ちがあるから苦しいのです。 あなたは今を楽しむということは、 日常の中でほんの一瞬しかしていません。 いつも極上の暮らし、本当に食べたものを食べている、 理想のスタイルのときだけが幸せで、 そうでないときは満たされていないという偏った、 間違った考え方に支配されていますね。 本当の幸せとは生きていることを実感することです。 生きていることを実感するといったところでピンとは来ないで しょうが、それができていないということは、 先ばかり見ているか、あるいは過去ばかり見ているか、 戦略ばかり練っているかなのです。 価値観からくる自分を裁く心というのは、 そのルートをたどって、例えば誰かに何かを言われたとした ら、その人の気持ちになってみてみるのです。 そうすることであなたの価値観に対する気持ちもだいぶ薄らい でゆくでしょう。 そして、価値観から来るものではない、 漠然とした不安、つまらないなどについてですが、 このような時はどうしたらいいのかという質問を持つ人が多い です。 そのような時は、ひとつの例えですが、 外に何かを求めている場合が最も多く、 ○○がないから退屈など思っていることもあるとは思いますが、 実は内面が満たされない場合がほとんどなのです。 そして、足りない部分に目がいってしまうのです。 それを満たそうとゲームをしてみたり、 実りのない話しをしてみたり、 食べることでお腹を満たしたりするのです。 大切なのは、あなたが今を感じること、 今の幸せを感じることで必然的に満たされていきます。 あぁつまらない、暇だと思って何かを探すより、 今の自分の幸せを探すことで心はすぐに満たされ、 そして、その満たされた心でいると、 自然に何がしたいのかがわかるときが来ます。 不足の心で満たそうとして、何かすることを探すよりも、 今幸せを実感して、自然な思いでやりたいことを見つけるので は、心の充足感はぜんぜん違ってくるのです。 いつも何かが足りない、と、足りない部分に目を向けること で、満たそうとするよりも、 今この場で幸せを探して満たされた気持ちで自然とやりたくな ることを見つけてください。 それがいつも満たされた気持ちでいる秘訣です。 そして、このような気持ちで行うことは自然とツキを呼び、波 動も高まり、周りに対して優しくなれるのです。 誰にでも悩みはあります。 しかし、いつもその悩みばかりにとらわれているよりも、 それはいったん置いておいて、幸せ探し、 そして自分を満たし波動を高めることで、 自然とラッキーな流れがやってくるものです。 そのような高い波動の状態で実際の悩みについて考えると 低い状態のときと比べて違う流れがやってくるということもあ りえますので、 どうせなら、自分の幸せな気持ちで満たして高い状態でいるこ とをお勧めしますよ。 幸せを外側の出来事や、物質面だけで考えがちですが、 物質面や外側(人の評判などなど)の出来事よりも 自分の内側が満たされることが、 よりいつも自分が幸せで満たされていることへの近道なのです。 外側が満たされることで、心が満たされることは、 結構一瞬で終わってしまうことも多いです。 大切なのは、内側、自分の心がどうあるかなのです。
2007.03.30
3月21日から24日にかけてはじめての沖縄旅行に行ってきました。 北海道の気温は0度から3度くらいのなか、 沖縄は23度くらい。暖かい。 思ったより緑が多く鮮やかで、色とりどりの花々があちらこちにある。 半袖、もしくは薄いカーディガン一枚でいいくらいの陽気。 海は綺麗だった。プライベートビーチには 白い珊瑚と白、オレンジ、黄色の小さな貝が沢山ベージュ色の砂浜に転がっている。 泳ぐつもりで水着を持ってきたが、とてもじゃないけど 泳げる水温じゃない。 北海道の海水浴も唇を紫にさせて泳いだものだが、 それに近い。 北海道に比べて日の出、日の入りが遅くて驚いた。 北海道は夜の6時半には真っ暗なのに対して 沖縄は夜の7時なのに、空が赤い。 そして、日の出が北海道は朝5時過ぎなのに対して 沖縄は朝6時でも真っ暗だった。 沖縄では三日月が下のほうにあって、 北海道は三日月は横にある。 いつもなら東西南北がパッとすぐにわかるのに ぜんぜんわからなかった・・・。 沖縄にいた4日間で、珍しく一度も怒らなかった。 沖縄の人たちの話し方が「~ですね」と、 とても柔らかく、包み込んでくれるようで、 あちこちに咲いている綺麗な花々や、温かい気候、 温かい人柄が、私からイライラや怒りを取り去ってくれたようだ。 食事も美味しくて、私の口にぴったり合っていて、 食物アレルギーを持つ息子も一度もアレルギー反応を起こさなかった。 そんな幸せな時間を過ごす中、とびっきりのひと時があった。 ホテルにあるエステで、フェイスエステが20分で2100円とあり、夜の九時過ぎにに申し込んだ。 そこはバリ風のインテリアでとにかく雰囲気がいい。 綺麗でステキな女性が応対してくれた。 沖縄のちゅら水と、可愛い器に入った綺麗な花を出され、 そのあとにエステをしてもらった。 とっても気持ちが良かった。 ゆったりした沖縄の音楽が流れる中、丁寧に丁寧にマッサージをしてくれる。 普通なら、「鼻の横がザラザラですね」など、 欠点を言ってくるのだが、そんなことは一言も言わず、 とろけるような雰囲気の中、丁寧にやってくれた。 そんな中、私は頭の中で、いろんなことを考えてしまう。 私は、感じたことを言葉にして頭の中で一人実況中継してしまう癖がある。 そのうちに、折角気持ちよくしてくれているのに 気持ちよさがわからなくなってしまう。 そんな時、頭の中で声がした。 「かんがえるな、感じるのじゃ。」と。 「おぬしはいちいち感じたことを言語化する癖がついおる。 だから感じることがおろそかになっておる。」 天使ではない。 私が小さい頃から知っている、白龍のBさんだ。(おじいさん) 沖縄に行く少し前から天使以上に頻繁に話しかけられるようになった。 こんなことをいきなり言われ、 ・・・そうだよなぁ。そういえば、いつもどんなときも実況中継をしている自分がいて、いつも頭の中で一人でしゃべっていて、感じることがおろそかになっていた・・・。 なんだぁ。だから私は感じにくくなっていたんだ~。 妙に納得した。それからはいちいち頭の中で感じた事を 言語化するのをやめて、ただただ感じてみた。 ・・・ん~♪気持ちいい♪ それからは睡魔との格闘だった。 結局その方は、20分をはるかに超えた1時間も やってくれ、閉店時間もとっくにすぎているのにもかかわらず 心からのサービスをしてくれたのだ。 話し方も品があり、何から何まで完璧な女性だった。 これが本当のプロなんだなーと、 憧れてしまった。 私は品があるプロフェッショナルな女性にとても惹かれるのだ。 今回の気づきといい、エステといい、最高だった。 北海道に帰ってきてからも、肩に入った力が抜け、 物事を大きく見ることが出来るようになった気がする。 また来年も沖縄に行こう♪ 去年書いた「宝の地図」・・・自分の願望等を 写真や絵を画用紙に書くもの・・・ この中に、「家族で沖縄旅行」と書いていた。 ひとつ実現できた♪ヽ(^∀^*)ノ♪
2007.03.27
午前中食器洗いをしているときに、 以前チャネラーさんに言われた言葉を思い出していた。 すると天使から「比較について観てみたらどうですか?」 ときた。 先月、私の信頼するチャネラーさんに、 「私はどうして~なんだろう。という質問が多いんですよ」 と言ったところ、 「質問の根底には、<比較>があるからなんです。」 と言われた。 正直、このときには、何のことを言っているのか さっぱりわからなかった。 でも、私には、現在はそれほど自覚は無いが、 人と自分を比較することが多いかもしれないなぁ。 あなたの中のことで比較しているという自覚はありますか? (いえ、最近は特に無いです。でも昔はよく自分が劣っている ということで苦しんでいました。) あなたは昔から大人から比較されたり、言われたり、 あなたを守ってくれる母親が不在ということもあったので 言われたい放題でしたね。 さて、どのような人が比較するのかわかりますか? (劣等感のある人) そうなんです。 劣等感とはどんなところで生じるものなのかわかりますか? (お前は馬鹿だ、駄目だと言われること) その言葉は比較とは限らないのですが、 あるときに否定的なことを一方的な価値観で言われ続けると 自分はそうなのだと思い込んでしまいます。 それが大人からなら、なおさらです。 人は多かれ少なかれこのような心の傷は持っています。 人から馬鹿にされるなどして何か言われる。 傷つく。そして、それを受け入れることによって あるひとつの価値観が生じます。 その強烈な印象の価値観が人を裁きます。 あなたの場合、口に出さなくてもその裁きを感じてしまうの で、どんどん傷ついていきます。 人は、裁かれ、それを受け入れるという行為の数ほど ある価値観が育っていくのです。 それがあなたの中の比較というものに繋がっていくのです。 闇雲にその比較の癖というものを消そうとするのではなく、 あなた自身がもう一度あなた自身の細部にわたり検証してゆく と良いのです。 そのやり方とは、人のやり方ばかりを観るのではなく、 自分はこうゆう時にどう考え、どう感じるのかということを もっと観察してください。 そして今の大人であるあなたの視点で誰の意見も入れることな く、 その考え、感じ方などを一つ一つチェックしてみてください。 あなたが幼少の頃から無意識に組み立てた価値観が いかに偏っていたものなのかがわかるでしょう。 そして、それに縛られていたことにも気がつくでしょう。 (質問するのは、根底に比較があるからだと言われましたが、 どうゆう事なのでしょう) はい。まず、質問するということは、 ある疑問が生じるからですね? それでは、その疑問とはどのようなものなのか観ていきましょ う。 「何故私はこうするのでしょう、こう思ってしまうのでしょ う」 という質問が主ですね? それは以前あなたがある人物からその行為を咎められたからで はないでしょうか。 或いは、これはいけない、等思ってしまうからではないでしょ うか。 例えば、あなたが自分では欠点と思っていないところ・・・ 大声でアハハ!と笑うことに対して、 自分は何故大声でアハハ!と笑うのかと疑問に思いますか? あなたはアハハ!と笑うことは自分では良いと思っています し、誰にも咎められることはなかったのです。 全ての質問疑問に思うことが、根底に比較があるからだとは言 いませんが、 あなたの心の奥底には、いろんな人の価値観がいろんな形で渦 巻いています。 そして本来のあなたが 「どうしてそれをやったらいけないの?」 と思っているのです。 本来のあなたはそのような価値観のしがらみから 自由になりたいのです。 だからこそ、どうしてこんな風に思うのだろうとか、 どうして??と疑問に思ってしまうのです。 わかりましたか? あなたは今、とっても自由になりたいのです。 でも、あなたの心の中でまだ無自覚ながらも ~をやってはいけない・・・という価値観が渦巻いているので す。 そこを観ようと決心してみてください。 そして、私共天使にそこを見えるようにとお願いをしてみてく ださい。 そうすることであなたは自分の中のがちがちに縛られた価値観 と、 それがどこから来たものなのかがわかるのです。 あなたは、あなたの心を注意深く観察してみてください。
2007.03.06
先日、ドラマ「演歌の女王」で、 ある女の人が「本当の自分を出すと嫌われると思って いつも人前では嫌われないように演技をしてきた・・・ずっと一 人ぼっちで孤独だった」と泣き崩れるシーンがあった。 そのほかに、似たような内容のものをTVで見たり、 私の好きなスピリチュアルカウンセラー・溝口あゆかさんのブ ログでも、同様なことが載っていた。 私のプライベートでも身近にこんな感じの人がいたり、 私もかつて同様に思っていたことがあった。 こんなにシンクロしている。 んん??どうも、天使から、メッセージがあるらしい。 ブログ用にメッセージが来ました♪ まず、「本当の自分を出すと嫌われる」という人は、 過去のあなたも一時期ありましたが、 一人ひとりがよく検証してみることをお勧めします。 闇雲に本当の自分を出すと嫌われるから演技するという人が とても多く、自分は駄目だと思い込み、 自分らしさを閉じ込めているのです。 今のあなたが思うように、 世の中にはいろんな捉え方をする人がいるものです。 たとえ自分の周りには偏った捉え方をする人しかいないと思っても、 まったく逆の捉え方をする人もいるのですから。 100あれば100通り、いや、それ以上に人はいろんな風に 捉えるのです。 ただ一人の人に自分の感性を無視して合わせてしまうことは、 とても勿体無く残念なことです。 まず自分は何が好きなのか、 ○○に対してどのように思うのか善悪判断なしに よく自分の特徴を見極めてください。 少しずつ、少しずつ日々自分はどう物事を捉えるのかを 人と比較しない見ていく事で自分で自分のことが(特徴が) 見えてきます。 その自分の特徴を出せる場が今ここには無いのなら、 いろいろ自分の足で探すのです。 類は友を呼びます。 自分の特徴を知れば知るほど、 より濃い、自分と感性が似た人が出てきます。 ひとつの場所にこだわらないで、 積極的に自分の感性と合う人を探してみてください。 面白いことが起こります。 自分ひとりだと思わないでください。本当の自分らしさを出すには、 勇気がいることだと思います。 でも、決して無理しないで 自分の新しく芽生えた自分らしさを大切に大切に抱きしめて、 ここぞというときに出すのです。 人は本来、正直な本音で話す人を求めます。 作ったもの(演技したもの)ではなく、 本音で、自分の言葉で語る人、行動する人に まるでアートを見るように、 その人独特の個性を感じるのです。 人の個性はアートです。 それは日々の生活の中で磨けば磨くほど輝く魂の輝きで、 誰一人として同じ輝きは無いのです。 世の中のTV・雑誌・人の噂などで自分を閉じ込めないで 自分を見てゆく努力をしてみてください。 それは、自分の欠点を見ていくものではないのです。 どんなにお気楽と思われるようなものでもかまわないのです。 私共から見たら、ひとりとして劣る人はいないのです。 ただあるとすれば、自分を磨いているかどうかです。 皆、磨けば光る原石です。 本当の自分らしい自分を知る行為とは、 もっとも輝かしい素晴らしい行為なのです。 どうか、一人ひとり輝いてください。 そして自分というアートを完成させるべく、生きてください。 そして、情報に踊らされるのではなく、自分から情報を発信で きるような輝く人になってください。
2007.02.26
最近体重が増えてきました。 どうしてかなー。動かないから? でも、食べすぎかな? どうして太ってしまうんだろう。 そもそも、なんで太ったらかっこ悪いという 常識が世間にはあるんだろ。 先日長いメッセージを天使にもらったついでに 体重について聞いてみた。 ◎ ハイ。太ってきたと言う話題ですね。 まず、あなたの中にはジレンマがあります。 食べたい→太る→でも食べたい・・・と。 この精神的飢餓感こそがストレスになっております。 体というものは、正直なものであなたの思うとおりに動いております。 え?思っていない?・・・・というのはですね、体が最終的に 今のような体系、体重になることを望んだととっているのですよ。人によって、魂の目的によって体質、体調はさまざまですが、 あなたの場合はこれを食べたら太るな、カロリーが○○カロリーだもんと言う思い込み、もしくは、野菜を取っていないから太るだろうなという思い込み・・・たくさんあります。 そのひとつひとつの心の声を体は丁寧にひろっています。 世の中には思い込ませるものはいくらでもあります。 たとえばTV,本、情報。皆外側から来るものですが、 大切なことはあなたは自分の体が本当に欲しているものは何なのか、情報抜きに知ることであるのです。 あなたは昔から甘党ですが、そして、世間で言うバランスよい食事というものを全く気にせずに今食べたいものを食べてきましたね。 そして心のどこかに自分は健康体で病気知らずという根拠のない思い込みがありますね。 実はその通りいなっているのです。 しかし、途中で世の中の強力な情報が入り込み、甘いものばかりを食べると太るというものをインプットしました。 そして、最近では運動しないと太るというものも・・・。 さて、太るということについて、あなたはモデルの人は食べたいものを極力我慢している、そうしなければやせられないと思っていますね?全てそうではないですが。 あなたは何故特定の食べ物を食べたくなるのかご存知ですか? 以前は昆布を噛むことで自分を取り戻すこと、でしたね? (1年ほど前から乾燥昆布を食べることが癖のようにあり、 量がどんどん増えてしまいました。これは、分散した自分の意識を、噛むことでひとつにまとめようという行為でした。) これと同じように、一つ一つ何故これが食べたいのかという理由を探してみてください。 それだけでも(食べる量は)ずいぶん違うと思います。 ただあるから食べる、というのではなく 「あー、本当にこうゆうのが食べたーい!よし!自分にごほうびだー!アー♪おいしい♪シアワセー♪」 と本当に満足のいくしあわせな食事をしていますか? そこまで考えずに食べているといつの間にか量も増え、ありがたみまで小さくなります。 そうすると要領オーバーで、当然たまりますね? 食べるなら本当に食べたいものを、幸せを感じて食べてみてください。 物理的に(おなかが)いっぱいになるというのではなく、 心が満腹になる食事をすることです。 幸せに食べることで、味わい、心もおなかも充足します。 これで適量になるのです。 ただ放り込むだけでは、量のみがかさんで体重もオーバーですよ。 体型について考えるなら、まずは自分の食べ方を見直すことです。
2007.02.15
さきほど、天使からペンを持ってくださいと声が響いた。 私は、天使からのメッセージをブログを通して配信するために 気が向いたときに日記帳を開き、天使からメッセージを もらっていた。 しかしいつの間にか、読んでくれる人が どんな反応をするのだろう、 このようにメッセージを書くことで 人の心に混乱を起こすのではないか、 或いは、責められたらどうしよう・・・なんて考えたりしてた。 早い話、「責任」と言うことが頭にいつもあった。 だから文を書くときは凄く慎重だったし、 もらったメッセージについては、 個人的なことが載っていないような、 万人に通用するような内容のものしか載せなかった。 私の最も信頼するチャネラーさんに言われたことがあった。 「私たちは、受けたメッセージをそのまま流しているだけ。 あなたは天使から受けたメッセージをまるで自分が考えたメッ セージのように責任を持とうとしている。」と。 確かにそうだった。 私を支持してくれる人、批判する人、 いろんな人の顔が浮かび、その人たちに何を言われても 責任を持って対応できるように・・・と考えていた。 でも、心のどこかにがんじがらめの自分がいることも 自覚していた矢先、ついさっき天使から 「ペンを持ってください」とメッセージが来たのだ。 ◎ (私の信頼するチャネラーさんをAさんとします。) まず、Aさんは、責任を持ってセッションしてますか? 時には(相手によって)違うことをいってますね? それは無責任ですか?Aさんは見え、聞こえ、感じます。 Aさんになにがあるのかといえば、宇宙と繋がり 自分の感じるもの全てを信頼して確立しているのです。 そしてその能力を活かして見えたものを伝えている。 ただそれだけのことです。 そこに人が責任を要求するのであれば、 それはとんだ思い違いであり、 責任を要求すること自体が間違っている、 逆に、聞く方(セッションを受ける側)にも 「信じる」「料金を払う」ということできちんと成立している ことでしょう。 そこには責任と言うものはないのです。 あくまでメッセージであり、 それを受け取る人はどう解釈しようとその人の自由なのです。 メッセージを無理に押し付け、 その人の生活を大いに乱したと言うのなら話は別でしょうが、 あなたは単にメッセージの発信者であり、 それを(相手が)どうとろうと自由なのです。 わかってください、自由だと言うことを。 メッセージを出すのもあなたの自由。 メッセージを受け、身にしみて感動するのも自由なのです。 「責任」とは、自由に選択するということなのです。 それは自分で選ぶということが責任なのです。 「どうしてくれるの!?」と責任を押し付ける、押し付けられ ると言うのは自由とはかけ離れているのです。
2007.02.12
昨日息子の幼稚園の参観日だった。 教室の中にお母さんが沢山いる。 いつも感じることだが、決まった人たちが集まる場と言うのは、 いつも決まった雰囲気がある。 子供を見るのも当然だけど、お母さんたちも気になるんだな、これが。 結構いろんな思いで教室にいるらしく、 必ずしも純粋に自分の子供だけを見ているのではないことはわかる。 苦しくなってきたので、ちょっと失礼して感じてみた。 結構他のお母さんとの人間関係を気にしている人もいるみたいだ。 なーんて、私もかつてはそうでした(笑) でも、私は強くなった!と思っても、 教室という密室?にいると、どんどん人の心の声?が・・・。 そのうちに、もう強くなった?はずなのに、 どんどん自分はこのお母さんたちにどんな風に見られている んだろうと思うようになる。 あっ!いけない、自分を見失っては駄目だ。 でも、胃の辺りが くっ、苦しい・・・。 でも、私もそうだが人にどんな風に見られるのか 気にしている人は私が思っていたよりも多いようです。 このような人が私も含めて多いということで、 天使にメッセージをもらってみました。 ◎ 世の中にはいろんな人がいます。 楽しさを追いかけてどうしても自分の内面の感情にぶち当たり、 見てみぬ振りをして、楽しさを追い求めるが、 心底楽しめない。 魂が本当に喜ぶことは、自分を知り特性を活かして、 成長していくこと。 そして、周りとの本当の意味での調和をすること。 これこそが魂の目的でありますが、 そこから外れてしまうと、自分の魂が心底喜ぶことはないのです。 本当に自分が楽しむこととは、自分を活かすことなのです。 ひとりひとりプロセスは違うでしょう。 しかし、今、目の前にある問題と自分自身(感情も含む) こそが本当の自分を知る術なのです。 ひとりとして外れることなく皆に与えられた課題です。 全ての人に平等にあるのです。 それらのからくりを読み解き、 次にくるチャレンジでその意味を知ると、 そこに喜びが生まれます。 誰かと比べ、常識にがんじがらめなら、 どこがどのようにがんじがらめなのか、 自分は何にこだわっているのか、 一つ一つ丁寧に絡まったものをひも解いてください。 やがてあなたからは余分な思い込みが消え、 軽くなり、生きやすくなります。 *:.。☆..。.*:.。☆..。.*:.。☆..。.*:.。☆..。.*:.。☆..。. 今回何故このようなメッセージだったかと言うと、 自分の内面を見ないで、うやむやにしている人が多いからだと 思います。 人の目を気にしている、人の目だけを気にしていて 自分の心の声、何故そう思うのかを見ていない。 そこから逃げたって、また同じような出来事がやってくる。 一歩、自分がどんな糸に絡まっているのか紐解いてみたら どんどんからくりが見えて、はっきりって楽しいです。 実践している私が言います(*^∀^*) 教材は、日常です。日々の人間関係や、思い癖、などなどにあ ります。 どんな推理小説よりも、自分の人生に起こっているカラクリを 探すことは、それが何故起こっているのかがわかったとき、 わくわくして、ものすごーく嬉しいんですヽ(^∀^*)ノ♪♪*:.。 ☆..。.
2007.02.09
ずいぶん前から「レイキ」というものに対して気になっていた。 レイキは手をかざす・・・位しかわからなかったけど、 気になっていた。 ホームページを見つけたり、パンフレットをチラッと見たりもするが、ピンと来ない。なんとなく、どこでもいいからレイキを習うなんていうのはいけないことのように感じていた。 友人からも、変な?レイキティーチャーのところに行ったら 自分でもコントロール出来なくなる変な?能力がついてしまうよという注意も聞かされた。 そんなある日、子供の学校のPTAの集まりで、私が最も信頼する凄いチャネラーさんがレイキ伝授をはじめたという噂を聞き、 私はこれは聞かされたことと思い、早速予約をした。 3ヶ月待ちだった。その方のセッションの予約を取ると、 予約した日からセッション当日にかけて、ガイドが動くのか、 さまざまな学びともいえる出来事が起き、セッション当日までにはしっかり必要なことを学んだ状態で行く事になるのだ。 今回はレイキだが、今回も学びがあった。それも沢山。 私にとっては初分野の「勇気試し」が沢山あった。 その代表的なひとつが自分の受けた天使からのメッセージを公表すること。 まずは友人からミクシイを紹介された。 そして、ブログ。 そこで出会う?人との出会いが凄い。 面白いように「もうやめよっかな~」と思ったら 嬉しいコメントが入ったりして。「続けろと言うことね。」(笑) レイキですが、2日に渡って習いました。 どうなったかと言うと・・・、びっくりです。 今年の正月に娘がある神社から買ってきた金色の 丸い鳥かごのようなものに入った水晶つきのお守り。 これが、すーんごい濁っていたんです。 タバコの煙が入ったように。 「何でこんなに濁った水晶のお守りを買ってきたの!?」 と言っていたものが・・・。 水晶がかわいそうだったので、鳥かご状のものから出してあげ、手の中にいれてレイキヒーリングをしたんです。 手を開けたら、すっかりクリアになっていました! びっくりです!しかもツヤツヤ♪ そしてうちの金魚。浮き輪の病気でひっくり返って浮かんだままで、水から出たおなかが血がにじみ、全身カビが生え、白くぶよぶよになっていたのですが、 根気良くレイキヒーリングをしたら今の段階でカビと血のにじみが消えたんです。凄いなー。レイキって。 そもそも、レイキとはどんなものなのかと言うと、 人は平均宇宙と髪の毛一本分の太さと宇宙と繋がっている、そのつながりが無ければ生きていない・・・要は、電気製品と一緒で、髪の毛一本分のプラグが宇宙に繋がっているということ。 単純にいえば、レイキとは、そのプラグを太くすること。宇宙のエネルギーをもっと受けやすくすることらしいです。 宇宙は決して人に無理をさせないから、そのひとの成長にあったエネルギーを送るまたは、体験させると。 あるレイキティーチャーは、レイキを自己成長ではなく、自己啓発のためのものとし、ティーチャーによっては より見えたり、聞こえたりするのが良いとする人もいるので、その部分だけを引き出して伝授する人もいるそうです。
2007.02.08
先日、親しい友人についている天使に、彼女へのメッセージが あるかどうか聞いてみた。 彼女は直感が優れているが、どうしても自分で自分のことが 信用できないらしく、私と一緒のときは自分のことが 信頼できるらしいが、一人になると 「あれは偶然。悲しいけど、自分は違う・・・」 みたいな考えに支配されてしまうという。 こればかりは、私がどんなに励ましても 頭では理解できるが、本心からは無理らしい。 私から見て彼女はとても直感がある。 人の本心も見抜く。 性格的にも私に似ているのだが、 自分に自信が無いのだ。 そして、本来はもっと積極的である人のはずなのに、 人目を気にして、もっと前に出たいのに、もっといろんなもの を見たいのに躊躇して、結局は黙っている。 私は彼女の事も、前回の日記に書いた人の思いがわかってしま う「エンパシー」だと思っている。 しかし、彼女は自分がそうなのか、まだ完全に思えないらしい。 呼び出すと、彼女の天使が来た。 天使のメッセージを聞くときは、いつも声だけだが、今回は珍しく姿を見せてくれた。 長いドレスの美しい女性の天使だった。 ☆ 文中に出てくる「エゴ」とは、自分に自信を持とうとする とき、嬉しいとき、悲しいときに自分の中でささやきかけ、 「こんな事しても無駄」など、自分を陥れる自分の中のもうひ とりの自分です。 ◎ あなたは実際の現実の人物ではなく、 自分の中の意地悪な視点を架空の人物に当てはめ、 「多くの人(世間)はそのように思うはずだ」と決め付け、 本当は思うように見て周り、いろいろ知りたい自分の足止めを しているのです。 わかりましたか? この架空の人物の正体は、「エゴ」なんですよ。 あなたはエゴの見方と、実際の人物から受け取る(キャッチする)情報を混乱してとっているのです。 本当に実際に自分が得た情報と、エゴの情報を見極めるという ことを「恐れ」からおろそかにしているのです。 はっきり言いましょう。 あなたは確実に相手から情報を得ています。 しかし、そのすぐあとに実に巧妙にエゴが入り込み、あなたの 得た真の情報を混乱させているのです。 エゴを切り離すには、自分の直感を信じることです。 何が何でも信じることです。 信じようとして半信半疑で信じて当たらないと エゴは「ほら、みたことか!」と 叫びます。 その(当たらなかった)実績を見せ付けて、あなたを 自分を信頼することから必死で遠ざけました。 では、なぜエゴはそこまでするのか。 そもそもエゴとは何なのか。 それは、エゴとは恐れが作り出すものだからです。 恐れがあるから、もっともらしいことをあなたに言い聞かすの です。 エゴが出てきたとき、自分には何が恐れなのかを、良く観察してみてください。 エゴの数だけ恐れがあります。 エゴは悪者のみに捉えられることがありますが、 実はそうではなく、 自分を守ろうとする働きがあるのです。 小さな幼子にエゴはありませんね? 親が守ってくれるから。 エゴは守るという観点から「疑う」ということもするのです。 変化するということは、 ある種危険も伴うと思っているため エゴは頑張って守るために変化させないようにするのです。 ある時期はいいですが、いつまでもそのやり方では じれったくなり、窮屈になるときが必ず来ます。 そのときは、恐れよりも冒険心のほうが高くて エゴの入り込む隙がありません。それは、恐れが無いからです。 このメカニズムを知ることで、 あなたはより整理されます。 整理されると、いらないものが無くなり、 見通しがスッキリしますよ。 ☆ この天使から友人へ当てたメッセージは、 実際にはもっと長いのですが、個人的な部分は載せませんでした。 なので、ちょっと読みづらいとは思いますが、 エゴについてちょっとでも知ったらいいかなぁと思って 友人に了解を得て載せました(*^∀^*)
2007.01.16
ここのところ、毎日のように日記を書き、 天使と繋がっています。 最近は、私にとって節目なのか、 昔からあった「なんで??」の疑問がどんどん解けていきま す。 ここには書ききれないほど幼少期から現在にかけて いろんなことがありました。 いろんな人に会いました。 そんな中、一年ほど前になって自分の能力に気づいたのです が、 相手の頭の中でしゃべった言葉が聞こえるという、 いわゆるエンパシーというやつです。 結構こうゆう人って程度の差こそあれ、多いと思います。 相手の本音が聞こえてくる、わかってしまうというのは 結構きついんです。 目の前の人の顔は笑っている。でも、眉間がムズムズする。 話している内容と、自分が体で感じることが全く違い混乱する んです。 あるいは、相手の目を見ることが出来なくなる。(相手が心の 中で攻撃的な場合)話がやたら噛むこともあります。 それで、人に相談すると「悪くとらえ過ぎだよ」といわれる。 自分にほとんど自信がなかったものですから 自分の感覚を信じない。気のせいということで片付ける。 自分がどうゆう事が好きで、どんな人といると心地よいのか なんて考えもしなかったので、 今考えるときつい生活をしていたなぁなんて思います。 今の生活は、本当に楽です。 自分の気の合う人、自分の好きなこと、そのときに好きな音 楽、大好きなアロマの香り、今のような一人の夜の時間。 毎日の日記の時間。 いつからだろう、自分の好きなことだけを周りに集めたらいい という言葉をきき、実践したのは・・・。 そうすると、自分自身がどんどん研ぎ澄まされていく。 わからなかった自分の能力?の発見。 笑顔が増え、笑い話ばかりになる。 周りの人も変わっていく。 朝起きるとき、数年前までは嫌なこと、 大変なことを思い浮かべながら起きていたのに、 いつの間にか、今日はどんなことをしようか♪なんて 思いながら起きるようになりました。 最近、十数年前に付き合いのあった友人に主人が街で 偶然会った・・・その夜、私がその方に電話をすることになった んです。 ただそれだけなのに、私の心はざわざわ・・・。 当時よく主人の友人たちと集まって遊んだのですが、 いつも私が浮いているような、どうゆうわけか、 私はそんなにしゃべりたくも無いのにベラベラ喋っていて、 余計な一言も結構言ってヒンシュクがられていました。 これが、自分の仲の良い友人なら焦って話したり、余計な一言 をいわないのに、主人の友人になるといってしまう・・・。 今でもそれほど気の合う人でもないなという方たちと一緒だと そうなってしまいます。 天使によると、例えば、ある人が人の悪口は絶対に言 わないと決めているとする。 自分の感情を抑えているんですね。 そんな人の隣にいくと、私は無性に人の悪口が言いたくていい たくて仕方が無くなる。 自分でも、「あれ?あれ?何で私こんなこと喋っているのか な???あれ~?」となるんですが、喋る。 隣でその人は「何この人!」って思っている。 その人の本当にしたいことを感じ取って変わりに喋ってしまう んですって。 だから、家に帰ったらドドドドって疲れてしまう。 エネルギーをその人にあげたということになるんだそうです。 こんなこと繰り返してばかりだったから、 天使には、はっきりと 「あなたはご主人の友人に嫌われていました」 って言われましたよ。 まぁ、これもひとつの経験で、自分自身をしっかりと持ち、 自分に芯を入れると、こんなことは無いそうですよ。 当時は自分は何が好きで、何が心地いいかなんて、考えもしな かったから。それどころか、自分に合わない人のところ に進んで行ってはドッと疲れて帰ってきていました。 それから考えると、今はそんなことほとんどなくて 本当に楽です。 いまは、こんな感じで、昔から続く自分の中の「なんで?」の 答えを毎日のようにもらっています。 ドジならいっぱいやってきましたから。 失言も。 でも、これって結構やってきている人って多いのではないかと 思います。 知らぬうちに人にエネルギーとられて、 相手の望むことを話しては後で後悔するパターンが 自分でわかってしまえば、本当に楽になります。 勿論、逆もありますけどね・・・^^; 天使に聞いて気づいたことがもっとあるのですが、 個人的なことだから、載せても読む人が面白くない かなぁ。とか、重いかなぁなんて 考えてしまうんですよねぇ。 正直、読み手の反応を極端に気にしてしまう私です。
2007.01.07
どうも私は人によって、嬉しい報告を聞いたときに、 「ホント!?良かったね♪♪(*^_^*)」という時と、 「ふん、なにさっ!」と思うことがある。 同一人物でも、だ。 この違いはなんだろう。 後者のほうは、そんな風に思ってしまう自分にも嫌気が差したり、 自分って、こんな人間だったのぉ?!なんて思い、 軽く落ち込む。 今回の私の場合、天使に聞いた話によると、 前者の場合は、 相手からはピュアなエネルギーが。 後者からは、自慢することによって、 自分と相手の格差を生じさせようとしているため、 瞬時にそれを感じ取り「ふん!なにさ!」と思ってしまうよう です。 これは私の場合じゃなくても分析したらそうなんじゃないかな。 逆に、嫉妬されることもある。そんなときは悲しくなる。 どうして嫉妬されるのですか?悲しいです。どうして??? 天使に聞いた。 その相手の嫉妬の感情をじっとみつめて感じてください。 (焦りを感じます。そして、その焦りを自分で感じたくな い、認めたくないみたい。) そうです。嫉妬していることを認めることで、 自分とあなたを比較してしまうのです。 自分はこの程度、これしかない・・・と悲しくなってしまう自分 がいるのです。 今度から、逆に励ましてあげたらどうですか? どんなに淡々とした人でも、嫉妬の心はあります。 嫉妬の心は、「比較」です。 比較の裏には、自分を下に見る目があります。 その目はどこを見ているのか・・・自分ではなく、 他人(外)を見ています。 外を見ていると自分の心の動きはほとんど見えませんが、 感情はどんどん出てきます。 次にその感情に振り回されるのです。 そして、ひどくなれば相手の行動を阻止しようとしたり 言葉巧みに操ろうとしたり、陥れようとします。 しかし、これらの行動を自覚しようとはしません。 自覚したら苦しいですから。 自分は善人であると思いたいのです。 でも、ドロドロとした感情は出てきます。 人はこうゆうとき、相手を悪者にしようとあら探しをはじめます。 そして、相手を悪者ということにして、どんどん相手を意識し ていくのです。 どうですか?これがひとつのカラクリです。 人は善人でいたいと強く願えば願うほど悪人を見つけようとします。 実は自分が悪人になっていることは絶対に認めたくない。 これがあなた方人間が長い間やってきたことであります。 相手の欠点を探したり、比較の視点で相手を見るのを 切り替えて、自分の内側を見ることにしたらどうでしょう。 人には本来優劣など無く、一人一人多大なる個性があります。 ある特定の人だけが凄いのではありません。 皆、磨けば光るそれぞれの原石があるのです。 内側を見ることは、原石を磨くことに繋がります。 どんな小さなことでもいい、自分がどう感じたか、 比較しないで、否定しないで。 自分の独自の価値観を養ってください。 独自の価値観を養うとは、自分の中の原石を磨く行為です。 今のあなたたちは、自分の気持ち、感情を100パーセント否定 しないでというのは難しいかもしれません。 が、しかし、常識と照らし合わせたり、他の人の考えと比較し ているだけでは自分独自の価値観は出てこないのです。 自分を信頼するとは、自分の価値観を養っていくことなのです。 自分を信頼できるようになってくると、 どんなに強く正統派の人が意見を言っても流されること無く 自分の足元がしっかりした状態で相手の意見を公平に聞くこと が出来ます。 これが、自信が無く、外側(の人)ばかり見ているなら、 相手の言葉に流され、圧倒され、信じ込み・・・となるでしょう。 そこには自分の意思などほとんどありません。 何度も言うように、大切なことは自分が物事に対して 如何にどのように感じているのかを知ることです。 常識でその感じていることを計らないで下さい。 独自の価値観が育ち、備わってくると、自立した人格になり、 それまでのように余計な物事に振り回されなくなります。 世の中は学びでいっぱいです。 テレビをつけても、近所に出ても、ちょっと人と話しても 感じる自分はいくらでもいます。 自分の感じることに否定もせずに、そのまま信頼していくと とんでもないところに行ってしまうと心配な方も多くいるでし ょうが、それはこれまで培った人生経験で、大暴走はしないで しょう。 万が一そうなったとしても、それもひとつの学びなので 否定せずに受け取ってください 。
2006.12.24
言いようの無い孤独感があった。 こんなのは久しぶりだった。 その気持ちに合うように、 いろんなことを思い出した。 家族であったゴタゴタや、責められたこと。 傷ついたことが噴出すように。 当時の心境と、今の心境をノーとまとめていると 頭に天使からのメッセージが浮かんだ。 あなたはあなたを見てください。他の人の生き様でなく。 誰かと比較したって始まらないし、 ましてや批判を聞いてそれを受け入れたとしても、 相手はあなたのことも、由来も何も知らない。 皆生きていて何をするのもそれぞれの理由があるんですよ。 誰かに評価されたって、 真に評価することは誰にも出来ません。 本来は人は皆、やりたいようにするのです。 あなたも他人の目を意識しすぎると、 心が冷えてしまいますよ。 好きなことを言っている人は、 その人はそれでいいと思って言っているのです。 だから完全に聞こえるのです。 その人の完全をあなたに当てはめないで下さい。 あなたはとことん自分を愛し、 発見していってください。 どんな奇想天外な発想でも否定しないで、 丸ごと受け入れてみてください。 面白いことが起きますから。 私共はそんなあなたをサポートさせていただいているのですから。 さあ、とことんわがままになって自分を全て許し 愛し、受け入れてくださいね。 心の鎖を自覚して一つ一つ次々とはずして自由になってくださ い。 あなたが感じたことは真実であり、 思い込みでも妄想でもありません。 他のどんな方があなたを否定しようとも、 それを経験したのはあなたなのですから。 そのときそのとき感じたことは誰が否定しようとも、 それはれっきとしたあなたの感じたことであり、 間違いとか勘違いということは無いのです! だから過去を振り返って反省なんてしないで下さい。 いいんです。あれでいいんです。 いつもどんなあなたであっても、理由も言い訳も要らなくて、 あなた自身であればいいのです。 誰が否定しても、それを受け入れたらあなたは傷つきます。 正しさを振りかざす人間の言うことを聞かなくてもいいのですよ。 あなたはただ、自分の心の動き、静けさ、興奮、幸福感、 充実感を見るのです。 そうしてどんどん自分を見つめていくと、 自分がどこにどう戻ればいいのかわかるようになります
2006.12.18
先日、友人のチャネラーさんにセッションをしてもらった。 その時の私の質問は、 ・「自分が今、見逃している大きいブロックはありますか、自分を信頼できないのですが」 ・「この先私が進むにあたり、何をするべきか」 というものだった。 しばらくして、私の前世である、江戸時代初期の武家の家に生まれた女の人からのメッセージと、私の守護天使と繋がってメッセージを受け取ってくれたチャネラーである友人から連絡が来た。 私は、幼児期の傷を癒しておらず、そのまま自分の奥のほうにしまいこんでいるために心から自分を信頼することが難しくなっているので、幼児期の自分自身をただ感じてください。と言う内容だった。 そして、もうひとつ、私のやることは、本を書くということだ。こうして、天使と繋がり、日記にした内容をありのまま本にして、天使と繋がることができない人たちに本を通して伝えるのだという。 このセッションが終わった直後、近所に住む別の友人のもとへ、結構前から注文していたらしいインナーチャイルドに会う誘導催眠CDが届いたらしく、私はそれを頂いた。 CDを頂いた翌日、右耳がチリリリリリとなった。 天使の合図だ。 これは、今、インナーチャイルドに会いなさいということだと判断した私は、早速取り掛かることにした。 リラックスした状態で、私は目をつぶり、自分の奥へと入るべく、階段を下りていった。真っ暗だった。 どんなに、イメージで明るい階段にしようと思っても無理だった。インナーチャイルドに会うのが怖い私がいる。 ドアの前に立つと、一刻も早く開けなくてはという気持ちに駆られる。 ドアを開けたが真っ暗だった。 でも、「わたし(インナーチャイルド)」の気配はある。 目の前に、小さくうずくまって震えて泣いている幼児期の私(インナーチャイルド)がいた。 とても純粋で、でも、自分は駄目なんだと自己否定をしている5歳くらいの女の子。 まるで私の子供のように愛おしく、見ているだけで痛々しい。 その子は私に向かって飛び込んできた。 私もその子に向かってぎゅっと抱きしめた。 ごめんね、ごめんね。ずっと会いにこなくて。 涙の再会だった。 その子を感じると、自分が普段孤独を感じるとき、 不安を感じるとき、自分に自信が無く焦りを感じるときの 感情そのままだった。 私の幼児期は、超ハードで、傷だらけ。 これでも、自分に自信をつけようと頑張ってきたが、どんなことをやっても、いつも心のどこかに不安がある。 私は認められないのではないか。 私がここにいていいのか。 私の発言は、これでいいのか。 私はみんなから馬鹿だって思われていないか。 いつも自分を認められず何をやっても否定する私がいた。 その子のいる部屋に明かりをつけてみたら、古い石のレンガ? が積み上げられた3畳ほどの部屋。外には一切出られない。 そんな中、ずっと何年も何年も苦しいまま私のことを待っていたのだ。 私はその子を連れ出し、南の島の海の美しい浜辺で遊ぶことにした。 その子は戸惑いながらも、海で遊んでいたが、 少しすると、その子は薄く消えかけて倒れた。 「どうしたの?!」その子を抱きかかえて感じてみると、 自分はこんなところにいていいのだろうか、そんな資格あるのか、自分は楽しんでいいのだろうか・・・。というものだった。 私はよくこんな思いに駆られたが、押し込んできた。 その子に「いいんだよ!!!」といい、その子に愛している事を伝えた。そして、どれだけ大切な存在かと言うことも。 今はこの場所では駄目だと思い、イメージで背中に羽をつけて天使界に行くことにした。 天使界は完全肯定の光の世界だ。 私たちは多くの天使に見守られながら、いっぱい遊んだ。 催眠も終わりに近づき、その子にどうするか聞いてみた。 もちろん私と一緒にいたいと目を輝かせながら言ってきた。 私とその子は統合された。 その瞬間、胸が暖かくなり、なんともいえない感動と、今まで自分になかったあるものがじわーっと広がった。 催眠が終わった後も、感動で胸がいっぱいになった。 今でも私のハートのあたりで、統合されたインナーチャイルドであるその子がニコニコ笑顔で微笑んでいる。 この日記を書く前に改めて前回の自分の日記を読み返してみたら、天使のメッセージで私のインナーチャイルドが小さくしゃがみこんで孤独に耐え、鳴くのをじっとこらえていると書いてあった!(@д@;) このメッセージを天使にもらったことはすっかり忘れており、 今回会ったインナーチャイルドはまさにこの通りの女の子だったので、びっくりした。 自分の文なら覚えているけど、天使からもらったメッセージは、たとえ書き留めていても忘れてしまうことがよくあるのだ^^;>
2006.12.10
オレンジレッスンという本を(ハッピー&サクセスストーリー)を読み、自分が失敗したとき・・・を思い出してみた。それが、世間的にはどんなに小さいことでも、自分では無かった事のように扱ってみたりしていたことに気づいた。そのことを思い出すとき、自分のなかで、どうしてあんなことしちゃったんだろうね!とか、私だけが悪いんじゃないなどと早口でまくし立てるように言い訳していた。その度に胃の辺りから胸にかけてズキーンと苦しくなった。それが、ちょっとしたことでも、何年経っても思い出し、そのように言い訳しては胃から胸にかけて苦しくなるパターンがつい先程まで続いていた。私の嫌いな人のパターンで、迷惑をかけられて、そのことを指摘すると、早口でそのことに対する言い訳をまくし立て、こちら側には有無も言わせずに次の話題へと移す人だ。思えば、こんな人は私の周りに沢山いた。先程気づいたよ。鏡だったって。あまりにもこのような人が多いから、もしかして鏡かな・・・と思ったことがあったけど、絶対に認めたくなかった。では、どうしたらいいの?この胃から胸にかけてのズキーンと重いのは一体何???天使さんにきいてみた。 まず、あなたの気持ちが非常に辛くなるんですね?言い訳に走ったり、見ないふりをすることで自分自身を欺き傷つける形になるものです。あなたは人に迷惑をかけようとしてやったわけではなかった。そして、鏡の人たちも同様、あなたに対して迷惑をかけるつもりは毛頭なかった。日本人は皆、「人に迷惑をかけるな」と教えられています。まず、この時点で、自分は人としてわかっている範囲で罪を犯したとあなたの心は判断したのです。そして、もうひとつの心が「私はそんな大きな罪を犯していないよ、今更もがいてもどうしようもないよ」と言い聞かせるのですが、どうも心の底からは納得していない。そして年月が経ってもまるで昨日のことの様に思い出しては払拭する。そして、似たようなパターンの鏡が目の前で展開するのです。実はこのような罪悪感が(一見小さなことのようですが)積み重なり、あなたが前へ進もうとするのを阻んでしまっています。これは足元にある落とし穴のようなもので、きちんと取り組まないと同様なことや、考えが次々とやってきては気持ちを重くするのです。「神との対話」でもありましたね。罪悪感と不安、恐怖感があなたの幸せを邪魔するのです。人によってはもっと大きい罪悪感もあります。では、どのようにしたらこのような罪悪感から開放されるのかと申しますと、実は、あなたの中にあるインナーチャイルド(内なる子供)の心を見つめるのです。外界のこと(他人)のことは見ないでよろしい。あなたはそのことについて考え、苦しい思いをしている。その心の痛みを味わうのです。あなたはそれをせずに味わうどころか、見ないように自分に言い訳を繰り返してきました。どうですか?あなたのインナーチャイルドは小さく縮こまり、孤独に耐え、しゃがみこんで泣くのをじっとこらえています。「わたしはわるいことをしてしまった」と。あなたはその子に何をしてあげたいですか?(そばに行って抱きしめてあげたいです)そのインナーチャイルドに対し、「あの時は仕方がなかった」「どうしてあんなことをしたんだろうね」という突き放すような言葉は一切要りません。先程も申しましたが、あなた方には、「過ちは犯してはならない。人に迷惑をかけることは大罪である」というルールがあります。小さい頃よく言われて育った方も多いと思います。小さな子供が失敗したら、責めますか?大人でも同じです。人は日々新しい毎日を過ごします。そこで失敗して自分を責め続けますか?(ああ、恥ずかしい・・・も含む)責めたところで何も生まれないのです。大切なことは自分の間違いを認め、(罪としてではなく)もうこうゆう間違いはしないようにしようね。と自分に言い聞かし、学習することなのです。あなたの場合、学習はしたのですが、恥ずかしい、人にどう思われたんだろう・・・という思いを自分にぶつけてきたために、その度にインナーチャイルドは傷つき、小さくなって孤独に耐えていたのです。インナーチャイルドをやさしく抱きしめてあげると、インナーチャイルドは「エッ!?いいの?」と、もう苦しまずに済むのです。そうなると、インナーチャイルドはニコニコして、進んで物事を吸収し、元気に前に進もうとします。すると、あなたのハートはニコニコします。 夕べ、オレンジレッスンで、同じような内容の文を読んだけれど、全く頭に入らず、途中眠くなって寝てしまった。でも、こうして天使に噛み砕いて教えられるとやっとわかった!失敗しても、自分を責めるのではなく、失敗を活かすということ。自分と常に仲良くすることで道は開けるとわかりました。
2006.11.29
マウントフジの「生きる力」を服用しています。 自分自身にもっと芯を入れたくて。 この影響なのか、私の場合逆療法で出来事がやってきます。 最近になって、自分自身を揺るがすような、 今までそれで良しとしてきたものが、 果たして本当にそれでいいの???良かったの???・・・と、 疑問に思ってしまうのです。 天使に「どうして私を揺るがすようなことばかりがおきるので すか?」と聞いたところ、 (→天使) 自分で考えなさいといいたいところですが。 「やはり、ライオンは子供を崖から落として・・・みたいなことで しょうか。」 そこまでわかりましたか。 あなたは今、自分がどんな才能を持っているのか、 どんな感じ方をするのか、 どんな思い癖をもち、 周りの人がどんな感じで・・・というのを明確に知る必要があります。あなたが今どれだけの劣等感があるか、 ということもです。 ひとつだけヒントを与えましょう。 それは、あなたの周りであなたに対する人の態度はどのような ものなのか。頭を使わないでください。 ただ感じることに全てを注いでゆくのです。 それが正しいか否かを誰かに求めるから、 もっと苦しくなるのです。 当然自分の感じたことを自分で否定するのはこの上なく悲しく 苦しいことです。 そして、それを何度となく、あなたは自分に対してやってきた のです。 相手を否定するのではありません。 あなたが相手に否定されたことであなたがどう感じたのか、 それだけを信頼してゆくのです。 あなたが自分で感じたものを否定するということは、 自分で自分の存在を否定するということと同じことです。 あの人がこうだから、こうゆう態度をするから、恐らくこうゆ う状況なのだろう・・・と推察することもできるでしょうが、 それはあくまでもあなたの推察です。 そうではなく、あなたがそれに対してどんな気持ちがしたか。 それだけを胸に手を当てて感じるのです。
2006.09.26
天使に 豊かさについて聞いてみた。 ◎ お金の件ですが、あまりそこをズームアップして見ない方 が良いでしょう。 なぜなら、そこばかり見ていると、 お金があって出来ること、 お金が無くて出来ないことを頭の中で引き寄せるからです。 そうなると、あなたは[自分は不自由]という思いに駆られてしま うことになりかねないのです。 豊かさとは、まさに、心がどれだけ豊かであるかなのです。 人よりお金があり、使えるから豊かということもあるでしょ う。 しかし、別の豊かさの発見をするということも当然可能なの です。 お金以外の豊かさを発見することで、 あなたの心の幅は以前よりもぐっと広がるのです。 どうか、惨めな気持ちになるような考えには持っていかないで ください。 今のあなたも、今後のあなたも、どうしたら心が豊かになる か、楽しむことが出来るかに焦点を当てて、日々を過ごすと良 いでしょう。 ☆ この文を打っているときに閃きました。多分メッセージでしょう。 ◎今のあなたのこの状況は、お金以外の豊かさを探しなさいと いうことでもあります。 あれをやってみようか、これもしてみようかと、最近頭の中で 浮かんできていますね。 どんどん趣味を広げ、毎日を楽しく過ごして欲しいのです. 自分が楽しいことをやっていると、必然的にエネルギーも高ま ります。エネルギーが高まった状態のときに何かが起こって も、あまり自分を責めたりすることなく、中立的に解決するこ とが出来、なおかつそこから学ぶことが出来ます。 ☆ 先日、エンジェルカードをひいたら、 「食べるものには困らない」と出た。 翌日から、買い物に行かなくても良いくらい、 いろんな人から野菜や、おかず、ジュース、お菓子などを頂い た。うれしい~!!!!(*^_^*) 今月はどうしちゃったの~って言うくらい使えるお金が限られ ている。 外出が大好きな私も、さすがに家にいることが多い。 以前、道北の露天風呂に朝、一人で入浴していると、 メッセージが。 全てにおいて楽しむ。 お金を使うときも、 買い物をするときも、 時には節約さえ 楽しむ。 ふと思い出しました。 多分今の私に必要なことなのでしょう。
2006.09.19
初めて日記を書きます。よろしくおねがいします。 ♪ ♪ ♪ 先日ある人に人前で言われた言葉が頭から離れない。腹立たしく、頭の中がぐるぐるとパンパンになった。 それで、ノートとペンを用意して、内なる天使に聞いてみた。 すると、相手はそのことを言う際に、傷つけてやろうと積極的 になっていたわけではなく、自分で理解できるか、出来ないか わからないラインで大して考えもせず、(相手に対する配慮) 「ま、いっか」で言ったこと、 その人自身も劣等感や、心の傷が未消化の状態で蓄積されてい ることがわかった。 確かに私も傷ついたし、腹立たしいけど、 私も違う場面で同じようなことをふざけてやってきたことに気 づいた。 すると天使が、 「あまり自分を責めないでくださいね。それだけ多くの傷があ るのです。傷つけた側は傷と一緒に価値観も相手に押し付けま す。皆、そのようにして大なり小なりやっています。 ・・・・どうですか?その人のこと、それほど責められなくな ってきたでしょう? 自分も加害者であり、被害者であるという経験で、 どちらの気持ちも理解することができ、人間がひと回り大きく なるのです。だから、人間は経験する生き物なのですよ。貴重 な体験なのです。」 このメッセージ以来、この件で腹立たしくなることも無くな り、ストンと落ち着き、相手を許すことが出来るようになりま した。
2006.09.18
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