宇宙は本の箱

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国家の計は若者育て


国家の計は百年だし、それは人間作りのことでもあるのに。
今この時のことと若者が年取った時のことと。近くと遠くと。
人は食べなくちゃならないが、沢山食べられるようになりさえすればそれは将来を約束されたことになるのか。食生活が豊かになれば精神も一生豊かでただの一度も挫折せずに死を迎えるまで生きられるのか。まだ十代の者を農業に導くのに、人間としての在り方も教えられず、ただ機械のような・・・そういうことを念頭におかないエライさんはどうかしてるゾ。そんなのが今の日本のおエラ方だ。あれじゃ野菜を生産する農業株式会社に就職したにすぎず、その農業会社に就職するのにまたぞろ技術資格学校を創ろうというのだからマニュアル好きの面白みに欠けた人間は始末におえない。私は次郎にもいったことがある。
君は就職難だったし、機械の動く会社に就職できなかったから、機械を野菜に置き換えた農業株式会社に就職しただけじゃーないのか?と。農ではなく農業法人なんていうのが皆夢みたいな思想さ。
そんなのはなにも奈良県に限ったことじゃないし、農業に限ったことじゃないから実に情けないし腹立たしい。

いつも思うのだが、どうして小遣い程度しかもらえないとしても技術者の元で技を盗む(学ばせてもらう)より、学校設立して習う方を政府は選ばせようとする風潮を作るんだ?前にやってたテーラーの話もそうだし、すし屋の話もそうだし、宮大工の話もそうだった。そして今度は農業だ。どうして一番の元となるそこをやらせないんだ?どうして若い者に真の力を引き出させる人間がいないんだ?

農家の先生役の人は自分の知識を教えたがるが、知識は知りたい、知ろうという心の集積であって、知りたい、勉強したいという心をまず作るのが本当の先生の役割ではないのかな?
あの男の子は全然楽しそうに仕事をしてなかったじゃないか。収入がなければ、仕事がなければ、それ一辺倒だったじゃないか。それは若者の心ばかりでなく、教えている者の姿をも若者の心が写してしまっているんだ。

先生は大切だ。授業に釘付けになる先生はいる。心躍らせる授業の出来る先生はいる。
息子が生涯の敵と呼んだケイシはそこが実に偉かった!
胡散臭い奴だと思いつつも私が黙認したのは、悪党ではあっても、ケイシが実に実に優れた人を惹きつけずにおかない人間だということがたった一つのことで分かったからだ。
天晴れだった!舌をまいた。

悪魔にしろ、善魔にしろ、皆がケイシくらいになれればそれはそれでもいいと思うが、そうでない小者なら、人生半分くらいに達したら、何が先で何があとかくらいはいい加減は悟ってもらいたいと思う。若者が情けないのではなく、下り坂の歩き方を知ろうとしない実年以上の年寄りの方が実は情けないというのが今の日本なのだ。

宮沢賢治よ、出でよ!


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