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「逆さ藤天神」 『足利源氏屋敷跡』の水堀に沿って、外周散歩さしてみたど。『仁王門』を出て、東へ進む。 まっつぐに伸びた水堀と、横を通るまっつぐな道。 この辺は、昔も道路だったんかな? 二つ目の角さ曲がったとこで、こんなめんこいもんをめっけたw。 場所は『鑁阿寺』の『北門』近くだど。『奥の院通り』。この道の名前だべな。 上にちょこっんと乗っかってんのは、なんだべな。 背中に線があって、お腹さ、ぽちぽちと、点が刻んであったから、 鶉、だべな。 なんで、こったらとこさ、鶉なんだんべ? 柱さよぐみたら、横に『樺崎八幡宮』ってかいてあるど。 ここさ、ず~っと進んでくと、『樺崎八幡宮』行けるって、案内板だったんだ~。 今回は、時間の都合で、いかなかったんだけど。『樺崎神社』には、『足利義兼』のお墓があるんだと。 それにな。『奥の院通り』は蔵が建ち並ぶ、静かな散歩道でな。 のんびり散歩に、ぴったりなんだって。 夏場は暑くて、熱中症さ心配だがら、山散歩さ控えてんだけど。 ここなら、いけるかな。 よし!行きたい場所リストさ、入れとこっと。 でも、なんで鶉なんだべな? 気になるべ~。 鶉に、後ろ髪さ引っ張られながら、のろのろと進む。 おんや? 道の横っちょに、神社さあんど。『逆さ藤天神』だって。 小さな神社だべ。 人んちの敷地みたいな雰囲気だけど。入っていいんかな? おっかなびっくり、進んでいぐと、奥に御堂らしき建物さあったっぺ。『逆さ藤天神』は足利守護として、古くから祀られた神さまでな。 祭神は『菅原道真公』だって。 案内板によると。 建久7年(1196)。『足利又太郎忠綱』って人が、無実の罪をはらすために、 祈願さ来たらしい。 忠綱は『源平盛衰記』や『吾妻鏡』にも、名前さ残ってる人物でな。 武勇に優れた人物だった、みたいだど。 んでな。忠綱の無実の罪って、なんだと思う? これがな。『鑁阿寺』に関係すっことなんだ。『蛭子堂』って覚えてっけ?『蛭子堂の伝説』んなかに、不貞の罪さおっかぶされて、 自害しちまった『北条時子』って人がいたんべな。 時子の不倫相手と噂されたんが、忠綱だったんだ。 忠綱は、神社さ祈願したんだけんど、 その後、足利義兼に追い詰められて、自害したって話だど。 このあたりは言い伝えなんで、ほんとかどうかわかんないんだけど。 なんだか、悲しい話だな。 事実じゃないと、いいな~。 さてと。悲しい話は、ここまでだべ。 神社の話さ、すっぺな。 これは、神社の隅っこにある藤なんだけど。『逆さ藤天神』の由来になった、藤なんだ。 祈願さ来た忠綱が、鞭代わりにしてた藤だって。 地面にさしたまんま、置いてっちゃったもんだから、 枝から根っこさ生えできて、大木さなっちまったもんなんだと。 なんだべな。どっかで聞いたような話だど。 突き刺した藤の枝から根っこさ生えて、 大木になるって話は、あっちこちで聞くような・・・ あ!こないだいった『大中寺』にも、 そったら話さ、あったべな。 で、なぜかみんな、『逆さ藤』なんだよね。 上に伸びた枝が、くねくねして根っこみたいだから、って 聞いたような記憶があんだけど。 さて、これは、どこの『逆さ藤』の伝説だったかな。 誰か知ってっけ?ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.31
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『鐘楼と多宝塔』 土塁を降りて、てくてくと。 林の中を歩いて行くと池にでた。 古いというよりは、寂れた感じさすんな~。 足利氏が屋敷として、使ってたころのもんじゃ~ないっぺな。 再現したもんかな? それにしちゃ~、寂しいな。 池といえば。 昔は『不動堂(中御堂)』の前んとこ『大御堂』沿いに、 5メートルぐらいの池さあったらしいど。 こっちの池は本物で、浄土式前池の痕跡、っていわれてたんだと。 なんで埋、めっちゃったんだべな。もったいない。 池はみっとこなかったんで、素通りして。 たどり着いたんが、『鐘楼』だど。 んっと。こっち側は、裏っかわなんかな? 正面さ、探して、ぐるっと回り込む。 参道側から見上げても、あんましかわんねな~w。 っつうか、木の枝さ邪魔っけで、写真さ撮れないど。『鐘楼』は鎌倉時代初期の建久7年(1196)に、 足利義兼が、こさえられたらしくてな。 入母屋造り本瓦葺、袴腰をつけている・・・『袴腰』? ああ、裾んとの広がりんことかな。 建物の下半分が、スカートの裾みたいに、外っかわに広がってんだ。 これは、なんのためにあんだべな? 泥棒除け? 見上げると、奥のほうに鐘らしき形がうっすらと、みえたど。 屋根や瓦、基壇の周辺は修理されててな。 鎌倉時代当時のもんじゃ~ない部分も、あるらしいけど。 当時の様式で再現されてっから、全体の雰囲気は、鎌倉時代のまんまなんだと。 きれいな状態で残ってんのは、めずらしいみたいだど。 そして、もう一つ。変わった建物さあんだ。『足利源氏屋敷跡』の西側にある『多宝塔』だど。 2階部分っていって、いいんかな。 上の階んとこが、ま~るい円形になってんだ。 変わってんべ? こっちも足利義兼の時代に、こさえられたもの。 だども、その後、何度か修理・改築されたみたいでな。 特に『相輪』っていわれてる部分は、江戸時代の様式になっちまってるらしいど。 中には『仏舎利』が修められてんだけど。 砂利石やガラス玉などでできた、17粒の仏舎利は、 銅製宝塔形の舎利器に納められ、 舎利器は、木製容器にはめこまれ、 容器は、銅鏡の上にのって、 宝珠内に納められてんだと。 は~。なんか、すごい厳重だっぺ。 それから、鎌倉時代初期のものと思われる、『大日如来坐像』も、安置されてるそうだど。 って言われても、外からはめ~ないかんな。 どんなもんか、わかんないんだけど。 なんだかすごそうだな。 機会さあったら、一度みてみたいもんだべな。《参考》足利の歴史/前澤輝政価格:1,995円(税込、送料別)ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.29
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「堀」 ここまでは、『足利源氏屋敷跡』を左周りに歩ってきた。 だもんで、『本坊』の前を過ぎると、『東門』の前に出たど。 さらに、進んでいくと、『鐘楼』んとこへ出るはずなんだ。 木の枝や石柱を眺めながら、ほげほげと歩いていたら、 階段さ、めっけた! それも、土塁に登れる階段だど!『鑁阿寺』に来る途中でな。土塁の上に人影さみたから、 どっかから、あがれんだな~とは、思ってたんだけど。 こっから、上がったんだべな。 え~、変なやつ。と、思うかもしんないけど。 こういうとこさみっけると、うずうずしちゃう体質なもんでな。『鐘楼』見学なんて、視界から吹き飛んじゃった。 そろそろと。 だども、階段さめがけてまっつぐに、移動開始だべ。 そして、足下を確かめながら、一歩、一歩、登ると・・・ まっつぐに伸びた、土塁。 振り返ると、『東門』とおんなしぐらいの高さだど。 気分最高~! やっぱし、土塁は、登んなくっちゃ~なw。 こったら景色は見れないべ? だども、土塁の上は木の枝が張り出してっから、ちと注意さ必要なんだ。 足下をみながら、ゆるゆると歩いていたら・・・ なんか、頭さぶつかったど! 誰だっぺ! 石っこなげたんは! って辺りさ見回しても、だれもいない。 それに、石っこにしちゃ~、あんまし、痛でくない。 いったい、なんだべか? そんときな。目の前を、茶色い蝉っこが横切ったんだ。 ・・・そうげ。犯人は、おめさんだな!! 蝉っこの飛んできた状況から推測すっと。 こいつが、頭の左側に激突! 右っ側さ抜けて、体制を整え、目の前を右から左へと逃走を図ったらしい。 むむ~!逃がすか! だども、相手は蝉っこ。 土塁さ超えて、飛んでっちまったっぺ。 しゃ~ね~な。許してやんべ。 蝉っこの背中さ、目で追いながら、頭さ撫でた。 ちょうど蝉っこが、当たったとこだど。 そん変わり、蝉っこの罪状は、しっかりとブログさ書いとくかんな! 木の枝と蝉っこに注意さしながら、進んでいぐと、角っこさついた。 堀の内側は、庭園になってんだけど。 少し崩れた、緩やかな斜面だべ。 この辺りは、あんまし手を入れてなくってな。 昔の土塁の面影が、ちょっと残ってるとこなんだって。 こっち側も、まっつぐな土塁。 南側。『太鼓橋』や『仁王門』が建ってる側だど。 日差しの関係かな。薄暗いな。 だども、外っかわは、日がさんさんと照って、暑そうだど。 それに、中側よりも、高さがあんだな。 『水堀』は、どんぐらい深いんかな? 足下に注意して覗き込んでみたら、『水堀』の柵んとこに、足利紋さみっけた! 水面にも、映ってるど! な~んてことない場面なんだけど。 なんか、うれしくなっちまってな。 写真さ撮っちまったべ。 何にもなさそうな、土塁だけんど。 登ってみっと、結構いろんな出来事が発見できて、面白い。 ってことで。 興味さ出てきたら、ぜひ! 土塁登りさ、体験してみとこれね。ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.27
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「出世稲荷と本坊」 赤い鳥居は『出世稲荷』だど。 お寺にお稲荷さま? なんだか、不釣り合いに見えっちゃうけど。 昔は、神社もお寺も一緒に祀られてたから、 こんなんも、ありなんだべな 鳥居の奥を覗いてみると、間違いなく、神社だべ。 そして、お狐さまもおられた。 右側のお狐さまは、子持ちw。 親子狐って、初めてみたど。 めずらし~べ。 左っかわの、お狐さまは、玉持ち。 顔がちと怖い。耳もかけてるし。 鼻もへこんじゃって・・・犬みたいw。 パグに似てないけ?www 細長い体型をしてるけど、大きさもおんなしぐらいだべ。 めめこいな♪ ええ~っと。この神社はな。 足利義兼が創めた、と言われてんだ。『出世稲荷』っつってな。 足利義兼の居館の、屋敷稲荷だったんだっと。 そんじゃ~、お狐さまも、義兼時代のものなんかな。 鳥居の奥の石鳥居も、良いね。 網で囲まれた扉の向こうに、 神社の神様が、おられるんかな。 では、お賽銭さあげて、お参り・・・ あれ? 賽銭箱さ、どこだべな? きょろきょろと辺りさ見回すと、 扉んとこに、但し書きがあったっぺ。 なになに・・・扉ん中さ、ほうれって?? どうやらここのお賽銭は、扉の中へ投げ込む方式らしいんだ。 網に開けられた穴から、賽銭を滑り落とすと、 下にはちゃんと、賽銭箱が置いてあってな。 ころん!と、入るようになってんだ。 こんな神社さ、はじめてだ~。 おもしろいな~。 もちっと、じっくり見たかったんだけど。 観光客さ、きちゃったんで、退散! しちゃったんだけど。『稲荷神社』の裏には、みどころポイントがあったらしいべ。 まず。木造で作られた、稲荷神社の本殿があった、らしい。 小さいものだけど、彫刻が見事。 側面には、物語の登場人物のような、浮き彫りもあったらしい。 そして、神社の側面には、な。 大量の陶器でできた、お狐さまがあったとか。 むむ~う。 いつもだったら、裏側まで覗くんだけど。 奥に入れるって知らなかったから、戻ってきちゃったんだべな。 ああ~、さんねん。 『出世稲荷』の隣には、『鑁阿寺の本坊』がある。 目の前のサルスベリがきれいだったんで、 一緒にぱちり! こちらは、立ち入り禁止かな。 門だけでも、迫力満天! 奥を覗くのも、失礼な気がして、前を通過~。 この辺りで、『足利源氏屋敷跡』の半分ぐらいかな。 まだまだ、広い~。 全部見きれっか、心配になってきたど。 《参考》足利の歴史/前澤輝政価格:1,995円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.26
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「御霊堂・大酉堂・校倉・蛭子堂」『一切経堂』の前の道を北へ進むと、広場に出る。 たぶん広場・・・だと思うんだけど。 とにかく広い、空き地になってんだ。 横には、子供用の遊具を備えた公園もあるど。 おんや、公園のよこに、赤い建物だあんど! いってみんべ。『御霊屋(おたまや)』 歴代の足利将軍の霊を、祀ってあんだって。 第11代徳川将軍・家斉の寄進なんだと。 んでな。この建物の北裏にな。 足利義兼の父・義康と、祖父・義国の、墓塔があんだって。 へ~、気がつかなかったど。 鎌倉時代の古い石塔で、半壊状態だとか。 じゃあ、今はないのかな? 他の建物に目がいっちゃってたから、 それらしい石塔は、みなかったな~。 この広場には、他にもいくつか面白い御堂が建ってんだよ。 たとえば、これ。『大酉堂』 室町時代に建てられた物で、昔は足利尊氏の御霊屋だったらしいど。 明治時代までは、木造の足利尊氏像が祀られたたんだけど。 本殿さ移されて、今は大酉大権現が祀られるそうだっぺ。 『大黒堂(校倉)』 宝暦2年(1752)、満慶上人が建設。 永享4年(1432)に再建された、って言われてるもの。 最初は、宝物や書物をしまう、倉庫だったんだけど。 大黒天を祀るようになって、『大黒堂』に名前さ変わったんだと。 他の建築物と造りが違って、面白いべ。 その隣の石群。『足利源氏屋敷跡』の周辺にあった『庚申塚』を、 一カ所に集めて、お祀りしてるってきいたど。 こんだけたくさんあっと、ちょっと、圧巻。 こ、怖くないど。 でも。ちょっと、近寄りがたい、かな。 だもんで、遠巻きに、ご挨拶だけして、通過。 次さ、いくべ。『蛭子堂(ひるこどう)』 足利義兼の妻・北条時子の霊を祀ったもの、らしいべ。 奥方の名前は『時子』なのに、なんで『蛭子堂』なんだべな? 調べてみたっくれな。 これには、悲しい伝説さあったんだ。 あらすじだけ紹介すっと、な。 足利義兼が、鎌倉へいっている間に、時子のお腹が大きくなってな。 帰ってきた義兼が、時子の不義密通を疑って、責め立てたんだ。 怒った時子は、自害。その後、腹を割いてみると、 大量の蛭が出てきた・・・。 げ! あんまし、想像したくない景色だべ。 ほんとじゃ~ないべな~。 あ~、やんだ~。やんだ~。 想像しちゃった・・・。 と、とにかく。 今の『蛭子堂』は、安産や女性の病に効くらしい。 お堂の扉には、たくさんの赤ちゃん用前掛けが、くくりつけてあったど。 安産のお礼なんだべな。 だども、『蛭子堂の伝説』を知っちゃうと、 安産の神様で、いいんけ? とか、考えっちゃうんだけど。 いい、のかな。『蛭子堂』を過ぎると、トイレと北門のとこにでる。 4つの建物は、北の土塁に沿って、ほぼ一直線に並んでんだけど。 4つも建物さあって、公園さあって、 そんでも敷地の4分の1ぐらいしか、締めてないんだど。 ・・・どんだけ広いんだ~、この屋敷跡! 広すぎて、迷子さなりそうだなw。(栃木弁:注 やんだ=嫌だ。やだ)《参考》足利の歴史/前澤輝政価格:1,995円(税込、送料別)ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.24
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「不動堂(中御堂)と一切経堂」『大御堂』の西さ歩いて行くと、小さな御堂があったど。 小さいってっても、隣の『大御堂』と比べっと、小さくめ~るだけでな。 これだけでも、立派な本堂になりそうな、造りの建物だど。『不動堂(中御堂)』っていうんだ。 柱んとこに『おふどうさま』って書いてあったな。 親しみが籠もった、呼び名だべ。 これは、文禄元年(1592)に、再修されたもんなんだけど。 室町時代の建物の特徴が、残ってるらしいど。 亀腹基壇、入母屋造り本瓦葺。 堂内には、大日如来像と不動明王像が安置されてんだ。 不動明王像は、鎌倉時代の作だって。 だども、外からじゃ、中までみれなかったな。 どんなんだんべな。 隣の『大御堂』と違って、 落ち着いた、静かな雰囲気の御堂だべ。 そして、さらに西には、こんな建物があったっぺ。『一切経堂』だど。 なんだか、今までの御堂と、違うな。 ここだけ、中国風の建物に見えるけど。 紅く染められた、柱のせいかな。 な、なんか。異世界に紛れ込んじゃったような、 変な気分だっぺ~。『一切経堂』はな。 建久7年(1196)に、こさえられたものなんだ。 だども、応永14年(1407)と、宝永5年(1708)に 大改修しちゃってな。 昔の面影は、なくなっちゃったんだと。 ありゃ、残念。 内部は、石畳。 江戸時代の『八角形回転式・経棚』があんだって。 鉄眼禅師編さんの、基壁版一切経2000余巻が収めてあるらしい。 って言われても、なんのこっちゃいな? さっぱしわかんないべ。 だども『八角形開店式・経棚』は、どっかのブログで見た記憶が・・・ 小さな棚がびっしりならんだ、くるくるっと回転する壁、 みたいなやつだったんじゃないかな。 六角ってことは、棚が六面の壁になってて、 上から見ると、六角形になってるってことだべな。 その小さな棚の一つ一つに、経を書いた文が収められてんだよね。 それだべか? それから、初代から15代までの『足利将軍の木造』が 安置されてるらしいど。 残念ながら、一般公開はされてないみたいなんで、 外からは眺めらんないんだけど。 拝観料さ払えば、見られるらしい。 料金は、『本堂』と『一切経堂』、あわせて6,000円! お高いのかどうか、判断に困るけど、 興味さある人は、問い合わせてみとこれね。 (問い合わせ先は、こちら)《参考》 足利の歴史/前澤輝政価格:1,995円(税込、送料別)ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.22
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「大御堂と鬼っこたち」『鑁阿寺』の中さ、入ってみる。 と、正面に、ど~んと出現するのが『大御堂』だど。『太鼓橋』『仁王門』とならんで、 観光ポイントベスト3に入る、人気なんだ。 ここは、是非、写真さとらねば! って、がんばったんだけんど。 皆さん、じっくりと参拝なさっているので、 なかなか、思うような写真さ撮れない。 しゃ~ないな~、と周囲を見回していたら、こんなもんをみっけたど。 え~と。案内板があったような気がすんだけど、 見落とした・・・っつうか、覚えてない。 香炉、にしては、大きいし。 護摩でも焚くもんなのかな。 近寄ってみたら、足下に、 青銅の小さな鬼っこw。 足利氏の家紋・丸に2つ引両を、持ち上げてる。 反対側にも。いた! ぐるっとまわって、こっちにも。 か、かわいい~。こいつら、なんだべ? 窯を支える役目もしてんだな。 ちっと、いたずら好きな顔に、みえんだけんど。 もしかしたら、鬼っこたちは、いたずらのお仕置きに、 窯の下さ、据えられちゃったんかな? な~んてことさ、考えてたら、観光客が、いなくなった。 やた! 撮影のチャンス! っで、これが、『大御堂』だど。『鑁阿寺』の本堂にあたる『大御堂』は、入母屋造りの本瓦葺。 屋根の上には、獅子や薔薇のように見える瓦が、みっちり乗っかってる。 天福(1233)ごろに、『足利義氏』が建てたもの ・・・って、いいたいんだけんど。 弘安9年(1286)、雷火で炎上。『足利義氏』が建てたといわれる『大御堂』は焼失しちゃったらしいべ。 今の『大御堂』は 正応5年(1292)~正安元年(1299)に、再建したんだと。 鎌倉時代の特徴が残った、貴重な建物なんだって。 お参りしてみた感想は、 いい感じに古びたお堂、だったな。 堂内はちょっと、窮屈な感じもしたけど。 柱なんか、どっしりしててな。最近の建物なんかじゃ、比べもんになんね~ど。 じろじろと、あちこち眺めっちゃったよw。 本尊は『大日如来像』。鎌倉後期の作だって。 だからだな。 近所の人からは、『大日様』って言われてるらしいど。 お参りも無事済んで。 帰り際に、もう一回屋根をみあげたら、ありゃ? こったらとこにも、鬼っ子がいたどw。 もしかしたら、天の邪鬼ってやつかな。 こりゃ~、もっとよぐ探したっくれ、 鬼っこが、もそもそと出てきそうだな。 あ、そういえば。『大御堂』の屋根の上。 瓦の中にも鬼っこの姿さ、みたど。 鬼ってやつは、 災厄を防ぐ役目もしてんのかな。 この辺は、まだまだ勉強不足なんでな。 どんな因果関係さあんのか、わかんないけど。 どこに、どんな格好の鬼がいんのか、 探してみんのも、おもしろいど~。 《参考》足利の歴史/前澤輝政価格:1,995円(税込、送料別)ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.20
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「4つの門」『足利源氏屋敷跡・鑁阿寺』は、ちょっとゆがんだ四角形の形をしてんだ。 これは、足利氏が敷地を拡張地していった結果、 ちょっとずつ、ゆがんじまったもんらしいど。 実際に歩いてみた感じは、ゆがみなんてわかんねかったけど、 上空から撮ったの写真さみっと、東側が少し短くなってんのが、 よくわかるべ。 土塁と水堀に護られた敷地には、4つの入り口があってな。 それぞれに4つの門と、橋がこさえてあって、 自由に行き来できるようになってんだ。 これが、一番有名で、一番豪華なやつ。『太鼓橋』と『仁王門』だっぺ。 ほんとはもっと間近できれいな写真さ、撮りたかったんだけど。 観光客さ、多すぎ! お盆休みで、たくさんの人さいてな。 写真さ撮ったり、長話してるもんで、 これで、精一杯だったんだ。 ええ~と。『太鼓橋』は、安政2年(1855)作。『反橋』っていう真ん中が盛り上がった木橋に、瓦屋根を載せたもの。『仁王門』は、天正18年(1590)作。 唐様の基盤の上に、重層、三斗出組。 屋根は入母屋造り本瓦葺。 門の中には、運慶・作、っていわれる 利派な仁王門さまが、睨みをきかせてるど。 みんなが見とれる理由は、門と橋を飾る彫刻たちのせい。 そこに、橋や門のどっしりとした佇まいが加わって、 観光客の足を、止めっちゃうんだな。 次はこれ。『四脚門』っていうんだと。 これが『東門』 んで、こっちが『西門』 どっちも、『鑁阿寺』創建時に建てられてたもんらしいど。 木造、切妻造り本瓦葺。 今は、なくなっちまったけんど。昔は扉があったんだと。 昭和32年(1957)に、解体修理さしたんだけど、 肘木、蟇股、柱などか、鎌倉時代のもの、と確認されたんだ。『東門』からは、延応(1239?)と読める墨書きも、 発見されてんだって。 鎌倉時代の武家を思わせる、堂々とした門だっていわれてるんだど。 表の『太鼓橋』や『仁王門』のような派手な彫刻はないけんど。 迫力は負けてねえど。 質素な魅力、っていうんかな。 いかにも、実践的な力強さを感じんな。 最後が『北門』 または、『薬医門』とも、いうみたい。 これが、ちと難解でな。 本に説明が載ってないんだ。 なんでかな? 見落としたべか? 上の3つの門とは、明らかに時代さ違う感じなんだけど。 そだな~。 江戸時代を舞台にした、時代劇に出てきそうな門だど。 で、ネットで調べて解ったんだけど。 弘化2年(1845)に、再建されたものなんだと。 昔は『塔中十二坊』の、『筆頭・千手院』の山門だったんだって。『塔中十二坊』ってのはな。『鑁阿寺』の維持のために、堀の外に建てられた 12の支院のことでな。『千手院』っていうのが、 12の支院をまとめる役割さ、してたらしいど。 明治4年(1872)ごろ、『千手院』以外の支院は、 明治政府に上地して、なくなっちゃったんだけど。 その後、残った『千手院』から、移築したものなんだって。 ほ~。そうすっと。『東門』と『西門』が、鎌倉時代のころのもので、『仁王門』が、安土桃山時代のころのもの。『太鼓橋』と『薬医門』が、江戸時代後期。 3つの時代さ集まって、今の門構えになってんだ~。 ふうむ。すると。 鎌倉時代、足利氏が屋敷として使用していたころは、『薬医門』も『太鼓橋』もなかった、ってことだべな。 観光客さ魅了してる『仁王門』と『太鼓橋』の組み合わせも、なかった。 足利義兼は、こったら景色を見ることは、なかった、と・・・ すると、足利義兼が暮らしていたころは、 どんな門が、立ち並んでいたんだべな~? 今の『仁王門』と『薬医門』もいいけど、 昔の北門と南門は、どんな門構えだったんだべな。 残ってないのが、ちと残念だっぺ。 《参考》足利の歴史/前澤輝政価格:1,995円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.19
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「足利氏邸宅跡」 歩道橋の上から、『足利学校』が見えた。『足利学校』は、足利市を南から北へ通る293号線沿いにあっかんな。 道路から、丸見えなんだ。 だども。今回の目的地は『鑁阿寺』なんで、『足利学校』は、帰りに寄るこどにしだ。 土塁に囲まれた『足利学校』を見上げながら、 堀沿いに進んで、角を曲がると、 『鑁阿寺』さ、到着~! 住所は、栃木県足利市家富町2220。『足利学校』の、北奥に位置するお寺だど。 写真の太鼓橋と山門は、『鑁阿寺』の顔みたいなもんだから、 ホームページでも紹介されてるど。 だもんで、『鑁阿寺』さいったことない人でも、知ってんべな。 さて。『鑁阿寺』は、鎌倉時代にこさえられたお寺なんだけど。 同時に『足利源氏居館跡』でもあんだよ。 寺社の敷地内には、跡地を示す石碑もあったっぺ。 足利氏の先祖は、藤原秀郷の流れをくむ一族でな。『足利藤原氏』っていったんだけど。 残念ながら、源平の合戦で平家側についちゃったもんで、 寿永4年(1185)の『壇ノ浦の合戦』で、平家が滅びた時。 一緒に滅んじまったらしいど。 だどもな。足利一族のなかには、源氏側に着いた人もいてな。 それが『足利源氏』一族だっぺ。 そして、そのころの『足利源氏』の棟梁を務めていた人物が、『源朝臣・足利義兼』だど。 この『足利義兼』が、構えた屋敷の跡ってのが、 今の『鑁阿寺』になってんだ。『足利義兼』は、鎌倉幕府の中心人物として活躍。 ここ、『足利源氏居館跡』にも、主家の他に、 納屋や厩屋、が建てられていたと、考えられてんだと。 これは、『鑁阿寺』の案内板なんだけど。 真ん中よりちょこっと上のあたりに、『大いちょう』っていう巨木があってな。 この辺りに主屋があった、と推測されてんだって。 居館跡は、ややいびつな正方形のような、台形のような形をしてんだけど。 約40,000平方メートルと、巨大な広さを誇ってる。 ほんとに。ここの敷地って、滅茶苦茶広いんだど~。『足利義兼』が屋敷を構えたころは、 寺の建物も、まだそろってなかったはずだかんな。 今の状態よりも、さらに、広い敷地になっていたはず。 いったい、どんだけ大きな屋敷があったんだべな。『鑁阿寺』の本堂もでっかくて、首が痛くなるほどの高さだったんだけど。 こんなもんじゃ~なかったんだべな。 む~ん。想像、できないべ。 そんでもってな。 屋敷の周りには、水堀と土塁で防御されてんだけど。 土塁の4墨には、見張りのために隅櫓が設けられていた、 と考えられてんだって。 それらしい、でっぱり部分も確認されてるとか。『足利源氏居館跡』は、日本100名城にも、選ばれててな。 寺なのに、名城なんけ? って不思議だったんだけど。 実際にいってみたら、ぜんぜん違和感は、なかったど。 ここなら、お寺じゃなくって、城跡っていっても、おかしくないっぺな。 だたな。広すぎて、本丸跡って気がしなかったけどなw。《参考》足利の歴史/前澤輝政価格:1,995円(税込、送料別)(表紙。上の四角い緑地が『鑁阿寺』。下の四角い緑地が『足利学校』だど) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.17
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「太平記館」 8月15日(水)に、足利観光さしてきたっぺ。 観光っつっても、食べ歩きじゃ~ねぐってな。 歴史見学散歩だべw。 目的地は『鑁阿寺』と『足利学校』だど。 有名な場所だかんな。一度はいってみないとな~。 ってことで、出だしてきたんだけんど。 は~。足利って、遠いべ~。 運転さ、くたびれちゃったっぺ。 おしりさ、こわくなっちゃったどw。 (栃木弁 注:こわくなる=痛たくなる) さてさて。毎度のことなんだけっと。 駐車場探しで、迷っちゃったっぺ。 だども、今回は、強い味方のガイドブックがあっから、 すぐにいい場所さ、めっかった。 2つの施設の近くにな。『太平記館』ってのがあんだけど。『太平記館』は、大河ドラマ『太平記』の撮影を記念して作られた施設らしいど。 場所は、栃木県足利市伊勢町3-6-4。 足利観光の資料や、お土産が置いてあんだよ。 あ、写真さ、ない。 そだそだ。帰りに撮ろうと思ってたら、 携帯の電池さ切れちゃって、撮れなかったんだ。 ん~。外観は、古いうような、新しいような。 観光地のお土産屋さん、って感じの建物だな。 なぜか、道路に背中を向けてんだけど。 どんな理由さ、あんだべな。 道路沿いからじゃ、わかりにくかったんだけど。 それって、お土産屋としては、不利なんじゃないんけ? ま、いっか。んでな。『太平記館』には、無料の駐車スペースがあってな。 ガイドブックにも、「ここさ置いていくといいよ~」 ってあったから、『太平記館』さ行ったんだけど。 ぎゅう詰め状態。なんで? あ、お盆休みだべ! みんな・・・かどうか、わかんないけんど。 休みを利用して『足利学校』や『鑁阿寺』見学に来た人が いっぱい、いるみたい。 こりゃ~来る日さ、間違っちまったかな。 静かな散歩さ、期待してたんだけど。 あんまし、がやがやとしてっと、困っちゃうな~。 ストレス解消にきて、ストレスもらって帰りたくないど。 ・・・ええと。『太平記館』の話だったべな。 お土産コーナーの他に、 2階が資料館になってるって聞いたんだけど。 今回はお邪魔しなかったんで、どんなんか、わかんないな。 だども、入り口に大きな鎧が展示してあったど。 撮影んとき、使った鎧なんかな? あとは、きれいなトイレが完備。 これ、大事だべ。 それから、駐車場の入り口んとこで、 レンタル自転車さ借りられるらしい。 遠出さ予定してる人は、ここで借りるといいど。 料金は3時間500から。 さてと。 無事に車さ止めて。トイレにもよって。 準備さできたら、まずは大通りさ、めざして出発! おお、大道りにかかる歩道橋だべ。 なんか、レトロ~な雰囲気♪ いい感じだっぺ。 ここさ渡ると、何がみえんかな? 先が、楽しみになってきたど。 《参考》【送料無料選択可!】とちぎの散歩道77コース もっと手軽にウォーキング (単行本・ムック) / 下...価格:1,575円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.15
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「矢穴跡」 こないだブログさ書いた『掬翠園』だどもな。 庭園内には、全国から集められた奇石や灯籠が飾ってあんだって。 (こないだのブログ『掬翠園』は、こちら) よ~く思い出してみっと、 確かに灯籠や、石碑や、石仏がみっちりおいてあったっぺ。 そんなかで、びびっときたんが、この石。 真ん中に、小さな四角い穴があいてんだ。 それも、一直線に、きれいにならんでる。 自然に開いた穴じゃ~ねえな。だどもなんだべな? こんときは、不思議だべ~、ってだけで写真さ撮ってきたんだどもな。 最近になって、穴の正体がわかったんだ。 どうやら『矢穴』って言われる印らしいっぺ。『矢穴(やあな)』ってのはな。 岩場から石を切り出してくるときに、鉄の矢を打ち込んだ穴のことだど。 簡単に『、石の切り出し方法』を説明すっとな。 最初に墨などで、切り出す石の大きさを決めて、 その通りに、ノミなどの道具を使って、穴を刻んでいくんだべ。 その穴に、矢やくさびを打ち込んでいって、石を割るんだ。 実際の作業になっと、もっと複雑で、繊細な技術が必要らしいど。 だもんで、途中で予定外の事件が、起きたりすんだべな。 石が割れちまったり、欠けちまったり。 崩れて崖から落ちたり、ってことも、あったかもしんない。 そんな事故さあっと、石の形が石垣に合わなくなっちまったりしてな。 使いもんに、ならなくなっちまうんだな。 そんな、残念な石が、上の写真の石だっぺ。『矢穴』ってのはな。 石と石の境目を記す穴だかんな。 ちゃんと作業さ進めば、跡はほとんど、残らないもんなんだど。 だども、何らかの理由で、変なとこで割れっちまうと、 写真みたいに、残ったりすんだな。 これは、戦国時代の城に使われた、石垣作りでも使われていた方法でな。 写真さ見ながら、 どっかの城さ使われる予定の石だったんかな~? とも、考えたけんど。そこんとこは、ちと、不明だべ。 だども、もしかしたら・・・って、ちと妄想w。 鹿沼市は周辺が山だから、そっから運び出された石たちが、 近くのお城さ使われた可能性も、ありそうだっべ?『唐沢山城』とか・・・『鹿沼城』とか・・・『太平山城』とか・・・『佐野城』とか・・・『宇都宮城』とか?『烏山城』は、遠いかな・・・。『矢穴』の実物って、はじめて見たんだけんど、 全国には、たくさん残ってんのかな? 時代がわかれば、もっと面白いけど。 これは、貴重な資料さ、なんじゃ~ないけ。ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.10
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「掬翠園(きくすいえん)」『屋台のまち中央公園』には、『彫刻屋台』の他にも、みどころがあんだよ。 それがこれ。『掬翠園』っていうんだ。 鹿沼の三名園のうち、現存する唯一の庭園なんだって。 明治末期~大正初期にかけて、 鹿沼屈指の麻商・長谷川唯一郎氏が造園した庭園と建物が 公園内に再現されてんだよ。 これは、『るり堂』。 たしか、周辺には石仏のようなものが並んでたっけな。 1766年ごろ、小来川に建設されたものを、 長谷川氏が庭園内に移築したんだっと。 建物沿いに進んでいくと、懐かしくなるような建物に続いてる。 『慶雲郷(けいうんきょう)』って名前がついてる建物だっぺ。 この建物には、有名な人物がたくさん訪れてんだ。 たとえば、『川上澄生(版画家)』や『濱田庄司(陶芸家)』など。 特に『川上澄生』は、長谷川氏と関係も深かったらしくてな。『川上澄生美術館』の名誉館長も、努めていたことがあるらしいべ。 そして反対側には、『観濤居(かんとうきょ)』っていう茶室がある。 どちらの建物も、一部改修しただけで、ほとんど昔のままなんだと。 『慶雲郷』と『観濤居』は、事前に申し込んでおくと、 有料で貸し出してくれるらしいべ。 秋だと、庭の紅葉を眺めながら、茶会をしたりするみたいだど。 庭の緑を眺めながら歩いていると、 ちがう世界に入り込んだみたいな感じさすっと。 歴史的な建物のせいもあっけど、庭に並んでる石碑や石のせいもあんべな。 石で作られた池や『松尾芭蕉』の句碑もあるど。 この日は、とても暑い日だったんだけど。 庭園内は寒いぐらいだったべな。 入園は無料だど。気楽に立ち寄ってみとこれね。 中央公園入り口には、食堂を備えた『観光物産観』っていうお土産屋もあるべ。 ここには、『かぬまの歴史』っていう本があんだけど。 これ、かなりおすすめだっぺ。 まだ途中までしか読んでないんだけど、 写真さいっぱい使って、文字も大きく読みやすいんだ。 鹿沼の歴史に興味さある人は、是非購入しとこれね。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.08
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「屋台のまち中央公園」 鹿沼の『彫刻屋台』が見られる場所が、もう一カ所あったど。『屋台のまち中央公園』っつってな。 鹿沼市の中心部にあんだ。 住所は、栃木県鹿沼市銀座一丁目1870-1。 でな。『鹿沼城』のある『御殿山』から町ん中におりてくると すぐ近くにあったんだよ。『御殿山』さ城跡散歩に行ったときは通りすぎちゃってな。 別の日に見学さいったんだけど、うんまく計画さ立てたら、 城跡散歩と一緒に、楽しめんべな~。『屋台のまち中央公園』にある屋台は3台。 1台目は『銀座一丁目屋台』。白木彫刻黒漆塗屋台。 ええ~と。本体の部分が黒漆だ黒く塗ってあって、 彫刻の部分は、木の色をそのまんま残してあるって感じだべ。 2台目は『銀座二丁目屋台』。白木彫刻白木造屋台。 これは本体も彫刻も木の色をそのまんま生かしたって風だべな。 この屋台は他とちがって、彫刻の数が半端じゃ~ない。 屋根から柱から、びっしりと。 龍や花でおおわれてんだ。 この2台だけでも、すばらしいもんなんだけど。 まだ、いいもんが、あんだよ。 最後の一台『久保町屋台』は、豪華絢爛って言葉がぴったりな屋台だべ。 彩色彫刻黒漆塗屋台っつってな。 彫刻部分にもふんだんに、彩色がほどこされてんだ。 説明すんのも、野暮ってもんよ。 も~う。言葉さ、ありません。 それにな、 どの屋台も江戸時代にこさえられたもんなんだど。 江戸の人って、すげ~仕事さ、してんだな~。 これぞ、一級品だど。 彫刻なんて、さっぱしわかんないんだけど。 生き生きしてるってのかな。迫力があるっていうんかな。 ぐいぐいっ、と引っ張り込まれちゃってな。 展示用のガラスに、頭さゴチンと、ぶっつけちゃったっぺw。 ここの展示はちょっと面白くてな。 全面総ガラス張りになってんだ。 これは、気温とか湿度の関係だと思うど。 全体が木で、できてっかんな。 彫刻部分とか、車輪なんかは、気をつけて保管しないと、 痛んじゃうもんな。 だども、ガラス越しに、左右全部を見られるんだ。 それから2階さあがるとな。 屋根の部分と同じぐらいの高さに、見学用の通路がこさえてあってな。 屋根の部分の彫刻が、間近でみられんだ。 それに、普通じゃ見られない、屋根の上もみられんど。 なんだか、見ちゃ~いけない部分を見ちゃったみたいで、どきどきしたけど。 得した気分だど。 写真さないのが、残念だべな~。 彫刻好きな人なら、めんたまがとろけっちゃ~ぐらい、 一品ぞろいなんだどもな~。 資料館内の写真は、撮らないことにしてんだ。 大抵は、撮影禁止だしな。 駐車場は、公園の隣の空き地みたいなとこで、 入場料がちとかかるけど、一度はいってみっといいど。 彫刻さ見る目が、変わっかもしんないべ。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.06
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「文化活動交流館」 こないだ、『彫刻屋台』の話さしたけど。 お祭り以外にも、見られる場所さ、あんだよ。『文化活動交流館』っつってな。鹿沼市の中心地からすこし東になんだけど。 場所は、栃木県鹿沼市睦町1956-2。『黒川』の側にあんだよ。 あ、『黒川』っていうと、『壬生城』の横さ通ってたっけな。『鹿沼市』は『壬生町』の上流になんだなぁ。『鹿沼市』には『鹿沼城』さあって、『壬生町』には『壬生城』って城があんだけど。 同じ人物が同時期に、両方の城主を勤めてたことも、あんだど。 もしかしたら『黒川』が、両方の城さ繋ぐ役割も、してたかもしんないべ。 んで、な。『文化活動交流館』の話だけんど。 ここの敷地には、いろんな施設が集まってんだけど。『市民情報センター』や『図書館』もあるんだど。 あとは『川上澄生美術館』。建物がかわいいべ。 そして細長い石作りの建物が、『文化活動交流館』になんだど。『文化活動交流館』の中には、喫茶コーナーがあんだけど、 その奥が『郷土資料展示室』でな。『彫刻屋台』を始め、鹿沼市で発掘された資料が展示されてんだ。『彫刻屋台』は2台。 まわりの壁には写真を使って、町の屋台や歴史が展示されてるど。 実際の写真を見てもらえっと、いいんだけど。 資料館内は撮影可能かどうかわかんねかったんで、 写真はない。ごめんな~。 う~んとな。 大きさは、小型トラックぐらいかな。 タイヤの変わりに、木の車が4つ、ついててな。 四角い箱形の土台の上に、屋根がのってる感じかな。 で、屋台全体は、細かい木彫り彫刻で飾られてる。 どうだべな? イメージ、できたっけ? これがまた、すげ~迫力なんだ~!「日光東照宮の彫刻も、負けっちゃかも?」 ってぐらいだど。 片方は古い屋台なんかな? 色もない。 もう一台は、現代のものみたい。 原色の彩色を、これでもかってぐらいに使ってあって、 ひゃ~、派手派手だ~。 彫刻は、花や鳥がメインみたいだけど。 町によっては、龍や獅子が屋根の上に乗ってたりするみたい。 お祭りの時には、ここに提灯がついたりして、 さらに、派手になる。 箱の中では、子供たちが、太鼓を叩いたり、お囃子したりするそうな。 や~、すげ~な~。 お祭り好きな人は、ぜひ、見にいっとこれね。 大きな駐車場完備で、『文化活動交流館』は無料で入館できるど~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.04
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「鹿沼市の二荒山神社(ふたあらさんじんじゃ」 5月に鹿沼さ行った時の写真さ出てきた。 場所は町の中心地でな。まちの駅や資料館周辺の散歩をしてきたんだ。 『まちの駅・かぬま』は 栃木県鹿沼市仲町1604-1にあんだ。 無料の駐車場完備。観光案内所や食堂、物産展もあってな。 ドライブや散歩の休憩場所として、ぴったりの場所だべな。 そうそう。『まちの駅・かぬま』のトイレはな。 「日本一きれいなトイレ」って言われてんだ。 ぴかぴかで居心地がいいからって、長いさしないようにな。 ここへ車さ止めて。町んなかをちょこっと散策してたらな。 こんなもんみっけた。 正面の鳥居と石灯籠は、神社みたいだけんど。 建物は、ちっちゃな公民館みたい。 正面」の扉も、ガラスだし。 きょろきょろしてたらな。 横に案内板さあった。『男体山・二荒山神社(ふたあらさんじんじゃ』だって。 解説によると、『真言宗持宝院(廃寺)』あった神様らしいど。 創設は1688~1704年ごろ。 祭神は、男体山頂から迎えた二荒神だそうだっぺ。 鹿沼市は日光に近い場所にあっかんな。 神様も日光の影響を受けてんだ。 男体山信仰も、盛んらしいど。 すると、『日光の二荒山神社』と関係があんのかな? でもな。ちょっと気になったんだけど。『日光の二荒山神社』の影響を受けてんだったら、 二荒山神社の読みは、「ふたらさんじんじゃ」が正しいんじゃ~ないかな。「ふたあらさんじんじゃ」だと、『宇都宮の二荒山神社』になっちゃうけど。 けんど、それだと、祭ってある神様が、違っちゃうんだよな。 宇都宮市も、鹿沼市の西隣なんだけど。 もしかしたら『宇都宮の二荒山神社』の影響も、受けてんのかな? ネットで調べてみたけんど・・・情報なし。 ま・まあ。漢字で書いたらどっちも「二荒山神社」なんで変わんないんだけど。 なんか裏事情さありそうだな~。気になんな~。 手がかりになるようなもんは、ないかな~。 さらに、近所をうろうろしてたら、こんなもんをみっけたべ。 なんだかわかっかな~? 町の消防所じゃ~ないど。倉庫でもない。 んじゃ~なにかっていうと、『彫刻屋台』をしまっとく保管場所なんだ。 上んとこには、町の名前がちゃんと書いてあったど。 ちと、どこだか忘れっちまった(ごめん)。 シャッターに描かれてんのが、『彫刻屋台』っつってな。 鹿沼のお祭りに欠かせないものなんだど。 それぞれの町に、一台ずつ屋台があってな。 祭りになっと、それらが全部、中心地に集まってくるとか。 話に聞いてたけど、普段はこったら場所に、しまってあんだね。 これは、知らなかったど。 観光名所じゃ~ないけど。 知らない場所さ歩いてみっと、おもしろいもんさあんね~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.08.02
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