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平成31年2月26日(火) 午前4時過ぎ起床。晴れ。未明の外気温6℃。 終日デスクワーク。午前に春の長丁場、弊社で一番大切な会議が開会しました。その末席に、でした。初日の今日は波風なしでした。午後は内部ミーティング。明日の会議を準備。部下たちの準備に頭が下がります。写真は昼に食べた南国のラーメンです。5/6ラー。自制できませんでした。スープ完飲。健康に悪い。 夕刻、真っ直ぐ帰宅。次の写真は帰り道、新佐伯大橋の上から見た弥生方面の夕景色です。織りなす山が霞んでいる。 もう一枚、木立街道(国道388号)に差し掛かると、西日に映える九州百名山の一つ、元越山の雄姿が目に飛び込んできました。快晴の空に稜線が春を告げているよう。 今日は先の日曜日に耕耘の畑が乾いたので日没と競争、急いでジャガイモを植えよう。そのつもりでした。しかし妻が風邪気味。差配が無いと調子が出ないので、止めにしました。ランの格好に着替え、一っ走り。このところ、ちょこちょこ、毎日数キロですが欠かさずです。朝の15分筋トレと併せ、いい感じです。昨秋から正月明けに掛け、弛んだ身体が少し締り始めました。続けることが大切です。写真は風呂上がり、夜のお勤めです。鍋島。NEW MOON という純米吟醸の生です。甘露。 出て来た当ては人参シリシリ。昨晩の妻が夜なべ。写真にはありませんがコロッケとサニーレタス、それにソーセージなんぞも。 デザートの文旦。これ、思いのほかジューシーなんです。 さても書くことが無いので春めいたことに託けて。 「仙厓に寄せて」 この季節、黄砂か、舞う杉の花粉がせいか、梅林庵から望む霊峰尺間は霞みます。その景色を見て、気分の塞ぎがちになるのは、四十代半ばまで酷い花粉症に悩まされたのが半分。もう半分は過去に幾度も別れや見送りを経験したからでしょう。雨水から啓蟄にかけ、春めくのを感じ始めると、それらの名残り、過去の苦くも寂しい経験が首を擡げてくるのです。 日没の時刻が遅くなると、北風の吹く日が減り、空気に匂いが付きます。梅や早咲き桜の香りが混じるからかもしれません。嗚呼、憂鬱だな、そう思いながらカレンダーを次の月に捲るのもあと数日。一月は往く、二月は逃げる、三月は去るといいます。この月もあっという間でした。板壁に掛けた出光美術館のカレンダー目をやりました。それには毎月、仙厓義梵の書画を載せてあります。二月は「生死事大無常迅速」の一幅。人の生き死には大事であるが、世の中の移り変わりは速く儚い、という意味です。 それをして、老仙厓が今際の際「死にとうない」と漏らしたということを思い出しました。禅僧にしてはなんという体たらくなのか、それとも最後まで世間を手玉に取ろうとしたのか。私は「死にとうない」のことを知った時、仙崖も人の子であったと思いました。しかし「生死事大無常迅速」の書を見て後は、仙厓に失礼、それが後者に思え留ようになったのです。 生死事大の出典はは禅宗根本経典の一つ、六祖壇経です。「だからこそ精進に努め無為に過ごさぬように」という戒めが込められています。さて、改めてこの書を鑑ると、迅速の「速」が行の右袖に小さく書かれています。「迅」までの六文字は仙厓特有、骨太闊達であるのに対し、残り二文字、特に「速」は稚拙に過ぎます。違和感有りです。思うに、仙厓は敢えて字体を曲げたのではないか。根本経典の教えをこう書くことで批判したかったのではないか、と私はみます。「世」は無常ではあるけれど、一括りに迅速と決めつけるべきでない。「死にとうない」の一言は、禅の経典とは一線を画そうとする抵抗ではなかったのか。穿ち過ぎでしょうか。 春宵一刻値千金という言葉があります。この季節、アンニュイに浸るより、和尚の書に込められた現世礼賛を旨とすべし。そう独り言ちた六十の春が往きます。今日の類語 「漏らす」 リーク、筒抜け 「漏」には煩悩の意味があります。仙厓の吐露は本心だったのか、それとも確固たる意思を持っての言だったのか。今日の一句仙厓に辞世の句なし自由人今日のラン7km今日の酒冷酒1合 芋焼酎お湯割り5合今日の写真はネタ切れの助っ人です。「俺は食う寝る遊ぶ。煩悩の塊だ」byトラ。
2019年02月26日
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平成30年3月20日(火) 午前4時起床。曇のち雨。気温が上がりませんでした。冷たい風が吹きました。出掛ける折り、コートを羽織らなかったので、帰り道は寒かったです。 今日は社の互助会を挙げての送別会でした。会費はサラリーから天引きです。互助会はそれを元手にいろいろな行事を組みます。今日もその一環でした。市内のホテル、大きな結婚式のできる間で数百人規模。毎年、この時期にあります。会費不要。なによりタダ酒の杣夫です。加えて普段話すことのない同僚と旧交を温めることも楽しみです。しかし、今年は欠席。野暮用がありました。真っ直ぐ帰宅。ノンアルの夕食を終えて着替えました。雨の夜道を妻の車を運転、出掛けました。午後10時を過ぎて終わりました。遅くにディスカウントショップや24時間営業のスーパー「イオン」を覗きました。アルコールを仕入れ、ついでに韓国海苔やソースカツ、チーカマ、チョコレートなんぞを見繕いました。これらは妻不在の時、即当てに便利です。店舗の籠を持ち、プラプラ商品の棚を見て廻りました。とその時、その「妻不在」が頭を過(よ)ぎりました。この春、私は還暦です。余命のことを考えて、もし妻が先に逝った時は男やもめ、蛆の湧く生活が待っています。こうして一人、買い物をするんだろうな。急に寂しくなりました。時刻が時刻でした。店内の客層はカップルや子連れのいるはずもなく、何とはなし、生活に疲れたように見える一人姿ばかりでした。私もその一人に見えているんだろうな。嫌だな。でもそこからがオメデタイ杣夫です。よし、その侘びしさを避けるにはただ一つ、妻より先に、だな。そう独りごち、酒を下げてそこを後にしました。 書くことがないので荒木虎美のことを。この名を聞いて嗚呼あの事件か。思い出す方もいるかと。読売新聞社西部本社編「物語の中のふるさと 九州・山口 物語の舞台を訪ねて」海鳥社1,700円を読んでいて見つけました。 先に余談を。この本、読売新聞が2003年から2年間の連載を束ねたものです。「小説やノンフィクションには必ず、題材となった場所があ」るという切り口で、作品の舞台となった土地を記者が訪ねて「作品が世に出るまでの足跡や逸話を聞き取り」記事にした内容です。全部で93の土地が紹介されています。例えば五木寛之「青春の門」の福岡・田川、下村湖人「次郎物語」の佐賀・千代田町、吉村昭「戦艦武蔵」の長崎、夏目漱石「二百十日」の熊本・阿蘇、川端康成「たまゆら」宮崎・大淀川河畔、向田邦子「父の詫び状」鹿児島・平之町、林芙美子「放浪記」下関市等です。 戻ります。中に佐木隆三「別府三億円保険金殺人事件」の舞台、大分・別府も含まれていました。事件は次のとおりです。 別府市・国際観光港関西汽船フェリー埠頭から乗用車が海に転落、男が海面に浮かび上がり助かる。女性と子ども二人が水死。死亡したのは市内の女性とその娘中学生と小学生。「生還」した男は47歳、女性と再婚した直後だった。翌日には死亡した子ども2人に多額の保険金がかけられていたことが判明。事故は事件になった。 その男の名が荒木虎美なのです。確か出自は佐伯だったような。事件性もさることながらルーツが私のまち、加えてテレビや新聞のふてぶてしい容貌でした。事件は高校生の自分に忘れられない印象を残しました。荒木は間もなく逮捕されました。大分地裁は死刑判決。福岡高裁も同じでした。最高裁へ上告中、癌のため医療刑務所で死亡。判決は確定しませんでした。被告は生涯、無実を主張しました。真相は不明の儘でした。凶器なし、物証もなし、加えて自白なし。真実は闇の中です。なくなった3人の無念はいかばかりか。不条理ではあります。 本のページをめくりながら、別のことを考えました。殺人に限らず、人の起こす事件には心証というものがあります。荒木も浮かび上がらず、水中でしこたま水を飲んで意識不明を救助されていたら、二人の義娘に保険金が掛けられていなかったら、疑われず、逮捕もなかったでしょう。状況証拠をして心証から犯人に間違いないということで逮捕されたのでした。翻って今新聞テレビを賑わしている改竄のことです。これを荒木事件に置き換えてみると、状況証拠は揃って心証も悪い。でも口を割らずです。人の心の内が判らない、どうしようもないという構図はどちらも同じです。人間の正体といいましようか、それを見通すのは容易ではありません。はやり浄玻璃の鏡が必要です。今日の一句夜の雨肩に重しと晩白柚今日のランなし今日の酒深夜燗酒1合 芋焼酎お湯割り5勺今日の写真はネタ切れのお助け猫です。腹が垂れています。
2018年03月20日
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平成29年10月20日(金) 午前3時過ぎ起床。終日雨。そぼ降りました。サポステの芋掘りは中止になりました。 朝日一面トップに「天皇陛下退位19年3月末」の見出しがありました。「政府は天皇陛下の退位日を2019年3月31日とし、皇太子さまが翌4月1日に新天皇に即位して、その日に新しい元号を施行することで最終調整に入った」とも。新元号は来年中の発表だそうです。年号、これを予想するのも一興です。僭越ながら昭和が終わった時、私もそれを考えました。「平晶」がいいかなと勝手に決めました。世の中が平和になってキラキラ輝く意でした。1文字だけヒットでした。 井戸端予想をよそに、それを決めるのは歴史や漢字の学者が集まってのことになんだろうな。例によって四書五経や史記が拠になるんだろうか。興味のあるところです。 さて、元号と言えば過去、日本は、遣隋使、遣唐使の時代から中国を手本としてきました。元号もそうです。日本の朝廷も真似をしたようです。以後、朝廷とは切っても切れない関係にあるようです。 日本の王朝は有史以来ずっと続いています。中国も支配民族の変遷はあるものの、覇を唱えた者はこのしきたりを踏襲してきました。秦、漢、隋、唐・・・、皆同様です。それが、清朝滅んで1912年、中華民国になってからは元号なしです。勿論中華人民共和国となってからもです。日本だけがそのフレームを維持しています。中国史にあっては清朝末期、大きな転換期でした。 も一つは個人的なこと。2019年は3月31日は私が定年の日です。還暦を迎え、サンデー毎日となります。何がいいのかわかりませんが、いい巡り合わせ、いい節目です。しかもその日はエイプリルフールです。大嘘をついて、新しい世界に踏み出そうと思います。写真はその見出しです。 「時代が変わるのか?でも冬はなくならないだろう。今日は寒いな、ストーブを焚いてよ」byトラ。 おーよしよし、任せておけ。こうも雨続きだと気分が塞ぎます。家の中だけでもカラリといきたい。それに底冷えもするし。トラの言を入れ今日が今年の火入れ。炎はやっぱり温かい。 ソファーに伸びて火を眺めるの図。どうだ、温かいだろう。 本を手にとって私も至福の時間を過ごしました。ん?お前なー。 後ろ足があられも無いです。 夜、香港映画を見ました。「ライズ・オブ・ザ・レジェンド炎虎乱舞」という題名です。Amazonプライムの新着をチェックしていて、時代背景が「清朝末期」とありました。惹かれました。ストーリーは勧善懲悪、カンフー物でした。切った張ったのシーンはともかく、風俗の時代考証には見るべきものがありました。阿片窟、港湾労働者の実態、広州の街並、当時流通の貨幣、富と貧困、欧米列強の悪辣・・・。阿片戦争が起きるはずです。元号もなくなるはずです。今日の一句雨垂れのこうも続くか酒を持て今日のランなし今日の酒冷酒2合 焼酎お湯割り1合今日の写真は飲んだ冷酒月桂冠。いつもと違い、黄色いパックでした。当てはスマカツオ。トラにたっぷりの分け前がありました。
2017年10月20日
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平成29年7月18日(火) 午前4時半起床。曇。朝の内、パラつきました。午後5時前に驟雨。梅雨に戻ったような天気でした。リーマン野暮用を終えて会社の勝手口を出た時、技術屋のA君とすれ違いました。現場から戻ってきたところでした。暑いね、というと鸚鵡返し、同じ言葉が返ってきました。火照った顔、首に巻いたタオルが与太れていました。お疲れさん。 帰宅してランの格好に。ラジコで東京FMのJET STREAMを聴きながら汗をかきました。田舎道、しかも曇り空。纏わり付く湿気を帯びた空気。鬱ぎそうなコースです。しかし、この9月からメルボルン・成田間をJALが毎日運行の宣伝を素敵な音楽にのせてやってくれると、一気に海外旅行の気分。モードが切り替わります。嗚呼、遥かです。写真は走り始めてすぐ、可愛いお嬢ちゃんが犬の散歩の図。すれ違う時、足を止めての1枚です。ワンコは見ての通り犬の顔をしていますが、彼女は幼いながらも目元の涼しく額広し。長じてJALの客室乗務員になることまちがい無しです。素晴らしい人生が待っているよ。 もう1枚、ランの途中写真を。林道の取付に広がる水田です。稲の頭が垂れてきました。雀や鶸が跋扈しています。手前のドラム缶は、奴らを威嚇する道具です。ビニールハウスの骨で缶の腹をガンガン打つのです。そうしてみました。いい音がしました。しかし、1羽も飛び立ちません。いないのかな、それともこの音に慣れたのかな。 帰宅しての後はお決まりコース。汗をシャワーで流してプシュッ。 当てにモズクが出てきました。これをやると、ビールが甘くなるから不思議です。 メインはポーク。シシトウのピリリがいい感じでした。iichikoのロックで流しました。 さてと、書くことがありません。思うままを。 先日、NIKKEIコラム18歳プラスに「文庫・新書は教養の宝庫」と題した池上彰氏の文章が載りました。岩波文庫が創刊90年を迎えてのことです。氏の学生時代、文庫は古典中心、新書は数多の研究分野に関する入門書。氏は、通った都立高校の図書館にある岩波新書を全冊読破しようと張り切りました。しかし挫折。一方、文庫の方はというと、カントの純粋理性批判に挑戦。理解不能のままページを繰ったとのこと。 私も同じでした。大学生になって、デカンショくらいいはということで岩波文庫のそれらを購入。手に取りました。読み始めて、前衛芸術の画を眺めているような感覚になりました。意味がわからないのです。文面に踊る哲学用語、形而上とか悟性、自由、存在、認識、帰納と演繹、理性、唯物と唯心、ルサンチマン・・・。これを調べるため、岩波の哲学用語辞典を購入、片っ端からひいていきました。しかし、今度は辞典に書いている説明が解らない。参りました。高校時代、Sという秀才がいて、彼が英英辞典を使っていました。すぐ様真似をして同じものを買いました。使ってみると、いかりや長介の言葉通り「だめだ、こりゃ!」でした。哲学事典、何だかその折の繰り返しに似た感じでした。池上氏は、若者のこういう心のありようを「知的虚栄心」と書いています。その通りです。而して、今以て知的虚栄心を捨てることのできないまま、本を捲る杣夫です。余談ですが、Sは東大に入学しました。英英辞典を使うはずだ。 虚栄心の残る私です。デカンショ本を断捨離できず、屋根裏にとってあります。若い折に読んだ漱石を読み返すと新たな発見がある、といいます。引っぱり出して読んでみようかな。でも面白くないだろうな。やっぱり文学全集の方がいいや。 さて、新潮文庫も創刊103年だそうです。今は数多の出版社が文庫本を刊行しています。新潮文庫が他者のそれと異なるのは、栞の紐がついていることです。これが便利です。加えて紙質も一段上等のような気がします。私はこの文庫を一番好きです。今日の一句虚栄心井蛙だけが持っており今日のラン6km今日の酒サッポロ黒ラベルレギュラー1缶 iichiko20馬力ロック2合今日の写真は梅雨の花、ハマユウです。拙宅裏庭、蒟蒻畑の端に咲いています。白が可憐です。
2017年07月18日
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平成29年2月10日(金) 午前4時起床。曇り時々晴れ。雪が舞いました。寒し。出勤途中、セブンに寄り、今日の昼に食べるサンドイッチを買いました。野菜ジュース5本も。机の抽斗にストックが底を突いたのでした。ところが昼前になって悪魔の囁き。datelineが「ラーメン、いってみませんか?」。昨日食べたばかりでした。でも誘惑に負けました。チャンポンにしました。「南国」のこれ、美味しいんです。何だか、最近、麺が多いな。 人事評価、今日は私が受ける番でした。年度当初に設定した目標の達成状況を自己評価し、そのペーパーを上司に提出します。面接は「浄玻璃の鏡」なんです。誤魔化すことは出来ません。この一年、のらりくらりだったことをあぶり出されてしまいました。出直し、心を入れ替えて再出発する必要があります。よし、つね三で悔いを改めよう。しかし、会社が引けて外に出たらとても寒い。酔っ払って暖簾を出た時、心臓麻痺を起こしてはいけません。我慢しました。真っ直ぐ帰宅。風呂に飛び込みました。サッパリした後はnkucchanの真似をし、ストーブの上に置いた鍋にフラスコ銚子を浮かべました。おお、丁度いい燗になった。45℃がいい感じです。 引っかけながら聴いた音楽と読んだ雑誌です。グールド10枚組の中からパルティータを。続いてDie Kunst der Fuge 。こちらはそのとおりオルガンです。そぎ落とされて淡泊な感じでした。これはこれでよいです。雑誌の方はNATIONAL GEOGRAPHIC。先日の新聞だったか週刊紙だったかにこの雑誌の特集「小さな野生ネコたち」の紹介がありました。小型の野生ネコの進化や保護のあれこれについてが書かれてありました。猫党の杣夫です。必読と思い、購入しました。スペインに棲息のオオヤマネコが絶滅の危機とありました。この記事をしてイリオモテヤマネコのことを思いました。 翻って拙宅トラはこの態。 夜が更けてきました。お休みなさい。今日の一句グールドのタッチが冴えて星光る今日の写真は日経コラムです。昨日から「クラシック・ジャケットの女性十選」と題し、CDジャケを飾る女性がモデルの絵画を紹介してあります。モデルはクラウザンの名手だったとか。二日目はダンテ交響曲を飾るシェーエフの作品です。ダンテの神曲、クライマックスを描いています。文の最後にダンテ自身の姿を描き込んでいるところがにくいです。この叙事詩の主人公はフランチェスカ・ダ・リミニ。他の人はどうか知りませんが、この名をして、私はリストのこの曲より先にチャイコフスキーの幻想曲を思い浮かべます。You tube にあるムラヴィンスキー、ロジェストヴェンスキーの指揮、どちらも圧巻です。
2017年02月10日
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平成25年1月28日(月) 午前6時起床。霜降。寒い一日でした。 このところ、床を離れるのが遅い。午前4時頃、一度目が覚めます。しかし、眠気が勝って二度寝します。理由は判っています。花粉症の薬アレロックを飲んでいるからです。前もっての備えです。副作用は睡魔です。処方は朝晩ですが、日中は仕事です。うとうとするわけにはいきません。夕食後のみの服用です。 終日デスクワーク。弊社も新年度の事業計画と予算案件が大詰めです。隣のフロア、財務の方は慌ただしい。 夕方運動公園へ。ラン8km。練習を中4日休みました。身体が重い。こんなことではいけない。太ってしまう。食べた分はしっかり走って燃やさなければ。 寒い中、着替える場所から波越の山が見えます。薪を採りに入るあたりです。夕闇が迫り、暗く沈んでいます。この時間、人焼場だったあの場所はどんなだろうと想像しました。気味が悪かろうと思う一方、今すぐにそこへ行ってみたくなる気持ちがふと首をもたげました。怖いもの見たさとは違います。何かに惹かれるという感じです。心だけはもうそこへ行ってしまっているの感が帰宅するまで続きました。 居間に薪を誂えました。運び込む前に焼酎に手を出しかけて、妻にこっぴどく叱られました。「あなた、ブログを読んだら、美味しいものを食べ放題、お酒も飲み放題、驚いたわ、散財もですが少しは健康を考えて下さいよ」青菜に塩となりました。そんなにガミガミ言わなくても。「どんなに飲んでも食べても1次会でピシャリ打ち止めだろう。ハシゴは登らないよ、きちんと走っているし」でも弱々しい弁解の通じるはずがありません。旗色悪し。而して焼酎は不味い。お湯割り1杯にしました。 読み物について少し。 文庫や新書の最後に、帳尻合わせのページがあります。そこにはその文庫や新書の刊行物が紹介されています。例えば岩波新書。辰濃和男「ぼんやりの時間」の巻末には、新赤版から文学、随筆、芸術のくくりに分類されるものが並んでいます。どれにも関心があります。なかでも随筆に興味を惹かれます。著者の名前を挙げると、新藤兼人、永六輔、矢野誠一・・・。辰濃和男の他の本もあります。大江健三郎も4冊。しかし、彼の本はちょっとね。話を戻します。ふとしたことからこんなところに目が移り、別の世界に引き込まれるのは心地よいです。小説もいいけれど、随筆はことのほか味わい深いです。 メモ 高木護「人間畜生考」未來社 H・D・ソロー飯田実訳「森の生活」(上・下)岩波文庫 同上「市民の反抗」同上 今日の写真はツバキです。熊野神社の境内にあったものです。先日、薪にしました(小切って割りました)。それぞれを両の手で持って打ち合わせるといい音がします。キンキン。よく乾かして燃やすと、煙が出ない。薪として一等です。
2013年01月28日
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平成24年4月24日(火) 午前5時前起床。霧の朝。 午前、午後とも会議。夜も支店に出かけて会議でした。飲み会以外で帰宅が10時を過ぎたのは久しぶりです。ランは無し。休養になりました。遅い時間に風呂、缶ビールを飲んで床につきました。 出勤途中、荒川洋治のラジオ番組にチャンネルを合わせました。今日の話題は出版社の発行するPR紙についてでした。このジャンル、私は門外漢です。1冊100円前後だそうで、書店レジの脇に積んでいて、値段は付いているものの無料のものもあるとのこと。氏は丸善の「學鐙(がくとう)」を引き合いに出しました。100年以上続く古参のPR紙、季刊誌にして1部250円、春号の特集は「不便さ」。「不便さと地域医療」、「不便な建築便利さと人間関係」、「不便さと教育」、『不便な「物語」』、「便利という罠に落ちた貨幣」、「便利さにしわ寄せされるもの」とそれぞれ題し、医者や大学教授が文章を寄せているとのこと。題を聞いただけで、書いてあることが想像できます。面白そうです。ネットで調べたら、文藝春秋のPR紙は「本の話」でした。WEBでも読むことができます。 ところで、丸善といえば明治大正昭和の知識人小説によく登場する本屋です。「丸善に寄る」「丸善をひやかす」「丸善に注文する」というくだりが目につきます。一種、ステータスのように用いられました。この本屋、札幌にもありました。洋書専門店のイメージでした。利用する人たちは、得意げな気持ちを抱いていたのではないでしょうか。でも、このような社会になって、今は見る影もない。先の言葉はもう死語に近い。 今日の写真は庭のプランターに咲いているものです。名前、ノースポールだったかな。陽が射すと開きますが、朝晩はこのように花びらを絞ります。この姿の方が好ましい。
2012年04月24日
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平成23年10月22日(土) 午前4時起床。曇りのち晴れ。 今日は大分の病院に兄を見舞う予定でした。しかし転院が遅れ、まだもとの病院にいるとのこと。読書三昧の一日でした。朝食を挟み、昼食を挟み。空が高くなり、秋風が吹いて。 午後3時、運動公園へ。ラン17km。走り始めは腹に飽満感があり、調子が出ませんでした。キロ5分半のペース。ランパン+Tシャツのいでたちでしたが、適度の汗をかきました。芝のグランドでは少年たちがサッカーの試合をしていました。 帰宅して風呂へ。湯浴みの後、なお本を読みました。 さて読書の際は、ストーリーとは別に文章の機微・言い回しに惹かれることがあります。たとえば次の一文。「直接わが身にかかわりのない記憶は、日々の暮らしの中ですばやく忘れさられるのだ」何とも妙味があります。これは藤沢周平の剣豪小説中にあります。物語の展開に意味を持って織り込まれていますが、この一文だけであってもなお含蓄があります。秋の、こんな日の昼下がり、自分の日々に重ねてあれこれ考えてみると、思いもしないことに考えが及んだり、懐かしい人を思い出したり。味わい深く時間が過ぎます。 今日の写真はそんなことを考えるトラの図です。
2011年10月22日
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雑学と教養について私は「雑学」が好きです。人文、宗教、歴史、地理、芸術、社会科学、自然科学、これらのつまみ食いをし、雑多なことを知ることに、快感に似たものを感じます。しかし、興味本位ですから、系統だった知識とはいえません。関連性が全くなく、ウィキペディアの文章のように、単語同士がリンクしているだけです。雑学を意識し始めると、物知りになった気分になります。ここでやめておけばよいのですが、天狗になってひけらかしたくなります。妻が私のことを、ただの天狗だとせせら笑います。悔しいですが、あたっているだけに仕方ありません。妻の言うとおり、自慢が過ぎているのかもしれません。しかし、人のあまり知らないことであれば、その場にいる人を楽しませることができます。これはこれでよいです。こんな時は天狗にならないよう、低姿勢を心がけます。雑学という言葉の一段上に「教養」という言葉があります。大辞林によれば「単なる知識ではなく、人間がその素質を精神的・全人的に開花・発展させるために学び養われる学問や芸術など」だそうです。この意味を知っての後は、私の知識はまさしく雑学と思いました。雑学は、同じく大辞林によると「種々雑多な方面にわたる、系統立っていない知識や学問」とあります。「教養」より格下のようで、悔しいです。妻がせせら笑うのはこの点かもしれません。
2009年02月05日
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謹賀新年 おかわりありませんか。私は知命になりましたが、馬齢を重ねるばかり。一向に子どもらしさが抜けません。妻も同じです。拙宅のことを書いて、新年の挨拶とさせていただきます。【仕事】昨年、戻ったばかりの営業一課を離れ、営業三課に移りました。某業界の内側を見聞き出来たことは、貴重な体験でした。【健康】ジョギングが昂じ、ハーフマラソンを三回走りました。体重が減り、血圧が下がりました。酒飲みの赤ら顔はしていません。妻は週一のエアロビ通いもおろそかになりがちでした。【旅】秋に旅行をしました。札幌ハーフマラソンを走り、恩師・親友と会いました。友人夫婦二組と示し合わせ、ハウステンボス、グラバー亭を訪ね、小浜温泉に泊まりました。【音楽】天満敦子のバッハを聴きました。クテュリエのバッハも聴きました。【読書】量が落ちました。今年は特段、印象に残る本はありませんでした。新聞の読書欄が楽しみです。【映画】私が五十歳になり、夫婦で劇場へ行くと二人で二千円。妻とのデートが安上がりになりました。【子ども】娘が就職しました。東京にアパートを借りての生活が始まりました。なんだか寂しいです。息子は大学二年です。小さな水泳部の役員をしています。【妻と私】妻は養護学校の臨時教師を続けています。夕食時は二人で晩酌をするようになりました。妻は髪を染めているのでわかりませんが、私はかなり白くなりました。とりとめのないことを書きました。皆様によいことがありますように。
2009年01月01日
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2週間ほど前、火鉢を貰いました。しばらくヤフオクを覗き続けましたが、よいのがありませんでした。伊万里風のものがあると、値段がつり上がり、気持ちが萎えました。親方の蔵に無いか訊いてみましたが、ありませんでした。彼は「今時、火鉢ぅ使う家はありめー。人ぃ言うちょかータダでなんぼでもあるわい」と言いました。そこで、周りの人に火鉢所望を宣伝しました。有りました。海崎のKさんが納屋の奥に放り込んでいたのをくれました。タダです。恐縮したら、納屋が片付いて妻が喜んだと言ってくれました。大きい瀬戸物です。直径60cmの丸い形をしています。ストーブの灰を中に溜め、ようやく半分ほどになりました。何とか格好がつきました。熾火はストーブの中のものを使います。炭は先日、友人Hが焼いたウバメガシです。備長炭です。Hは西野炭組合の組合長です。五徳は父の家の納屋釘に掛かっていました。金火箸も掠めました。これでOKです。全部タダです。余談ですが、オークションに灰も出ていましたが、これは拙宅の専売ですから必要有りません。しまった、金網が無かったと言ったら、妻が新品を出してくれました。渡りに船、緑の黒髪に螺鈿の簪は大げさにしても、このタイミングはよかったです。昨日、道の駅かまえで鯵の味醂干しやスルメを買いました。あとは青竹を切るだけです。二節で切り、穴を開け、酒を注ぐのです。そう、カッポ酒です。これを熾火の端に差し込みます。肴を炙っているうちに、竹の焼ける匂いがし始めます。ちびりちびりとやる時間は至福です。今日は、鉈を持って青竹を切りましょう。一本切れば十分です。私の地区は孟宗ばかりで、青竹は少ないのですが、家の近くに丁度群落があります。イチゴ農家のKさんが所有者です。友人ですから、黙って切っても構いません。これもタダです。カッポ酒は二番方がよろしい。一回目は酒が青臭すぎて。しかし、これも微調整というか焼き加減にコツを要します。肴の炙り加減よりはずっと奥の深いテクニックです。これも余談ですが、金火箸に寄せて。蛸壺の話。オーソドックスな花瓶の形をしていますが、底に十円玉位の穴が空いています。人は水切りのためと言います。しかし、違うのです。水を切ったあとも蛸の野郎が中に踏ん張って出てこないとき、この穴に焼け火箸を突っ込むのだそうです。これはたまりません。飛び出てくるそうです。
2008年12月29日
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午前4時半に起きました。今日は朝走るかどうか迷いました。結局諦めて、本を読んだり新聞に目を通したりの中途半端な時間を過ごしました。終日デスクワークでした。午後、上浦で営業の会議がありました。売り上げはあまり期待できない旨の話が出ました。いろいろな条件があり、あまり期待できません。今日の会議をしてというわけではありませんが、人間には、その人固有の性格というものがあります。これとは別に、土地柄といいますか地域性のようなものも有ると思うのです。たとえば東北地方の方は我慢強いとか。肥後もっこすや土佐のいごっそうはそれを表す言葉だと思います。世界的には国民性の違いということになるのでしょうが、翻って、私の町にも地域性があります。海岸部と山間部の集落では、日々の生活、経済観念、人生観に特徴的違いがあります。海岸部の中でも、網漁業中心の集落と釣り漁業中心の集落で、或いは外海に面している集落と深い入り江にある集落で、この違いがあります。山間部もしかりです。水田の多いところと果樹の多いところ、北向きにある集落と南向き。面白いです。こんなことを調べる学問のことを民俗学というのでしょう。ずいぶん前、読売新聞に連載されていた宮本常一の足跡を辿るルポを思い出しました。話が逸れました。要は商品の販売をする際、地域性、風土とでもいいましょうか、これらと商品のマッチングが売れ行きを左右すると思うのです。商品が食品であったり嗜好品であったりすると、なおさらです。ちょっとこじつけですが、沖縄でオリオンビールが売れるのは、それ相当の理由があると思うのです。ということで、一律のサービスはそれはそれとして、オマケ的なもの、あるいは一工夫が個別にあってもいいと思うのです。地域によって特典を設けてもいいと思います。差別化すると、後ろ向きに誤解され、案配の悪いときもありますが。昼ご飯は、新しく仕出しを始めたSというお店からもらいました。500円ながら、なかなか充実した弁当でした。週に2~3回は妻が弁当をあつらえてくれますが、そうでないときは仕出し弁当を買って食べます。5軒ほどが競っています。どれを食べるか迷います。会社の近くには食堂もあり、結構バリエーションがあります。時々、お店に出かけて食べることもあります。そんなとき、ビールの小瓶を頼んでみたいという欲求に駆られます。理想の昼食は、寿司をつまんだり鰻重を食べたりしながら、缶ビール1本分のグラスを傾けることです。それ位なら許されると思うのですが、実際はできません。ボードの知ることになれば、大変です。夕方ラン7km、スイム500m。調子が悪かったです。今日は、ひょんなことから獺祭(だっさい)を手に入れました。しかも2本。躍り上がるように嬉しいです。当てが要ります。走る前に魚屋かわべに寄り、イサキの刺身を買いました。オマケにはタコ刺しが付きました。そう、今日の話はオマケです。たまたまスチロールの箱を持っていたので、かわべさんに氷をもらい、刺身と獺祭をこの中に入れました。走って泳ぐ時間に刺身が弱り、酒の温度が上がっては大変です。獺祭は芳醇の一言。甘露甘露。妻がエアロビに出かけたので、これ幸い、結局4合を一人で飲みあげました。
2008年06月26日
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