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Friday,July 12,2019 午前3時起床。晴れ。 梅雨の中休み、絶好のサイクリング日和でした。しかし、午前は妻の実家へ。小用を頼まれていました。その一つがカラオケのテレビ接続。新しく買い換えたテレビにはRCAプラグジャックがありません。4極ミニプラグ変換のインターフェースを用意する必要がありました。義母がテレビを購入した量販店にTELしたら、家までの出張が5ラー、接続コードが4ラー程度。都合9ラー前後が必要とのことでした。それを聞いた妻は、それを思いとどまらせ、私に鉢が廻ってきました。おやすいご用、上記内容を説明書で確認、そのビデオケーブルをAmazonに注文。1ラーしませんでした。明後日、拙宅に届きます。 その義母がこれを引っ張り出してきました。日本浪曲大全集です。 生前に義父が購入したものでした。レコードが幾枚も。聴かないか?、訊かれました。うーん、それはちょっと。メルカリかヤフオクで売ったらいいかも。それ以外だと、失礼ですが、ゴミでしょう。そうは言いませんでしたが。 他にあれこれの雑事も。伸びた庭の芝と生け垣の一ツ葉剪定は次回ということで堪えて貰いました。写真はその芝中に伸びたネジバナです。可憐なピンク色。 こちらは太陽光充電で光るライトの上に休む虻の類です。何とも妙ちくりんです。 昼近くになりました。妻とラーメンを食べて帰ろうということになりました。何時もの南国へ突っ込みました。 前にも掲載のメニューです。学割があります。ラーメンが2/3ラーです。 私はワンタン麺、妻はラーメン。併せて2ラー弱。コスパ在りでした。次の写真はおろしニンニクの壺です。これを大盛り一匙、ぶっ込みました。今は人と会う予定のない自由人です。昼酒もラーメンの大蒜もやりたい放題です。 ワンタンはこんなのが5つ、でした。いい味でした。 家に帰りました。朽ちた腹に眠気が来ました。ゴロリ午睡。覚めて、今朝、本に没頭し失念のブログを更新。着替えました。ランの格好に。今日もダム堰堤コース。今日も蛇に行き遇わせそうな気がしました。ウエストポーチを腰に巻き、其所にカメラを入れて出発。カメラン写真の1枚目は父の西瓜畑。走り始める前にパチリ。随分と大きいのが生っています。カラスにやられなければいいが。 走り始めて5分、おっ、セナだ。久しぶりだな。えっ?何してる?ああ、そうか、草を食べているのか。胸が焼けるんだな、おまえも。 片道30分、小中尾ダムの堰堤に登りました。ここまで5kmです。だらだら登り、最後は急登。肺の一杯になるのがいい感じでした。天端は草を刈って集めていました。 とその時でした。盛った草の上に何かがガサゴソ。やっ、蝮だ。特徴は丸い模様と太い胴回りに比べ体長の短いこと。噛まれたらやばいです。少しの睨み合いあって後、草むらの中へ消えました。 次の写真はランの格好です。左手でカメラをかざしました。足は剥き出しです。蝮に気付かず出会い頭だったら、ガブリとやられていたかもしれません。くわばらくわばら。 Mぶどう園のところまで戻りました。其所に新顔の猫が。綺麗な歯をしています。野良ではないようです。 家の近くまで戻りました。NのTやんが奥さんにトラクターの運転を教えていました。曰く「俺が死んだら、うちのが乗るからな。今のうちに教えておかないとな」なるほど。Tやんの奥さんは器用です。何でも出来ます。翻って拙宅妻はメカがとんと駄目。扱えるのは草刈り機だけです。トラクター運転は無理。 ハウスの中に生っていたトマトを貰いました。瑞々しい。 帰宅してシャワー。貰ったそれを妻が早速切ってくれました。写真の向こうがそれです。こちらの料理には勿論茄子が入っていました。本日ノンアルコール。夜更かしをしてツール・ド・フランスを観戦。酒を抜いて毎晩の観戦も悪くない。今日の一句懐に蝮抱える梅雨の空今日のラン12km今日の酒ノン 今日の写真は胡瓜です。瑞々しい。 これが出て来ました。切れのある生酒と合わせたかったのですが我慢しました。
2019年07月12日
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平成30年11月19日(月) 午前3時半起床。夜来の雨が出勤時まで残りました。午後は晴れました。夕刻、親方にTELしました。彼は午後、山に入り、昨日倒した杉20本の始末を終えたとのこと。私はビルの中で仕事。山中の彼が羨ましい。 前後します。午前は某業界プレゼンの審査。午後は弊社幹部と親会社幹部の合同勉強会がありました。個々人のスキルアップか、理念の共有か、どちらを念頭に置いてのものか、私にはよく判りませんでした。歳を取ったということでしょうか。それはそれとして、新しい分野に進出の場合、所謂専門家が必要だということが講師の弁、底流にあることは分かりました。それだけは頑首。方針だけ決めて、後はよしなに、ではダッチロール必定。その意味ではもっともなことです。今、担当する子会社の案件がその道を辿ってきましたから。講師のおっしゃるとおりでした。 夜は講師を囲む懇親会でした。外せない野暮用があり、これを欠席。そちらに回りました。写真は昼に食べた弁当です。今日は炊き込みご飯でした。 とっぷり、日の暮れて帰宅。妻が「お帰りなさい」に続け、嘉風の負けたこと、日産のゴーン会長が東京地検に事情聴取されていることを教えてくれました。驚きました。彼のこと、今回の容疑とは別、生い立ちと経歴を日経コラム「私の履歴書」で知りました。日産の業績をV字回復させた辣腕経営者としての評価をしての掲載だったのでしょう。それが逮捕確実とのこと。晩節を汚すとはこのことです。ここで余談です。私の履歴書に登場する人物は功成り名を成した方かりです。しかし、その後、ゴーン氏と同じよう名誉失墜、名声地に墜つの人もいます。金丸信がそうでした。余談の余談です。同様のこと、小さな晩節汚しは私の周りにもあります。例えば隣町で長い間町長をした文人肌の方が、別の人の選挙応援でたまたま僅か数千円の飲食を数人に供したことで逮捕・起訴されました。たったそれだけで、というと語弊がありますが、綻びはあっという間、好事魔多しの出来事ではありました。今日の一首愛猫が暖の恋しき秋の朝温み求めて布団を被る大根に箸先スルリ入る夜の晩酌嘗めて木枯らしの吹く秋天の熟柿に竿を差し上げてこれは我がものそれは烏よ今日の類語「辣腕」 やり手、凄腕、豪腕、剛腕、凄玉、敏腕、骨のある、出来る、切れ者、実力者 これらの表現自体、特に悪いということではありませんが、「清廉潔白」とは相容れないようです。今日のランなし今日の酒麦焼酎ぶんご太郎1合 今日の写真は晩酌の図。私のまちの蔵、ぶんご銘醸の焼酎、そのなもぶんご太郎。オーソドックスな麦の味です。 今日の当て。拙宅に出来た大根でこさえました。右は猪の煮込みに白菜を加えたもの。 隣のおばちゃんがバラ寿司をこさえたそうで、裾分がありました。全部食べて満腹。 おまけにこれが出てきました。
2018年11月19日
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平成30年9月6日(木) 午前5時半起床。晴れのち曇り。未明にニュースが飛び込んできました。北海道で地震。テレビを点けました。彼の地は当地より夜明けの時刻が早い。ヘリコプターが中継ずる山崩れ現場は、土砂が民家を押し流していました。揺れは震度6以上とのこと。室蘭の工場火災、各地で停電、札幌は道路が陥没、家屋の傾く映像、惨状が次から次と、でした。千歳空港閉鎖、JRも全線で運行を取りやめ。大変なことになっているようでした。朝食を食べながらテレビ画面に釘付け。札幌のA先生は大丈夫だろうか、北広島のH兄は、石狩のSは・・・。ブロ友の亮さんは札幌向けらしいがどうなのか、こよなく氏は厚真に近いところに住んでいるし、びちこさんも札幌だ。気になりました。 写真は朝のゴーヤです。昨日も書いたとおり、野菜ジュースの素です。 うっ、焼き茄子の準備が始まっていました。今夜辺りでしょうか。 妻の台所姿を見るに付け、日常の朝が来る幸せです。それが、北海道は一瞬にして平凡の毎日が止まり、混乱の渦になっている。日本は地震列島、を思い知らされました。先の台風然り。今の生活は危うい、それを忘れてはなりますまい。でも、だとしても、それに備えてどうのこうの、することのできない杣夫です。それもこれも運命、諦念が先に立つ思いです。安寧の暮らしに麻痺してしまっているのでしょう。 戻ります。終日缶詰会議でした。明日で大会議は終わりです。写真は昼に食べた弁当です。おっ、珍しくあれが入っていない。食べながらスマホでニュースを確認。地震の被害、概要を知りました。全道停電! 午後、会議が終わり一段落。後回しになっていた人事評価の面接をしました。昨年までは毎年20人前後の部下を対象でしたが、今年は僅か3人。助かります。次の写真は夕刻、会社が引けての私です。会議の俎上に入浴施設の維持管理もあるとのこと。ならばと朝に温泉バッジを付け、臨みました。夕刻、折角です。お愛想のリクエストを真に受けパチリ。おめでたい男です。それにしても白髪が増えました。還暦です。仕方ありません。でもまあいいや。あるだけましだ。 帰りの車中、カーラジオに被害の続報が流れました。停電で酪農家が搾乳をできないとのこと。張った乳房をどうするんだろうか。気になります。次の写真は拙宅菜園です。家に帰り着いた途端、妻曰く「あなた、苦土石灰を蒔いたの。鋤込んで頂戴」 襤褸に着替えました。トラクターのエンジンを始動。おちゃのこさいさいの作業でした。 作業着になったついでというわけではありませんが、父の野菜畑を覗きました。おっ、こちらのオクラは元気がいいぞ。 花が咲いている。まだまだ収穫できそうだ。 ゴーヤや茄子を籠に収穫しました。まだまだ夏野菜を食べることのできる幸せです。そう思うにつけ、亮さん、札幌に行ったんだろうか、気になります。 妻が指さした先に柿が熟れていました。 早いな、そう思いながら一つ二つちぎりました。がぶり。甘い。いいぞいいぞ。今年の富有柿にはヘタムシの予防を施しました。豊作が見込まれます。楽しみです。 北海道の友人知人のことを思いながらも、腹は減ります。飲んで食べなければなりません。写真は日向木挽。 先日塩を打っておいたチダイです。妻が焼いてくれました。 ついでこれも。昨日に続いての半身です。ちょっと〆が進んでいました。 折角なので冷酒を抜栓。酒保の冷蔵庫はこれが最後の1本です。次を注文しないといけないな。そう独りごちてタンノイの部屋へ。今夜のNHKFMはヒューストン響。ドボ7を聴きました。酔いが回ってバタンキュー。今日の類語「天災」 災難、禍殃、天変地異、激甚、カタストロフィ、破局、惨事、奇禍 禍殃は「かおう」と読みます。わざわいのことです。今日の一句〆鯖の背中の模様役者なり半〆の鯖にそそられ妻も酔い釣鯖も夜の打ち酢に負けが込み〆鯖の赤身を量る左党かな鯖缶の水煮か味噌か妻が問い明けやらぬ北の大地の身震いか今日のランなし今日の酒日向木挽きブルー1合 生酒1合今日の写真はゴーヤです。この漬物、カリカリの食感と適度の苦みがいい感じです。もう一枚は苦瓜の蔓に混じって咲いていた花です。名を知りません。アサガオの一種かな。
2018年09月06日
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平成30年4月29日(日) 午前4時過ぎ起床。晴れ。 昨夜から未明にかけて冷えました。それでも遅霜の心配は不要。起き出して寝間着一枚では寒い。羽織りました。今日は連休中日。Bachの平均律を静かにかけてコーヒータイム。ゆるりの時間が流れました。午前7時半、遅い朝食をとっていたら誰かが勝手口をコンコン。父でした。西瓜畑にマルチシートを貼るから手伝え、とのことでした。朝っぱらからもう。しかし難色を示すわけにはいきません。ブロ友の禁玉さんのことは多治見から伊東まで孝行に出っ張っています。数時間、親を手伝うごときは屁のカッパ。愚図っていては罰が当たります。野良着に着替えました。2時間あまりで終わりました。途中、風が吹き始めました。ペラペラのシートです。重しの土をかけていきます。鍬を苦手の杣夫です。難儀しました。終わったときは汗びっしょり。写真は完成の図。この作業を手伝っておけば、できた西瓜は盗み放題。 やれやれ。家に戻ったら妻が夏野菜の苗を植えていました。「胡瓜の棚をこさえてちょうだい」 早速取りかかりました。女竹を支柱にします。畝に差し込む小さな穴が必要です。その場所に直径3cm、長さ150cmほどの鉄棒を突き刺し、棒の頭を玄翁で叩いて打ち込みます。30cmばかり入るとそれを抜きます。女竹をそれに突っ込むと少しの力では倒れない強度ができます。ヨイショ、ヨイショ。重い金槌を振るっていてプスッ。何か小石か豆粒のようなものが右の二の腕に当たったような。痛みは全くありませんでした。鉄棒の頭が割れて金属の小片が飛んだのでしょう。ん?なんだ?作業着に赤い染みができ、みるみる広がっていきました。 ありゃっ、大変だ。血が出たぞ。脱いでみました。参ったな。小さな傷が開いていました。そこからの血が止まりません。 妻が慌てて消毒、ガーゼを当ててくれました。30分ほど休憩、庭石に腰掛けました。どうしてこうなったのかあれこれ考えて、ああ、まさに鎌鼬だな、独りごちました。血の止まり、そこに絆創膏を貼りました。鉄片の残存感はありませんでした。病院へ行く必要はないな。昼前になりました。作業着も汚したし、途中ですが今日の野良はおしまいにしよう。 シャワーを浴びました。午後、アマゾンプライムで映画を見始めました。しかし面白くない。未明の続き、本を手に取りましたが眠気が勝っていけません。よし、届いたパソコンの箱を開くとするか。拙宅のものは5年選手です。いろいろ手を尽くしましたが、動きが改善されません。思い切って新調することにしました。セッティングし電源を入れたら後は勝手にセットアップ。便利になりました。必要なソフトを幾つかDLして終了。サクサクになりました。盾の発走時刻に間に合いました。よーいドン。予想が当たりました。つね三2回分くらいの儲けになりました。ウッシッシ。 今日は早い夕食となりました。トンカツを昨日開栓した冷酒栗林で流しました。プロ野球、カープの5連勝を確認してまだ宵の口。NHKの番組に美の壺というのがあります。録画しておいたのを見始めました。テーマはロックグラス。いろいろなシーンが登場。私も真似をしたくなりました。見終えてジャズを流し、ラガウリンのスモーキーフレーバーを楽しみました。あれこれのことが巡り、夜更かしになりました。今日の一句初夏の其処姿を見せぬ鎌鼬今日のランなし今日の酒栗林(冷酒)2合 麦焼酎お湯割り1合 ラガウリン3ショット今日の写真はパソコンに合わせて購入のマウスです。小ぶりがよろしい。
2018年04月29日
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平成29年6月8日(木) 午前3時半起床。晴れ。午後になって雲一つない青空が広がりました。 朝起きての写真は三八(さんやつ)広告です。dancyuという雑誌、いい感じです。食と酒、料理を毎号、素敵な切り口の特集を組みます。プレジデント社、好きな出版社です。dマガジンを知るまでは、時折購入していました。1.5ラーほどの価格です。今はipadでただ読み(実際は2/3ラーを支払っていますが)。関係ありませんが、dancyuもdマガジンもdで始まります。ドラゴンズも銘酒出羽桜もそうです。頭文字d、よいです。 昨夜、妻が夜なべして漬けた梅ジュース、今朝になって早くもエキスが溜まり始めました。楽しみです。 日中の野暮用は終日判子押し。午前に外出。菓子折を買って某案件関連でお詫びに某所を訪ねました。なるものはなりますが、ならぬものはならぬ。誠意を持って謝ることが大切です。訪問先を後にして振り仰いだ山が青かったです。 夕刻、真っ直ぐ帰宅。途中、いつものスーパーに寄りました。太った鯵が並んでいました。買わない手はありません。月桂冠の2リットルパックも1本。家に帰り着いて、それらを冷蔵庫にしまいました。着替えてラン。札幌ドームの試合を聞きながら汗をかきました。林道の奥の院で折り返しました。さてものカープ、今日も調子がいいぞ。 帰宅してシャワー。最前の鯵をチャチャッ。脂の乗っていい感じです。 刺身をこさえてよかった。今日はこれだけで済ませられるところでした。 その妻が「あなた、みてよこれ、胡瓜を食べられたわよ、あなたが鯵の頭を鳶に与えるでしょう、烏もやってくるのよ、烏がうちの菜園を餌場と思っているらしいわ」 うーん、これはひどい。でもカラスかなー。あの嘴をしてこんな食べ跡になるか疑問です。ムジナかもしれない。でも、まあいいや。魚の残滓は埋めることにしよう。鳶君、悪いがこれからはお前の分はなし。 さて、木曜日ともなると書くことに事欠きます。新聞ネタばかりだと面白くないし、読んだ本のことを書く暇があったら次を読みたいし。ということでもう1杯やって寝ます。今日の一句泥棒に胡瓜を盗られ望の空今日のラン10km今日の酒asahioffレギュラー1缶 冷酒2合 三楽5勺 余市ダブル今日の写真はリヒターのBachです。Amazon musicの音は侮れん。おーよしよし、お前もきたか。一緒にひっくり返って聴こう。ここにおいで。
2017年06月08日
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平成28年12月6日(火) 午前4時起床。朝のうちは雲がありました。日中は快晴。2枚の写真はその対比です。1枚目は出勤時に佐伯大橋から東を撮りました。右半分の彼方に霞むのが九州百名山の一つ元越山です。 こちらは夕刻、同じ場所から西方向を取りました。よく晴れていました。煙草山の稜線がくっきり。空の青と書きかけていやあおは蒼だなと独りごちました。 終日缶詰会議。合間に判子を押す一日でした。珍しく頭痛でした。といっても軽く、横になりたい程ではありませんでした。真っ直ぐ帰宅。ストーブの火を熾し、テレビニュースを見ました。今日の午前に見つかったんです、行方不明の2歳女児が。保護された折の映像が流れました。暖かいセーターを着ていました。場所は佐伯市宇目、九州山地の山懐です。一晩を過ごして冷えたでしょうに、思いのほか元気そうでした。世の中狭いもので、実をいうとこの女の子は知り合いのお孫さんでした。おばあさんにあたる人が高校の同級生でした。丸顔の美しい女(ひと)でした。彼女、山奥から時間をかけて通学していた記憶があります。今は道が格段によくなり、そこまで車で40分ほどの時間です。40年前は道路事情が劣っていました。歩行(かち)で日豊線重岡駅に出た後、佐伯駅まで列車。更に高校までの20分を歩きました。2時間は要したはずです。一日のうち4時間以上を通学に取られ、受験勉強はどうしていたのかとは後になって思う余計な心配です。彼女は保健師になって活躍しています。行方不明の一昼夜、彼女の心中、察するに余りあるものがありました。無事見つかって本当によかった。今日の一句赤手引く木霊の誘い振り切りて今日の写真は水墨画です。弊社玄関ホールに20枚ほどを展示していました。そのうちの2枚を。なかなかの出来栄えです。強いていうなら表装の方がよかった。いえ、私の好みですが。
2016年12月06日
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平成28年7月14日(木) 午前3時起床。雨のち曇り、午後は晴れました。夜来の雨が凄かったです。バケツをひっくり返したようでした。午前零時をまわって、雨脚に目が覚めました。雷鳴も遠くに聞こえました。まどろみながら、そろそろ梅雨が空けるのか。 午前5時半、小康になりました。散歩を1時間。以下は相も変わらずの散歩風景です。何時もは涸れている中野河内川です。DのYさんが早起きして散歩の図。彼の従弟はロス五輪レスリングで金メダルを獲得しましました。偉業です。Yさん、80になろうかという年齢ですが、体格もいいし若い。従弟であっても流石金メダルです。 NのTやん宅近くにある空き地をパチリ。K製材のセビンタ置き場になっています。これ、秋風が吹き始めたら、フォークリフトを借りて拙宅の梅林下へ運びます。チェーンソーの刃を入れ、30~40cmの長さに切ります。杉は燃えやすいので、薪ストーブの焚き付けにもってこいなんです。 製材所はこんな感じです。帯鋸の製材機は別のところにあります。写っているのは、雑木をチップにするシステム。上部の四角い箱にストックします。満タンになったら下にトラックを乗り入れ、漏斗状になったところから荷台に落とし込みます。田舎にあって、こんな生業の出来たことに時代を感じます。高度経済成長期の遺物です。 雨上がりです。生目山(イキミヤサン)に地雲がかかっていました。 木立小学校横に咲いた花です。黄色もあるんだ。 熊野神社はお祭りです。といっても、出店なんぞはありません。ただそうとだけのものです。氏子社中の旗が立っていました。柱は金属製。立てっぱなし。幟も合成繊維。国旗掲揚の要領でスルスルスル。以前は神社の床下に囲った杉柱を運び出してその竿に幟を通し、大人5~6人ウンコラショ。一汗かいていました。今は当番の人が一人で難儀せずとなりました。 栗の毬が日増しに大きくなります。台風が来ると、多くが落ちます。来なければいいが。 西瓜の玉もいい感じになってきました。カラスの野郎、割ったらただじゃーおかないからな。 夕刻、帰宅してラン6km。晴れて蒸し暑い中、林道を走りました。汗びっしょり。イヤホンから聞こえるニュースが天皇陛下生前退位の意向を解説。写真はそれを報じる各紙一面です。内容はそれとして、ブチヌキは7紙中3紙。扱いは産経が一番でした。このところ、英EU離脱といい改憲勢力三分の二といい、このところ多いです。いいニュースのそれは構いませんが、悪いのは嫌です。 新聞ついでということでもう一つ。どの紙とはいいませんが、誤植を見つけました。「遊休資産」が「遊休試算」になっていました。校正は今時、人の目に加えてコンピューターがすると聞いたことがあります。前後の文脈をして、関連しない用語に反応するシステムになっているらしい。弊社のこさえる書類に誤字脱字文法上の誤りのあることを棚に上げて、新聞の誤植、珍しいことではあります。 シャワーの後、プシュッといきたかったです。然り出てきた料理はこれ。 ポンしました。ランブルスコの泡。ついでにピノを抜栓。今日はイタリアンでした。おっ、妻がもう一品。これをこさえてくれました。 午後9時、スマホがブルッ。会社からでした。悪い連絡でした。あれこれ、深い想いになりました。切り換えるため、いや、追悼するため、シューマンのピアノソナタ1番を聴きました。演奏はギレリス。今日の写真は聴いたそれ、シューマンのジャケットです。HISTORYレーベル。これ40枚組の中の1枚。1,948年、モスクワでの録音です。
2016年07月14日
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平成27年11月23日月曜日 午前4時起床。勤労感謝の日でした。曇り。朝間、ウォーキング+ジョグ合計1時間。汗ばみました。家を出てすぐのところに山茶花が散っていました。これも初冬の風情ではあります。 K製材の隣です。柿が我慢をしていました。もうすぐカラスの餌食です。 走り終えて朝シャワー。ブランチは雑煮でした。具は、昨日、棟上げの際に拾った餅でした。薄日の射す中、妻はエンドウを植え、コマツナと高菜の種を蒔きました。私はCDの続きを聴きました。飽いて、司馬遼太郎「アームストロング砲」(講談社文庫)を読みました。池波の「人斬り半次郎」を読んだばかりです。司馬との作風を比較するのによい場面がありました。人の殺され方です。この表現に違いのあるのに気がつきました。司馬の方がリアルでした。中に収録された「薩摩浄福寺党」に、肝付又助の死にざまが書かれてあります。こうです。~背後の中村が、 ぐわっ と後頭部に斬り込んだ。又助は前へ突ンのめった。その差しのばした頭を、大石の刀が力まかせに叩いた。 骨にあたり、びん、と刃がそれた。が、そのまま又助は泳いで、門前の路上に倒れた。大石は走り寄って、剣を垂らし、又助の背から胸にかけて串のように突き刺した。 又助は、四肢をちぢめた。 そのまま、息が絶えた。 どうですか。「四肢をちぢめた」の行。脳から脊髄にかけての急所なのでしょう、痙攣のはしる様は、なんとも恐ろしい表現です。活きたブリを締める折、後頭部に包丁を入れます。跳ねるのをやめ、ビリビリと痙攣します。それ紛いの描写です。ここが司馬の司馬たる所以だと思うのであります。「半次郎」が生煮えだったため、その際立ちに惹かれました。「死に際の司馬遼」とは私の命名です。 午後1時過ぎ、家を出ました。仕事でした。ネクタイを締めました。会社に立ち寄り、七つ道具を車に積みました。ホテルKへ向かいました。嘉風が市民栄誉賞を受ける式典があったのでした。昨日が千秋楽でした。昨夜のうちに佐伯入りしたそうです。写真は、セレモニーが滞りなく終了、報道陣に囲まれ、インタビューを受けるの図です。故郷に錦を飾るとはこのことです。来場所は関脇です。お目出度い。それはそれとして一連の流れ、部下の差配もあって、万事うまくいきました。よかったです。 暗くなって家路に。魔がさして、いつものスーパーへ寄りました。おっ、今日は魚が安い。カマス、小サバ、それにアジを買いました。アジは漬けに、その他は三枚に下ろして酢締めに。どれもこれも明日以降の当てです。今日は餃子でした。写真のないのが残念です。代わりに魚の方を。 今日の一句司馬遼のペン先にこそ死の宿る今日の写真は、拙宅隣地にあるベンチです。小春日和の昼下がり、ここに座り、読書と洒落込むのが乙です。まだ一度もそうしていませんが。いつかしてみたいです。
2015年11月23日
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平成27年7月13日月曜日 午前3時前にグラリ。地震でした。テレビによると震度5強。畜生め、舌打ちをしました。弊社、この値以上だと、勤務する本社屋、或いは支店に取るものもとりあえず、となります。ただし、津波の心配あるときは、その限りではない。自分のみの安全を優先させてよいとあります。今日は津波なしでした。作業ズボンとスニーカーを履きました。近くに住む連中が既に集まり、社屋は煌々。1時間毎に対策本部会議が開かれました。刻々、情報が集まりました。結局、大山鳴動鼠一匹でした。一安心。写真は会社へ向かう道中、パトロールの消防自動車です。彼等の初動はプロだけに早い。 始業10分前に朝礼。普段の一日が始まりました。月曜の朝一は恒例の役員会。それが終わってデスクワーク。午後は支店回りでした。写真は、午前7時過ぎ、一段落して食べたバナナです。キンノジが押っ取り刀ではなく押っ取りバナナの仕儀。助かりました。 もう一枚は、夕刻支店からの帰社道中、鶴見・吹(ふき)辺りからの眺めです。対岸に造船所のクレーン、興人の煙突、清掃工場などが見えます。空は相変わらず曇天。梅雨はいつ明けるんだろうか。 社に戻って、防災担当のM君が玄関を後にするところに行き合わせました。今日は未明からお疲れさん、ビール飲んでゆっくり休んでね、と言いました。笑いながら「余震対策があるんです。一度着替えにかえりますが、すぐ戻らないといけません。明日の朝まで居残りです」白い歯が男前でした。ナイスガイ。 会社を出るのが遅れました。走ろうか迷いました。散髪しようと思い立ち、床屋へ行きました。受け付け終了の札が下がっていました。仕方がない、真っ直ぐ帰宅。シャワーを浴びて、ツール・ド・フランスを観ながら芋焼酎の水割りを流しました。当てはキュウリとピーマンです。 続いてナスとシシトウ。これから毎日、こんな料理が続くんだろうな。 今日の一句グラリ来て押っ取り刀も空振りに今日の写真はアートフラワーです。弊社玄関ロビーに飾ってありました。趣味のグループが文字通り花を添えてくれました。鬱陶しい気分の晴れます。 もう一枚、弊社玄関に止めてあったテレビ局の中継車です。中に映像・通信用と思しき機材がビッシリ。手持ちぶさたのようでした。訊いてみました。「兄さん、救急車は2千万円するけれど、これはどれくらいの値段かね?」彼曰く「桁がちがいます」相撲取りが驚きました。土俵(ドヒョー)。億単位か。ドボローしたらいい金になるな。
2015年07月13日
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平成26年6月23日(土) 午前5時起床。晴れのち曇り。蒸し暑かった。 朝ご飯のおかずはタラコでした。大きいのを妻と半分こ。熱々のご飯に載せました。これにキュウリの漬け物。申し分なしです。食べ終えて、お茶を飲んで。さて何をしようか。あっ、早生の栗がはじけ始めたのを思い出した。父の栗林、一本だけが、盆過ぎに熟れ始めるんです。しかし、下草が伸び放題。落ちると、見つけること能わずです。午前8時過ぎ、地下足袋を履きました。 本腰になり、栗林全部の下を刈りました。ツユクサが咲いていました。青がよろしい。ついでに茶を剪定。午後2時までかかりました。途中にスイカをパクついただけ。昼ご飯も昼休みもなしで頑張りました。ボロボロになりました。 刈り終えた後を、妻が栗拾い。半分を父の家に置きました。写真は拙宅の分です。出来はあまりよくないようです。 箒を片付けようとして、シマヘビを見つけました。長い。1mはありそうでした。この種、毒はありませんが、咬みます。鎌首をもたげて、逃げるツチガエルを追いかけました。スルスル。結構なスピードでした。パクリ。くわえた後、すぐに飲み込みました。追いかけました。前掲の写真に映っている茶の生け垣に逃げ込みました。あれっ?いないぞ。よく見たら、地面を離れ、枝に巻きついていました。 鎌を取ってきました。一閃させました。胴から後はこの仕儀でしたが、頭の方は這って芋畑の中に。体の前半分だけなのですが、逃げ足は早かったです。もしマムシが同じように枝中へ巻きついていて、知らずに・・・だと、大変なことになります。くわばらくわばら。 切り捨てて、太宰の「斜陽」を思い出しました。焚き火をしていて、主人公がヘビの卵を見つけ、燃やす場面があります。その日の夕刻、庭で動くヘビを見つけるのです。母親ヘビが卵を探して回っている、赤い炎のような舌が不気味で身震いしたと、主人公は思うのでした。ヘビはつがいでいる、といわれます。もう一匹に、胴を失い息絶え絶えで逃げ戻り、絶命する。切られたヘビにとっては理不尽でした。相方は赤い目をし、私に地獄の炎を燃やすのかもしれません。夢に出てきませんように。 父のナス畑、草に埋もれそうでした。暑気に、野菜の面倒を見ること能わず。妻がブツブツいいながら収穫しました。あーあ、もうしばらくは茄子責が続きそうだな。シャワーを浴び、横になった途端、降り出しました。雷鳴も、しばらく続きました。 今日は飲み会です。今年、高校の同級生が二人、地銀と信用金庫のそれぞれで役員になりました。もうひとり、悪友が警察のお偉いさんに。ということで、有志が集まり、彼等を肴に一杯やる案内があったのです。野良にビールを我慢したのは、そのためでした。樽が乾いた。それでは行ってきます。今日の一句復讐の炎を焦がし吾を見る栗落つを引き留めてくれ百日紅今日の写真は、咲き始めたそのサルスベリです。この木の下に、愛犬レオが眠っています。コールデンのいい奴でした。
2014年08月23日
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平成26年6月11日(水) 午前4時起床。朝のうち、雨が残りました。日中は曇りでした。白み始めた時間にブログを書いていて眠くなりました。午前5時半から30分、蒲団を被りました。 終日会議。今日も缶詰でした。 夕方、つね三の呼ぶ声が聞こえたような気がしました。グッと我慢し、運動公園へ廻りました。走り始めて直ぐ、つまずいて転びました。法面の草を切って、コースの端に盛り上げていました。その中に女竹が混じっていました。これに気付きませんでした。あっという間にすってんころりん。痛かった。膝をすりむきました。 肘もやられました。右手のひらに大豆大の皮むけ。つね三の声に応じておけばよかった。 水道水で洗いました。球場の事務所へ行きました。管理人は魚市場の元セリ人Kさんです。マキロンを借りました。吹き付けている最中、市場立て替えの話をしました。漁師の減ったこと、集荷が難儀になったことを聞きました。 なお走って8km。血が止まらなかったので、2kmを残してやめました。 帰宅したら妻不在。消毒薬のありかが判りません。シャワーを浴びました。湯がしみました。引き出しを探しました。それに似た容器がありました。小さな文字は眼鏡がないと読めません。危うく、水虫の薬を垂らすところでした(私は水虫ではありません)。 えい!ままよ!そのままにしてプルトップを引きました。 今日は秋に札幌であるハーフマラソンの申込開始日でした。早速エントリー。東京に住む友人Kの分も一緒にしました。ついでにホテルと飛行機の予約も。ジェットスターだと、成田経由の大分・札幌間は往復で26,000円です。往復ですよ、往復。義弟がその街に住んでいます。妻が会いたいといっていたので、二人分のチケットを押さえました。 その妻が帰ってきました。傷に気付きました。「あなた、この前は酔っ払って転んで鼻を切ったわね。飲んでなくても転ぶのね。クックック」それでもガーゼと薬を出してきて、手当てしてくれました。 前後しますが、帰ったら部屋が匂いました。妻が掘ったラッキョウでした。熱湯に潜らせ、漬けるんだそうです。これ、好物です。福神漬けよりもこちらの方がカレーに合います。 青空文庫で吉川英治を読んでいます。「美しい日本の歴史」という随筆があります。頼まれた講演のあれこれを書いています。題名らしくない、くだけた内容です。色話がありましたので、引用します。「尼のもの底無し」 戦後、私は読売に「高山右近」を書いた。右近の青春の蜜と、蜂のような女達を書いて、それから、後の切支丹大名デウス右近へゆくつもりだった。 ところが上智大学のラウレス教授から痛烈な抗議が来た。デウス右近様は決してそんな行状のお人ではない。青年期といえ淫行があるなどは以てのほかで、恋愛沙汰も断じてあったとは考えられぬ。耶蘇会会報にもかくかく。伝記にもかくかく。総てかくかくの通りであると、自著、記録の類を抱えては、その頃の私の疎開先、吉野村の寓居へ、じつに根気よく抗議と訂正を求めに来られた。 私はへきえきした。或る日などは、あの奥多摩の山村の雪の降る日にも来て聖デウス右近の清童ぶりを説くのであった。それはちょうど日蓮教徒の折伏の熱意にも似ていた。ついに私は一日、上智大学へ赴いて、教授の宣教師諸兄へ、「文芸と史実、及び宗教」にわたって、るる一場の咄弁をこころみたが、ついには面倒になって、小説も結びをつけてしまった。 そのさい感じたのは、ラウレス氏のような学究でもカソリックではおよそ性の問題となると、これを頭からひんしゅくする傾向が強い。恋愛すらも危険がる。依然“マリアは婚せずして孕はらむ”を信じるかのようにこの人間性焦点から眼を反らす風がみえる事だった。 そこへゆくと、東洋に発祥した宗教はそうでなかった。逆に性と取っ組んだ形跡さえある。天台や真言の密教の一部典は性経であったという。村松梢風さんの女経みたいなのではない。水原堯栄氏の「立川流の研究」。守山聖真氏の「文観上人之研究」などにもその実存は窺われよう。しかしカソリックが危険視するごとく天台や真言でもそれはやはり危険視して、いわゆる秘封の経としてしまった。ところが、禅では、恐がったり秘すようなケチなまねはしていない。 誰かが“禅坊主と性”という課題を持つと面白いがとおもっているが、私にはいとまもないので性急にここでは一人の尼の話だけにとどめておく。 それは鎌倉時代の慧春尼という人で、「比丘尼史」に依ると、尼の俗姓は藤原氏、相模の糟谷に住み、容姿絶群であったという。 婚家はよく分らない。だが三十になるやならずで後家になったとみえる。兄の了庵について、禅門に入った。佳麗な比丘尼は、清楚な梅みたいに鎌倉中の山門を色めかせたにちがいあるまい。艶書を送られたり、夜這いに見舞われたり、しじゅう言い寄る坊主が絶えなかった。 うるさくなって、慧春尼は、自分で自分の顔を後には焼け火ばしで烙やいたという。次の話は、それ以前の事だろう。或る時、尼は公式の使で円覚寺の壇へ参礼したことがあった。 その日、円覚の大衆は、階の両側に、列を作なして、尼を待った。禅門の習いで、法問答を行うのが例であり、尼の機鋒の鋭さを知っているので、日頃、尼に振られていた業腹な連中も手ぐすね引いていたのである。 ほどなく尼の姿は楚々として、山門から大衆の環視の中を階へ向って進んで来た。すると、一人の若僧が躍り出て、やにわに、尼の前へ立ちふさがったと思うと、法衣のすそを捲り上げた。そして股間の陰茎を白日の下に露出し、しかも身を反らしてそれを赤黒い巨大なものに怒らしてみせながら、 『僧の物三尺。如何となす』 と、やったのだった。 すると尼は、微動もせず、即座に、わが裳を左右へさッと掲げて、その真白な肌はもちろん、ふさやかな毛丘にかこまれた玉門までを、僧の一物の前へ示して、 『尼の物、底無し』 と、応酬した。 これは男僧の負けである。三尺と、底無しとでは、スポーツにしたって負けと極まっている。「さあお進み下さい」 この慧春尼には、もう一つこんな事がある。兄の了庵の会下の者で死ぬほど尼に恋した若僧があった。 ある晩、尼の寝床に這いこんで、泣きながら掻きくどいた。尼は『今夜はいけません、次のときに』と、なだめて帰した。そして数日後の、了庵上堂の大会の日であった。尼はわざと、性の大事について、人々へ法問を向けた。誰もが、偉そうに構えながら、性のことにふれると、みな口しぶる。すると尼は、先夜の若僧の名をさして『論議では埓らちがあきません。先の夜、御僧が望んでいたお約束事を、ここで果たそうではありませんか。さあお進み下さい』と、禅床の真ん中へ出て衣を解きかけた。 若僧は逃げ出したのみか、山からも姿を消してしまったという。――どうもどッちも意気地のない男共である。いったい男共の性観念は、鎌倉の剛健といわれた時代でさえ、こんな程度の薄弱であったから、ついに昭和の今日になって石原慎太郎氏の「太陽の季節」一編に一世を風靡されるなどの珍現象を呈したものか。といえなくもない。 ところで、これと似ている逸話の持ち主に了然尼という尼もある。前の慧春尼より時代はずっと下がって、武田信玄の曾孫、武田寿庵の妻だったという前身だ。初め鉄牛の門をおとずれたが『美人すぎるから駄目駄目』と断わられ、白鴎を師としたが、居るうちにやはり弟子を過まるからと断わられ、その後は自力で大成し、江戸郊外の落合村の泰雲寺に住み六十六で終っている。しかしこの人の逸話は前述「比丘尼史」の慧春尼と全く似ているから、後に誰かが転嫁して伝えたものかと思われる。 どちらも面白い話ではあります。今日の一句擦り剥いて血の流るるを他人事色話読んで過ぎるは妻の丘 (色話を読んだからかな、まあ今日はこれくらいあってもいいか)今日の写真はビワです。果物としての序列は先頭に及びませんが、この時期ならではのものです。
2014年06月11日
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平成25年9月30日(月) 午前5時起床。晴れ。蒸し暑かったです。 終日会議。午後遅く、船に乗りました。弊社所有の航路です。利用客の減少により、某港への寄港を取りやめにする日が今日でした。その最終便に乗船しました。最後を見届けるためでした。この仕儀、弊社の方針とはいえ、私が先頭に立ってそう仕向けたのでした。夕方、岸壁に地区の人たちが集まっていました。KのSが気を利かせ、紙テープを用意していました。「蛍の光」の流れる中、手を振って船を見送ってくれました。感慨もありましたが、忸怩たる思いになりました。心情的な弁解ですが、なんとしてもバス路線だけは維持しなければ。 今日は凪でした。佐伯港への帰り、いつもは塩飛沫をかぶる天井デッキに出ました。屋上に3人かけのベンチが2つあります。越しかけました。カモメが空に舞いました。時折、本船を追いかけてくる如し。名を知らぬ海鳥が潮目に浮いていました。高いところにはトビ。小型底曳の出漁していく姿は、夜漁だけに哀しいです。西の空はこんな感じでした。 大島に回りました。帰りの便に、市の保健師4人が乗り込みました。健康相談に来ていたのでしょう。航跡の向こうは佐伯湾沖に浮かぶ大島です。 帰宅が遅くなりました。妻と食卓を囲みました。当てはアジの刺身と煮付け。父が鶴見のSさんに頂いたとのこと。最近、この手の頂き物、料理は妻の役目です。魚の始末が上手になりました。獺祭で流しました。その彼女、今夜は体育協会の集まりでした。地区の運動会に向けての選手集め。私は総監督に任命されました。それが今日になって、その日に出張が入りました。ごめんなさいです。午後9時、帰宅した彼女曰く、運動会、地域の人は皆歳を取ったわ、足が痛い腰が悪いと言うのよ、種目の内容を変えるか、お楽しみ会のようなものにするか、考えものだわ。寂しい限りです。 夜の更けて、音楽を聴きました。山田貢のラウテンクラヴィーアでBWV996~998。静寂に染み入りました。今日の一句航跡を辿るが如く鴎舞う
2013年09月30日
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平成23年11月23日(水) 勤労感謝の日。 午前4時半起床。曇り一時雨、午後は晴れました。 まだくらいうちに朝食。一昨日の残り物パエリアをチンし、味噌汁と流し込みました。午前7時過ぎ、作業着に着替えて出発。M製材向け。堅木のワキ落としをいただきました。造船に用いる材料の切れ端でしょう。ストーブの燃料にもってこいです。都合4往復。雨の中の作業でしたが、運び終えて快なりの気持ちになりました。何せ2ヶ月分の燃料を半日日で確保したのですから。 前後しますが、軽トラから薪を下ろしている最中、見ず知らずのオッサンが訪ねてきました。マツイカの一夜干しと鮮度のよいウルメイワシをくれました。??。問うと拙宅敷地内にある渋柿のお礼だそうな。過日、父がこのオッサンに穫るよう勧めたのでした。渋柿でウルメイワシゲットの図です。昼ご飯のおかずは刺身と塩焼き。残りを酢締めにして、夜、握りを楽しみました。どうですか、この色合い。 夕方運動公園へ。ラン10km。うち5kmはタイムトライアル。22分でした。
2011年11月23日
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終日晴れ。日中は汗ばみました。午前5時前起床。ラジオを聴きながらネットサーフィン。その後、朝ラン5km。朝食はパンコーヒー。昨日、麦福で求めたクリームフランスとクロワッサンでした。コーヒーはネットで取り寄せの逸品。食べながら、NHKローカルニュースを聴いていたら、殺人事件の報。なんと、私の町の、それも私の家の近くの女性が殺されたという内容。絶句。私の息子と同級生の母親でした。PTAでも、少年野球の保護者会でも一緒した、背の高い美人でした。昨夜、寂しい埠頭で首を絞められたということでした。犯人はまだ捕まっていません。なんだか気味が悪いです。終日デスクワーク。抱える懸案について、部下と意見交換。昼休み、去年一年間あるプロジェクトを一緒にしたKさんが、子どもを抱き、訪ねてくれました。彼女は横浜の人です。都会で私の町町出身の青年と恋に落ち、その後、彼の帰省に併せ結婚、こちらにすむことになった人です。垢抜けていて、美しい人です。物知りでした。約1年、私のチームの仕事を支えてもらいましたが、痒いところに手が届き、感謝感謝でした。一緒の息子さんはこの5月に出産したそうで、今は首が据わっていました。私の方を見てニコニコしてくれました。保育所に通うようになったら、また仕事を手伝って欲しいです。赤ちゃんを抱きたかったのですが、泣かれては困るので、躊躇しました。それにしても可愛い。幸せいっぱいの親子でした。かたや、先の、今はもう骸になった女性のこと、そしてその息子さんのことを思わずにはいられませんでした。思いも寄らぬ運命、いや事件に遭遇し逝った母親の無念さを想い、息子さん・娘さんの悲しさ、彼女の両親の哀しみをして、ぽつねんとした気分になりました。世の巡り合わせは思いもよらぬものです。今日は飲み会がありました。会社が引けて、Fという料理屋へ行きました。若くして退職し、東京で仕事をするM氏を囲む会でした。彼の年齢は40過ぎ、集まった人は20人くらい。皆弊社の人間でした。懐かしさもあって、盛り上がりましたが、人間関係の疎密があったのか、会を閉じるときには人数が少し減っていました。M氏をつねさんへ誘いましたが、今日は暖簾を出していませんでした。残念。そうこうするうちに三々五々ということになりました。今夜はビールばかり飲んで、当てを殆ど口にしていませんでした。お腹がすき、ラーメン屋の匂いもあって、禁じ手の酒後ラーメンをやってしまいました。真っ直ぐ代行運転で帰りました。トラが留守番をしていました。妻はエアロビでした。今日の写真は、黄色い彼岸花です。先日、宇目の八匹原で撮ったものです。なくなった人への手向けです。
2009年09月24日
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午前5時に起きました。朝のうちは晴れ間がのぞきましたが、午後は降ったりやんだりの天気でした。朝ご飯の後、午前7時過ぎから草刈りをしました。梅林の下草を、草刈り機を背負って1時間半。汗びっしょりになりました。熟して落ち、散らばった梅の大粒に回転する刃が当たると、果肉が飛び散り、顔にまでピッと来ます。気持ち悪いですが、この香りは芳香といえなくもありません。草を倒してしまうと、わたる風が心地よくなりました。シャワーを浴び、走る格好をして運動公園へ。ラン8km+スイム1km。室外のプールは水温が低いということなので、今日も室内で泳ぎました。ところで、今日はひどい目に遭いました。水泳パンツをはいてすぐお尻にちくり。痛みに手を添えても何が何だかわかりません。水へ入るとまたちくり、間を置かずにまたちくり。針で刺されたような感じです。痛みは3回でした。夜、風呂上がり、その部分を妻に見てもらうと、二つ並んだ赤い刺し跡が3カ所。ムカデでした。水泳パンツの中に潜んでいて、そのままそれを身にまとったための仕儀でした。スイムバッグを軽トラの荷台へ置いていたためなのでしょう。これからは、泳ぐ前、パンツの中にムカデがいないかどうか確かめる必要があるなと独り言を言うと、妻が「スイミングの前、ムカデ検査をする人は日本にあなた一人よ」と笑いました。午後は読書。3時を過ぎて図書館へ。本を借り換えた後、市主催の講演会を聴くために仲町の会場へ回りました。友人が是非聴きに来てチョと言いうからです。枯れ木の山が必要なのでしょうか。ところで、私の町は「食」を売り出しています。農林水産業が盛んで、海の幸山の幸里の幸に恵まれているからこれを売り出そう、ということらしいです。食観光が狙いのようですが、食育や食の安全、地産地消などの考えもひとくくりにして「食のまちづくりを進める」のだそうです。講師は田中優氏でした。名前を聞くのは初めてでした。内容は、ダムの弊害、効率の悪い発電所の所業、家庭内の節電、ミツバチ問題など具体的事例を挙げ、環境問題を掘り下げるものでした。山林間伐の必要性も説き、自らが行った間伐の写真も説明用のスクリーンへ映していました。内容も氏のトークも見事でしたが、チェーンソー技術は、この写真を見るだけでは私樵夫の方が上です。帰宅は午後10時を過ぎました。夕食は亀泉、ゆるりの時間がよいです。札幌マラソンの案内が来ました。一杯やりながら、昨秋のランを思い出しました。今日は、娘から父の日プレゼントが届きました。サンライズファームのハム・ソーセージ詰め合わせでした。とんとろハムというのも含まれています。食べるのが楽しみです。メモ映画「ゆきゆきて、神軍」原一男監督1987本牧村健一郎『獅子文六の二つの昭和』朝日選書1365円獅子文六はエピキュリアンお薦めは『えっちゃん』問題作は『海軍』
2009年06月20日
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息子の事故処理。自転車同士の正面衝突。相手は中学生。知り合いAの息子さん。両者の自転車とも大破。にもかかわらず二人に怪我はなかった。不幸中の幸い。昨夜、私が飲んでいたとき、現場の自転車を妻が軽トラで回収していた。よく見るともう乗ることができない。拙宅には息子が高校時代に使った少し古い自転車があり、誰も乗らないので、壊れたものと一緒に届けたら、喜ばれた。息子のものは修理へ。前後輪ともリムが曲がっていて、取り替え。1万数千円の出費。Aさん宅、サイクルショップへは息子を伴った。帰宅途中、好事魔多しという意味を教えたら、神妙に聞き入った。夜、友人帰省で食事会をするという妻を見送って息子と二人夕食。その時、夜の道での事故処理、お世話になった人へのお礼、いずれもキチンと出来たことを一言褒めたら、すりむいた肘を撫でながらもう18だからという応え。親馬鹿だが嬉しいな。
2007年08月12日
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その病院は大分川の七瀬地区を見下ろすように建っている。都合により、尋ねた目的の予定時刻が下がり、それまでの時間をつぶすことになった。最上階のラウンジに行ってみたが、すでに閉店。地下の売店前に腰掛け、インスタントのコーヒーを。持参した本を読みはじめた。全面硝子窓、それに向かうように取り付けられたカウンターは明るい。金曜日の午後遅く、閑散としている。隣に白衣を着た小柄な女性が一人座った。シュッというライターの音が聞こえ振り向くと、ヤクルトを飲んでいる。ストローで蓋に穴を開ける音だったのだ。味わう間もないように、ここを後にした。売店の女性が店じまいを始めたので、テレビを見るためのカード(タイマー制になっていて、1枚1,000円。病室のテレビに差し込むと30時間あまりの視聴が可能)を1枚買う。これを包む見舞用の小封筒も置いてある。入院客へテレビ鑑賞券をどうぞということなのだろう。病棟の階へ。患者の去った食堂に座り、引き続きページをめくる。夕闇が迫り、市中の光が目立つようになると、ここが市井の生活から隔絶したところのように思えてくる。窓外、家々のひとつひとつの灯りには幸せがあり、ここには病む人の世界。高速道路を走る車を何の思うことなしに眺めやる。車中の人は家路へか、週末の旅行に向かうのか。ぼんやりしていると、70歳くらいの男性と家族か親戚と思しき5~6人が前のテーブルへ座った。「・・・一度は家へ連れて帰りたい。・・・」という会話。耳をそばだてると、この病院に入院している余命幾ばくもない家族に、今一度自宅のくつろぎをということらしい。カンファレンスをしてくれた医師は、BSジャパンのウイニング競馬キャスターに似ていた。名前に覚えがあり、そのことを話すと、蒲江の方にそのようなことをよく言われるが、違うといわれた。蒲江の人は水産加工の社長。同席の若い女医は色が白く小柄、白魚のような指をしていたが、疲れからか健康そうには見えなかった。訪ねた病棟で部屋を訊いたとき、応えてくれた看護師はとびきりの美人だった。背は165センチはあったろう。ソフィア・ローレンの若い頃によく似ている。ここで過ごした数時間、田中義一内閣から浜口雄幸内閣への時代が舞台の本を読みながら、上に記したような体験をした。車中、アーベントロートのブラ4を聴いていたため、ちょっと日常から離れた気分。
2007年07月20日
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昨日、ホテルニュー佐伯でK高校の同窓会があった。29回卒業360人のうち出席者は80名、先生が4名。男女比は2:1。母集団の比も同じなので性による差は無し。司会進行は私。挨拶は代表幹事のI。群馬県のT市に嫁いだAさんの乾杯で始まった。K力作のスライド上映。今昔の様子が銀幕に流れる。歯科医のTがコメンテーター。皆食い入るように見入る。次は先生の近況報告。U、S、Y、N各先生。N先生は生徒のために漢詩を認めてきてくれた。これには賛否両論、いや感性の問題、風雅を理解する人と頓着のない人で受け止め方が違った。U先生はもう10年近く前だろうか、N高校生徒が3人をあやめた事件が発生したとき、当の校長だった。全国放送に流れる師の姿を見て呆然としたことを覚えている。今はニコニコして退職後の生活を謳歌しているよう。S先生は数学の教師だった。70歳、足の骨を折って大変だったよう。挨拶が終わり、一杯差しに行ったら股引をからげてすねの手術跡を見せてくれた。木製の板書用三角定規と先にチョークの付いたコンパスを持って教室に現れた当時の姿を懐述したら、嬉しい顔をしてくれた。Y先生は元々教委畑の方で、卒業生を送り出したのは私たちだけと話した。退職した今は150人を抱える幼稚園の園長だそうな。歓談、それぞれのテーブルで盛り上がった。相変わらず独身のN、夜は木立のNさん宅に泊まるという。K院大の教授Sは早い時間に酔っぱらっていた。刑事のNは人気者。生徒会長だったKは2次会で経営する水産加工会社の厳しさを話す。建設会社社長のYも同様。野球部だったTは潜水漁業を営んでいるという。Iさんは宮崎で中学の教師。眼鏡のKさんは高校の時と全く変わらず。県庁マンのEはエリート。今は国体プロジェクトにいるという。大入島のSは土木事務所で用地買収の仕事。宇部にいるTはPTAなどで異業種交流を楽しんでいるらしい。息子は筑波大。東北大学を卒業したOは6年のアメリカ生活を終えトラバーユ、今は大分のハイテク工場で半導体の生産に携わる。息子は早稲田の政経と自慢。一方、不遇を託つ者も多い。悲喜こもごも。しかし、それはそれとして同窓会、夜の更けるのを忘れる。今の辛い人ほど大酒を飲んだ。同じ木立のYに校歌のリードを頼み、万歳は茨城にいるK。楽しい一夜だった。
2007年01月02日
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