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Sunday, January 21, 2024 曇りのち晴れ。 午前3時起床。ここ数日、入院のあれこれを纏めていましたが、今日の未明もそうしました。倦いて珈琲を淹れぼんやり。サンデーモーニングを見ていたら、中学の折の恩師Y先生からTEL。賀状に書いた病気のことを心配、連絡をくれたとのこと。曰く この頃、教え子たちが不如意、先に逝くケースもあり、かくいう私も古希となりガタが来た,妻もよろしくない,あっ,酒は飲んでいるけどね,君は仕事が忙しいはずだからくれぐれも体を労ってほしい。 嬉しい声かけでした。 午後一、古物商(リサイクル)の方がやって来ました。楽器、オーディオなどガラクタを断捨離するため、お願いしていたのでした。ヴァイオリンやチェロ(それぞれ入門用の安物)、何組もあるヴィンテージオーディオのうちから好みのものを残して全て、などでした。結構満足のいく金額になりました。安めの地中海クルーズ1名分程度でしょうか。これはアドリア海行きの虎の子としてへそくりします。エヘヘ。 荷を積んだトラックを見送り,散歩しました。風呂を浴び,大相撲を観戦しながら燗酒を舐めました。午後9時前、バタンキュー。 それでは、以下に入院のその後と退院、それに癌を告げられた際の心模様などを。 正月三が日(術後6日目以降8日まで) 元旦、早くに目が覚めました。というか、個室ですから24時間,いつ起きていつ寝てもいい環境です。夜昼おかまい無しの時を過ごせます。ただし、午前8時朝食、正午昼食、午後6時夕食は定時。サイクルが決まっています。写真はこの日の昼に出た御節です。 こんな挨拶文が添えられていました。新年を病院で無聊の患者に対する心遣いではあります。 さて、4階病棟の東に広く明るい食堂があります。其処に緑茶ほうじ茶の無料サービスあり。毎日、午前7時前後から日の出(おおよそ7時半)までぼんやり別府湾とその向こうの大分、コンビナートの灯りを眺めました。初日の出もそこからでした。眺めて感慨めいた思いにはなりませんでしたが。 毎朝、太陽が顔を出したのを潮、部屋に戻りラジオを聴きながら新聞に目を通すのが日課。新聞はタブレットを使ってのこと。朝日毎日読売日経、それぞれ会員です。全紙面を読むことが出来ます。時間はたっぷりあるので、普段に増して精読。年末年始は特集記事も多く、何の通か判りませんが,通になった気分でした。 入院中、部屋に備え付けのテレビがありましたが、一度もスイッチに触れませんでした。元旦のニューイヤー、2日3日の箱根、それぞれの駅伝も少しラジオで聴いただけでした。能登半島の地震、羽田の航空機事故が報に震えました。後者の生じた日、娘息子が羽田を利用して大分・佐伯へ帰省しました。事故はその日の夕刻でした。二人は午前の便だったので事なきでした。しかし、年始を実家で過ごした後、帰京の便への影響が心配でした。後日、案の定,遅れが生じたとのこと。 妻は子ども二人を連れ,私を見舞うことを考えたそうですが、何せ拙宅から病院まで片道2時間は折角の帰省に無駄です。固辞し,楽しい時を過ごすよう言いました。そうしたようでした。加わらなくても、家族が団欒を過ごせば嬉しいのですが、LINEに添えられた料理のあれこれは目の毒でした。写真は娘が火鉢に焼いた餅です。これを雑煮に入れた由。いりこだしのそれ、食べたかったです。 さてもの年始、私の過ごし方は以上ですが、病院スタッフはその間も毎日部屋を覗いてくれました。ドクターも連日、午前に顔を見せてくれ、世間話も交えた会話をしてくれました。看護師は交代で休みを取っているようでしたが、主治医が顔を見せなかった日はありませんでした。頭の下がる思いです。1月4日(入院9日目) 病院はこの日が診療開始日。新たに入院してくる患者もいて、病棟も賑やかになりました。手術日、膀胱側の尿道と「ペ○ス」側の尿道、それを縫合(つなぎ合わせた)したのですが、この日はそれがきちんとくっついて、腹腔内に尿漏れのないか否かを検査する日でした。午前、1階の手術室に向かいました。狭い手術台に横となりました。この台に上がるのは3回目。慣れたものです。尿道カテーテルに造影剤を注ぎ入れますよ,そう説明がありました。管を通じ「ペ○ス」を通り、膀胱にそれを注入するのだそうです。尿意を催すけれど我慢してください,そう言われました。入れ始めると確かに強い尿意がありました。膀胱内に満タンとなった造影剤をカメラ撮影。縫合の後がきちんと繋がっていれば,繋ぎ目からの漏れがありません。それのあると、もう少し時間を掛けて縫合部分がきちんとくっつくのを待たないといけません。撮影後「はい、Tさん、きちんとくっついていますよ。大丈夫です。カテーテルを抜きますよ」 そう言われ,目の前がパッと明るくなりました。よし、これで開放される。退院も早いな。引き抜かれる際、ちょっとだけ尿道の奥に疼痛がありましたが,それもあっという間。これで身体に刺さった管は全て外れました。爽快の気分です。早速シャワーを浴びました。 しかし、その後がいけません。折角の開放感が一瞬で萎みました。失禁が止まらないのです。紙おむつとその内側に尿取りパッドをしました。すぐに尿取りパッドが漏れた尿で重くなります。カテーテルの取れて以降、キャパ200ccのパッドを一日に5~6枚使いました。夜、横になっていると,膀胱内に溜まった量で尿意を催しますが、身体を起こすといけません。シャーッ、漏れるのを感じます。時とところを選ばないから難儀です。暫くこれを手放せません。(退院) 1月5日(入院11日目)病棟廊下を散歩していて,主治医に行き遇わせました。「Tさん、如何ですか。仕事が気になるんでしょう?退院はいつにしますか。」 そう切り出されました。私「なんとか早くなりませんかね」ドクター「はい、判りました。明日退院にしましょう。問題は失禁です。骨盤底筋体操を心がけて下さいね」 骨盤底筋とは、骨盤の底にある筋肉群で、排尿、排便などに大きく関係する。これらの筋力が弱まると,尿道を締める力が弱くなるため,頻尿や尿漏れなどが生じる。骨盤底筋体操で筋力を高めると,排尿の問題を改善することが出来る、とパンフにありました。オナラや尿を我慢する筋肉です。尿切りや肛門を締めるのに使うところです。それを意識的、1日数回に分け合計10分程度、締めるよう繰り返すトレーニングです。これを続けると1~3ヶ月で尿漏れが改善するとのことでした。面倒くさいけれど,いつまでも垂れ流しでは按配が悪い。努めなければ。 ということで1月6日(土)退院しました。病院の玄関を出て,駐車場に止めてあったマイカーのハンドルを握ったとき,人心地のついた気持ちになりました。エンジンをかける前、暫く運転席に座って病院の建物を眺めました。この12日間をここで過ごしたんだな,感慨じみた気持ちと,それがあっという間に終わったな、年末年始の正月気分を味合わず,ぽっかり穴の開いて今年が始まったような妙な気持ちでした。 高速道路を2時間掛けて家に戻りました。途中の運転、眠気の差していけませんでした。玄関を入ると,息子の上京した後でしたが,娘は明日まで在宅。顔を見ることができてよかったです。 とまあ、以上が一連の前立腺癌発見と入退院の顛末でした。入院に要した費用は差額ベッド代(個室使用料)を含め、500ラー(ラーは岐阜県多治見市のごく一部に使われる仮想通貨単位、1ラー=600円)でした。(癌の宣告について) 退院してこの方、健康診断でボーダーラインを超えた数値の出て後、あれこれの検査を経て前立腺癌の確定、入院・手術、一連を書いてきました。その内容は、事実関係を時系列で纏めたものであり、癌宣告を受けた際の自身の気持ち、受け止め方、揺れの有無などについては記していません。ということで、大げさですが,この歳になっての死生観じみたものも含め,つらつら書いてみます。とりとめのない内容となります。 いきなりですが,若い頃、死は恐ろしいものでした。自分の存在が無になる,それでいて世の中は続いていく,このギャップに慄(おのの)いていました。それが次第、友人知人、同僚先輩後輩、家族、身の回りの誰彼が世を去り、自身も50台を経て還暦、体力の衰え、酒に弱くなったこともあり、次第と何気なく死を受容するような感じを覚えるようになりました。これは老いと共に遺伝子の一部がそう思わせるような働きかけを始めているのかもしれない、勝手にそんなことを思ったりもしました。 それはそれとして、日本人の平均寿命から自身の年齢を引くと残された年月は幾許(いくばく)かを漠然,考えるようにもなりました。さらに単なる余命に加え,健康寿命のことを思うと、折に触れ、上の諦観じみた思いとは別、なんだか焦燥感に似た思いが過りました。 いえ、悲観的なニュアンスではありません。それはそれで仕方のないこと、生を受けた者は必ず死ななければならない、そう決まっているので、還暦を祝う慶びに似た感じ、あれこれあってもこの歳まで生きた,生かされてきた,有り難い、後はボーナスだな、これから死ぬまでの間をそんな朧気な感じで捉えている心持ちです。まさに歳をとったという子でしょう。 60台になって、そんな思いでぼんやり暮らしていたので、宣告というか、病名を告げられたとき、嗚呼私も患者の仲間入りか,2人に1人は癌になるご時世、特別なことではない、それが正直な感想でした。入院・手術もどこか醒めた感じ。なるようにしかならぬ、半分他人事のような気持ちでした。ツルゲーネフ「父と子」のバザーロフ然りだな、ちょっと悦に入った気分でもありました。勿論、難儀な部位だったり、各所に転移していたりというのではなく、早期発見、しかも治癒率の高い前立腺癌であったことも,悲観的な気持ちにならずの一因ではありますが。 さて、それはそれとして、病気のことをして夫婦の会話もその辺りが話題となること多しでした。 話が跳びます。私、毛が三本足りません。人のことを思いやるという心遣いに疎い、常々そう思っています。家族に対しても「まあなるようにしかならん」ということで、結婚以来、深い愛情には無縁、結構ドライな夫であり,父親でした。 そんな私です。例えば,道中の交通事故が心配だ、見舞いなんぞに来なくてよい、退院の際も迎えは要らない,自分で運転して戻る、というような目先のことから、もしも死んだら墓は不要、灰は適当,父の山に撒いてくれればよい、一部、ほんの僅かだけ、母校の大学キャンパスの隅にサッ、小袋一袋分を人に見られないよう撒いて頂戴、そんな話をいい加減,笑い話のよう、つらつらしたところ「あなた、自分のことばかり考えて,先に死んだら私たちはどうなるの。もう少し家族のことを考えてよ」 叱られました。確かにその通りです。一応相槌を打ちました。でも、よく言うじゃないですか。「男やもめに蛆がわき、女やもめに花が咲く。」心の中では心配なしと思っています。結局のところ、人は死ぬまでなんとか生きていかないといけないんです。 ということで,仕方がない,なるようにしかならん、それが人生と思い定めています。私にとって宗教は至って無縁。死は一切の無なのです。 話が大げさになってきました。戻ります。入院手術のため、少し休暇を取る旨、会社へ伝えました。途端,病如何、部下たちに問われました。癌だよと伝えたら、ほとんどの者が厳しい闘病とその先の死をイメージするのでしょう、もう私が死ぬ身であるようなレッテルを貼った目つきに見えました。見舞いの言葉にもそれを感じました。いえ、私自身、イメージとして癌は死に至る病、そういう固定観念を拭えずにいましたから、仕方ありません。部下の数人を若いうちにその病気で失いもしましたし。確かに癌は未だ医学が克服できない病ですから。それはそれとして、自身が罹患して、先に書いたよう,仕方のないこと,平気前進しかないとの思いである自分が、そのような目で見られることには、なんだか滑稽感を覚えました。纏めとして、それが私の毛の三本足りないせいだからかもしれません。今日の写真は鷹です。散歩の途中、架線に留まっていました。別の一枚をトリミングしてみました。精悍の姿です。それはそれとして遅ればせながら一富士二鷹三茄子です。何かいいことがあるといいのですが。
2024年01月21日
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Saturday, January 20, 2024 小雨 午前6時起床。昨夜の晩酌と以降の睡眠で,1週間の疲れが取れました。写真は朝食です。久しぶりのパン食。マンデリンの珈琲が美味しい。 降り込められ、終日居間に過ごしました。焼き芋を頬張りながら音楽を聴いたり,新聞に目を通したり。入院生活の続きをブログに書いてもみました。次の写真はストーブです。陽の射さない底冷えの日は,これが有り難いです。 拙宅トラも手持ち無沙汰。カリモクソファーにゴロリ。 夕刻、霧雨の中を散歩3km。途中、初対面のニャー2匹に行き遇わせました。カメラを持たなかったのが悔やまれます。それでは入院の続きを以下に。 (手術・入院生活) 大晦日の近づいた週に、株主代表会議が終わりました。手術を翌日に控えた26日に入院しました。妻が同行してくれました。彼女は別府のホテルへ宿泊。明日早朝に始まる手術に立ち会うためでした。 部屋は4階の南向き個室。病院自体が築後数年しか経っておらず、美しく広く快適でした。Wi-Fiが完備されていることを知っていたので,タブレットを持ち込みました。 午後4時頃、左手首から10cmほど肘に近いあたりの静脈に針を刺し、点滴が始まりました。何の薬か判りません。合わせて、下剤を飲み始めました。ボトルラベルに、サルプレップという名の経口腸管洗浄剤配合内服液とありました。500mlを40分かけて飲むように言われました。塩分の強く,しょっぱかったです。後口悪し。水1リットルも添えられました。飲み終えて1時間半程度で下り始めました。それの落ち着いて,シャワーを浴びました。シティホテルには劣りますが、ビジネスホテルのそれよりもずっと快適のバスルームでした。午後6時過ぎ、主治医が病室を訪ねてくれました。先般の生検結果を改めて説明してくれました。「前立腺癌の細胞ランクは6から10までの5ランクに分けられる。6はおとなしく、7は普通、8~10は暴れるレベル、Tさん、あなたのそれは7でした。なお、明日の手術で前立腺を全摘するのですが、身体から切り離した前立腺の切り口、即ち断面は大分大学医学部に送り、病理検査に回します。断面のに癌細胞が見つからなければ、前立腺の内部だけに癌細胞があったということになり、完全にそれを取り除いたことになります。断面に癌細胞があれば、身体側に未だ残っていることになります。その場合は次の治療過程に進みます。ということで、病理検査の結果待ちとなります。来月(年明け1月)末に判ります。何か質問はありますか。あっ、退院後の運動ですか。そうですね、自転車はサドルが丁度尿道のところに触りますから、春頃まで控えた方がいいでしょうね.それ以降は自由にどうぞ。はい、酒はOKですよ。ただしほどほどにしてください。飲み過ぎると括約筋が緩み、失禁が酷くなりますからね」 まだ手術前というのに,早くも退院後の生活を思う杣夫でした。 その日は病棟の消灯時刻、午後9時に就寝。その折、コーラックに似たピンクの錠剤2粒を飲みました.これも下剤なのでしょう。 ベッドの中、娘からのLINEによる励ましが嬉しかったです。 翌27日は午前4時起床。顔の髭を剃るよう言われたので、午前5時、カミソリを使いました。私、其程濃くはありません。チャチャッと済ませました。午前8時前、妻がやってきました。とりとめのない話をしていたら、呼び出しがありました。この階のエレベーター前で見送ってくれました。笑顔が瞼に焼き付きました。手術中、私は麻酔、前後不覚の時間ですが,待つ身の妻はどんな思いか。心配を掛けます。 手術室は1階でした。生検の時と同じ手はずでした。看護師がビニールの帽子を被せてくれました。私の頭に看護師の伸ばした手の先が届きません。屈んだら,有り難うございます、笑顔で礼を言われました。術前をしてのことですが、言葉の一言一言、些細な心遣いが嬉しく,気持ちが和らぎました。 狭いベッドに上向き,横になりました。ベルトで両手を固定されました。寝たまま気をつけをする姿勢になりました。麻酔医がテキパキ,それではいきますよ,そういいながら麻酔薬を最前の点滴管に入れたようでした。腕から身体の方へサーッと冷たい感覚が広がってくると思ったら、もう落ちていました。 午後3時くらいだったでしょうか、気のついてぼんやりの感覚でした。最初に見えたのは妻の笑顔でした。最前、エレベーターの前に見送ってくれた時の笑顔とは異なる、安心の目つきでした。写真はその折の私です。目が鰯のよう、潤んでいる。 ちなみ、こちらは手術前夜の私です。麻酔と手術のダメージは、この違いに見て取れます。 戻ります。術後の写真に、酸素マスクと心拍を測定するセンサーを見て取れます。そのほか点滴、尿道カテーテル、加えてドレーンが土手っ腹に突っ込まれていました。 ドレーンとは太いストローほどのビニール管です。長さは60~70cmほどでしょうか。ダビンチによる手術は,腹に6カ所、穴を開けてのことでしたが、そのうちの一つを利用、腹の中に深く差し込まれていました。その役目は前立腺を切り取った際、切り口から血液や体液などが染み出、腹腔に溜まるのだそうで、それを排出するためのもの。ビニール管の外側の口、即ち腹の外の方の口にはそこそこ硬いゴム状、透明、拳大の球体が付いてあります。それを握ると腹腔に空気が入ります。逆に握りを離すと、吸引,即ちマイナスの圧が腹腔にかかり、溜まった体液を中から吸い出すという仕組みになっているのです。差し込んでいる穴のところは、化膿しないよう絆創膏できちんと保たれていました。ドレーンによる吸い出し、なんとも原始的ではありますが、日々の経過と共に,吸い出される腹腔内の体液が濃い赤から薄いピンクに変わっていくのを見て、嗚呼,快方に向かっているんだな、それを実感しました。 戻ります。オペの無事終了を知って,妻は家路につきました。その夜,上向き、同じ姿勢による腰の鈍痛がありましたが、寝返りOKと聞いて,そうしました。難は軽減です。 術日の夜は、心電図センサーと各種チューブのせいで,寝苦しかったです。看護師が入れ替わり立ち替わり病室を覗き、おかわりありませんか,声をかけてくれました。朝になって,さあ歩きましょう、看護師が身体を支えてくれました。傷口(内部も含め)は全く痛みませんでした。ただし、咳・嚔(くしゃみ)をしたとき、うっ、鈍痛が走りました。スタスタ歩くことが出来ました。努めて動くようアドバイスされました。傷の治りが早いのだそうです。夕刻、食事が出ました。所謂重湯でした。味も素っ気もありません。 29日(術後3日目)の朝は3分粥、昼に5分、夜は7分、翌朝が粥、30日の昼に普通食となりました。それぞれおかずは二品。味噌汁が付きました。夕刻、看護師がやって来「Tさん、「ペ○ス」の洗い方を教えますね。紙パンツを下げてトイレに腰掛けてください。尿道カテーテルを挿入していると、尿道壁とカテーテルの隙間から尿が漏れるし、血尿も混じります。それが「ペ○ス」の回りに付いて汚れます。匂いも出しますから、洗いましょう。(彼女、お湯の入ったペットボトルを片手に持ち、摘まんだ私の「ペ○ス」にそれを掛け,優しく汚れを落としてくれました)こうしてお湯を掛け、少しずつ流していきます。血糊などを流したらこのペーパータオルで拭いてください。はい、お終いです」 うーん、プロに徹した扱いとドライの言葉遣いに頭が下がりました。 30日(術後4日目)にドレーンと点滴が外れました。ドレーンを差し込んだ穴は臍の右上でしたが、腹腔の左下まで差し込まれていて、抜く折、痛みはありませんでしたが、他の臓器に触るの感あり、とても妙な違和感を覚えました。ということでこの日以降は尿道カテーテルのみでした。シャワーの許可が出ました。「ペ○ス」の先から管が出ていて,少し始末の悪い入浴でしたが、浴びた後は自身の身体にシャンプーの香りが残り、いい気持ちでした。忽ち睡魔に襲われました。次の写真は手術痕です。 穴は全部で6つですが、右脇腹奥のところは写っていません。向かって左の穴がドレーンの刺さってあったところ。臍の上が一番大きな穴でして,切り取った前立腺はここから出しました。医師に後で聞いた話ですが、切り取った前立腺は腹腔内でビニール袋に入れ、他の臓器に触れないようにして取り出したそうです。穴は、右上のところを除き、全て縫わずに特殊な絆創膏で留めただけでした。シャワーを浴びたら絆創膏が剥がれ、瘡蓋の傷口がむき出しになりました。それでいいのだそうです。痛みは全くなく、腹筋に力を入れたら,ほんの少しの鈍痛。それも日薬、次第と消えていくのが判りました。僅かの痒みがのこりました。 大晦日(術後5日目)、昨日今日と病院内はとても静かでした。外来は数日前から年末年始の休み。入院患者も都合のつく人は正月を家庭で過ごすため仮退院のようでした。4階病棟は30人近くの入院キャパがあるようですが、数えたら10人未満でした。当直の看護師もモニアーチェックはするものの、傍目、手持ち無沙汰のようでした。病院全体が休暇モード。朝昼晩の配膳も,その担当が休みとなり,看護師がやってくれているようでした。自由に歩くことが出来るようになり、海に面した明るく広い食堂兼面会室で食事をしてもよかったのですが、そこで他の患者に声を掛けられ,話し込まれるのはちょっと・・・。と言うことで入院の間、部屋食を通しました。手術の日から暫く経つと、24時間、手持ち無沙汰となります。本は荷物になるので持ち込みませんでした。先だって書いたとおり、青空文庫を紐解きました。活字に飽くとラジコです。年の瀬の音が,世間から隔離の病室に届き、寂しいようでいて,これもいい経験、還暦を過ぎ、世事の煩雑に紛らわされず自己を見つめる時間のあることも悪くない、そう独りごちた大晦日でした。写真はこの日の昼食です。手前右の椀に蕎麦でした。年越しをしてのことでしょう。(続く)今日の一句寒烏櫟の天辺声絞る 今日の写真は尿パックです。管の上手は尿道カテーテルに繋がっています。2.5リットルの容量。8分目程溜まると,看護師が大きなプラスチック製ビーカーを持って来、中身をそれに移し,処分してくれました。
2024年01月20日
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Friday, January 19, 2024 曇り 午前7時半出社。出勤途中、パラつきました。 午前午後ともミーティングや会議。お客様もありました。睡眠時間2時間。寝不足で頭の回転が悪かったです。今日の夜も会議がありました。午後8時半帰宅。グロッキー。昨日、風呂に入りませんでした。妻はコーラスに出かけ不在。のんびり湯船に浸かりました。眠気が差しました。夕食は彼女作り置きのチャーハンとふろふき大根。缶ビール1缶プシュッとやって、燗を1本つけました。大相撲の録画を見ながらチビリ。ポートシャーロット(写真)のストレートを舐め、午後11時、バタンキュー。 書くことがないので、今日も前立腺癌の続きを以下に。 (診断確定) 12月は年4回ある株主代表会議のシーズンでした。その合間を縫っての中旬、検査結果を訊きに、病院を訪ねました。予約の時刻に訪ねると、医師曰く「Tさん、残念ながら癌が見つかりました。場所はMRI検査で特定されたところの部位です。針を20か所刺して、その一部にありました。悪性度は良性と悪性の中間です。癌は癌ですが、安心してください。治療の選択肢もいろいろありますよ。放射線や重粒子線を使ったり、ホルモン療法だったり、或いは摘出手術だったり。放射線は治療設備のある大分市の大きな病院に2週間通う必要があります。重粒子線は、福岡県の病院にしか設備がありませんし、これも幾日かの通院が必要です。お住まいが佐伯市なので,通うのは大変ですね。それにお仕事もお仕事だし。それで、どうします?ああ、手術を希望しますか。そうですよね、わかりました。それじゃぁ日程ですが、まあ、暖かくなって3月ないし4月あたりにしましょうか。前立腺癌は進行が遅く、Tさんの状況ならそんなに急ぐこともありませんしね。年度末は忙しいでしょうから、4月になってからにしますか?えっ!年内ですか?うーん、ほかの患者さんのオペが入って、厳しいなぁ。ちょっと待ってください。えーと、えーと。そうですか。12月末なら何とか押し込めるけど、うーん、それにしても年末年始、正月を病院で過ごすんですか?それでかまいません?ああそうですか。そこまで言うのでしたらわかりました。それじゃぁえーと、12月27日、病院年内最終オペということでいきましょう。手術は年末年始を休みますからね。でも本当に正月を病院でいいんですね。も一度言いますが、春になってでもいいんですよ?うんうん、ハイ、分かりました。それではと、26日入院ということで。手続きしておきますね。それでは、今日はそれを前、前立腺は骨に転移することが多いですから、念のためCT検査をしておきましょう」 私、年末の手術を希望したのには理由がありました。一つには急がなくてもよいと言われても,早いに越したことはないという思い。も一つは、年末年始は会社が休みとなり、仕事上,迷惑をかけることも少なくなるから。正月気分を味わえないことよりも、前者二つの理由を優先することが先と思い定め、病院に無理を言ったのでした。 なお、この日のCT検査結果は、幸い、転移無しでした。CTで骨に転移の有無が判るのか、ちょぅっと疑問ではありましたが。(入院・手術の説明) 診断の確定した日、医者に手術内容とリスクの説明を受けました。その内容は次の通りです。 全身麻酔で行う、手術時間は6時間、オペはロボット手術となる、ロボットの名称はダビンチ、腹に穴を6つ開ける、そこにライト、カメラや鋏、縫い針、ピンセットなど先端端子の付いた細いアームを差し入れて前立腺を切り取る、それらの操作は離れたところにある制御装置で医師が行う、手術は手術担当の医師2名、麻酔医1名、看護師2~3名が担当する。写真はそのダビンチです。手術台に横になったら、これが腹の上に被さるのでしょう。このロボット、価格は3億円位と聞きました。メンテも1回が300万円位だそうです。ちなみに,私のお世話になった病院のHP(HP)です。このリンク先にダビンチの紹介があります。 前にも書きましたが、前立腺は30g程度の重さ。小さな穴を開け、ロボットがアームを差し込み、切り取ります。問題は、前立腺の中を尿道が通っていることです。膀胱からの尿道が前立腺内を通過、「ぺ〇ス」に至ります。ということで、膀胱側と「ペ〇ス」側の尿道をちょん切らないと、前立腺を取り出すことはできません。切断部分のうち、「ペ〇ス」側を膀胱の側に引っ張って縫い付けるのだそうです。尿道は引っ張ると伸びるので、問題ないとのこと。また、両者を縫い合わせて繋ぐ作業は、ロボット手術技術としてはそれほど難しくないとは医者の弁。むしろ、前立腺が肛門近くの直腸にくっついているので、その部分を切り剥がさないといけないのだそうです。その部位は非常に薄く、難しいそうです。 なお、手術はは約30度、足の方を上げた状態で行うとのことでした。傾け、腹腔に二酸化炭素を吹き込んで膨らませ、前立腺切除の切り取り認識空間を確保するためだそうです。なるほど、ペチャっと臓器が引っ付いた状態では無理。よく考えたものです。 最後に術後の影響について。前立腺を切除すると「ボッキ」不全と失禁が生じるとのこと。後者は3カ月から半年続く者もあるけれど、9割方、収まるそうです。前者の生じる確率、元に戻る程度の説明はありませんでした。加えて大切なことは、「シャセイ」不能となることです。「セイエキ」の通り道、前立腺がなくなりますから、「シャセイ」できません。当然、「セイコウ」での妊娠能わずとなります。それでもよいですかと問われました。もうこの年ですし、妻も既に閉経。全く問題ありませんが、医師はその点を重要視、気遣い、丁寧な応対をしてくれました。若い男性(夫婦)の場合、とても大きな判断になろうことは想像に難くありません。 説明は他に入院の手続き、支払い関係、個室か否か、等がありました。病院のパンフレットがよく整理されていて、分かり易かったです。最後に入院期間は半月から二十日ほどと言われ、その日は病院を後にしました。 病院側としては、本人にだけではなく、家族にも同じ内容を説明したいとのことでした。入院前に妻を伴い、も一度、訪ね、夫婦二人そろって話を聞きました。妻は一通りをして、安心したようでした。(以下続く)今日の一句水仙のひそり咲くなり小正月今日の写真は庭に咲くフサザキスイセン(房咲水仙)です。大寒を前にほっこり。
2024年01月19日
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Thursday, January 18, 2024 晴れのち曇り一時雨午前7時半出社。終日勤務。午前7時半出社。終日勤務、午後7時、今日もUNIONとのやり取りがありました。帰宅は午前3時。病み上がりには辛いです。しかし、相手側に歩み寄ってもらい,いい結果となりました。 さて、書くことがないので、前立腺癌に至るあれこれを以下に書き記しておきます。(疑い) 昨年(2023)夏、会社の定期健康診断を受診しました。主治医をふた月に一度、血圧の薬処方を求めて受診するのですが、定期健診直後の受診にその結果を持参しました。毎年のことです。主治医のS医師、それを見て「Tさん、PSIの値が4.0、ボーダーライン(3.5)を越えているね。一度専門医を受診したほうがいい」。勧めてくれました。自覚症状は全くありませんでした。 PSIとは前立腺癌の有無を調べる指標です。指標を上回ると前立腺癌を疑うのだそうです。採血で判定されます。通常、検診の一環として受ける場合、自費となります。2千円から3千円程度ですが、自治体によっては助成があります。私は毎年の健康診断にその料金を追加していたのです。 ということでS医師の勧めで10月、佐伯市内の総合病院Nを受診。MRI、CTの両方を使い、前立腺を診察してもらいました。結果は「前立腺に癌らしき影あり」でした。しかし、その場では疑いが濃くなっただけで、診断確定には至りませんでした。総合病院Nの医師は、生検を勧めてくれました。「うちの病院でもできるけれど、生検技術は専門医の方が上だから」といい、腎臓・泌尿器の専門診療を行う医療機関を紹介してくれました。大分大学医学部付属病院と別府湾腎泌尿器病院の2施設でした。医学部付属病院は患者数が多く、急患によって診療日時の変更多しということから、後者を選びました。 11月のはじめ、ポカ休を取りました。バックの中にN医療センターの医師が用意してくれたMRI、CTのデータなど分厚い資料を持って、その病院へ向かいました。あらかじめ予約していたので、待ち時間はほとんどありませんでした。持参の資料に目通しした医師は、生検の必要を改めて口にし、検査概要を丁寧に説明してくれました。生検とは癌の疑われる部位に針を刺し、細胞を採取。それを顕微鏡で観察、判定する検査のことです。1泊2日、全身麻酔で行い、痛みは全くなしとのことでした。前立腺の大きさはピンポン玉程度、重さにして30gだそうです。私の場合、その一部に小豆大の影があるとのこと。細胞採取はその部分だけではなく、前立腺の内部と周囲全部、併せて20か所ほどの部位細胞を採取するとのこと。針を刺すところは「いんのう」と「こうもん」の間。前立腺が膀胱と「ペ〇ス」の間にある臓器だからです。その日、11月中旬に入院・生検の予約をして病院を後にしました。(生検) その日がやってきました。ポカ休を取って再び別府へ。前夜9時以降、食事を取らないよう指示がありました。勿論当日の朝食は抜き。病院に着いて、病室へ案内されました。院内着を渡され、それに着替えました。1泊ですが、入院は入院です。検査とはいえ、全身麻酔です。昼食も抜き。手術の順番待ちでした。午後2時前、看護師に促され、手術着に着替えました。膝上までの長さの前開き木綿製の羽織物でした。下はスッポンポン。最前の説明が如く「いんのう」と「こうもん」の間に針を刺すのですから当然です。続いて「浣腸します」といわれ、ベッドに横へなりました。おしりを押し開かれ、チューブを「こうもん」に差し込まれました。そろり液体の入ってくるのが判りました。僅か10秒かそこいらの処置でした。数分後、差し込みがあり、トイレに突っ込みました。渋り腹とはこのことだというような感じでした。便器に10分ほど座り、小康を得ました。トイレ備え付けのボタンを押して看護師を呼びました。すぐにやってきて排便の現物を確認してくれました。「はい、OKですよ。病室に戻ってください」。 前の患者の手術が長引いているようで、なかなか呼ばれませんでした。午後3時過ぎ、使者がやってきました。別階にエレベーターで移動しました。手術室入室には二つ扉がありました。二つ目を過ぎると別世界。スリッパを履き替え、頭にビニールを被せられました。女性が風呂に入る折、被るあれにちかかったです。すたすた前に進むと、無影燈の下に手術台がありました。縦横とも何とも狭い感じでした。私が上向きに横になって少し動けばはみ出るだろう、そのような広さでした。手術室の中はテレビで見たような器具がそこここに置かれ、広さは10m×10mほどでしょうか。広く感じました。全体の色調は少し暗い青かな。 ここで全身麻酔のことを。私が検査入院した病院は、専門医5人と麻酔医1人がスタッフのようでした。手術前、麻酔医からも丁寧な説明がありました。全身麻酔の投薬は手の甲の血管から入れる、呼吸が止まるので気管に管を入れ、人工呼吸の措置をとる、リスクは低いがあれこれの副作用あるかもしれない、その詳細まで詳しく聞かされました。最後に説明同意のサインを求められました。勿論、こちとら俎板の鯉です。サラリ、名前を書きました。 「Tさん、それでは麻酔、いきますよ。すぐ眠くなりますよ」。 途端、針を刺した左手甲からサーッ、冷たい感じの感覚が左半身に広がり始めました。それが最後でした。 「Tさん、わかりますか?」その声に意識が戻りました。午後6時ごろの病室ベッド上でした。痛みは全くありませんでしたが、尿道に違和感がありました。「ぺ〇ス」の先から膀胱へ向け、尿道カテーテル(ビニールの管)が差し込まれていました。加えて、左手甲に点滴の注射針が刺さっていました。その晩はカテーテルの為、尿意は無く、目の覚めたりうとうとしたり。スマホでアマゾンプライムの映画を見る余裕がありました。夜中、時折、当直の看護師が覗いてくれました。 一晩だけの検査入院ということで、4人部屋に入ったのですが、数年前に開院した病院ということで病室が広い。これまでのイメージの倍の広さがありました。夜中、イヤホンをつけてスマホをいじりましたが、同室、隣のベッドは同日、私の前に手術を受けた方でした。術前、随分重い病気を抱えていると本人に聞かされていました。術後、戻ってきた彼は一晩中痛みにうなされていました。 明け方、私の体から出た尿の色合いを見て(尿道カテーテルの先に目盛りの入った2.5リットルのビニール容器がついている)「はい、Tさん、抜きますよ」私の「ぺ〇ス」を摘まんで、ぬるり、カテーテルを抜いてくれました。その折、一瞬ですが、膀胱から尿道にかけてのところに疼痛が走りました。その足でトイレへ向かいました。尿が正常に出ることを確認。「しばらく血尿が混じります」といわれ、退院のOKがでました。 支払いは60ラーほどでした。クレジットカードを忘れ、近くのコンビニでキャッシュを引き出して病院に戻りました。恥ずかしかったです。 さて、生検の検査結果は12の月初め、ポカ休を取るわけにもいかず、土曜日のこととなりました。その内容は後に回すとして、生検後の経過について、付け加えておくことがあります。 20か所ほどに針を刺しましたが、痛みはほとんど残りませんでした。ただし、血尿が10日ほど続きました。最初は鮮血が混じりましたが、次第に赤黒くなり、時間の経過とともに薄くなりました。それはそれとして、「せいえき」です。なんと、「しゃせい」の折も鮮血交じりなのです。通常、「せいえき」は白濁です。驚きました。「しゃせい」の回数を経るごと、乾いた血糊のような色合いになり、これも10日ほどで正常の色合いに戻りました。精嚢から供給される「せいえき」も前立腺を通し、尿道に入り、「ペ〇ス」の先から出ます。前立腺に針をぶすぶす刺したのですから、これに血の混じるのは、当たり前と言えば当たり前でしょう。 とまあこんな日を過ごして検査結果の日に至ったのでした。(続く) 今日の写真はUNIONとの交渉前に食べたホカ弁のチキン南蛮弁当です。意外といけました。
2024年01月19日
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