2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全19件 (19件中 1-19件目)
1

今日は何年かぶりに映画見に行ってきました RAILWAYS 「大人が夢見てもいいんですよね」 49歳で電車の運転士になった男の物語 49歳の超一流会社のエリートサラリーマンが、母の病気を期に、自らをリストラして故郷に 帰り、子供の頃の夢だった運転手になって夢を実現する物語。 (詳しくはこれから見られる方には迷惑だと思いますので略)久しぶりに劇場に足を運ぼうと思ったのが Bigmouse7836さん のこの記事でした 出雲に最初に訪れたのが高校を卒業して、就職した会社の慰安旅行でした。 その後、偶然にも出雲の斐川町に遠い親戚もできて現在まで4回ほど訪れています。 雄大なスケールの出雲大社・日本一美味しい蕎麦・長閑に広がる田園風景 etc ここ5年ほど出雲に行くこともなっかたのでBigmouseさんの記事で懐かしくなるとともに 鉄道ファンでもありますので是非50系デハニの電車が見たいとの思いで劇場に足を運び ました。 映画の方は兎も角 電車と出雲の田園風景 タップリ楽しませていただきました 50系デハニ53・・・・こんな電車です こんな電車 知ってました なにが 何が 現在、走っている電車との違いわかりました 手動の扉 がついているんですよ yamatoの子供の時代はこんな電車でした。 一畑電鉄でまだ走っているんでしょうか 走っているのなら乗ってみたいと思います Bigmouseさん 「ばたでん」で走っているんですか 映画の方は、 夫役が中井貴一さん、妻役が高島礼子さん、 娘役が本仮屋ユイカ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ こんな美形家族って何処にいるんだ 関西風のツッコミで終わります。
2010.05.31
コメント(10)

犬山城の記事に ブロ友のガリちゃんさん からこんなコメントいただきました この城には成瀬のお姫様がまだ住んでらっしゃいますよ! 潤子さん なかの倉庫を改造したお部屋で暮らしてらっしゃいます、 電通にお勤めのOLさんです。 お店をやっていたころのお客さんでした。 お姫様にお会いできるかも早速調査開始 HITしました 成瀬 淳子氏 財団法人「犬山城白亭文庫」 理事長 (お名前のじゅんの字は潤と淳の違いはありますが、この方に間違いない) 2004年に成瀬家の所有の犬山城を譲り受けたのがこの財団法人「犬山城白亭文庫」 この財団法人のHPから 成瀬 淳子理事長(成瀬家 13代目) 毎日新聞のインタビューから抜粋父が50歳を過ぎて病気になり、私は、お城の相続の問題を考えると、伝来の文物を売ってお金を工面するしかない。でも、文化の流出につながる事態は避けたかった。それが犬山城を守ることにつながるとは思わなかった。また国宝は個人の意思の働かないところにあるものとも思いました。維持は大変で、成瀬は明治以降、お城にお仕えしていたようなものです。お城の管理について、当初は行政と埋めがたい溝があると感じましたが、成瀬家には「所有者」という意識が強すぎた面もあったのでしょう。財団設立のためには「城主」の顔が見えないようではダメだという声も聞き、「私が一生かけてお城をお守りします」との気持ちで、犬山に移り住みました。 自分の小さな家を守っていくのも大変なのに、お城を個人で所有し、維持・管理して行く苦労は想像を絶するものがあります。多くの文化財はこうした先人のご努力で残されているんでしょうね。犬山城、近いうちに訪れてみたいと思っています。ひょっとしたら お姫様にお会いできるかも
2010.05.30
コメント(6)

日本全国には復興天守、模擬天守は多数ありますが現存する木造天守は12しかありません。 国宝指定が 4城 姫路城・松本城・彦根城・犬山城重要文化財指定 が 8城 弘前城・丸岡城・備前松山城・松江城・松山城・丸亀城・宇和島城・高知城 現存天守12城のなかでも 最古の城といわれているのが「犬山城」 犬山城 愛知県犬山市犬山北古券65-21537年、織田信長の叔父織田信康によって木之下城より移築されたといわれています。以降、池田恒興・織田信雄(信長の次男)など城主はめまぐるしく変わりましたが江戸時代になり尾張徳川家の重臣成瀬家が1617年に拝領。その時改修された天守が現在に残っている。幕末まで成瀬家が所有していたが、明治4年、廃藩置県で愛知県の所有となり、天守以外のほとんどが取り壊された。 明治初頭の犬山城明治24年 濃尾地震で天守が半壊その後 明治28年に修理を条件として愛知県から旧藩主の成瀬家に譲与され、成瀬家と犬山町民の手で修復されて 昭和10年国宝に指定された。 全国唯一の個人所有の城として保存されてきました。国宝指定当時の犬山城(昭和10年) 2004年4月 財団法人「犬山城白亭文庫」に譲渡されました。yamatoはまだ訪れたことのないお城ですが、数奇な運命を辿った城是非、行ってみたいと思います (写真はいずれも Wikipediaより)
2010.05.29
コメント(7)

日本各地にあるお城の中で、国宝に指定されているのが四城あり国宝四城と呼ばれています。 姫路城・松本城・彦根城・犬山城。 四城のうち、姫路城は世界文化遺産にも登録され、別名を白鷺城ともいわれる美しい姿で観光客の人気を集めています。大天守と呼ばれる「天守閣」は、勿論国宝ですが、この地階に日本でも一つしかない国宝があります. 姫路城 大天守地階 「 厠 」 厠とは、奈良時代から使われている便所の別名で、トイレのことです。写真は、社団法人姫路観光コンベンションビューローよりyamatoのブロ友の皆様は、いずれもお若い方なので、こんな便所はご存知ないと思いますが yamatoの子供時代はこんな便所でしたよ。 はね返りをかわす為(意味分かりますかね? お尻を前後左右に微妙に動かしながら 用をたしたものです。
2010.05.27
コメント(8)

昨日の国宝「七支刀」特別公開を拝観して、興奮冷めやらぬ状態のyamatoなんですが・・・・・・・・実は全国に数多くある国宝の中で一番見たいと思っているのが(財)福岡市文化芸術振興財団発行 ポストカードよりWikipedia Commons より 1784年に筑前国(現在の福岡市)志賀島で野良仕事中の農夫が拾った 「漢委奴国王印」 (かんのわのなのこくおういん)。中国の「後漢書」の中に、正暦57年、後漢朝の光武帝が奴国の王へこの金印を送ったとされています。 1931年に国宝に指定されています。 yamatoが金印を見たい理由は この漢委奴国王の金印のほかに、『魏志倭人伝』にはもうひとつの金印が日本に 伝わったという記事があります。 239年、邪馬台国の女王であった卑弥呼が魏の都へ貢ぎ物を贈ったことにたいして 授けられた金印です。 「今汝を以て親魏倭王(しんぎわおう)と為し、金印紫綬を授ける」とあります もし親魏倭王(しんぎわおう)の金印がみつかったら、(もし、たらの話ですが) そこは、現在も結論がでていない邪馬台国の発見ということになることでしょう。 最近になって邪馬台国の有力な候補地になりつつある大和桜井市の 「纏向遺跡」・・・・・きっとここから発見されるでしょう (その時に備えて「漢委奴国王印」を見ておきたい)邪馬台国=大和説論者のyamatoの妄想かも(いや~~そんなことはない)
2010.05.25
コメント(6)

朝、目覚めると しかも 凄い雨 (木曽路の旅から続いて天気に恵まれず・・やっぱりyamatoが雨男) 一緒に拝観する予定だった妻から一言。 「私は行かないから 貴方だけどうぞ」 今回見逃したら、再び見ることができないかも 強く決意して 集合時間の5分前に到着。 集まった物好きは約20名 最初に拝殿で正式参拝した後、ボランティア(天理大学の学生)から 拝観時の細かい注意がありました。 公開場所(長正殿)に案内され、七支刀について詳しく説明いただきました。 ガラスケースに入れられた七支刀は、想像していた以上に綺麗で、正直驚きました。刀に刻まれた銘文も読むことができました(意味は分りませんが) 予定時間の1時間、瞬くまに終了しましたが充実した時を過ごせました 撮影禁止でしかも大雨 写真はありません。 過去の写真を利用して 石上神宮を紹介します。 石上神宮(いそのかみじんぐう) 祟神天皇の時代の創建で大和を代表する古社。 古代には大和朝廷の武器庫「天武庫(あめのほくら)」があり、厖大な武器が豪族物部氏 により管理されていました。 石上神宮には国宝が三つあります。 特別公開の神武天皇の東征の際に力があった神剣、 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ) 「これが 国宝 七支刀」 (写真はありません) 鎌倉時代の建築で神社建築では最も古いものの一つと言われている 入母屋造、檜皮葺き拝殿。 境内には最古の割拝殿の様式を持つ、摂社 があります。 出雲建雄神社 こちらも国宝です 雨も少し小止みになってきましたので、お守りでも買おうと社務所を覗いてみました。 お守り売り場に 七支刀がありました その証拠がこの写真(これは本日の撮影です) 自宅に帰ると雨はすっかり止んでいました。 雨男 確定の1日でもありました
2010.05.24
コメント(5)

今日の毎日新聞・奈良版 天理市布留町の石上神宮で、国宝・七支刀の特別公開が始まった。平城遷都1300年を記念し、6年ぶりの一般公開となる。6月11日までの平日に事前に申し込んだ約3000人が拝観する。申し込みはすでに締め切っており、全国から歴史ファンが訪れている。 (以下 省略)七支刀の薀蓄 左右交互に6つにわかれる形から、六叉の鉾とも呼ばれておりその刻まれた銘文より369年に作られ百済から献上された貴重なもの。 神宝として非公開になっていますので、山辺の道の起点となっている神社ですのでyamatoもよく訪れていますが、今まで拝観したことがなかった・・・ が・・・・・・・・・ 2倍の倍率のなか、見事に当たりました天気予報では激しい雷雨とか 雨にも負けず・風にも負けず・・・・・・元気に行ってきます 【ご注意とお願い】1:略2:略3:正式参拝をいただきますので、ジーンズ、Tシャツ、運動着、作業着 短いスカート、サンダル等の軽装、派手な服装は遠慮願います。 (お願いではなく断定ですが 着ていくものがあるかな~~)4:拝殿内や特別拝観場所での撮影は固くお断りします(やっぱり) 従って七支刀の姿をお見せするのは不可能(残念です)従って七支刀の姿をお見せするのは不可能(残念です)実はyamatoは以前に一度だけ七支刀を見たことがあるんです。 (但し、石上神宮所蔵の刀ではなく、韓国の国立扶余博物館で)写真はありませんが ネットで探して参りました。 これはレプリカです。 明日は本物を見てきます。
2010.05.23
コメント(6)

最初に野沢温泉に行ったのが、1971年(多分、昔のことで正確でないかも?)それ以降は年末の30日~3日まで、高校時代の友人5人とスキー合宿の時間よりの時間の方が長かったかも それ以降、約15年間、民宿のおばさん達には本当にお世話になりました。 おばさんには、本当の息子のように可愛がっていただきました。 1986年の参加を最後に、海外に転じたため交流も途絶えていましたが今回の旅行を計画する時、当時のことを思い出し、できれば逢いたいという思いから、野沢温泉民宿協会にして情報をいただき、今回の再会となりました。 翌日(16日)は、ご自宅を訪問し(民宿をされていた建物はなくなっていました)て懐かしい昔話に花が咲き楽しい1日でした 昔の仲間と一緒に野沢を訪れることをおばさんと約束。 (責任重大・・・10月の同窓会で会った時に提案します) 野沢温泉といえば、スキーの発祥地・野沢菜の発祥地として有名ですが もう一つ、全国郷土玩具の東の横綱といわれる「鳩車」も有名です。昔は我が家にも飾ってあったのですが、現在はありません。 今回は是非買って帰ろうと思い温泉街を歩いてみました。 旅館「さかや」の玄関にあった巨大な鳩車 鳩車を作っておられる方は少なくなり、現在4人しかおられないとか、しかも製作過程が分業になっているらしい、おばさんに話すと、最初から最後まで一人で作っておられる方を紹介していただきました。 注文を聞いてから製作するため、1ヶ月はかかるとのことでしたがお願いをしました。 ちょうど 旅から一月 そろそろかな~~ と思っていたら 先日、息子さんからメールが届きました 「父が転倒して骨折入院しています 退院は6月になる予定です。 ご注文いただいた「鳩車」をお渡しするのが遅くなりますが いかがいたしましょう キャンセルでも結構ですが、ご迷惑おかけします」 キャンセルはいたしません。 いつまでもお待ちしています 最後に「夫婦鳩」の写真をUPして今回の旅の報告を終りたいと思っていたのですが、諸般の事情により断念 4月17日 同行したご夫人を長野駅でお見送り(新幹線で横浜へ)した後中央本線(特急信濃)で夫婦二人で仲良く帰ってまいりました。 ちなみにこの日は、旅行始まって初めての 普段の行いの悪いのは誰だ~~~~ やっぱり yamato なんでしょうかね 永らくのお付き合いありがとうございました
2010.05.22
コメント(2)
善光寺参拝を終え、100円バスでJR長野駅へ長野駅16時41分発 JR飯山線の列車に乗り込み、野沢温泉の玄関口戸狩野沢温泉駅に到着(17時半)。 (余談ですが、以前長野駅に来た時には、仏閣形駅舎だったと記憶しているのですが その面影はすっかりなくなっていました。新幹線ができた時に変わったのかな)戸狩野沢温泉駅からはバスで20分で野沢温泉に到着。 バスの停留所には、懐かしいおばさんが 25年ぶりに見るおばさんの顔は当時のまま (すでに85歳)を過ぎておられるのに元気いっぱいでした。 バス停には、おばさんの息子夫婦やお孫さんにも出迎えていただきました。息子さんご夫婦は、お世話になった当時の民宿を経営されていた、私と同じぐらいのご夫婦です(夜は一緒に騒いだ仲間でもあります)お孫さんの男の子(といっても彼もすでに35歳)、彼が生まれた時から知っており、最後に会ったのが10歳の時、あれから25年立派に成長されていました。 現在は、時代の流れで民宿も止められてお世話になることができないのが残念でした。 バス停の立ち話は寒~~い (この日は4月だというのに雪がちらちら)翌日の自宅訪問を約束して、紹介していただいた旅館にチェックイン。温かいお風呂に入浴・・・美味しい野沢菜の漬物で 最高に幸せでした 次回は最終回になります、もう少しお付き合いください
2010.05.21
コメント(6)

暗闇の世界から明るい世界へ 大勧進・大本願・雲上殿・忠霊殿・六地蔵と濡れ仏・延命地蔵尊 鐘楼など 善光寺は見るものがいっぱいで、とても半日程度では 無理 今回は「極楽」への切符をいただいた事に満足して 次の目的地「野沢温泉」に向うため長野駅に 善光寺と仲見世で見かけた面白いもの善子(ぜんこ)と光子(こうこ)の親子牛・・・流石(牛に引かれて善光寺) 善子(よしこ)と光子(みつこ)・・・・・・普通でした。どこかで見たような 奈良で活躍中の「せんと君」によく似ています。 作者が同じ人かも 山門の前の八幡屋礒五郎とお土産の唐辛子。 善光寺といえば唐辛子とか どうしてなんでしょうね。八幡屋礒五郎で見かけた Kit Kat チョコレート。 信州版もっこりんごも店頭に。 善光寺限定QPもありました. お土産店の看板娘もお出迎え多くの参拝客で賑わう仲見世でこんな物を発見しました。 (ここからは18歳以下の方及び H画像がお嫌いな方はご遠慮ください)yamatoの行く所には (決して探しているわけではありません) お寺さんの門前にこんな不謹慎な・・・・店の方の説明では 招き 仙台四郎さま といって 大事なものが出ちゃっていますが、気にしないでお祀りすると 商売繁盛・家内安全・大願成就を世の人々に必ず福をもたらします。 これは、是非購入しなければ・・・・・・ 「時間がないから 早く行きましょう」 冷たく。 つ づ く
2010.05.19
コメント(6)
善光寺の「 お戒壇めぐり」を知ったのは、 直木賞作家の坂東真砂子さんの作品 「狗神」の冒頭にこの善光寺の お戒壇巡りの事が書かれていました。 ”鼻をつままれてもわからない” ”ちょっとした幽霊屋敷” ”暗黒に浮いている” というように書かれていて、暗闇の恐怖というのを一度体験したいと 以前から思っていました。 内陣の右手を進むと、お戒壇めぐりの入り口があります。 入り口には、「右手で、腰の高さに壁をなでて・・・」などと案内板があります。 この入り口は階段を下るようになっており、この段を下るとお戒壇めぐりのスタートです。 真っ暗闇の中を、右壁に手を付いて伝いながら歩きます。 誰かに足を踏まれたり、何かに躓いて誰かの身体に触れたり(ごめんなさい) その距離約45メートルあり、真っ暗闇ですから相当長く感じます。 しっかりと右壁に手を置きながら歩いていると、ご本尊の下あたりで極楽の錠前に 触れることができました。 ごの錠前(鍵)に触れることで、極楽浄土行きが約束されるのです。 yamatoも無事 錠前にタッチ 何年か先の・・・極楽浄土行きが決定です 同行のお二人も無事錠前にタッチ・・・極楽へどうぞ暗闇の世界から 明るい地上へ・・・・・極楽かも
2010.05.17
コメント(8)

4月15日(木) 曇 気温が1度とか・・・寒~~い朝の目覚めです。 今日は善光寺を目差します か どちらにするか検討。 やっぱり中央本線の旅にしました。 JR奈良井駅は特急も停車しないので、のんびり鈍行列車の旅を 楽しむことにしました。 JR奈良井駅発 11:42分発の電車に乗るため奈良井駅へ 駅舎は、人の乗り降りも少なく田舎の風情がある駅でした。 (カメラが無いのが残念) やがて列車が到着・・・・・長野駅までの約2時間、木曽路の3日間の 旅の話で盛り上がりました。 長野駅到着。 yamatoは、電池を買いに猛ダッシュ (テックランド長野本店で無事購入) この間、お二人は長野名物「おやき」を食べておられました さあ~~ 「牛に引かれて善光寺詣」です。 (今回は美女二人に連れられてということですかね) 善光寺にお参りする前にちょっと薀蓄を 牛に引かれて というのはどんな意味があるのか 調べました。 その昔、信濃の国の小県郡(ちいさがたのこおり)に、欲張りで信仰心に欠ける老婆が住んでいた。もちろん善光寺詣でなど考えたこともない。その日も、彼女は、お金を儲けようと、川で布をさらしていた。すると突然、牛が向かってきて、さらしていた布を、角に引っかけて、一目散に逃げて行ってしまった。彼女は、大事な布を持ち去られてはたまらないと、牛の後を追いかけて行く。やがて気がついてみると、善光寺の境内まできてしまっていた。以後、この強欲で信仰心に欠けていた女性にも、信仰心が芽生えたという話である善光寺は一切衆生救済の寺 善光寺が創建されたのは飛鳥時代の642年のこと。まだ宗派が発生していない時代だったので、善光寺は今でもどこの宗派にも属していない。だからこそどんな宗派の人でも、男女の差別もなく、等しく利益がある。 (旺文社 ことりっぷ 小布施・長野より) 江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されている本堂。 つ づ く
2010.05.16
コメント(2)

4月14日 妻籠宿の観光を終え、次の宿泊地奈良井宿へ。 妻籠宿には、JR中央線の駅がありませんので、近くの南木曽駅へバスで向かいます。 南木曽駅舎の写真を撮ろうと、デジカメを構えてシャッターを押そうとしたらトラブル発生・・・・・デジカメの電池が~~~~~~ 本日、写真は無しです南木曽駅から向うのは上松駅へ 寝覚の床 木曽川の激流が長年にわたり花崗岩を浸食した、奇岩の数々絶景でした。 この「寝覚めの床」の由来は浦島太郎の伝説から来ていると言われているそうです。現世に戻った浦島太郎が知人を探して諸国をさまよい、住み着いたのがこの地だという。 浦島太郎はここでお土産に貰った玉手箱を開くと、中から煙が一瞬にして300歳の老人に。全国にある「浦島伝説」がここにも 寝覚の床の観光を終え、次に目差すのが宮ノ越宿 現在は昔の街道筋の面影は無く、どこにでもある農村地帯の風景でした。今回の訪問はyamatoの強い要望で実現しました。 この地は、木曽義仲と愛妾・巴御前のゆかりの史跡が多く、歴史ファンのyamatoが一度は訪れてみたいと思っていた所でした。 義仲が旗揚げをした「旗挙神社」や義仲・巴御前の資料が展示されている「義仲館」を見学。最後は義仲と巴御前が眠る徳音寺の墓前に 宮ノ越宿から奈良井宿へ 奈良井宿は木曽路にある11宿場町でも最も繁栄した宿場町。1kmに及ぶ町並みには多くの伝統的な家屋が軒を連ねています。 奈良井宿・馬籠宿・妻籠宿は、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、200年にも及ぶ昔の姿をとどめている貴重な宿場町。 今回、45年ぶりの木曽路の再訪、時の流れを強く感じました。 住民の皆さんの大変な努力の中の景観保存、頭が下がる思いでした。4月のこの時期は、観光客も想像していたよりも少なく、昔を偲ぶことができました。夏には多くの観光バスが行き来して大変な混雑になるようです。 できれば何時か叉、来てみたい そんな思いの木曽路の旅でした。 木曽路の旅は終りましたが、今回の旅行の次の目的地「善光寺」「野沢温泉」への旅ご迷惑でしょうが 続きます。 明日は長野市内で電池を購入して、写真を撮りたいと思っています。
2010.05.14
コメント(4)

4月14日(水) 晴れ 朝、寒さに震えて目覚めました。この時期の気温が2度となるのは、妻籠でも珍しいとのことでした。2階の障子を開けて外をのぞくと、宿場町は四方を山に包まれている。宿場をつらぬく中山道に目をうつすと、旅芸人や旅人たちで賑わった昔の面影が偲ばれる。 当初の予定では、今日は薮原宿から木曽路の最北端奈良井宿を歩くつもりでいましたが・・・・・昨日のハイキングの後遺症の筋肉痛叉、宿屋のご主人からの「薮原から奈良井の道は、鳥居峠を越える道はいました木曽路の中では最高の難所です」との情報もあり、ハイキングは断念 バスを乗り継ぎながら今日の宿泊地奈良井宿に向うことになりました。 朝食を終え、妻籠宿の散策。曲げ物、お椀、下駄、民芸品「お六櫛」、笠、竹細工、ワラ草履などを売るお店や、名物「栗きんとん」、蕎麦などが食べられるお店が街道に並んでいます。 ちょっとお店巡りを 民芸品 「木曽馬」お買い上げとくれば 銘酒 「七笑」 お買い上げさらに物色中 脇本陣・光徳寺・妻籠宿本陣跡・白木番所跡などを見学。妻籠宿とお別れする前に女性軍に連れてこられたのが茶房&菓子輔「ゑびや」さん・・・・・目的は 名物「栗きんとん」を楽しく賞味されておりましたがyamatoは、例によってパス。 お茶だけいただきました つ づ く
2010.05.09
コメント(5)

妻籠の町は狭い街道をはさんで、昔ながらの家並みが続く。 手を伸ばせば2階建ての家の軒に届きそうな低さで、手作りのワラジが 軒下にばらさがり、カラカサが広げたままかげ干ししてある光景が目につく。 (ちょっと 紀行文風に 妻籠宿の紹介でした) 今回宿泊させていただいた民宿「いこまや」のご主人に聞かせていただいた話によりますと妻籠部落では、昭和43年から全国でも珍しい宿場全域を保存しようという運動が盛り上がり最も昔の姿をとどめていた民家の解体、復元、修理をしたり、さらに、街道筋の電柱も撤去。 前回、訪れたのが昭和41年のことですので、当時からそんな計画をあったことに驚きです。そんな住民の方々の大変なご努力もあって昭和51年に 重要伝統的建造物群保存地区に認定されています。 (現在、38都道府の86地区が選定されています)私の住む奈良県にも橿原市今井町と宇陀市松山の2箇所がありますが、皆様のお近くにもきっと保存地区になっている所があると思います。 昔の面影を残す古い家並みいつまでも残って欲しいと強く思いました。 馬籠から妻籠のハイキング・・・お蔭様で天気にも恵まれ、無事完歩。お風呂にゆっくり入り、美味しい夕食をいただいた後は、疲れた身体に鞭打って・・・・・ハイカーからマッサージ師に変身足の疲れから手の疲れに ちょっと 表に出て 夜の妻籠宿の風景を1枚つ づ く
2010.05.08
コメント(6)

峠の茶屋で一息ついた後、妻籠に向かって歩き始める。ここから妻籠までは約5kmの道のりであるが,ほとんどが下り勾配で景色を楽しみながら楽に歩く事ができると、案内パンフレットに書いてありました ところどころに石畳みの道が残り,木漏れ日がとてもやさしい。しばらく歩いていると外国人の女性ウォーカーに出会いました。 「Hello」 「こんにちは」 「Where are you from?」 「アメリカから来ました」流暢な日本語でyamatoの拙い英会話は必要なかった アメリカの大学で日本人の教授から藤村の素晴らしいさを教わりその後、すっかり藤村ファンとなったとのことでした。外国の人がこういう日本を体験してくれるのがすごく嬉しかった。 「Nice talking to you. Take it easy」 「ありがとう。お元気で」 英語は必要なかった 程なく「男滝女滝」の看板があったので, ちょっと寄り道をして谷間に下りる。緑の木立の中に2つの滝があった。なんとなくひんやりとした空気の中で疲れがとれていくような感じだ。しばらく滝を眺めた後、中山道に戻り妻籠に向かう。 ここまでで、約3時間半経過。 残り3Km余り、1時間で妻籠宿に到着予定。 少し歩くと大妻籠の集落に出る。遠くの家並から立ち上る煙りになんとなくほっとする。 妻籠宿に到着 現在の時刻 は午後4時、所用時間4時間30分。予定通りでハイキング終了しました。朝から我慢したビールを飲みながら、心地良い風を頬に受けて、最高に幸せな1日でした。 妻籠宿も馬籠宿と同じ様に古い宿場町が保存されているが,馬籠宿は整備され過ぎて,いかにも観光客を当てにしているといった感じがするのに対して,妻籠宿は昔の面影を強く残している姿に感動しました。 つ づ く
2010.05.07
コメント(1)

45年ぶりの馬籠宿に別れを告げ 今回の旅行の目的の一つ中山道ウォーキングの始まりです。いただいたマップを頼りに馬籠から妻籠 約8km ,通常3時間の距離を4時間かけて歩く予定。(正直歩けるのかなぁ~と不安もいっぱい) さて、いよいよ中山道だ 馬籠峠までは登り道がえんえんと続く、流石に馬籠宿の町中とは違い雑草が生い茂り少し荒れているようですが、昔に比べると格段に整備されている。 そのまま進むと途中で石畳の道は途切れ、集落の道へと合流した。家も何処となく古めかしいのでそれらを見ながら登った。急な登り坂を登って行くと、十辺舎一九の大きな碑とともに休憩所があり、 「渋皮の むけし女はみえねども 栗の強飯ここが名物」と刻まれていました。 坂道を登り続けること、約1時間。標高801mの馬籠峠へようやくたどり着いたら、峠の茶屋が1軒建っていました。平成の大合併で馬籠が中津川市に入り、ここが長野県と岐阜県の県境となった。峠の茶屋で小休止(大休止かも) このブログを書くために、45年前の日記を探し我が家の倉庫を大捜索、懐かしい日記ついに発見しました。読み返してみると、民宿も少なく、勿論お金もない高校生。大きいリックとテントを背中に背負いながら歩いたようです(よく覚えていませんが)馬籠から奈良井まで11宿 88Kmの道程を5日間で走破。 若さなんでしょうかね 快調 快調 書き込みが現在、馬籠から801mの馬籠峠の頂上に登りついただけで足はパンパン・・・・・・・ 45年の時の経過を強く感じました ここから妻籠宿まではず~と続く 下り と喜んではいられない。 登りよりも下り坂の方がきついとかいいますよね。 途中の道、桜の花が満開でした 頑張りますつ づ く
2010.05.06
コメント(1)

4月13日(火) 曇のち 晴 朝、小鳥の鳴き声で目覚めて、窓の外を確認・・・・・・幸い雨は降っておらず、今回の懐古旅行の最大の目的である馬籠宿妻籠宿のハイキングができそう、思わず。 今日の予定、午前中は「島崎藤村記念館」の見学と、永昌寺での藤村のお墓参り。そして午後からハイキングが始まります。 荷物はどうするんですか?と旅行の前に妻に確認すると 「大丈夫 馬籠から妻籠へ 荷物の配送サービスをしてくれます」とのことでしたが・・・・名古屋駅の待ち合わせ場所に続く問題が・・・・・・ 昨晩、旅館に確認すると「この時期は土・日・祝日のみのサービスになります」 え~~~ キャスター着きの旅行カバンを引っ張ってハイキング 大きな声では言えないが (しっかり確認をしろ)無理を言って、配送していただくことになりやれやれ一安心。 朝食を終え、藤村記念館へ。島崎藤村は馬籠の庄屋を務められていた旧家の生まれ。生家跡は「藤村記念館」として整備され公開されています。 館内には多くの自筆原稿や書簡などが収められ藤村ファンが沢山詰めかけています(我が妻もその一人です)。 残念ながら 館内は撮影禁止有名作家の原稿を見るのは楽しい。筆跡、原稿用紙の使い方、推敲の仕方それぞれに特徴があり、活字になった作品からは知ることのできない作家の性格を勝手に想像できる内緒で一枚だけ・・・すみません見学を終えて藤村の眠る 永昌寺へすっかり綺麗なお墓になっていました。一番右端にある島崎春樹(藤村の本名)のお墓が藤村のものです、合掌 墓参を終え ハイキング出発です。ちょっとその前に 腹ごしらえ(腹が減っては戦ができぬ)ごへい餅と信州蕎麦の昼食 つ づ く
2010.05.03
コメント(2)

半世紀の時を経て「馬籠宿」のそぞろ歩き急な登り道の続く、道の両側には石垣を積み、池を作って鯉を飼う家や軒庇の深い家々が並ぶ。 45年前当時は、この坂道はたしか石段の道だったように思います。現在はすっかり改修され車の通行もできるようになっていました。 時代の流れと共に、すっかり昔の面影がなくなったのは些か残念。 (たまに訪れる観光客の戯言とご容赦ください) ふと、気がつくと周囲はっすっかり夜の帷・・・・・・・・今夜宿泊させていただく 民宿 「但馬屋」さんの玄関にも灯りが 檜の香りがするお風呂に入浴、すっかり身体も温まり、さあ~夕食です。食卓には、岩魚の甘露煮、ニジマスの刺身、馬刺し、山菜の天ぷらなどの珍味がいっぱい。 いずれも絶品でした 夕食後、同行のお二人は同宿した方々と「島崎藤村」について熱く語り合っていました。 その横で、yamatoは 岩魚の骨酒 熱燗で 旨かった山里の夜は早い、明日の天気の回復を祈りながら、午後10時就寝ようやく1日目終りました、なかなか進まず申し訳ありませんがお付き合いよろしくお願いします。つ づ く
2010.05.01
コメント(4)
全19件 (19件中 1-19件目)
1


![]()