「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2011.02.03
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カテゴリ: クロアチア
ヤコブ大聖堂の屋根の上には、3体の聖人が祀ってあります。聖ミカエル・聖ヤコブ・聖マルコだそうですが・・・あちこちの美術館や教会でお会いする割には、どんな方なのか分からずに旅してしまった事に反省し・・・改めて調べてみました♪


           クロアチアの【世界遺産】シベニクのヤコブ大聖堂
CIMG2782.jpg


           屋根の上には、3人の聖人が・・・おります。
CIMG2817.jpg
           聖ミカエル・聖ヤコブ・聖マルコの像



           聖ミカエルについて→ ポチ

           聖ヤコブについて→ ポチ







                                 ・・・・ウィキペディアさま参照・・・

              福音記者マルコのイコン

福音記者マルコのイコン.jpg
              キジ島(18世紀初頭)

福音記者マルコ


イタリア語  San Marco Evangelista


英語   Mark the Evangelist


新約聖書の


『マルコによる福音書』の著者とされる人物





マルコスというのは


ギリシャ名としては


一般的なものであり


また同書の中には


筆者の名は直接には記されていないが





パウロの書簡にたびたびあらわれる


マルコなる人物を同一人物と考え


福音記者とみなしてきた


聖人の概念を持つ全ての教派で


聖人として崇敬されている



記録と伝承

『福音記者マルコ』


エルサレムの住人であった


マルコの名前がはじめて現れるのは


『使徒行伝』であり


天使によって牢獄から解放されたペトロが


「マルコとよばれるヨハネ」の家に行ったという記述である


ヨハネ(マルコ)は


パウロの最初の宣教旅行にバルナバと同行したが


パンフィリア州から一人エルサレムへ帰ってしまった


パウロはこのことを根に持っており


第二回宣教旅行では


パウロがマルコの同行を拒否して


バルナバと喧嘩別れしてしまう


マルコは


結局バルナバと共にキプロス島へ向かった


これは西暦50年頃のことと推定される


使徒行伝では


マルコについての記述はここで終わっている


一方


『フィレモンへの手紙』では


協力者の一人として


パウロはマルコの名前をあげている


獄中書簡である『フィレモン』の


成立時期は一般に上述の事件よりあとと考えられており


ある説では


決別とフィレモンへの手紙の間に


パウロとマルコが和解したと考える


また


パウロの書簡かどうか説が分かれている


『コロサイ人への手紙』では、


「バルナバのいとこ」マルコが


パウロの協力者として挙げられている


また


マルコは


伝承によれば


アレクサンドリアの教会の創建者であり


正教会(ギリシャ正教)と


コプト正教会(非カルケドン派)の両派で


初代アレクサンドリア総主教とされている



『マルコ福音書』とその筆者問題


(詳細は「マルコによる福音書」を参照)


教会の古い伝承は


マルコが


ペトロの通訳であり


ペトロから聞いたことをまとめて福音書を記したとしていた


伝承は


『ペトロの手紙一』および『テモテへの手紙二』などを根拠に


晩年のペトロおよびパウロとマルコが一緒にいたと伝えている


この福音書が誰にかかれたものであれ


古代から


『マルコ福音』がもっとも古い福音書であるという認識は一貫しており


近代以降の聖書研究を通じてもこれは確かなこととされている


エルサレム神殿崩壊に明確な言及がないことから


一般に成立年代は


70年より前の60年代と考えられているが


それよりさらに早い時期のものとする説もある






ヴェネツィアのサン・マルコ広場のライオンは、有名ですが・・・



           シベニクのヤコブ大聖堂もベネツィアのデザイン
CIMG2802.jpg
           とすると、少し変なライオンの彫刻が



           その上にアダム・・・もしかするとその上に「聖マルコ」?



           今となっては・・・確認が出来ませんが



福音記者マルコを象徴する


マルコは正教会では七十門徒のひとりとされ


「使徒・福音者」と称せられる


また初代アレクサンドリア総主教に数えられる


マルコおよび『マルコの福音書』は


しばしばライオンのシンボルであらわされる。


これは『エゼキエル書』に登場する


四つの生き物に由来し


それぞれ


四人の福音記者と福音書にあてはめられている


828年


十字軍はアレクサンドリアにあった


マルコの聖遺物(ないしそうみなされていたもの)を奪い


ヴェネツィア共和国(現イタリアのヴェネツィア)に運んだ


そして


聖マルコは


ヴェネツィアの守護聖人となった


ヴェネツィアの国旗は


聖マルコを指す聖書を持った有翼の金のライオンであり


ヴェネツィアの大聖堂は


サン・マルコ大聖堂と名づけられている


その前の


サン・マルコ広場をはじめとして


ヴェネツィア共和国の勢力の及んだ各地には


今も有翼のライオン像が残っている。        ・・・・以上・ウィキペディアさま参照・・・





ライオンは、色々な名所にありましたね~そんなライオンは、聖マルコに関係があり?

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最終更新日  2011.02.05 14:45:59
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