「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2021.01.31
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カテゴリ: 美術館・博物館
​ゴッホについて詳しく調べてまいりました〜しかし年表はザックリと「ゴッホの足跡」を辿りつつ作品を振り返ってみましょう

フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ
​Vincent Willm van Gogh​
​​
1853年3月30日〜1890年7月29日(37歳没)

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​​ ​ファン・ゴッホの年表と作品​ ​​


1853年3月30日 (ゴッホ・0歳)​ 牧師の父のもと、

 オランダの北ブラバンド地方フロート・ズンテルト村に生まれる。

1857年 (4歳)​ 弟:テオが生まれる。

1867年 (14歳)​ 第2回『パリ万国博覧会』で日本美術が紹介され、注目を浴びる。


1869年7月 (16歳)​ ​伯父が設立した美術商「グービル商会」​ ハーグ支店に勤める。


1873年6月 (20歳)​ グービル商会のロンドン支店に転勤する。

 下宿先の娘に恋するも失恋この頃から勤務態度が悪くなる。


1874年 (21歳)​ 第1回『印象派展』が開催される。


1875年5月 (22歳)​ パリ本店に勤務。

 聖書を熱心に研究し、また美術へふれる機会が多くなる。


1876年4月1日 (25歳)​ グービル商会を解雇され退職。

 イギリスの私立学校でドイツ語とフランス語を教える。


1877年5月 (24歳)​ 神学部の受験準備を始めるが、途中で挫折


1878年7月 (25歳)​ 福音伝道師になるためブリュッセルで訓練を受けるが

 資格をもらえず家族のいるエッテンへ戻る。


1879年1月 (26歳)​ ポリナージュで炭鉱夫たちに伝道活動を行う。

7月  ​ 伝道委員会より伝道活動の仮免許停止を告げられる


​1880年冬 ​(ゴッホ・27歳)​

 ポリナージュからフランスのクリエールに旅行中、

 画家になる決心をする

​7月​  弟:テオからの仕送りを受けるようになる。


1881年夏 (28歳)​

 従姉で未亡人の「ケー」に恋をするも​​​​​​​失恋

 ハーグにいる従兄の画家:アントン・マウフェのもとで

 絵画を学ぶ。


1882年1月 (29歳)​ マウフェとの関係が崩れる。


1883年7月 (30歳)​ テオの仕送りが遅れ、経済的に苦しくなる。


1884年2月 (31歳)​ 援助の代償に、テオに作品を送り始める。


1885年3月26日 (32歳)​ 脳卒中で父が死去。


『じゃがいもを食べる人たち』1885年4月〜5月

​10月​  友人とアムステルダムに3日間滞在。

 会館間もない『アムステルダム国立美術館』で

 レンブラントなどに感銘を受ける。

11月 アントウェルペンに移住。


​【パリ時代】​
1886年3月 (33歳) 突然パリへ向かい、テオのアパルトマンに住み始める。

 画家:フェルナン・コルモンの教室で、

 ロートレック、ベルナールらなどと知り合い交流を持つ。

 テオを通じて『印象派』『新印象派』を知る。

​6月​  テオとともにモンマルトルのルビック通りに引っ越す。

 第8回『印象派展』が開催。

 世界初となるガソリン式自動車が開発される。


1887年3月〜4月 (34歳)​ 収集した浮世絵の展覧会をカフェ・ル・タンブランで開催。

​4月〜5月​  ベルナールやシニャックらとアニエールのセーヌ河畔で

 印象派、新印象派風の技法で製作する。

​​ 1887年8月〜9月
『2本の切ったひまわり』​

​8月〜10月​ 『盛りを過ぎた4本のひまわり』

11月  ​ レストラン・ドゥ・シャレで展覧会を開催。

​12月​  パリ生活に疲れ、次第に精神に異常をきたす。


1888年2月22日 (35歳)​ アルルに到着。

​【アルル時代】​〜


​3月〜4月​ 『果樹園』の製作にとりかかる。


​3月 『ピンクの桃の木』マウフェのかたみ ​​


​​ ​​3月 ​『アルルの跳ね橋』ラングロワ橋​​


​5月​  黄色い家を借りるが、経済的な問題から、ジーヌ夫婦のカフェの2階で暮らす。

​6月​  地中海沿岸の漁村サント・マリー・ド・ラ・メールに小旅行する。

​7月​  ピェール・ロチの異国趣味小説「お菊さん」を読み心踊らされ

アルルの少女を日本人風の顔に描いた 『ムスメの肖像』



​​ 8月 『ひまわり』

​9月​ ​『​ 黄色い家』 に住み始める。




​9月16日、17日?​ 『夜のカフェテラス』


​​​

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​10月​  ゴーギャンがアルルに到着し、共同生活を始める。

​11月​  生涯で唯一売れた 『赤い葡萄畑』 を製作。


12月23日  ​ ゴーガンとの口論の末に、自身の左耳の一部を切断。

病院に入り、ゴーギャンはアルルを去って、パリへ。

ピエール・ロチ「お菊さん」刊行。

​​ 12月 『石膏像、バラと2冊の小説のある静物』


1889年1月 (36歳)​ 退院して製作を開始。

​​2月〜3月​​

『ジョセフ・ルーランの肖像』

​​​ ​1889年3月 『子守唄(ルーラン夫人の肖像)』 ​​5バージョン​
​​​ ​1889年3月 『子守唄(ルーラン夫人の肖像)』 ​​

​4月18日​  弟:テオとヨハンナが結婚。

 エッフェル塔が完成。

​5月8日​  自らサン・レミの療養院へ入院する。

​5月の終わり 『日が昇る壁で囲まれた麦畑』

​1889年6月 『オリーブ園』

​6月​ 『オリーブ園』


​​ 6月 ​『糸杉』​​


​6月​ 『星月夜』



​7月〜9月​  激しい発作を繰り返す。第5回『アンデパンダン展』に出展。


​​​ 8月 『自画像』 ​​


​​​​​ ​9月 『ファン・ゴッホの寝室』 ​​​​

​​9月​​ ​​ 『自画像』 ​​


​10月​  戸外での製作に励む。

ゴーギャンらによる『印象派と総合主義展』が開催される。


1890年1月 (37歳)​ ブリュッセルで『20人展』開催。

テオとヨハンナに息子が誕生。

​1月​ 『初歩き(ミレーによる)』



『医師ガシェの肖像』

​2月​ 『アルルの女』ジヌー夫人


​3月​  第6回『アンデパンダン展』に10点出品。

4月〜5月​ 『悲しむ老人』永遠の門


​5月​  サン・レミの病院を出て、パリにて甥:フィンセントに初めて会う。

 文芸誌「メルキュール・ド・フランス」が創刊される。

​5月​ 『ピンクのバラを生けた花瓶』


​​ ​​5月​ ​『​​
アイリス』


【オーヴェル時代】​

​5月20日​  オーヴェール・シュル・オワーズに到着。

精神科医で、アマチユア画家でもあるガシェ医師の診察を受ける。

​5月​ 『オーヴェールの教会』


​6月8日​  テオとヨハンナと子どもがオーヴェールを訪れる。


「鴉のいる麦畑」

​7月6日​  テオからの手紙でパリに出向く。テオの家でロートレックらと会う。

​7月27日​  拳銃自殺を図る。

​7月28日​  テオがオーヴェールへ駆けつける。

​7月29日​  午前1時30分、息を引き取る。

​7月30日​  オーヴェールの共同墓地に埋葬される。

​1891年1月​  弟:テオがユトレヒト近郊の病院で亡くなる。

​​​​​​​​​​​​​​​​​​
(参考資料:東京美術・もっと知りたいゴッホより)

(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2021.01.31 00:10:08
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