「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2021.02.01
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カテゴリ: 美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​フィンセント・ファン・ゴッホは、1890年3月30日に37歳の若さで世を去ります。生涯に売れたのはたったの1枚だとされていますが、それ以外はどうなったのでしょうか気になります


​ファン・ゴッホの死後のおはなし​





フィンセント・ヴィエルム・ファン・ゴッホ
Vincwnt Willem van Gogh ​​


1853年3月30日〜1890年7月29日(37歳没)


ファン・ゴッホは・・・


死後も、しばらくは注目されませんでした


しかし、20世紀に入ると、


近代表現主義の先駆者として評価する人々たちが現れます


オランダの美術評論家:H・P・ブレンマーもその一人。





貿易事業で成功したアントン・クレラー夫人


ヘレネー・ミュラーも、ブレンマーの薫陶を受けて


1912年に300ギルダーの評価額だった


『アルルのはね橋』 1万6000ギルダー(約850万円)で購入。​

1920年以降、評価が定まり、さらに価格は上昇していきました


​​ ゴッホの死後、作品の行方とは? ​​



​1890年7月29日​  ファン・ゴッホ死去。


​1891年1月25日​  弟:テオ死去。ゴッホの作品は、法的に


 テオの息子:フィンセント・ウィレムのものになるが


 テオの妻:ヨーが実質的に管理する。


​1901年​  ヨーが再婚。


​1903年​  ヨーは、アムステルダムへ移る。


​1914年​ 「ゴッホの手紙」が刊行される。





 オーヴェール=シュル=オワーズのゴッホの墓の隣に移す。


​1925年​  ヨー死去。


​1930年​  ゴッホの甥:フィンセント・ウィレムは、


 作品のほとんどをアムステルダム市立美術館へ一括貸与。


​1962年​  フィンセント・ファン・ゴッホ財団が設立される。


​1973年​ ​​  アムステルダム ​​ が開館。


生前のゴッホを物心両面で支えたのが、弟:テオなら


義兄を世界的な画家にしたのは、


テオの妻:ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル


愛称「ヨー」といっても過言ではない


英語とフランス語を学んだヨーは、


ユトレヒトの高校で教師を務めていた時に


テオと出会いました。その後、


テオが32歳、ヨーが26歳で結婚ハート


翌年、長男:フィンセントをもうけます。


しかし、その直後、


ゴッホとテオが次々とこの世を去ります。


パリのテオ夫妻の部屋に遺されたのは、


価格のつかない、


およそ200点もの義理の兄の作品。


しかし、ヨーは、


作品を処分することなく、


オランダに持ち帰ります。


ヨーは、1892年、アムステルダムで小さいながらも、


ゴッホの回顧展を開催するなど、


義理の兄の作品を紹介。


生活のために泣く泣く手放したと言われる

​『ひまわり』​


数枚の絵を売り出したことはありましたが


作品を手放すことは、少なかったそうです。


1914年には、およそ10年の歳月をかけて


整理したテオ宛の手紙ゴッホの書簡集を発表。


それにより、ゴッホの人生も知られるようになり


今日の名声を確立します。


ヨーの死後、作品は息子:フィンセントに受け継がれ、


現在は、ファン・ゴッホ美術館に収蔵されています。


(参考資料:朝日新聞出版ゴッホへの招待より)
(写真撮影:ほしのきらり。)


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最終更新日  2021.02.01 10:44:11
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