「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.11.08
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カテゴリ: 美術館・博物館
印象派は戸外の風景画を描いていますが、ドガは競馬場以外はほぼ屋内で描かれていますクールこの作品も・・・

エドガー・ドガ
Edgar Degas

​​ ​『カフェにて(アブサント)』 1875年〜1876年

油彩 カンヴァス 58.0cmx42.0cm

パリ「オルセー美術館」所蔵。

​​​
当時、隣の女性が飲んでいるアブサントという

強いお酒がアルコール中毒を作り出していると

社会問題になっていた。


エドガー・ドガ​
​Edgar Degas​



​ドガは、印象派なのか?​

ドガは「印象派展」に7回も参加している。

それなら、当然「印象派」


にも関わらず・・・「アンチ印象派」だった!

「印象派」と呼ばれるのが大嫌いだった怒ってる

なんと〜理解し難い。


ルノワールの

『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』

戸外で木漏れ日を描いた印象派らしい作品。

それに比べるとドガは、

『手袋をした歌手』

自然光ではなく、

カフェでの人口的なライトで歌う歌手。


「印象派」戸外で制作




ドガって、どんな画家だったのでしょうかね〜


​​​ドガの理解し難い性格とは?

裕福な銀行家の長男。

小柄・痩せ型・面長。

攻撃的で辛辣で超気難し屋。

皮肉にみちた眼差し。

猫と犬と食卓の花と香水が大嫌い。

趣味は、口論とオペラ鑑賞。

人嫌いを装っている癖に社交的。

油彩のみならず、パステル、版画、彫刻、

写真と幅広くチャレンジした。

最初から、超上手い。

古典的名画を愛す。

全8回中、7回「印象派展」に参加。

男女問わず友達多し。

意地悪な破面の奥に、

誠実さと優しさを隠し持つ、

ややこしい性格。

生涯独身。

晩年は、失明同然。


Madame Jeantaud au miroir(vers1875)
​​

【ドガの年譜】​​


1834年7月19日(0歳) 銀行家の長男として、

 パリに生まれる。

1845年(11歳) 名門リセ・ルイ・ル・グラン中学に通う。

1853年(19歳) パリ大学法学部に登録。

1855年(21歳) エコール・デ・ボザールに入学。

 アカデミズムな画家ラモットに師事。

 アングルと会う。

1856年(22歳) 約3年間イタリアに滞在し、

 ルネサンスの巨匠たちの作品を学ぶ。

1862年(28歳) マネと知り合う。

1865年(31歳) サロン初出品。

1868年(34歳) カフェ・ゲルボワに通う。

1870年(36歳) 普仏戦争勃発。志願兵として入隊、

 銃撃の訓練で右目の視力がほとんどないことを知る。

1872年(38歳) アメリカ、ニューオリンズの親戚の家に滞在。

1874年(40歳) 第1回『印象派展」出品。

 以後、7回以外、全参加。

 父が急死し、多額の債務を抱えるようになる。

1888年(54歳) 写真家:マイブリッジから写真を学ぶ。

1892年(58歳) デュラン=リュエル画廊で初めての個展開催。

1894年(60歳) ドレフェス事件。

 ドレフェス支持派の友人たちと絶縁。

1901年(67歳) 視力悪化。

1912年(78歳) 20年近く住んでいた家が取り壊されるため、

 引っ越しを余儀なくされる。

 これ以降、制作をやめる。

1917年9月27日(83歳) パリにて脳出血のため死去。



印象派の人々が結束して、

「印象派展」を組織したのは、

古典的なテーマ以外認めようとしない

サロン(官展)に対抗するためだった。


ドガは駆け出しの頃、

古典的なテーマで、

サロンに何度か応募したが、

入選しても全く話題にならなかった。


そのためサロンでの成功を諦め、

1870年頃から、

近代的なテーマで勝負する

印象派の人々と共にすることにしたのだった。



ドガは、印象派の画家とは違い、

瞬間の動きを完璧に描くために

デッサンを何枚も描き、

入念な下準備を行った。


しかし、

その「瞬間をスナップショットのように捉える」

姿勢は確かに印象派と共通するものだった。



ドガは・・・

36歳で普仏戦争に志願した際に、

目に異常があることに気づいていましたが、

その後、

視力は少しずつ低下していきました。


67歳頃には、

ほぼ失明状態になり、

太いチョークによる素描が限界となりました。


1894年に起きた「ドレフェス事件」で、

反ユダヤ主義の態度を取ったドガは、

多くの友人と絶縁し

孤独感を増していきました。


さらに、

78歳の時、

長年住んでいた家の引っ越しを余儀なくされ、

それ以降、

制作も止めてしまいました。


家政婦:ゾエは、

35年間、ドガの身の回りの面倒をみ、

話し相手となり、

看護婦役も務めました。

そして、

1917年9月27日、83歳で亡くなるドガを看取りました。


(参考文献:川手書房新社/印象派の画家たちより)
(写真撮影/出題:ほしのきらり)

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最終更新日  2022.11.08 00:10:11
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