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2012年11月17日(土)
朝から 冷たい雨が降ってます。
みなさん お風邪ひいてませんか?
先日 ある方お勧めと案内で 岡山県は東の端 備前市片上に行ってきました。
そのお話に つかの間 お付き合いください。
1854年3月3日 日米和親条約調印1858年~59年 安政の大獄
日本の歴史が大きく変わろうとしていた安政3年(1856年) 岡山県の東の端兵庫県との県境にある備前市片上港に「ゑびすや荒木旅館」は誕生した。それは廻船問屋からの転身だったそうだ。
その誕生から156年 明治維新 4つの大戦と 大きな出来事と共に生きてきた多くの著名人がこよなく愛したゑびすや荒木旅館。
今にもその人々とすれ違いそうな雰囲気を残す建物。
昔ながらの旅館の姿を残す 京都によくある“一見さんお断り”っていわれそうな感じの玄関をくぐり一歩中に入ると 何かしら 緊張感もなく 我が家に帰って来たような落ち着き感がある旅館
(「田牛」この意味わかります? 先代の主人の考え「たのもう!」だそう!(^^)!)
今回は、連れてって頂いた・・という経緯もあったからか
忙しい夕間づめのも関わらず 女将さん自ら 各所を案内して下さった。
ここが 魯山人の泊まった部屋 こちらが明治天皇さんがお食事をなさった部屋
そして ここは あの柴田錬三郎が隠れ宿とし、執筆した部屋。
他にも 昔は 大相撲備前場所も開かれ 三役以上の宿となっており 双葉山も宿泊していたとか。
最近では 岡山県北のサーキットでF1が開催された時は アイルトン・セナ、ミヒャエル・シューマッハも宴会を開いたらしい。
でも、その方々のサインひとつない。
女将は「もろといたらよかったわぁ~」と笑顔で言われるが
その真意は 先代の女将の一言に集約されていた
「みなさんくつろぎにお出でになってるんですから...」
“ほっとする喜び”
を感じさせるんだと思う。
錬三郎の書き損じも ぜ~んぶ おくどさん・・・だそうですよ(゜o゜)
備前焼の郷だけあって 人間国宝の作品をはじめたくさんの備前焼が鎮座。そして各所にはさりげなく“これってすごいんじゃないん”って品も
すべて説明するのは大変なので すこしの写真で勘弁して下さい。
ここへきて一番の 楽しさは 玄関 中庭・・・たくさん布袋尊が鎮座
玄関の布袋さんなんぞ セナもシューマッハも 頭を撫でていったらしい。
HOTEIさんた としても なんだか 自分が撫でられたようで・・・
うれしいやら 恥ずかしいやら・・・
どっすんさんのリクエストにお答えして 少し写真増やしましょ~~
まずは正面玄関 (間口が狭いのは 昔の間口税対策)
海側玄関 (昔はすぐに港だったため そこからの人用の玄関だったそうです 2mの備前焼達磨さんのお出迎えです)