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いよいよ今週末から夏休み~(ええのぉ~)兄は例年、終業式の日からトンズラして始業式前まで家に寄り付きもしなかった・・・・嬢は保育園だったので、夏休みは盆休みダケだった。が、今年の夏はちょっと違う。兄は今月末にある水泳大会に参加するために、連日学校のプールに通わなくてはいかん。逃亡したくてもできない状態。嬢はオハツの夏休み。こんなに長期間、どっかに所属しないでいるのは初めて。とて、今年の夏は海外にも行かんが、TDRにも行かん。旅行系は一切なし。手近な所でチョマチョマと、それでも魅力的なイベントはたくさんある。さてさて、どんな夏休みにしようかいなぁ~どう楽しませてヤル・・・んじゃなくて、どう自分が楽しもうかワクワクドキドキの、初体験。専業主婦じゃないので、毎日毎日遊んで暮らす訳にはいかんけど、空いた時間は全面的に(自分が)遊びまくるぞぉ~~。愛媛のみなさんは是非、イベント情報を参考にぃ。
2004年07月14日
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「環境ホルモン」「ダイオキシン」といったら今ではメジャーな言葉。知ってる人はしっかり知って、知らない人でもそれなりの認知はあるもの。松山には30年も前からこの「環境ホルモン」の危険性を訴え、「ダイオキシン」について研究してこられた先生がいる。立川涼氏愛媛大学の教授、高知大学の学長を経て、今は愛媛県環境創造センターの所長をされている。立川さんの研究は土壌学からはじまり、やがて前人未踏の「環境化学」へと進んだ。実はうちの父ちゃんは、この先生の教え子だった。私も何度か講演を拝聴し、ワークショップなどに参加しながら、いろいろ勉強させてもらった。 「複合汚染」という言葉がある。有吉佐和子が30年前に発表した小説のタイトル。(詳しくはリンク先のうめちゃんのらんどくつんどくへ)複数の有害物質が複合して作用することで、質的・量的に予期しない汚染が起こること。この複合汚染によって、母乳からダイオキシンが発見されるのは珍しくなくなってる。もち、個人的に自分の母乳にダイオキシンが入ってるかどうか調べるのは相当な費用。でも、粉ミルクが絶対に安全ではない。じゃ、どっちを選ぶか。知らぬが仏、知るが地獄の選択となる。で、前置きが長かったが・・・今月24日に、環境ホルモンの講演会「ハイリスクライフステージの科学汚染を考える」が開催される。そこで「子どもの行動異常・脳の発達障害とPCBなどの科学汚染物質」ほか講義がある。9月にある国際シンポジュウムに先立って(こっちは愛媛大学21世紀COEプログラムの共催による国際シンポジウムで、「世界の沿岸海域における環境と生態系の長期変動」がテーマとなってる)ちょっくら環境について勉強しなおしてみるか・・・(しなおすほど今まで勉強してないが・・・)もう他人事でもヨソゴトでもなくなってる問題。
2004年07月07日
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山口の塾の先生がどえらい企画をたててます~。今日、新聞広告を見られた方もいらっしゃるのでは・・・・みかみ先生のミラクルワ~ルド見逃すと大変~。
2004年07月01日
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某コンビにのオーナーから、シフトがどうしてもうまくいかないので臨時で入って欲しいとの要請があった。発注もせんでええし、特殊なコトはせんでもええから、商品陳列なおしとレジと裏の仕分けだけでも・・・と、6時間程入る。ま、コンビニは初めてじゃないし、色もついてたので安易にOK。トクに不安もないし、レジもシステム的に困ることは何もない。ドコに何があるか聞かれるのはちょっと困るカナと思ったけど、聞かれることもあるまいし。万引きだけは要チェックやな・・・(でも時間的に子どもは来んし、客も少ないし)で、あれこれ思ったこと。「コンビニ」は現代社会を象徴する便利なオミセでございます。自動販売機を大きくしたもんです。でも、こっちは「人間」。レジでもそれなりにニコヤカに応対しますし、「ありがとうございます」とか「○○円でございます」とか、「こっちのレジへどうぞぉ~」とか「接客商売」どこでも同じもんだと思う。が、客の方はと申しますと、これが一切、クチを開かない。店に入ってから出るまで終始無言でも全然OK。モノ選んで、銭はらって・・・それだけでいいみたいなんよね。ニコリとする訳もない。友達連れで来てる人も、友達とはアレコレ話をするけど、レジの人間と話することは一切ない。「別の袋に入れましょうかぁ?」「・・・・・」「じゃ、別に入れておきますねぇ」「温めましょうかぁ?」「・・・・(うなずく)」「はい、少々御待ちください」レジ横の陳列に入った商品(ナゲットとかからあげとか)もユビ指したらええだけ。「コレ!」「コッチ!」終了まぎわに、近所らしきおばちゃんが、聞いてもないのに「牛乳切らしちゃっててぇ~ とりあえず500~ あぁ~あったあったぁ~ でも高いねぇ~」レジでは「これお願いしますぅ~」 「袋ご一緒でいいですか?」「あ?ええわい、すぐ食べるし、袋いらん、そのままもらおわい。」「そうですか、ありがとうございます。では、はいどうぞ。濡れてますから気をつけて」「はい。20円のお釣りです。ありがとうございました」って言うと、「はい。すみませんねぇ」たったこれダケのことなんだけど、たったこれダケが成り立たない(成り立つ必要がない)世界ってのは本当に異様。普段は全然そんなことなくって、社会生活に疲れて、ココ(コンビニ)だけでは無造作になりたいのか・・・コンビニはそんな吹き溜まりなのか・・・コンビニに限らないよなぁ。スーパーでも、パン屋でも、クリーニング屋でも・・・レジでは同じ言葉が繰り返され、客は機会相手のごとく無表情。店員やレジが顔見知りでもない限り、話をする必要も何もないもんなぁ。これでええんやろか・・・ 考えすぎ?!
2004年06月28日
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今回の選挙の争点は「年金法」と「イラク派兵」が中心になりつつあるようで・・・しっかり「親」として見極めたいのが「教育基本法改正」について。これは「年金法」とも「イラク派兵」とも充分に関係の深い問題だと思っている。やたら出生率の低下(少子化)を懸念され、オ偉い方や年寄りからは社会保障制度の「担い手」としてカウントされ、晩婚化や非婚化、小産化の進行を何としても食い止めねば・・・と躍起になってくださってる。が、担い手には担い手として、数か少ないなら凡庸はよろしくないので、皆が質を高くし、エクセレントな国民になりましょぉ~と強要して下さる。でもって、小泉CMでも「愛国心」を強調し、自国にホコリを持ちましょぉ~~って。国家主義を推し進めたい?!自国がどうのこうのの前に、まず「自分が好きになれる」教育だろがぁ。トナリの国見てオカシイと思ってる人は多かろうに。自分が好きで、友達も好きで、家が好き、学校が好き、地域が好き・・・とどのつまりには「日本が好き」「世界が好き」「地球を大切に」にまでなってくるが、この手法はまさしく「心のノート」。教育に政治は介入しちゃいかんのよぉ~。「教育は不当な支配に服してはならない」(教育基本法第10条)もち、教育システムを確立するためには各種手続きやら計画やらで政治的手法も必要になってはくるが、政府が教育を国家主義的統制の手段として使ってはいかんと思うよ。お国を愛する忠実なエリート作って、鶴の一声で戦争してもええんでしょうか?現教育に問題があると非難が多いですが、この現状問題は「教育基本法」が悪いから起こってるんでしょうか?教育基本法を本当に把握している教育者っていったいどのくらいいると思います?
2004年06月23日
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昨年10月にオープンした県武道館にて30年ぶりの四国大会が行われた。とて、レベルはピンキリ。始めたばかりのうちの子が参加できるのだから知れている。台風が来そうな割に好天気(でも蒸し暑かった)。冷房はガンガンかけているのに、みんな勝手に東西南北の通用口を開けっ放しにしているものだから全然効かない。マイク放送で「冷房の効きが悪くなりますので、外への出入りは西口のみを利用し、通用口の戸口は開けっ放しにしないでください・・・」でも客席から見る限り、どこも全開になってる。アホやから、東西南北の通用口をぐるりと廻って閉めまくり、「そこ閉めたら暗いから・・・」「いい風が流れてるんだから」と通用口に陣取ってる人達に文句言われても「ここが涼しいということは中が全然冷房が効いてないんですヨ」と、大会関係者じゃあるまいし、ここまでデシャバらなくても・・・と思いつつ・・・(ほれ、閉めると、ちゃんと冷房効いてくるやんか!)1~2時間もしないうちに元の木阿弥ではあるけれど、『閉めれば冷房が効く』『効かないのは冷房が弱いんじゃなくて、客のモラルの問題』と納得できればいい。(←私が)座ってもない、居ない席の陣取りや、我が子が出てる時以外の無責任な行為。我が子が出ている時のビデオやカメラに必死なあまりの行動・・・今日に限らず、どこででも見られる光景。で、一番笑わせたのが開会式。少林寺総裁やら代議士やらお偉方が次々に挨拶。どの方も「この不詳な社会において・・・」「先般の長崎のような・・・」「少林寺の諸君に期待するのは・・・」「これからの社会は君たちのような・・・」と、すごかましい(ありきたりの)、眠くなるようで、当たり前すぎる挨拶中に、客席も静粛ってなムードとは程遠く、はじめはシャキっと並んでいた拳士たちもダラダラダラ。挨拶だけしてさっさとトンズラする代議士やらやら。開会式後戻ってきた兄様は「あ~、わけのわからん話ばっかりでしんどかったぁ~」で、「大切なこと言よったやん」と聞いても「何も聞いとらせんかったよぉ」「いっつも会報(少林寺の本)に出てくる、あの女の人(総裁)見よったし、何かほかのことぎり考えよったしぃ~」(-_-;)ま、こんなもんやろ。30年ぶりで手馴れてなかったせいか、イベントとしてはいまいち配慮に欠けてたり、手際が悪かったりしたが、客(親でしかなかったハズやけど)のモラルも本当に情けないものだった。四国4県から集まってきてたようだが、車の移動のアナウンス(他の車が出られないだの、停めてはいけないトコに置いてるとか)も何度かあったし、ゴミ出しの注意もしてた。自動販売機の前の「プラスチック」「カン」のみのゴミ箱には弁当箱がつっこまれ、あふれる程にペットボトルやカンが無造作に集積され、土禁の所を平気で歩き、通路になってる所にも平気で陣取って動かない・・・これが明日に期待を担わせている拳士の親のタイドかい?ほんで、子は親に似ずに立派なんだろうねぇ?少林寺に何を求めてるんじゃい?丁度、プロ野球と重なっていたために、帰りのJRが混んでたら大変と、そこそこに私と嬢様は退席したが、最後までいた父ちゃん(父と兄はバイクで来た)もすっかり疲労困憊して帰ってきた。「やっぱ見ても面白くないのぉ~(-.-)」「しょぉ~もなかったのぉ~(-.-)」おいおい、子どもの前で言ってやるなよ・・・テメェ~(父)のモラルもカチンとくる。もち、私一人が偽善者ではないが、集団心理に流されやすい現代人の一角を具間みたのでありました。 もち、日の丸掲揚~
2004年06月20日
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人は最初に「教わる」のではなく「教えている」・・・そんな本を読んだことがある。まだ人間の形をしていない頃から、母親に自分(異物)を知らせるために何かしらのアクションをして教えていた。この世に出てくる時も、出る時を母親に教えていた。生まれてこのかた「教わる」ことが多いようで、結構「教えて」もいるもんだ。さてぇ。学校の先生はじめ、塾の講師、講演会の講師、教える人を総称して「先生」lecturer、speaker、nstructor、teacher、professor、instructor、schoolmaster。児童や学生、研修を受けたり、講演会を聞いたり教えられる人を総称して「生徒」student、attender、audience、と呼ぶことにする。(英語は不得意やから↑違ってたらごめんよぉ~)どちらにも与えられた時間というものがあって、カリキュラムも存在しているだろう。ただ時間だけ過ぎれば中身はいらない・・・って生徒もいる。相手の理解度は全く関係なしに教えるべき内容だけを露出しているだけの先生もいる。世の中いろぉ~んな先生と生徒がいる。最近、大人を相手に専門教科の「講師」をやっているのだが、いろんな生徒がいる。私の科目に何の意味もなく、とにかく来りゃいい、時間が過ぎればいい人。聞ける時は聞くけど眠たいときは寝る人わかる範囲は教わるけど、無理そうな事は無視する人スキルを習得しようと必死な人習得しようと努力はしているのだけど内容がおっつかない人年齢も様々。社会経験も様々。もち、性別も性格も様々。こっちとしては、与えられた時間に与えられたスキルをどこまで習得させてあげれるか・・・みんなに最低限のことはレクチャーしたい。やる気のない人のレベルでチンタラせずに、一生懸命頑張っている人に焦点をあてて進めていきたい。でも、一部の人だけ(できる人だけ)の授業であってもいけない・・・あれこれ考えてると、学校のセンセぇ~ってすごいなぁ~~~~と思った。でも最終的には「私が何をどう教えるか」でなく、当人がいかにこの科目を必要とし、自分のものにしていくか・・・それに尽きる。極端に言えば、私という講師がいなくても、テキストさえ忠実にこなしていけば、何てことない。が、せっかく雇ってもらってるんだし、テキストはいつでもあるもんだから・・・と、こっちはテキストに沿ってテキストの例題をひもといて・・・なんてことはせずに黒板(ホワイトボード)を見て、私の顔を見ないと理解できない説明や問題をバンバン出す。クチで言って済むことも、ボードに汚い字を書きもって、バンバ叩きもって、クドクド呪文のように繰り返し巻き返し説明していく。テキストにはない実社会での実例もぼんぼん織り交ぜながら、時には自分の失敗談や笑い話をしながら、ま、なごなかに・・・・だいたいの人は、面白半分、マジに、時には笑いもって集中してくれるが、中には「無関係」を決め込んでくれる人もいる。(いったい何しに来てるんやぁ?!)ま、私の説明が要領を得ず、下手で面白くないのを棚にあげてはいかんが、ほんと、生徒っていろいろいるのねぇ~~~と痛感。塾や家庭教師なんかでは当人に○○に合格したい!算数で80点以上取りたい!ってのを相手にしてたから、とっても楽ちんだった。(それに、私は教科教師ってよりも、どのように勉強の段取りをしていくのかとか、計画や実力を判断しての今後の方針・・・の指導室の方が多かったし)ま、とにかく、教えるのもあと少しだけど、「先生」ってのは自分に向いてない職業だと痛感。
2004年06月15日
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兄様は第1子(それも長男の長男、長女の長男)で、親戚中の第1子みたいなもんで、それはそれはチヤホヤ育った。あえて小さい頃より「字」を教えることもなく(それはそれですんごいイヤミに耐え抜いた)本人も何の興味もなく、小学校にあがる際には、自分の名前を認識できる程度のものだった。(もちろん、認識できたが書けはしなかった)2年頃にやっと、英才教育やってる近所の3,4歳児くらいと対等の「読み」ができるようになり、2年の後半では1年の時に覚えたハズのカタカナをすっかり忘れ・・・それでも、只今4年。国語の音読はそれなりにやってるし、もじのけいこだってそこそこ。もち勉強は大嫌いやし、字だってキレイとはいいがたい。でも、読めも書けもする。普通に(普通以下か・・・(-_-;))お嬢は4才。これまた何も親は教え込んではいないが、ひらがなは全部読めるし、書くのも少々ウソ字はあるものの、数字も読み書きできる。兄の必死の九九覚えを横で聞いてて、とりあえず九九も暗誦できる(2~5の段だけ)。ふと書いた絵を見比べると・・・兄の小学2年くらいの絵と今の4才嬢の絵が同等クラス。4才の兄の絵は「かびるんるん」状態の人間(顔の下からすぐに足と手が出てる)おまけに目は黒丸、鼻は棒、口も棒。お嬢は従姉の影響で、今は目の中に何かしらん○がいっぱい入って白目と黒目が逆転している目だけど、いわゆる少女趣味(少女マンガ)の目。同じように育ててるのに、こうも違うのか・・・これは男と女の差か?第1子と第2子の差か?我が家では「勉強せんかね!」って言葉はない。たまに「宿題くらいはおしね」って言うくらい。宿題やらせるのに目くじらたててもしゃぁ~ない。先生に怒られるのは当人やし、困るのも当人。自覚の無い奴の尻を叩きまくってもエネルギーの浪費!自覚ができてから始めて遅いことはなし。よく「教育に熱心じゃないから、責任はあんたにある」とジジババに叱咤されますが、大学出んでもかませんしぃ、高校だって無理して行く必要はない。行きたいと思えばいつからだって大学にも行ける。30がきても、40になっても何だってできる。(もち、50も60もね)そりゃ出世して儲けて親(私)を左団扇で生活させてくれるとしたら願ってもないことやけど、「勉強ができてナンボ」の遺伝子は入ってなさそうやし、エリートと呼ばれる人間よりも、農家になって欲しいと思う(これからは農家よぉ~!)アホな親やし。元気に日常生活ができ、「自分」と「心」があれば(優しいとか、親切だとかも望まん)それでええ。それでも、日ごろうじゃうじゃと注文の多い親ではあります・・・(-_-;)
2004年06月10日
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お役所がらみ含めて「子育て支援」って言葉が蔓延している。そもそも少子化にあたって、子育て支援することで「子どもを産んでもらおう」なんて政府の考え。市町村によって適当年齢までの医療費控除、児童手当もそうだし、児童扶養手当もそう。児童館に保育園の子育て支援センター、家庭支援サービス、相談所関係、 あれこれ列挙すると「支援」にもいろいろある。公共だけでなく、いろんな所も「子育て支援」している。NPOや地域や団体や・・・まぁ、どれかいっちょくらいは恩恵を受けているかな(児童手当とか)子育てをしている「親」に対しての支援って訳だけど、子育てしている「親」にもいろいろあって、母親、父親、働いてる親、働いてない親、病気の子の親、障害のある子の親、親に問題のある親、問題をかかえた子の親・・・・だいたいこの多様化の時代にひっくるめて面倒なんか見れるワケがない。エンゼルプランとかマジでキレイごとすぎてヘドが出る。幼稚園と保育園を一緒にしましょぉ~(幼保一元化)ってのもある。異なる制度に基づく幼稚園と保育所を、施設の共用や運営の一体化を進めるというのが幼保一元化の最近の動きみたいなんやけど、一方で幼稚園と保育所の違いは次第に薄れてきている気配も。 子育て支援と名をつけて、実はお役所の「経費削減」でしかなかたりする。幼稚園の親はより長時間の保育を求め、保育園の親はより幼児教育(保育だけでない)を求め・・・ってとこかな。でも、基本的なスタンスとして、幼稚園の親と保育園の親には大きな違いもある。次世代育成支援対策推進法案も上程されてる。来年あたりが施行だったかな。それに平成27年ってワケのわからん先の時限立法。教育基本法も改正するべく動いている。この中にも「家庭教育」が今まで入ってないから・・・と組み込まれようとしている。子育てしている親っていったい何を支援してもらいたいんだろう・・・(そりゃ列挙すりゃ個別にいっぱい出てはくるけど)行政は何をすべきなんだろう・・・「優秀な国民とともにある国家」を目指すこの器船にのっかって、どう尻をたたかれていくのか・・・
2004年06月09日
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自称「放任主義」の我が家ですが、手厚く保護&擁護してくれる連中がいっぱいおります。家でも外でもどこでも適当に遊んでくれる人やアイテム、環境があります。遊ぶ相手がいなかったり、遊ぶような環境じゃなかってもお構いナシです(親子で)職場(フリーなので確定した職場はありませんが)にも可能なら連れていく場合もあります。もち、遊ぶ環境じゃありませんし、遊ぶ人もいません。私も相手できません。それでも、それなりに遊ばせます。遊ばせるというよりも「時間を過ごさせる」だけだなぁ。飽きて機嫌が悪くなっていっても知ったこっちゃない。で、私は本当に「子どもの遊び」にノータッチ。遊びの相手だけでなく、提供もしない。もち、オモチャを買ってやる立場でもない。(ヤな親やなぁ~~~)坊も嬢もそこそこに認知している。家でもそんなかんじ。ただ居るだけの保護者、おかかえ運転手、大蔵省、裁判官、時には辞書がわり、時には壁となり、背もたれ、枕、布団、観客(見ても聴いてもないけど)、お店の客、信号、ぬいぐるみ、ポスト、うちわ、犬・・・なんにでもされてしまう。居るだけで何にでもされてしまうが、遊びに参加する必要がない。(時には返事や応答くらい必要な場合もあるけど、それは私のキゲンがいい時)要するに私は子どもと遊んでいない・・・・(-_-;)(いや、遊んでいるトキも、ありはするのヨ)遊び相手ではない。そう認知もされてないし、必要とされてもないし、できない。その点、父ちゃんは立派な遊び相手。外でサッカーだのボール遊びや縄あそび、自転車での遠出から家の中でのゲームやトランプetc.。休みの日に公園に出向いたり、公園でブランコをこいでやったり、鬼ごっこしたり・・・ビデオを借りに行くのも3人(私以外)やし、観るのも3人。充分私の分までこなしてくれている。以前にも書いたが、私の入る余地なし。でもって、私も私で入る余地のない所に無理矢理入りもしない。・・・・と、ここまで書いたら、我が家って私VS子ども&夫で、どんな冷めた家庭なんだろぉ?!ってことになる?!が、そこそこに客観的に普通のつもりなんやけど・・・小さい頃から子ども(乳幼児~)は大好きだし、保母とかになってもいいなぁ~って思ってたし、高校くらい頃からは親戚の子を見たり、成人しても友達の子を預かったり、面倒みたり、けっこう「子ども派」の大人のつもりなんやけど・・・今でも子ども(よその子)相手にしたり遊んだりするのは面白くて大好き。失礼なくらい「我が子」と「遊び」で向き合えない。(ま、悩んでる訳じゃないし、問題にもしてない)子どもを相手に「疲れている」人を見ると、ふぇ?(・。・;と、思ってしまう・・・・。反対に、自分のような放任者を見ると、おいおい見てやれよぉ~相手してやれよぉ~と、思うトキもある。とりあえず?! 必要とされたり、軒の下に寄ってきてくれるので救われているってトコか・・・・
2004年06月04日
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小児科には2つ。流行っている所(客が多い所)とそうでない所。流行っている所 ・先生が優しくて説明が丁寧で親切 ・病院の建物が今風で小奇麗 ・待合室に「子どもの遊ぶスペース」がある ・評判が評判を呼ぶ流行ってない所 ・先生がいいかげん年寄り ・説明が少なかったり、頭ごなしの説明だったり・・・ま、いろいろあるもんですが、我が家の「かかりつけ」ってのはあって無いようなもんでして。行く(行かなければならない)曜日・時間帯・症状によって使い分けています。月曜の朝には流行の病院には絶対に足を向けません。待ってるだけで親子でくたばってしまいます。行けばすぐ診てもらえる、誰もいないような病院に直行。それで済めばOK。具合を見て、これじゃダメだぁと思ったら、信頼できる病院に行きなおす。病状を見て適度な判断をする事と、仕事への時間、仕事の進捗状況からどこまでが許容範囲か(自分への負担)あれこれ鑑みて最終的行動をする。えてして我が家の場合は、よっぽどじゃない限り「流行じゃない病院」を選択している。医師免許を持ってる先生が診てくれるんやし、薬がナンボの違いや!でも・・・違うのよねぇ(悲しきかな)友人に、1つの病院に固執するのがいる。何でもかんでもその病院。もちろん、よく解ってもらえてるハズだし、それもOKなんだけど、固執することによって親の方が意識のない「疲労」をしていたりする。自分の子だけじゃなく、親戚の子、友人の子を連れて?!いろんな病院に行ったことがあるが、流行ってるトコは流行ってるトコなりの理由は明白。でも、流行ってなくてもイイ病院もいっぱいある。固執せずに使い分けると案外便利だと思うのだけど・・・病院ってのは待ち時間のけると診療時間は知れてる。問題は、病院から帰ってから。もち、幼稚園や学校は休んでいるし、家に居たらいいダケなんだけど。付きっ切りになる必要はないし(付いててやらないといけない時もあるが)仕事をしなきゃ、オマンマの食い上げ。(ここが月給制の固定給仕事をしていない悲しいサガ)家での仕事も限界がある。とて、家に居て、掃除や片付けでドタバタできる状態じゃないし。自分が病気でくたばるより、子どもに病気されるのが一番痛いですねぇ。精神的には全然大丈夫なんだけど、いろんな歪みが・・・ま、その歪みを親子で楽しみ?!ながらやってくしかないんですけどね。P.S.一番近くて一番空いてる某病院の先生は、どんなに贔屓目にみても、病状説明が「怒って」いる。いつも小中学生の悪さをした子どものようにビクビクしながら話を聞かないといけない。「そうですか」とか納得するような言葉が出ない。思わず何を言われても「すいません・・・」(-_-;)もち、聞き返しも質問もできん・・・・(私が臆病すぎるのか?!)
2004年05月25日
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とある病院で入院している親子と知り合いになった。最初は、さしさわりのない話から。それからアレコレ話していくうち、うちの兄ちゃんが少林寺拳法を習っている話になった。悪気も悪びれも何の考えもなく、「いいですよぇ~習ってみればぁ?」なんて言っちゃって、さてそれから・・・コトが始まってしまった。「そんな野蛮なことは習わさないの」と、言うんで、「野蛮とまではいきませんよぉ~」よく聞くと、スポーツはいいけど、武道はダメ。って考えのようで、よくよく聞くと宗教上の理由らしかった。???でもって、まさか・・・と思い、「じゃ、ここでも輸血とかあったらしないんだぁ~」と言うと、「もちろん、そのつもり」 キッパリ。やっぱり。(・。・;ここで話が切れたら、後味が悪いので、私の考えやウンチクを言うんではなく、相手の考えをひたすら聴くことに徹した。何であれ、相手を傷つける恐れのあることを覚える必要はないらしい。(でも、傷つけないようにする心も習うのでは・・・)それが防御でもダメだという。我が家ではチャンバラが日常茶飯事だと恐る怖る言うと、マジな顔して「そんなのは、やめさした方がいいよぉ~」と、コンコンと諭された・・・・(我が家には無意味な説教やった)自慢げに少林寺の選手に選ばれた話をする息子に、「やめ!やめ!」と顔で合図を送り、「ゲームでもしより!」と、ゲームをすすめたものの・・・持ち合わせてたゲームが、アクション(対戦バトルもの)ものだって、覗き込まれて「それはダメだよ」って言われた。((+_+))息子は少々アゼンとしたものの、単に「ゲーム」がいけないと言われたと思い、しまい込んだが、相手の子ども(小学生高学年)はモノ珍しそうに興味津々やったのになぁ・・・(ま、ゲームに目覚める必要はないのでいいけど)宗教上の理由で他の人と異なる行動をしなければならないことはある。食事制限やらお祈りやら、左手を使ってはいけない、顔を見せてはいけない・・・・この宗派の輸血や武道に関しても知ってはいたけど、マジにハマってる人に会ったのは初めてだったので、驚きモモノキ状態だった。それがエエことか、悪いことか、イカンことか・・・自分が決めればええ問題やから、部外者がとやかく言う必要は無いとは思っている。が、全世界の人が武道を習わず、人を傷つける行為を習うことなければ、世の中に本当に平和がやってくるのだろうか?
2004年05月24日
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今日は久々に友人&友人の子が来る。元気だったら児童館とか近くの公園、お買い物はじめウロウロするところを、カゼひいてて丸2日間家に篭もっていたらしい。も~それは大変だったそうな。そういう人って案外そうとういるやろなぁ・・・1人っ子には初めての子だからわからない・・・って大変さ、2人兄弟には兄弟なりの大変さ・・・いろいろあるもんね。街中でも地方でも田舎でも子育てしている親の孤立感や閉塞感は共通していると思う。そんな中で家に篭もる(いっそう母子カプセル状態になる)ってのは親にとっても子にとっても救いようのない状態。支援を必要としている親子が、病気になっている時・・・それは最大級に支援が必要な時。とて、病気中にどこかに連れて行ったり、わざわざ病気の時に他人に預けたり、病気の子がいるのに家に訪ねられたり・・・人によって支援が支援でなくなる場合もある。だからこそ支援するのは最悪に難しいし、役所仕事じゃできんやろぉな。ま、今、ここで解決策を考えることも論じることすら難しいので、ちょっと課題にしときます。働く親への支援と専業主婦(母子カプセル)への支援。それをいっしょくちゃに考えようとする役所の傾向があるのは問題だと思う。同じ「子」を対象としていても、問題の根幹が全然違う。現状では管轄も違うし、支援策も全く違う問題なので、あえて別々に考えないといけない。ま、管轄が違って政策も違ってくるトコロからして問題といえば問題なんやけどね。どの親がどう転がっても、子どもが病気をすると歪みがすぐくるのが「母親」ま、それが当たり前の日本社会。(徐々に変わりつつあるらしいが)都合のいい時は、適度な働き手として低賃金でこき使い、ボランティアという名のもとに立派な労働源として日本を支えている女性。都合のいい時は、「母性」という名で家庭に縛りなおし、働いていることが「いまどきの問題ある子」を招いていると日本の崩壊のモトとされる女性。おっと、テーマの「遊び」からそれてきたぞ・・・でも、もう1つ。母子カプセルも、それから脱出、脱却できても、またすぐに次の課題がやってくる。違うカプセルにくくられてしまうのだ。それが「幼稚園の母の会」だったり「育児サークル」だったり・・・母子カプセルではなくなったが、閉塞性のカプセルだ。そこにも「母」と「子」しか存在しない。せいぜい違う年代の「女性」とか年長者すぎる人たち。そのカプセルもしっかり社会を担っている「部分」には違いないが、本当の社会からは孤立している・・・じゃ、「社会」って何? ってぇと、何も答えられませんが・・・
2004年05月21日
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先日の日曜日。雨。S「外で遊んでええ?」母「雨がそぉとぉふりよるやろ!家でおり!」S「なんで雨やったら外で遊んでいかんのぉ?」母「あれこれあれこれ(それなりの理由をのべる)」S「ほんなら、いつ長靴はいて、いつ傘さしてあそぶん?」 「幼稚園行くときわぁ、あそばれん!ちがうとき!いうやん」ほやな・・・雨で用事がある時に必要不可欠としてしか使わない長靴&傘。カゼひいてもかまんけん、ま、好きなように外に出て遊べば?!雨とオトモダチになるいい機会か・・・晴れた日に長靴ははかさないし、傘を出して遊ぼうとしても、「晴れとんのに!」「危ないからやめなさい!」と、一概に阻害してしまう親(私だけ?)雨の日はなるべく家で遊ぶもので外で遊んではいけないって誰が決めたのか・・・(ま、ほぼ、カゼひくハメになるやろうけど)水溜りにバシャンバシャンと足を踏み入れるのも「遊び」だから楽しい。これが通園途中や用事があっての移動中には許されない(親が勝手に許さないだけやけど)。ほら、あなたも、もう洗う予定のスニーカーで「よし!」と覚悟をつけて、雨の日に子どもと遊んでみませんか?汚いハズの泥水をすくったり、傘を逆さにして雨を貯めたり・・・「なんやあの親子は?」とアホに見られること間違いなしだと思います~。(・。・;が、あなた自身も忘れかけてた何かを思い出し きっと楽しい親子の遊びの時を得られると思いまス。え?やらん? どぉせうちだけよ、ほっといて。
2004年05月18日
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今日は子ども劇場子育て講座。マッキーこと山本万喜雄先生(愛媛大学教育学部教授・愛大附属養護学校校長)の久しぶりのお話も聞けた。レジュメの一部を紹介。【外遊びが成立する条件】 ・遊び相手としての仲間(友達と仲良く遊べない・友達が近くにいない・年齢が違う・・・) ・遊びを楽しむための時間(勉強や他の習い事?・遊んでばかりでいいの?) ・安心して遊べる施設や空間(どこで遊べば?・何をすれば?) ・遊びを共有するための文化(おもちゃ、絵本、テレビ、ゲーム) ・遊びを盛り上げ、とりしきるリーダー(どう遊ぶ?年齢差・親)「力いっぱいに、また自発的に、黙々と、忍耐づよく、身体が疲れきるまで根気よく遊ぶ子どもは、また必ずや逞しい、寡黙な、忍耐づよい、他人の幸福と自分の幸福のために、献身的に尽くすような人間になるであろう」(『人間の教育』フレーベル)このフレーベルさんはドイツの教育家で、世界で初めて「幼稚園」というものを作った人。児童の遊戯・作業を通じて個人的要求を社会的に方向づける、生活即教育の立場をとったことで有名だし、アンパンマンでお馴染みの「フレーベル館」もここからきてる(と、私は勝手に思っている)単純に「遊び」といっても、乳児期・幼児期~青少年とくくられる年齢まで、実に様々なカテゴリで区分される。又、仲間との関わりだけでなく、親とのスタンス、社会との関係など決して「単純」ではない。「遊び」・・・子どもの権利条約でもきちんと子どもに「約束」されている事項だ。その「遊び」を私たち親が、大人が、どうとらえ、どう向き合っていけるか・・・・詳細はHug育にて(きっとようまとめんやろうけど(^_^.))
2004年05月16日
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親と一緒ではなく、子ども単独の居場所。放課後の学校、学童クラブ、児童クラブ、児童館、近所の公園・・・もちろん自分の家や友達の家だとか塾だとかもアリかな。ゲーセンなんかも現実的にその1つやろし。この「居場所」づくりのために国がリキを入れようとしている。子どもの居場所づくり推進室すごいことだし、たいしたことだし・・・でも勘違いしやすい自治体は箱物だけ作ろうとするんやろか?!子どもの権利条約に連動している部分もありはするのだけど、何をしても銭はいることなんよねぇ。まずはコスト。人件費が何より一番かかるやろうし。これをボランティアに求めている政府もセコイといえばセコイし、「NPOさんどぉぞぉ~」と委託形式に走ろうとしてしまってるのも情けない。ま、それで循環or還元するNPOもあるし、ワークシェアリングだと思えばそれまでだけどね。こんなコトよりすることはいっぱいあるハズなんやけど・・・(ま、これはこれ、それはそれ)政府のいう居場所を作ってみても、参加するのは一部の限られた子だったりする。開設したものの、閑古鳥・・・ってことも。児童館やそれなりの施設でこういうメにあってる所は多し。チャラチャラお遊びする居場所はどうでもええ。そこまで「オコ」にサービスする必要があるのか?自力で遊べない「オコ」に手取り足取り何を過保護しまくろうとするんだろう?!それよりも、切実に居場所が必要な子にとって、本当に利用できる「居場所」を作ることが大切じゃないかと思う。
2004年05月13日
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悪口を書くキはないが、私がひっかかってるのに子ども向けサイトの掲示板がある。それなりに似たり寄ったりの年齢層だとかの人が閲覧してカキコをしていくのだが、???と思うような質問やカキコが多くてびっくり。もち、率直な感想は意見や返答はできないので、その人の求める回答をしてしまうのだが・・・小児科のオススメを教えてくれ、転勤族なのでオトモダチになりましょう、○○はどうすればいいんですか?・・・ならまだわかるんだけど「今の季節何を着せたらいいですか?」(-_-;)寒かったら着ろ、暑かったら脱げ!「そうめんはまだ早い?何月からがいいのかな?」(-_-;)食べたけりゃ真冬に食っても死なん!「どこの幼稚園に入れればいいでしょう?」どこでも入れれば?「子どもが泣き止みませんなぜぇ?」(-_-;)泣きたいからよ。理由の無いときもあるし!「どこに遊びに行けばいいですか?」(-_-;)行けるトコロ、好きなトコロに行けよぉ!「近くの児童館ってどんなトコロですか?(他根掘り葉掘り)」(-_-;)近くなら自分が行って確かめてみな!超基本的なことから、アホ臭いことまで何でもかんでも質問している。上記以外にも本当にアッケな質問もいっぱい。ま、それはそれでいいのかもしれんが、世知辛い社会やのぉ~と悲しくもなる。そんなこんなの吹き溜まりをネットに求めている私らも私ら?!知りたいことを人に簡単に聞いて(ま、それもアリだけど)済まされる便利な世の中。自分の目や足で調べたり確認したりしてみろよぉ~PCあるなら何でもかんでも検索できるだろうし、PCなくったって電話帳だの地域の地図だのはあるだろぉ~転勤族なら転勤族で、新しい場所への適応の仕方があるだろぉ~「引っ越したばかりで何もわかりません。どこにも行けません」ってのが大嫌い。もち、生まれてこのかた定住している私には言ってはいけない発言かもしれないが、市役所みたいな公共施設にいけばそれなりの資料なりあるだろうし、近所まわりを動いてみたり、散策したりして守備範囲を広げていくことも必要だろうしさぁ。ったく (-_-;) 今どきの若いもんは・・・・あまりにも知らなさ過ぎて、調べなさすぎて、解決する手立ても知らない。私もショッチュウ年嵩の人に言われている言葉ですが・・・
2004年05月12日
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夕方5時~7時にかけて、日々ドタバタとしている。びっしり仕事の時もありゃ、6時から会議!って時もあるし、間に合わせのオカズを求めてスーパーに走ってたり、必死で晩御飯作ってたり・・・ちょっと前まではこの時間帯にどうにか都合をつけて保育園に迎えに行ったり(お迎えはだいたい父ちゃんの役目だったけど)そんなの横目に近くの公園で流暢に遊び呆けている親子を見ると羨ましくなる。・・・あの人、帰って食事作らんでええんやろかぁ?ダンナの帰るの遅いのかなぁ?ええなぁ~ (ー_ー)!!呆けてるんじゃないんだろうけど、この時間にしっかり子どもと向き合って遊んでいられるのはエエことよ。時として子どもしか遊んでない時も多いし、つまらなさそうにしてたりもするが・・・。そいでもトナリの芝生は青々としているもんだ。いろんな所でいろんな母子を見かける機会が多い。幸せそうなフリしてる人、良妻賢母を絵に描いたように見せかけてる人、子育てに潰れそうな人、夫に潰れそうな人、家庭に潰れそうな人、家と外とじゃタイドが違う人もいるだろう。「幸せそう」なのと「幸せ」なのとはエライ違う。人は多々「幸せそう」なのを羨ましがる。人の本質的な「幸せ」な部分は羨ましがらないのに、どうしたもんか・・・。ま、シアワセは自分でどうにかするモンやから羨ましがっても他人と比較してもどうにもならんトコが面白い。うちはシアワセそうな父子像があるからいいか。
2004年05月11日
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このサイトもピンク系ハート系で、私生活もピンクピンクかって?!そりゃ大間違い~の勘違い。ピンクハウスなんかはもちろん着ないし、子にも着せない。持ちものも服も地味~な色合いが好き。(基本は黒やな)子どもの服もスタンダード。ユニセックスなものが好き。娘に兄のオフルを着せているのはもちろん、買う時にもフリフリだのレースだのピンク系はオキライ。キャラクターの靴だの下着だの持ち物なんかも大キライ。家の中もいたってシンプル。(ごちゃごちゃ物が散乱しすぎてるが・・・)ババ趣味の服は子どもに受け入れられなくなり、ババも最近は無意味な服は買わなくなってきた。それでも「物」は依然と「ブリブリ趣味」娘も「物」に関してはブリブリでもOKで、「かわゆぅ~い」なんて喜んでいる。下の子(4才娘)が小学校に上がる頃には家中の意味のあって意味のない無駄なおもちゃ達を大片付けし、服も整理し、基本に立ち返って?!シンプルライフを実践しようと思っている。捨てるのは簡単! のハズ。何でも溜め込みすぎて飽和状態になってるので、ここいらで本当に取捨選択して捨てるべきものは捨てよう!!どこまでできるか・・・・
2004年05月10日
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午前中は従姉や友達なんかと近所まわりで適当に遊んでいたオコたち。昼からは人形劇「泣き虫桃太郎」を観にいく。開演30分前に入り、適当ないい席を確保できて待機。ま、何もない待ち時間ってのは退屈きわまりないが、勝手知った会場なので適当にジュース買いに行ったり、プログラムを読んでみたり・・・。が、後ろに座った親子づれ2組がウルサイのなんの。始まる前から落ち着き無くうるさかったのは我慢できたが、劇が始まってからも、母親に「あれ何?」「あれがおばあさん?」「話が違うよね?」「あれは○○で、○○なんよね?」と、いちいち母親に確認したり質問したり。親は親で(いいのか悪いのか)ちゃんと答えてやってるのだが、必要もないトコロで、「ほら、あれ右の方見てごらん」「あ、あれは可哀想だよね」「ほら、やっぱり男の子だったねぇ」放って見させりゃいいものを、説明したり、再確認させたり・・・真後ろでごちゃごちゃぬかしてくれるもんだから劇の面白みも半減。よっぽど・・・と思っていた矢先、うちのオ嬢が振り向き「うるさいんよね。しずかにしてやねぇ。」と言った。心の中で大きく拍手し、知らん顔して観劇していた私。「え?」って子どもの声が聞こえたけれど、いっこうにお構いなしで続けてた。(-_-;)トナリに一緒に来ていた友達とおぼしき人と(大人どうしが)「わぁ、何かへんやね」「あれ、どうなっとんやろ?」「眠たくない?」なんてのも聞こえまくり。無視して劇に没頭しようとするけど、とにかく真後ろの耳元で言われるもんだから気にしない訳にもいかない。ナイロン袋の出し入れ(何をしてたか知らんけど)のシャワシャワ音や、座席の背もたれに足がコツコツあたるのから・・・劇はまぁまぁだったのに、後ろの客のタイドで全くもってナンセンスな観劇になってしまった。そりゃ、子どもに長時間大人のように座っておれ!ってのは無理。うちの子だって時と場合によっちゃ人様にも迷惑かける。私にも許容範囲はあって寛大な部分もありはするのだが・・・でも、今日の後ろの席の親子のようなのは「見る価値もない!」と、切捨てしてしまいたい気分になってしまった。自分たちがいつもの感覚で楽しめたら他のことなんか眼中にない!って感じ。こうはなりたくない。間違っても、いつも参加している「松山子ども劇場」のメンバーにはこんな人たちはいない。場慣れしてないのは仕方ないけれど、「常識」というか「マナー」というものに個人差がありすぎて、最近、うっとうしいことが山とありすぎる。もち、自分のマナーが最高であるハズはないのだけど、TPOの崩壊が著しいと感じてやまないこの頃。親も親なら子も子!って頭に血が上ることがシバシバ。子に注意すると親に睨まれ、親に注意(やわらかく)すれば他の人に悪口をたたかれ・・・やっとれんぜぇまったく。(・へ・)あ、思い出したことがあるので前後するけど遠足の日記を書こう!(5/7)
2004年05月09日
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【思いつくまま順不同】・子どもが順番に並んでる人を無視して前につき進んでいるのに何も言わない親・他の人に順番を取ってもらったり、知ってる人がいると割り込みを平気でする親子・出口から出ようとすると、子どもだけで乗らせている親が逆行して「優先」って顔して先に入ろうとする・遊具にそって並んでいる列に「写真撮るだけだから、チョット・・・」といって割り込み、我が子を撮ることに夢中な親・係りの人が「危ないから止まるまでじっとして」の注意をしてるのに親がさっさと降りたりする・観覧車みたいに乗り降りに制限があるトコロでトロトロもたつく親子・子どもは子どもで楽しんでいるのに、「こっち向いて~」「撮るよぉ~」と、楽しみに水を差し写真を取りまくる親(人のことは言えん部分もあるが・・・)・他のお母さんとおしゃべりすることに必死で我が子が他人に迷惑かけてるのすら認知できない親・遊園地で遊ぶことにもイチイチ指示を出しまくる親 (遊園地で遊ぶのにイチイチ親の指図がないと遊べない子)・並んでいるのに、少しでも前に進もうと(無理じゃって状況やのに)後ろから押してくる親子・子どもだけを先に並ばせ「そこ」「あそこ」と、乗る場所を指示して走らせる親・遊園地に遊びに来てるのに、全然楽しく遊ばない親・せっかくの遠足なのに、しょうもないことで起こってばかりいる親・先生の話なんか全く聞く耳も持たず、言ってることを聞いてないので、次の集合時間や場所、お弁当を食べる時間だとか、回りを見て判断するしかない親・まがいなりにも集団行動なのに、身勝手に別行動をとる親子(先生の話を聞いてないので注意されたことがわかってない)・先生も先生なりに必死でやってるのに、何かと文句ばかり言ってる親・子どもは「ごみ袋」を持参しているのに、親がせっせとゴミを落として知らん顔。・自分の出したゴミだけは責任持てるが、勝手に落ちてるゴミ(あきらかにどこかの子どもが落としたお菓子のゴミ)は全く見えない親たち【お弁当編】・お茶の水筒だけでなく、ジュースの水筒まで持参している親・あきらかに「冷凍オンパレード」のおかず・・・・パン屋でハンバーガーとサンドイッチを買ってそのまま持って来ている(ま、事情もあるのかもしれんが・・・)・弁当の中にゼリーだのイチゴだのデザート系が大半を占めてるおかずあ~。キリがない。思い出したら、また書き足ししよう。
2004年05月07日
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我が家は「子どもの日」といっても何も特別に「子ども」のことは考えてません。考えてくれるのはジジババとビジネス社会とで充分です。よって、「子どもの日」だから・・・とオモチャを買うことも、好きなものを食べに連れてってやることも、どこかそれなりの子ども向けの場所に行くこともありません。それどころか、私(私も人の子)に何か楽しいことはあるまいか?!と思っている程。どこに行っても「お子ちゃま」に対してのサービスはいいですよねぇ。本当に「子どもの日」だからやってんのか、あくまでビジネスなのか・・・行政主導のイベントも「ここぞ」とばかりにやってみるが「こどもの日」にとってつけたようにはせんでええ。(-_-;)いっつもしてくれぇ。今日は昨日とうってかわってすこぶる晴天。こんな日は家の掃除!掃除!只今、家の内外の掃除にいそしんでいる最中。洗濯物もよくかわく!靴も1日でOKやし、布団も干せば気持ちいい。普段&日曜などにできないような掃除一切を楽しくやってます~。え?お子?1匹は連日の海水浴でダウンして大人しく寝てます。(もうそろそろ起きて、近所の公園に暴れに行くはず)1匹は父ちゃんと「コナン」の映画を見に行きました。(子よりも父の方が見たかったみたい)さぁ、さっさと掃除をすませて、一服してぇ食料品の買いだめ&ホームセンターでもうろうろしましょ。(これまた楽しいひととき)あ! あくまで掃除です。衣替えだの整理整頓じゃありませんので、家の中はいつも通り・・・ぐじゃぐじゃですぅ。
2004年05月05日
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休日にはジジババんち。強制誘拐です。誘拐っても連れていった(昨日)のは私だし、強制的に剥奪された・・・と言うべきかな。本人たちは全く反対で、帰するべきところに返還された安堵感?!と申しましょうか・・・で、問題なのは帰って来る時の荷物です。本日は「子どもの日」がすぐソコってのもありまして・・・まずジジのワゴンから下ろされたのが「18インチのピンクの自転車」であります。おいおい~ 三輪車が2台、12インチが1台、14インチが2台、16インチが1台!↑これお古ながらも、全部4才姫の所有自転車。先日16インチの補助輪を片方のけて、「いつもオフルばかりやし、1年生になったらS専用の新しい自転車を買ってあげるね」なぁ~んて約束したばかりだったのに。ヘタな約束したもんやから、子どもの心は逸りすぎて?!どぉ~すんだよぉ この自転車の山。こればかりじゃない。何か名前は知らないけど、お洋服も持って帰る。もち、普通のお洋服じゃなく、コスプレ。プリキュアじゃないらしいが・・・これも、セーラームーン、ナ~ジャ、プリンセスもの・・・カツラにいたるまでどこにも着て行けないどころか、たたみようもないシロモノが山とある。おいおぉ~い。(-_-;)おっと、小物もざくざく紙袋に入ってるじゃないか!!そういえば、着て帰った服も見かけない服!あれ?兄ちゃんは?コソコソと新しいゲームソフト&攻略本を自分の机に隠しに・・・「子どもの日が来るから・・・ねっ!」いっこうに悪びれもせず、本人たちの希望のものを買いまくり与えてやったジジババは満足げ。そうやって、正月やから、節句やから、進級するから、子どもの日やから、夏休みやから、お盆やから、お祭りやから、誕生日やから、クリスマスやから、パチンコで儲けたから・・・・いつでも特別の日。おまえらは「モノ」の無い時代に育ったんだろうが!もっと「モノ」を大事にするようにさせろよ!・・・・って言葉は無意味。無かったからこそ、銭でどうにかなる幸せは簡単にクリア(満足)させたい。(-_-)/~~~ピシー!ピシー!高価なもの(そうじゃないものもあるが)買ってもらって文句を言うのは失礼だけど、我が親ながら、情けない。お願いやから、こんなアホみたいなモノばっかり買ってご機嫌取りせんでも、その分、たんまり溜め込んで、免許でも取ったら車でも買ってやってよぉ・・・そんなこと言うと、「それはワシが買うちゃる」と、もう一方のジジが乗り出してくる・・・・有難いのやら何なのやら・・・・
2004年04月29日
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CAPってのは ↓こちらで理解してくらはいhttp://www.cap-j.net/ 幼稚園でも小学校でもなかなか受けれるチャンスが無いので、子ども劇場に無理言って、対象集団でないのにワークショップを開催してもらうことができました。●大人ワーク(子どものワークがどうなってるのか大人も擬似体験し、説明を受けるもの)●子どもワーク(今回は3才~小学校1年くらいを対象としたもの) 私は愛媛で立ち上がった頃から知ってたり、知り合いがいろいろ活動しているのでソコハカトナク理解しているつもりでいたのですが、子どもにどう伝えるか・・・って点であれこれ悩んでおりました。(いや、悩んでると言うとウソ。面倒くて何かに頼って済まそうとしていたのが大半)基本的なことのようで、親から子へ・・・ってのはスキル的にも難しい問題があったり、ある程度の年齢が来ると、親以外からアプローチの方が良かったり。いい機会だったので、2人に参加させてはみたものの・・・4~5才の子が中心だったので上の兄上は最初っからシラケ気味。「しょぼぉ~ しょぼかったでぇ」(ショボイってのが今学校での流行り言葉)完全理解は求めていなかったものの、4歳児も「MちゃんとぉNちゃんとぉ遊んだ」ん? 遊んだだけか?でもって、ワークショップの内容を順次かんつまんで話してみると「あ、それやったやった」「人形見たよぉ」と 全く遊びに興じてワークショップが蚊帳の外状態じゃなかったようだったので安心した。「安心・自信・自由」って言うとそれなりのゼスチャ~はやってるので、全くムダではなかった!っと少々ホッとする。でもって、帰りに 「もしかしたら・・」と予想していた通りのことが起こった。用事があって家路を急ぎ、「喉が渇いたけん何か買って~」って言う2人の訴えを却下。母「今あるお茶を飲んでおいて!」子「いやよぉ~、自動販売機で停まってやぁ」母「お茶あるし、時間までに行かないと大変やから、むこうに着いてからやないとダメ」上「飲むケンリ~。飲むケンリ~。ケンリ取るなよなぁ」下「お母さん、悪い子やねぇ。そんな意地悪な子は、今日見て変やったし、いかんのよぉ~。ジュースくらい飲ましてやぁ」上「ケンリ! ケンリ!」下「ケンチ! けんち! ケーキ!」スジの違うことを言い出した2人に、どう解き明かそうかと思案しながらも、「それはぁ違う!」と大声出してみれば「大声だして脅さんといてや」と言い、4歳児からも「お母さんも、したんやったらわかっとるでしょ、なにオベンキョ~しとったん? へんなのぉ~」と、やられてしまう始末。ノリに乗って母親を威圧できている喜びを感じている2人には、「お母さんのケンリ」などを主張しても何にもならない・・・とて、自動販売機経由して子に屈することなどもしない。うぅ~ん、あと2~3回、思い出したように「ケンリ主張」してくるだろうな。特に上。下は本日で「ケンリ」って言葉自体忘却の彼方やろぉ。(-_-;)「安心・自信・自由」を奪われそうな時にどうするかってので「いや!と言う・逃げる・相談する」ってのがありまして、しっかり父親にチクってるの何の。「何をチクりよるん?」と言うと、「そぉ~だん、しよるんです! そぉ~だん!です」上「行きたくなかったんやけど、無理やりお母さんに連れていかれたんやけど(中略)お母さんって悪いよね?」下「Sちゃんもジュースほしかったのに、買ってくれんかったんよぉ。お母さん、悪いやろぉ~」そんなケンリを主張し、父親に相談しても、寸劇のように次には「まるくおさまる」結末なんか無いんだぞぉ。平和ボケ、権利ボケしている我が子たちは、あと何回ワークショップを受けさせないといけないことか・・・ま、被害者にも加害者にもなりうる我が子(どこの子もそうやけど)ではあるけれど、これまた「自覚」の問題。どうあれ「子」の「人生」、子の選択、子の権利・・・どんな時でも影ではそっと寄り添ってられる(寄り添っていることを知ってもらっている)親になりたい。もんだ。その為にも(?!)大いに自分の権利を大切にしよぉ~と、勝手気ママに自信をもってしまったのでありました。
2004年04月18日
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はい。行ってきました学年初の参観日&PTA学級会&PTA総会参観日は遅れ気味で行き、姪も見てやったりで無事終了。次。学級懇談会。10人くらいだったでしょうか。後から他の学年に行ってた親が入ったり、他の学年に行くので抜けたり。自己紹介(子どもの名前を言ってヨロシク~って言うだけの超カンタンなもの)そぉ~してお待ちかね、役員選出。1人1人の希望を聞いてまわるのだけど、みなさん「うちはいっぺんしましたから、今年はご遠慮願います」この春転校してきた1人と、もう1人以外はみんな役員経験者。私もエラそげに「毎年役員するのは・・・今年はちょっと休ませてください」学級会に参加しない親には事前に「委任状」が取り付けてあり、希望の部会や協力員(ベルマーク・バザー・運動会など)など第3希望まで記入。その委任状には保護者全員で子どもたちを応援していく体制を作っていきましょう。(その通り)そのためにも、無理なく活動できるような組織を作りました。(ほんとかいな?)なんてゴタゴタ書いてある。それでもその紙に家庭の事情を延々と書いていらっしゃり、希望なんかは書いてないケースも。それどころか、出席者と委任状の数が生徒数と合わない!選出の選択肢いろいろ。●出てきてる人だけの中で役員を決めてしまう。(じゃんけんしてでも)↑授業参観に出てきても、その後の会に逃げるように帰る人が多くなる。●委任状を優先し、来られてない方に順番に当たっていく。↑電話をする人が相手の事情を延々聞くハメになり気の毒。イニシアチブを取る人によって学年学級でそれぞれの冷ややかなバトルが展開されているのでありました。昨年は寡黙なほどの沈黙に耐えかね、自ら手を上げてしまった。その前も、できない御託ばかり言い合いっこする中で安請け合いしてしまった。その前は、初めて(1年生)だからと果敢にもチャレンジ精神でのぞんでしまった・・・。どうにかこうにか学級懇談会が終わると体育館で総会。配られた紙をそのまま読むだけの説明に眠気も。質問・・・と言われても、1年生の時に嫌われる程聞いたのでもおええ。ただお金の使い方に悶着はいろいろあるけれど、こんなに必死にやってます!みたいに苦労話まじえて説明されたら、これ以上のことは望めないし、言うクチもふさがれる。もち、これでいいのかぁ~!!と ふつふつとしたものはあるものの、これを爆発させる時には、私はPTA会長(いや、会長は父親と相場が決まってらっしゃるよーなので、副会長)になってバリバリやってるぞい。PTA連合会(市内の小学校のPTA連合体)の役員にもなってみたいぞぉ~。おっと、アホなことを書きよったら変なつつかれをしたらいかん。ここまでにしよ。それにしても、PTAはPTAじゃなくなってるよねぇ。幼稚園並みに「母の会」とか「父母の会」ってのにすればぁ?!ここに「T:教師」が抜けているのが大いに気に入らない。(担当教師と事務職員、校長とかは総会に出てるんだけどね)何のためのPTAか。PTAって何なのか・・・誰か教えて~。
2004年04月16日
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無事入園を済ませ、そこそこに園生活を楽しんでる。(とて、午前中だけやから、楽しんでるのやら何なのやら)連日親も幼稚園へ母の会総会だの、夏服の注文だの、お迎えだのだの。新入園児とはいえ、2年保育で入っているので、他の新入児より1つ上。同学年の中でも一番デカイのに、1つ下の子と比べると歴然の差。ひどい子とは頭1つ以上の身長差。同学年の中でもかなりオシャマで勝気で出しゃばりでおせっかいで元気すぎるのだから、1つ下の子と比べると、これまた歴然の差がある。もちろん、私が1つ下の子と比べまくるのではない。1つ下の子の親たちが比べまくっている。「新入園児ですけど、うちは1つ上ですからご安心を・・・」と言ってあげる義理もない。ヒシヒシと「差」にあせりを感じている親の反応を横目に知らん顔。でもって、新入園児ながら、何年も前から幼稚園に通っていたように馴染みまくっている娘。園の歌なんか歌えるハズないのに、知ったかぶってクチパクくらいならともかく、歌詞も音程も狂いまくって大声で歌っている(周りに迷惑ったらありゃしない)今週いっぱいは午前保育。来週から弁当(うちの園は給食はありましぇん)お預かり(5時まで)をさっさとしたいのだけど、新入園児はGW明けからだという・・・そりゃ相当困る!ってんで交渉し、何とか来週からお預かりになった。 ^_^;それもお迎えは小学生の兄ちゃんってことで。(←かなりもめた)(5時って無理難題。5時に迎えに行こうと思ったら、4時には仕事を終わってないといけない。パート対応ってとこ)母の会の役員も今年はクリア(来年は絶対にやらないといけない条件付きやけど)次の難関は遠足(親子遠足)。そりゃ私事で保育園から幼稚園に切り替えたのだから、それなりのリスクは覚悟していたが、幼稚園と保育園の「差」ってのは本当に大きい。幼稚園のお母さんがレベルが低いとは言わんけど、園長がお話してたり、先生が説明してる時は静かに聞けよ!!子にちゃんと座れだの、先生の話を聞こうね!どころじゃない。自分(親)も大人になれよぉ。この場じゃないとその私語はできんのかぁ?! 後で話せんのかぁ?!小さい子供の泣き声や話し声は許せるが、親の無用な私語。特に説明時の私語には辟易する。もう少しで「私語はやめませんか!!」と叫ぶ寸前だった。(数年前、兄ちゃんの時にこの言葉をかまして、だいぶ引かれまくった苦い経験あり)てめぇ~ら園児か?後ろの席でも、アップリケをどこで買ったかだの、役員になったらど~しよぉとか、こないだスーパーで会ったよね・・・とかとか、実にくらだん(今するべきでない)話を延々としている。きっと人間のできてない頃なら、振り向いて「静かにしてください」なんて偉そぶって言ってたんだけど、私も大人になって丸くなったのかいな?! それとも何かを切り捨ててしまったのかいな?!これからの園生活、先生との付き合い云々よりも、このお母さんたちとの付き合い云々に不安を感じまくっている。ジェネレ~ションギャップも兄の頃より大きくなってるし。あ~。ここだけじゃないのよ。週末は小学校・・・自我自尊、孤独な戦いはまだまだ続く・・・
2004年04月14日
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13日(火)に幼稚園の入園式があります。入園式当日は制服着て時間に行けばいいダケ。(あら、私は何着て行こぉ?!)次の日から通常園生活がはじまります。が、この期に及んで シューズ入れだの絵本入れ、お弁当袋に歯ブラシ入れ・・・・もろもろの袋物の名前入れどころか、サイズチェックも、必要なものが揃ってるのかどうかの確認すらできてません・・・制服の調整(長さや大きさ)ももちろん!どの持ち物にも名前を入れていないし・・・こんな親がおるんです。はい。(*^_^*) (ー_ー)!!お弁当箱などは保育園の時のものがあるから何の心配もしていませんでした。とて、兄ちゃんのお下がりなので箸入れに至るまで「トーマス」「ポケモン」ものばっかりです。昨夜、その弁当箱だの水筒だの一式を兄ちゃんの入園祝いとしてくれた友人が「やっぱりね」とばかりに「おしゃれキャットのマリーちゃん」「アリエル」などのお弁当箱あれこれ、コップあれこれ、箸あれこれ袋あれこれを持ってきてくれました。普通、入園直前にこんなもんくれても「もう持ってる」し、重なるし、好きなもので揃えてたりするので、ちょいと有難迷惑だったりするんでしょうけど、我が家は親子で「すっごぉ~~~」とウルウル嬉し泣き。トーマスが当たり前だった娘もそれなりに女の子らしいキャラもののプレゼント一式に「兄ちゃんのじゃない、私のなんだー!!」という何とも表現しにくい喜びを感じていたようです。さすが30年以上のつきあい(幼馴染です)。周知の仲というのはこんなもんやなと、毎度毎度感謝。毎日会ってる訳でもないし、いっつも電話してる訳でもなく、ポソっと近くに行けば寄り寄られ、ポソっと「何しよる?忙しい?」とメールしてみたり。「友達」ってのは大切なもんです。さて、話は戻りますが。仕事だの用事にかまけて、歯医者すら連れていっておらず、父ちゃんには子どもと共に口裏合わせて行ったことになってマス。ジジババにはもらったお小遣いで新しいノートや筆記用具などを買ったコト。になってます。塾にでも行かしぃ~!と塾代と称してくれたお金もいずこやら。学校や幼稚園の調査票などには「誰が一番世話をしているのか」の欄にはしっかり「父親」と書いています。のに、保護者の欄には私が書いてるし、園や学校と直接関わるのは私だから、しっかり私の名前を書いて私の印を押しています。(以前に私の名前を書くことによって、母子家庭かと聞かれたりしたが、保護者って書いてあるから保護者の私が名前を書いた。父親の名前が必要なら保護者と書かずに「父親」「世帯主」「戸籍筆頭者」とか書けよぉ!)↑もち、いつも言われたらしっかり文句言い返しております。何も準備をしてなかったお詫びに、明日はしっかり抜かりのないよう準備します。(お詫びもクソもなく明日しか無い!)
2004年04月11日
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地域によって入学式の日程差があるものの、教員にも地域性があるようで、話をきくとなかなか面白いもんがある。実は親戚に教員が何人かいますし、友達にも、友達の夫にもおりまして、観察対象にはこと欠きません。 で、話は変わりますが。幼稚園&小学校とずっとオナゴ先生できまして、今年初めてオトコ先生に当たりました。(当たったという言葉に深い意味はありません) 考えてみれば、小学校の先生って女の先生が多いよねぇ。幼稚園&保育園は女の園そのものやし。割り損ながら少々の数は結婚退職だの出産退職はしても、こんなに現状が女の先生ばっかり(特に低学年)ってのも何なんだろう。 前に「高学年になると子どもといえども体格があるし、何かあった時にはオトコの先生じゃないと・・・」なんてのを聞いたことがある。本当っぽいけど、現実にそういうもんじゃろか?それに、男性教諭は教育委員会に出向したり塾の引き抜きなんかがあったり・・・真相はさだかではない。でも、オナゴ先生ってやっとれませんよぉ。実家なり「親」の援助(金銭的以外)がなければ最悪の職業の代表みたいなものやもん。公務員としての給料と保障だけが魅力ですわな。男女雇用均等法、男女共同参画社会推進法なんてのは公務員からはじまって今だに公務員しか恩恵も受けにくい状態。だからこそ公務員の女性が優遇されてるようで、実はそうでない現実。 先生稼業も楽じゃなく、「聖職」だったのは遥か昔の話。不適切教員というレッテルを付けられたり、指導されたり。もち、本当にそういう人はレッテルも指導も必要なのかもしれないが、そんな教員を教員として採用するなよ!ってのと、教員作るトコ(教育学部)がしっかり教育しろよぉ~!ってのと複雑です。 直接知ってる範囲でも躁鬱になったりして休職の末に退職ってのもいるし、教え方はぴか一だけど生徒とのコミュニケーションがとれない人とか、生徒に人気はあって指導もいいのだけど教える力が乏しいとか、学校での顔は知らないけど、私生活に問題アリアリの人とかとか。 実際に子どもの通ってる学校の先生の実態は知れないのに、他からの情報として比較すると、我が学校にもイロイロいるハズなんだけどねぇ。 ほんと、自分の学校のことだけは見えにくい。(それはどなたも同じだと思う)うまく誤魔化されているのか?! だいぶ横道それまくったけど、我が家はそれなりにオトコの先生に期待している。 若い先生は友達感覚(先生の方で友達感覚でやってる)すぎたし、中堅の女の先生は私らくらいなもんやから、自分の子育て的にも一番しんどい時期で、何かと接触が持ちにくかった(もち、懇談とか普通の行事はこなしてるけど)。さて、オトコの先生は・・・。こちらも子を持つ親として6年目にしての初体験。いかに子どもを通じて先生が見えてくるか・・・
2004年04月08日
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松山市子ども育成条例は、2003年9月議会に上程され、2回も継続審議となり、2004年3月議会で修正されて採決されました。 1月24日、この条例策定の推進を後押しする松山市教育委員会主催のシンポジウムが開催されました。そこで、講師の高崎経済大学八木秀次助教授は、「今、子どもの問題行動、非行の無軌道ぶりは目を覆うばかりでこれからの責任は、大人、とりわけ親にある。子どもは意思決定も善悪の出来ないのだから、大人が厳しく倫理観や社会の決まりごとを教え込む必要がある。子どもを蝕む『子どもの権利』などは、到底受け入れられるものではなく、子どもがわがまま勝手になるばかりである。教育の本質とは、強制力を伴うもので、押さえつけてでも教え込むことである。」と述べました。 これで、松山市教育委員会が子どものことなんか全く考えていないということははっきりと見えました。 条例をある高齢者に見せた時、その第一声は「教育勅語にそっくりだ。子どもにお金を使うことが全然書かれてない。」というものでした。この言葉に象徴されているのではないでしょうか。 わたしたちは、昨年8月に「疑問を持つ連絡会」を立ち上げ、教育委員会へ意見書を提出、議会へ請願を提出など行政への働きかけ、街頭行動やミニ集会など様々な形で市民へのアピールを行いました。 子育てという個人の思想、良心の自由に行政が踏み込むことや条例の内容が教育基本法改正を提起した2003年3月中央教育審議会(中教審)答申と酷似している点は、まさに改悪の先取りと同じだという条例のおかしさも徐々に明らかになりました。 また、行政が考える子育てを市民に押し付ける条例は、行政に都合のいい子どもを育てることの強要です。これが教育基本法改悪にもつながる問題なのだということを若いお母さんたちに伝えるのはとても難しいとも感じました。世の中の流れの方が速く、教育基本法の改悪は目前に迫っています。松山市では「戦争できる国」にむけて着々と準備が進められていると言えるのではないでしょうか。松山市子ども育成条例に疑問を持つ連絡会(西武節子)条例はできてしまったけど、教育基本法について、ちょっとマジに勉強しなくっちゃな。流されて受ける・・・ではなく、ちゃんと知っておきたい。ちゃんと知って、ちゃんと話ができるようにしたい。何がヘンで何が問題なのか・・・・
2004年04月03日
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~長時間テレビ・ビデオ視聴が子どもの心を破壊している~ テレビが生まれて40年、私たちの生活の中に当たり前のように存在しています。何気なく共に暮らしてきた「テレビ」が実は人間のコミュニケーション能力の発達を阻害しています。子どもたちの成長過程において、言葉遅れ・友だちと遊べない・多動・パニックなど様々な問題を引き起こし社会問題にもなっているのです。 テレビ・ビデオ・コンピューターゲーム・電子おもちゃなどや、早期教育のためのフラッシュカードや教育ビデオは大変危険です。子どもたちが明るく元気に、愛情豊かに、聡明に育つようしなくては・・・。 先生はきっぱり、「お母さんたちがTVを見せておけば楽だと思うのなら、そうやって育てるのは親の選択。しかし、TVに子守をさせた結果、学習意欲もなく、勉強する気持もなくなっても、親が責任もって背負っていかなければならないことも、よく承知しておく必要があります」と。 正直、こりゃヤバイと思った。親も子も充分にTV漬けされているからだ。そして、「ほやけど、ウチは関係ないわい。大丈夫。」「責任?!とってるとってる~」なんて変な自信もあったりして。 それが、スライドを交えた、事例紹介で出てくる出てくる・・・アンパンマンを録画して、繰り返し巻き返し見続ける子の事例こどもチャレンジのしまじろうビデオに夢中になってる子の事例「教育ビデオ」と名のついたものだからと、安心して1日8時間も見させている子の事例親でもわからないような英語のビデオを見せられてる(好んで見てる)子の事例0歳児から早期教材で遊ばされてる子ども・・・ 思わず「おっ」「ドキッ」の連続。特別な事例ではなく、等身大の事例ばかりだった。セサミストリートすら子どもの心を破壊する番組だとも指摘。(@_@。 言われてみれば、知覚攻撃だけで、情緒的に意味がなかったり、人の活動や経験をともなわない現実を変換する空想的な魔法の過程を明らかにする余裕もなく、翻弄されて終わってしまう。理解力のある(英語ではなく、常識として)大人が見るのも必死だったりするのに、小さな子どもが見るには、あまりにも極端に端折りすぎてる傾向の部分もある。耳が痛くなるのは覚悟して行ったものの、反発を持ってもいたが、妙に素直に話を聞き、理解することができた。(でも、スグにTVを捨てれない現実も) ヒトの脳機能は生まれた時には白紙で、そばに養育者が存在しないと、おっぱいを飲むことも、声を出すことも、動くことも、笑うことすらできない。 この時期に形成される神経細胞のネットワークは、社会性・情動・認知の能力を発達させるためのものだが、それを促すのは人間の養育者からの情緒と言葉のかかわりが重要なポイント。 そして「脳に適切な」学習とは、それ相応になって身に着けるべき技能を、相応以前に訓練する間違った指導では賢い脳を育てられない。子どもには現実的な体験(遊び、何かを作ること、表現すること、話すこと)、想像的なごっこ遊び、昔話、児童文学を楽しみながら聞くことなどを通して「幼児期の脳」がつくられる。お座りができないのに立つ子はいない。運動能力に発達の順番があるように、精神発達にも順序がある。途中を飛び越えてしまっているのが今の早期教育ではないか。子供は日常の生活の中で、その年齢なりの体験を積み重ねて育っていく。子供は大人が育てるのではなく、自ら育っていく・・・。・・・・と、まぁ、2年前に書いたHug育の記事なのだけど。基本的きれいごとと片付けてしまえばそれまで。上記の「早期教育論」も少々違う観点がある。我が子はどうかと言えば、上記キレイごとをのたまう母すらテレビに感謝状を差し上げないといけない始末。^_^;でも、深刻に受け止めて欲しい人もいる。友達もテレビ漬けにしている1人だが、本当にテレビに子守りをさせている。途中で声をかけることもなければ、テレビ以外で遊んでてもも語りかける(語り合う)ことが少ない。どこかの子供相談室の事例を読んでたら、「子どもにどう話しかけていいのかわからない」親がけっこういるのだ。びっくりたまげる。そりゃ友達でも無口なのしゃべり~なの、いろいろいるし、話すことが好きなの嫌いなのいろいろおりはする・・・が、ワレの子とくらい、何の気兼ねもせんと、何でもど~でもしゃべってくれよぉ。(いらんシャベリが多すぎて嫌われる母ではありますが・・・)不安でTVやビデオをよりどころにしている親・・・・さて、あなたは?
2004年03月31日
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いよいよ我が家も「春休み」の影響が・・・終業式&卒園式から週末にかけては何とか過ごせたものの、4月8日まで(始業式)、13日まで(入園式)までいかに過ごすか。朝から夜まで放置しておく訳にはいかない。食事こそ作って並べておいて適当に食べてくれればOK。飢えて倒れなきゃいい。←こうなることはまず無いし。でも、食べる時間やお菓子とのバランス、お片づけなんかは期待できない。緊急の時こそ、携帯電話の番号なりワンプッシュでつながるなり、方法はいくらでもある。これも放置しておいてもOK。宿題や勉強なんかするハズがないし、期待もしてないが、4才と9才を放置するには問題は山積。・・・・やっぱり疎開(ジジババ)しかない。里子は常習手段なので「お2人」にとってもラッキーなこと。衣食住、何も心配することなく、家がチャンガラになることもなく、仕事に没頭できる。・・・そこで問題がまた1つ。お子が居ないので、私がどんどん夕方~夜にかけて用事&仕事を作る。食事を作らない。ま、これはいつものことだし、父ちゃんは何ともないので少々OK。静かな家・・・で困るのは父ちゃん。私は自分の部屋で篭ることが多いので関係ないが、父ちゃんは間がもたない。すると、時々居間を覗いてやらないといけないし、一緒にTVなども見てあげないといけない。誰も新聞を取ってきてくれないし、ティッシュを取っても、コップを取っても、ビールを出してもくれない・・・哀れな父ちゃん・・・
2004年03月29日
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【みえさんの投稿より】>3月22日(月)松山市職員措置請求(住民監査請求)にかかる証拠の提出と陳述に行ってきました。>どんな請求かというと、松山市教育委員会は、2004年1月24日、>松山市青少年センターで「第14回青少年地域活動推進大会」(大会スローガン「今、求められている青少年の健全育成」)を主催し、>その基調講演者に高崎経済大学地域政策学部助教授とされる八木秀次氏を招き講演させたことが違法で不当な行為にあたるので、>当該職員でそれにかかった費用を返還すべきであるという趣旨。>縁あってこの請求人に名を連ねることになったので、陳述の機会が与えられました。>そのなかで、私は、行政というのは議会で議決されたことを執行する機関であるので、議会で議論されている事項を行政権力をつかって誘導しようとする行為は不当であると感じたので請求しましたと述べました。>一緒に請求している仲間からも執行機関という言葉は、新鮮だったと言われました。>それくらい行政が権力をもってそれを行使することが当たり前になって、本来のそれぞれの立場の役割が忘れられていることだと思いました。 >松山市教育委員会は、2004年1月24日、松山市青少年センターで「第14回青少年地域活動推進大会」(大会スローガン「今、求められている青少年の健全育成」)を主催し、その基調講演者に高崎経済大学地域政策学部助教授とされる八木秀次氏を招き講演させたことが違法で不当な行為にあたるので、当該職員でそれにかかった費用を返還すべきであるという趣旨。_________________________ おかしいと思うことを思ってるだけでなく「おかしい」と言える。すばらしいことです。それもオカミに向かってとは勇気もいることです。 私は若かりし頃より、おかしいことに迎合して身を立てていました。おかしい素振りをすると自分自身に跳ね返るだけでなく、周り(家族・親族・関係者)にも迷惑をかけるハメになったし、偽りのようで偽りでない組織や社会の中で孤立する必要もなければ、正義感バリバリでもなかったし、それはそれは自他共に認める?!仕事師でした。 何にでも局面はいくつもあって片方だけから見てはダメってことも学習しました。(それが、座右の銘「観自在」につながってる)民主主義が何たるかもいい意味でも悪い意味でも経験してきました。 で、今は、何でも見て見ぬフリができる部分と、やっぱり許せない部分と、行動を伴える部分と伴えない部分と・・・・年輪(年齢)なりに、実に素直にもズル賢くも使い分けできてる自分に????? 今回の「松山子ども育成条例」については、愛媛新聞で「検証」としてシリーズで紹介されています。(ぜひ読んでみて!)私も記者の「目」的に見てしまっている傾向もある・・・。「どっちもどっち」と言ってしまうとどちらにも失礼だし、どちらの両極の事例も数々知っているので安易にどちらの扇動もできない。でも条例自体は本当におかしいし、親や市民を愚弄しているのもはなはだしい。これはひいては「教育基本法」の問題にもつながるし、「憲法」の問題にもつながる。でも、関心のある人は本当に少なく、自分の意見を言える人も少ない。正しいこと常識的なこと(常識ってのが何たるかあやしいけど)に真から反対する人もいれば、正しくないこと、邪な事に助長させたり賛同したりするひともいる。それが自由といえば自由。リベラルなんだ。何でも白黒つく社会には裁判所も役所も警察も何もいらない。いつでも何でも対立対極し、カンカンガクガクやっている。そうやって模索しながらも、ベストなベターな道を作っていく・・・そういう社会。でも、ベストでもベターでもないこの社会。 (-_-)
2004年03月24日
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PTAの役員は6年のうちに1回はやらないといけないらしい。学校によっては子どもの数的にも6年で2回、3回って所も。 で、うちの学校は暗黙の了解で6年で1回みたいなのだが、私は入学してない次の子の分も生まれる予定もない子の分も終わってる・・・(-_-;) さて、子どもは1種類(貧乏も金持ちも、1人っ子も長子も末子も、優秀な子もガキ大将も区別ない)のカテゴリだが、母親(何で母親に限定しないといけないか問題だけど)は基本的には2種類に分けられる。 働いている・働いてない(家にいる)だ。 働いている母親は昼間は銭もらって責任もって仕事している。でも働いていない母親も「ヒマ」じゃない。じゃ、誰がPTAの役員するの? 基本的には平等のハズなんだけど、みんななかなか率先してやる人はいない。 「仕事」を口実に休んだりサボったり、逃げたりする人は山のようにいる。専業主婦はそれなりに忙しいが、忙しくない人もたくさんいる。何でヒマな人が忙しい人の分もやってあげようという気にならないのか?! ソンなんかいな?! 上記2種類の親の言い分をいろいろ聞くが、どちらもごもっともな発言。 これからもっともっと働くお母さんは増え、ますますPTAを平等にやってられなくなると思う。すると専業主婦の母親に大いなる負担がかかり、「役割分担」「平等」について大いに議論となる。私はどっちにも加担したくない・・・ 働いていると、本当に中途半端な時間に、ダラダラ井戸端会(先生の評価やら、夫の悪口、近所のクチコミ、TVドラマの展開・・・)の中に脈絡のない進行とやっつけ仕事のような安易な内容の会に参加するために、いかなる犠牲をはらって参加しているか!! 仕事を優先する親の気持ちはよくわかる。 一度、タイムダラーの発想を提唱したことがあるが、みごとに無視された。 本当にこれからのPTAってどうなっていくんだろう。我が学校の問題だけではないと思う。もう1つのカテゴリ分け「関心がある」「無関心」ということになってくると、大反対の「子ども育成条例」も矛にしたくなるような問題になってくる。
2004年03月04日
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いよいよ松山市子ども条例の修正案が提出されるらしい。保護者の責務をやんわりとしてくれてるらしいけど・・・(身勝手なアタイとしては、だいたい、責務を問われること自体がヤ)どうなるんかいな?! 2月25日(水)の市議会委員会が気になる。 素案を作った経過も安易だけど、2ヶ月程で議員が修正案を作ってみても、どう市民(トクに親)が関与し、内容も納得できるものか・・・疑問や。 個人的見解としては、「廃案」して、みんな土俵を1つにして、最初から納得いくまで練り上げてみること。もち、「待った」のきかない現場や現状ってのもあるが、その待ったのきかない現場や現状には、条例ばかりに頼らない他の施策が必要なんじゃないかいなぁ。 松山だけの問題みたいやけど、合併する北条市や中島町だけでなく、県都として、他の市町村にも大きくのしかかっていく問題になります。 松山の賛成派や反対派が他県の条例を引き合いに出したりしたように、この条例も他県に模範として活用されたりしたら・・・ 悪条例とは言い切りませんが、まっちゃま市民として恥ずかしい。(松山の親って、そんな事まで条例に書かれんといかんようなレベルの低い親なの?って思われるのはイヤ)
2004年02月23日
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【ジーンリッチ】受精卵の状態で細胞の一部からDNAを取り出し、DNAの塩基配列を調べることにより、その固体、つまり受精卵がどのような能力を持つかを調べ、有能な固体(能力的に秀でた受精卵)を母体に戻し、人として産みおとした人類のこと。選別された人間しかつくらない。非配偶者間人工授精。【デザイナーズチャイルド】遺伝子操作で子どもをデザインすること。特定の遺伝子性質をもつ受精卵を選択したり、受精卵に遺伝子操作を行うことによって、望ましいと考えられる遺伝子をもつ子どもを産むこと。優秀な人間しかつくらない。男女の産み分けだけでなく、目の色や髪の色まで指定できる・・・注文販売じゃあるまいし、本当にいいのかいな?まるでSF映画の世界。でも、足元にある問題・・・
2004年02月19日
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先月は向井アキさんとプロレスラーの夫の代理母出産の話題で盛り上がったが、今度は体外受精での選択問題・・・。 優生保護法ってのもあるが、難しい選択だと思う。私だって個人的な問題となった場合、苦労や苦難の道を喜んで選択はしないだろう。とて、障害者を差別や拒絶しているとかいう問題ではない。 夫の精子と妻の卵子で育てるお腹は別の人、妻の卵子で他人の精子で自分のお腹で育てる人、精子も卵子も別の人ので・・・対外受精ってものにもいろいろある。普通の?!受精だって夫の子じゃないのに夫の子と言い張って産むなどいろいろあるしな・・・(゜_゜>) そんでもって数の選択や優生の選択、昔は生まれてからの選択(必要じゃない性はすぐに里子だとか、双子は忌み嫌ってどこかにやる・・・とか) かれこれいろんな時期にいろんなケースと選択がある。 おし、これ次のHug育のテーマとしよ。
2004年02月04日
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3月3日から議会がはじまる。で、その時に何らかの形で決着がつくであろう「松山市子ども育成条例」。 正直言って、できても、できなくても、私の生活にも育児にも全く支障はない(強引ぐマイウエイやから)。 許せん条文はいっぱいあるし、聞けん条文もある、従えんものもある、あつかましいものもある。やけど、聞けるものもあるし、従えるものもあるし、他の人に声を大にして言いたい条例もある。 反対している人たちは、あくまで人権などの問題や常識的な部分で反対している。賛成している人たちは、文面がどうのこうのではなく、このご時勢に「条例」というものの必要性を切々と訴えている。 どっちの会も参加したが平行線。賛成・反対している人たちが悪い問題ではない。 もともとをつつけば、市民検討委員会にたたき台を出した役所サイド(教育委員会)の勉強の足りなさを感じる。検討委員会での議論の余地(時間)がなかったのも大きい。その場に一般公募もなければ、公開や議事録もなかったのにも唖然。 ま、そこいらつついても仕方ないのでこのへんにするが、賛成反対活動している人達や団体もさることながら、PTAというものに一番不振と疑問をもってしまった私でした・・・(^_^.)
2004年01月29日
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先日(もう何年も前です・・・)児童館で、鉢植えを倒した自分の子どもを叱っていたら、「子どもが悪いんじゃないですよ。子どもは叱って育ててはだめですよ」と、保育指導員の方から善意の注意を受けた。「ケガはなかった?」「あぶないから気をつけようね」って言うのが常識だそうだ。食事中にコップを倒し、お茶をこぼした子どもには、「大丈夫?濡れなかった?」「こんな所にコップを置いたお母さんが悪かったわね。コップはこっちに置こうね。でも○○ちゃんも気をつけてね」と言うのだそうだ。もちろん、大人だって気をつけていても、ついコップを倒したり、人にぶつかったり、悪気はないのに人に迷惑かけたり、いろいろあるものだ。そういう事にひとつひとつ注意をされたり、叱られたりするのはたまったものではないが、大人は善悪の判断はできるし、学習をもする。いちいち注意や促しは必要ない。でも、小さな子どもは、善悪の区別も学習もできない(もちろん、言い切ることができない部分はあるが)。言って、言って、言って、言って、理解できるのならまだいいが、乳幼児ともなると、ほとんど理解不能であろう。「コップを倒すとお母さんに叱られる」。だから「コップは倒さないようにする」方式が一番早いと思うのである。大人の方も、「コップを倒す」と何故悪い? どういう不都合が発生して、どう自分の損益になるか等々、いちいち子ども相手に理屈や正論をふりかざしていくのも、大変な努力がいると思われる。自分の子どもがまだ成長して結果が出てないので、大きな声では言えないが、こんなぬるま湯のような育て方をしていては、何か悪いことをしても、それが悪意はなかったにせよ、「自分が悪い」のではなく、そこにそれがあるから、そういう状況だから、自分が悪いのではない……、と済まされていては、反省というものをしなくなるのではないかと不安になる。いつまでお母さんが悪者で、お母さんが不注意で……が通用するだろうか。気が付けば、何でもかんでもお母さんの責任になってしまうのではないか。「お母さん」はそれでいいのか。お母さんが存在しない場では、いったい誰が悪いことになるのだろうか。公共的な場で「いい母親」して叱らないのはかまわないのかもしれないが、公共的な場だからこそ、公共の場のルールを守らない子どもは叱るべきだと思う。それが家庭の中でも、やっぱり子どもが悪い事をした時には「悪いこと」だと認識させ、しっかり叱るべきではないだろうか。叱られ慣れてない子どもが、急に叱られると「反省」する前に、相手への「憎悪」しか生まれないのではないだろうか。もちろん、「叱る」ことと「怒る」ことは、大いに違うことを母親は認識して使い分ければならない。「怒る」のはあくまで感情。怒りの感情は子どもに向ける必要はないが、どういう状況で「怒る」ものかを認識させていくためにも、母親も自分の感情のまま「怒って」みせるのも大切だと思う。「叱る」のは「諭す」こと。子どものよくないことを正すために、とても大切なものだと思うのだ。叱ることは、子どもにとって社会生活への「情報提供」という大きな役割を担っていると思う。学校で習えない「道徳」もあるのだ。私はよく怒りも叱りもする、今のモラルで言うとダメな母親である。子どもも賢いもので、私の怒りそうな、叱られそうな事はちゃんと把握していて抜け目なく行動する。もちろん、母親の監視下だけそのような子どもであってはいけない。母親がいようが、見ていまいが、「いけないこと」「悪いこと」に対する認識教育は重大だと思う。今の世の中、これが欠けすぎているんじゃないだろうか。「子どもの虐待」が社会問題にもなっているが、その線引きは実に十人十色百人百様で、難しい問題を孕んでいる。感情にまかせて「虐待」になってしまう母親たち、そして「虐待」という言葉の恐怖から「怒らない」でいる母親たち……。それでも子どもに対してきちんと責任を持って「叱る」ことを忘れてはいけないと思う。
2004年01月05日
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公園でダベって子どもは眼中にないお母さん。ブランドの服を着せて、砂ひとつぶたりとも触らせないお母さん。「危ない!危ない!」と何にでも手を貸すお母さん。ベンチですこし距離をおいて子供を見守るお母さん。集団には入らないお母さん。集団に属さないといけないお母さん。保育園や幼稚園に注文の多いお母さん。注文の言えないお母さん。育児に関心の無いお母さん。自分の見えてる世界だけが常識だと思ってるお母さん。他の子と比較してばかりいるお母さん。子供だけが中心のお母さん。働いてて子供に寂しい思いをさせてるお母さん。専業主婦のお母さん。教育熱心なお母さん。子どもの為に全てを犠牲にできるお母さん。すぐに手をあげるお母さん。本に忠実なお母さん。自分の無いお母さん。若いお母さん。熟年のお母さん。元気なお母さん。疲れてるお母さん。・・・・・・・特別じゃなく、どこにでもいるんです。どの人も普通のお母さんです。どの誰がどう悪いじゃないんです。公園1つとっても、子どもを見ないお母さんはイケナイんだったら、見すぎるお母さんはどうなるの?って事になると思うし、じゃ、公園じゃどう振舞うのが常識で一般的で最良なんざんしょ・・・。そ~んなの答えはな~ぁし。列挙できるような要素はあるかもしれないけど、あえてマニュアルなんか必要じゃあるまいし、しないよ~。マニュアルも常識も良識もとっぱらって、私らしく、自分らしくやってけばいいじゃ~ん。(・・・と、書きつつ、やっぱり最低限の常識ってのは必要よねってヒヤっとしてみたり・・・)子どもにとっていいお母さんだったらそれでいいじゃない。良い母、常識たる母、見本たる母・・・ってのは必要ないし、いるワケないと思ってる。誰も、神様や聖人じゃないんだから、人に言えない子育ての失敗やらヤマシイ部分や過去なんかの1つや2つ、あって当然。私なんか失敗やヤマシイ事だらけ日々更新しまくっている。でも、失敗やヤマシイ事があるから、ちょっと人の気持ちがわかったり、成長できたり、勉強できたりもしている。誰をも疎外する必要も、指摘する必要も、非難する必要なんて無いと思ってます。そんな人がいっぱいいたって、みんなそれぞれ状況が違うし、価値観も違うし、そうしたくてワザとなってる訳でもないでしょうに。当人が何たるかを気づけばいいんでしょ。お互いに理解しあえるようになればいいんでしょう。いろ~んなお母さんといっぱい出合って、い~っぱいお話したり、意見を交わしたり、その中で自分の感性や価値観をもっともっと磨いて、もっともっと自分のプラスにしていきたいです。いろ~ォんなお母さん大好き。
2004年01月04日
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幼稚園と保育園を一緒にしちゃおう!この政策をご存知な方も、ご存知でない方も、どう思われますか?何を期待しますか?あえて、説明や事前資料なしで、みなさんの御意見を御待ちしてます~。
2004年01月01日
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