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劇場版感想その2・概要メモ編
言いたいことを、この感動をまとめたいのですが、 自分が何を考えているのかよく分かりません。
・・・ので、とりあえず思いつくままの徒然感想。
自分用のメモです。
もし読まれる方・・・
あんまりないかもですが、中にはネタばれ情報もあるかと思います。
お気をつけください><!
最初、新訳と言われた時・・・
元の空中戦にプラスして、
春雨一派が乗り出して、派手な地上戦をやったりするかと思ったんですよ。
予告もそんな感じでしたし^^;
ただ・・・もうね、観てびっくり。 驚くくらい、原作に忠実なんです!!
松陽先生や神威兄さん、
真選組はもちろん出てきましたが、
原作になかったところを補完しましたよ☆
ここから本編のあの話に繋がりますよ☆
・・・というスタンスなんです。
むしろ、アニメ版でシチュエーションを変えていた
お妙さんが銀さんを見送るシーンを、
わざわざ原作バージョンに作り変えていたくらいです。
原作にない闘いなどは作らない。
全員に見せ場を作ってあげる・・・それも大事ですが、
これはパラレルではなくて、原作と同じ話なんです。
あくまで「紅桜編」。
セリフ回しも、シーンの切り替えも、本当に原作通り。なんかもう、・・・本当に原作・銀魂を信頼しているんだなぁ!と。
まず、週刊連載作を「そのまま」映画化するって、 本当に凄いことだと思うんです。
連載作って、やっぱり走りながら作っているものなので、
話のまとまり…ですとか、スマートさ…ですとか、
そこはどうしてもなくなってしまうと思うんです。
これはもう、かけてる時間が違いますので仕方のないことで。
・・・で。
つまり、「ストーリー」としては、
どうしても甘い・・・というか、長引いてしまうのが連載作なんです。
ただもちろん、逆に連載しか出来ないことというのは死ぬほどあって。
キャラクターを熱狂的に愛してもらうというのは、読み切りでは難しいことです。
このキャラクターが出てきただけでもうお腹いっぱい!を読み切りで出来たら凄すぎですよね;
連載作で描くのは・・・「話」ではなくて「キャラクター」です。
そもそも連載作に、「スマート」というのは、
やるのがめちゃめちゃ大変なのに、 そこまでのメリットを得られるものではないと思うんです。
キャラクターで掴んでおいて、読者が離れないのであれば。
長引いた方が儲かりますから;
言い方が悪いかもですが、私は漫画媒体に関してはこれが大正解だと思うんですよ。
そもそも、漫画ってどういう媒体かと言うと・・・
大量印刷技術が可能にした、
「絵」を時間軸で配置して「疑似映像」まで取り込めるようにした簡易媒体
・・・だと思うんです。
簡易・・・というのは、受け手にとっても同様で。
映画館に行く必要がない。
テレビと音を出せる環境をそろえる必要がない。
どこでも読めるし、気軽に取り出せる。
享受レベルでの労力に関すると、
「絵」付きのストーリー把握の次元としては・・・キング・オブ・簡易!
それが漫画だと。
簡易エンタメだからこそ、恒常的な刺激の提供って、本当に魅力的だと思うんです。
「恒常的」ほど安心感のあるものはありませんし、週刊というスパンは、本当に日常に食い込んできますので。
漫画が娯楽として定着する上での一番大事だった部分なんじゃないかな、と思います。
恒常的命!
キャラクター魅力命!
「引き」命!
これを私なんかは 「集英社戦法」
と呼んでいます。
漫画として一番優れたものって、こういうもの↑だと思うんです。
キングオブコミック誌を駆け続ける「ジャンプ」がこの戦法寄りです。
この認識に間違いはないはずです。
つまり・・・
極端な話、ストーリーのスマートさって、連載コミックでは二の次でいいと思うんです。
話削ってる時間があったら、綺麗な絵を描いた方が、「連載漫画として」質が高いと。
はい。要は・・・ 銀魂っておかしいよね
、と。
漫画としての優先順位違うよね
、と。
空知先生が延々とやっているのはおそらく・・・
とっかかりから飽くなき妄想をする→ストーリーにする→もっと妄想する→削る→もっともっと妄想する・セリフを詰める →ぎりぎりのところで仕方がないから表出を始める
でしょうから;
「漫画」にしようって・・・考えてないんでしょうね;漫画で考えてたら、こんなバランスには絶対にならないので。
だって、「そのまま」が映画になるストーリーですよ?
それだけの中身とスマートさをもってるんですよ?
そんな週刊連載漫画がありますか?って問題です。
・・・昨日から、それこそなんかないかな~って考えてるんですが、
他に思いついたものといえば・・・うる星やつらの完結編!とかですか。ワンピースのの8・9作目なんかもそのニュアンスですが。
連載作を限りなく「そのまま」映画化して熱狂される・・・って。
じゃ・・・極論なんですが、
紅桜編ってこれほどまでに価値を持っていると評価された中身なんだなぁ!
そんなもの・・・連載漫画じゃほとんど観たことないぞよ!!・・・と。
いつも、アニメ銀魂を観た後に、「この面白さってなんだ?!!」と考えて考えて・・・行きついてしまうところです。
連載作の魅力から始まっていながら、
表出より中身・ストーリーに偏る・・・それくらいの原作を、
あのシチュエーションを、あの演技を、
どこまでもどこまでもハイクオリティに昇華する。
それが 「アニメ銀魂らしさ」
である!!・・・と。
元がいいんですよ。
いいというか、魅力。よく称されますのは、ブラックホール。
今回はパンフレットで石田彰さんが「麻薬」と表現されていましたが。
入れちゃう、その上・・・抜け出せない;;
そこに自信があるんです。
だから、やることは・・・ もっと!もっと!もっと!
です。
アーティストのモノを作り出す過程っていうのが、本当に面白いんです。
銀魂の場合、原作を如何に忠実に・・・じゃないんです。「そのまま」映像化なのに。
原作を、いかに具体的に
・・・です。
本当に、「表出」に純化されたクリエイティブ感だと思うんですよ。
そこにあるのが、4年間のテレビシリーズ製作で蓄積された「アニメ銀魂らしい」スーパーノウハウと土台なんだと思うんです。
「そのまま」に固執し続けて、どこまでも駆けていくと「らしい」んです。アニメ銀魂じゃないと、こうはならないだろうな!ってなる。
2年前のテレビシリーズでの紅桜編が「こう」じゃなかったら、今回の映画は「こう」じゃなかっただろうな、って思う。
2年前のテレビシリーズで、ラストの銀さんと桂さんが
「踊ってる」ようにアクションをしなければ、
今回の映画はこうはならなかったでしょうし。
「らしい」って、要は
何かの変数を入れた時、表出されるものをいくつか見て・・・
その方程式をぼんやりと理解する・・・ってことだと思うんです。
つまり、 「考え方」
。
これ、主には一人の人間に使う概念だと思います。
それが、あるコミュニティであったり、企業などの一組織であったり・・・に使う場合ですね。
その集団「らしい」って、要は統制です。
集団の中に、共通認識として方程式がある状態。
人が集団を形成したからには、なくちゃおかしいものでもあるんですが;
その「らしさ」って、善し悪しで判断するものじゃないんですよ。
だって、考え方に善し悪しなんてないじゃないですか。
あるのは、自分と同じで気持ちいい、違って気持ち悪い。それだけです。
ただ、その方程式が何かを生み出すために存在する場合。より極端でスマートな方程式が、より魅力的なんです。
人の生命力が、スマートに形成物に集約するんですから!
だから私は・・・エンターテイメントが好きなんだろうなぁ・・・って。
この方程式を観ようとした場合、
形成物というものを生み出すために存在してくれないと
最終的に見えてこないんですよ。
形成物でも、多目的を狙われると・・・分かりにくくって。もっとこう・・・綺麗で、極端であってほしい!
欲しいっていうか。
結局そういった方程式って、どんどん洗練されていくものだと思うんですね。
「a」を入れた時、Aを生み出していた組織も、
どんどん A
を吐き出すようになっていく・・・。
話がそれ過ぎ;
もう訳が分かりません。
とりあえず第一回目の感想はこれで〆たいと思います。
とにかくね!
もう・・・あの原作が、こうなったって、物凄く綺麗なんです!
最初、11巻を読んで受けた衝撃が、ここまで見事に、ここまで綺麗に、そのまんま形になって。
人の生み出すものが、人の力をまとめ上げる方程式が・・・ 好きだぁ私はぁ!
銀魂の中を泳ぐ度、舞い戻る私の「エンタメ命」の原点です。
次の感想は・・・もう少し本編に寄ったものにしたいです;
by姉
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