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イズ 1389 @ Re:暁のヨナシリーズ、完結です!…外伝4『王の風』速報感想。(07/03) ヨナ終わってしまいましたね。とても満足…
2025.11.27
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エミリーシリーズ3部作感想ーその1 概要+「可愛いエミリー」感想 記事
​の続きです。




エミリーシリーズ3部作感想ーその2
「エミリーはのぼる」+「エミリーの求めるもの」感想 村岡花子訳


*以下、備忘の為にキャラクター概要、展開の説明をたくさん記載してます。
シリーズ全体&各巻について、結末までしっかりネタバレ含みます。
スリリングな展開が魅力的なシリーズだと思いますので、未読の方はお気を付けください*



『エミリーはのぼる』(Emily Climbs)
1925年著・1967年和訳

【新潮文庫・背面あらすじ】
威厳正しいエリザベス伯母、優しいローラ伯母、批評家カーペンター先生、イルゼ、テディ…。
美しい自然と人々の愛情に恵まれたニュー・ムーンで、エミリーは「ひらめき」に従って創作に励み、雑誌社に送り続ける。
「アルプスの道の頂上」にのぼって行こうと努力する彼女の姿には、著者の恐ろしいまでの文学への敬愛とたゆみない勉強がうかがわれる。


【主要キャラクター:2作目時点】
(マレー家)
・エミリー・バード・スター
14歳になり、シュルーズベリーの高等学校(3年間)へ進学する。自作の詩等を 何度送り返されようともめげずに出版社に送り続け、やがて少しずつ採用されるようになる。ごくまれに第六感/シャーマン的な能力を発揮し、遠くに居る人への思念伝達や行方不明者の発見等を行う。

・ルース・ダットン伯母
エミリーとは長く馬が合わなかったが、作品後半 彼女にいわれのない悪評が立った際にはマレー家の権力を駆使して鎮圧を図る。

・エリザベス伯母
エミリーを引き取ったニュー・ムーン農場を切り盛りする女性。
エミリーをシュルーズベリーに進学させる際、3年間は小説を書かない約束を取り付けた。

・アンドルー・オリバー・マレー
アディー伯母さんの息子。マレー家が一族内でエミリーにあてがった婚約者候補。
エミリー評としては、悪い人ではないが “つまらない人”。

(学友)
・テディ・ケント
エミリーのボーイフレンド。シュルーズベリーの高等教育へ進む。
エミリーとは度々良い雰囲気になるも、一人息子を溺愛する母親の影がちらつく。

・イルゼ・バーンリ
エミリーの親友の女の子。シュルーズベリーの高等教育へ進む。奔放さは相変わらず。

・ペリー・ミラー
エミリーが好きで立身出世を目指す男の子。シュルーズベリーの高等教育へ進む。
弁論大会等で頭角を現し始める。

・イブリン・ブレーク
1学年上のエミリーの天敵。エミリーはイブリンから様々な嫌がらせを受ける。

(その他)
・ミス・ジャネット・ロイアル
プリンスエドワード島・シュルーズベリー出身の女性。20年前に単身ニューヨークに出て出世。大きな婦人雑誌の文芸記者であり、小説会社の原稿選定委員も担っている。エミリーの文学的才能に目をつけ、ニューヨーク行きの話を持ちかける。


【感想】
シリーズ2作目、シュルーズベリーの高等教育期間が描かれます。
こちらは、アンシリーズで言うところの 「青春」「愛情」で描かれたターンと似た話回し が多数登場しました。ただやはり 要素が似ている分、どこまでも「執筆」に向かい、すべての感情を「上へ上へ」昇華していくエミリーちゃんの異質性が際立ちます。

エミリーシリーズ3部作は 各巻それぞれ異なる面白さを持っていますが、
この2作目は異色の出来栄え …「エミリーシリーズ」として一番描きたかった部分だろうと思いますし、 個人的なイチオシは間違いなくこの「のぼる」です。

…とにかく1シーン1シーンの描写がキレてる!!
どのシーンも絵的に面白く、わくわくしながら読み進めることが出来ました。

その上で1作全体通して、エミリーちゃんがラスト、「 学校卒業後、都会へは出て行かず、ニュームーンで執筆を続ける」道を選択する心情作り にすごく説得力がありました。


【個人的に印象深かったシーン】

・第三章 嵐の夜
誤って教会に閉じ込められてしまったエミリー。
そこには新婚時に奥方を亡くして以降 気が触れたモリソン老人も居り、追いかけまわされるという超恐怖体験を被ることに。絶体絶命のその時、テディが現われ助け出してくれる…。
真夜中、超ロマンチックな2人きりのムードは、 一人息子を溺愛し嫉妬に狂ったケント夫人の登場で台無しに。… ジェットコースターのように畳みかける展開が爽快な章でした。
最後、夫人の登場で興ざめし、すんっとなって、あれだけの恐怖体験をしたにも関わらず 夜道を独りですたすた帰っていくエミリーちゃんの可愛げのなさも印象的でした。

・第十章 伯母とのごたごた
ルース伯母の反対を無視して学校のコンサート出演を強行したエミリーは、家から閉め出されてしまう。
4月頭のまだまだ寒い夜、腹を立てたエミリーは二度とここへは戻るまいと誓いつつ、7マイル離れたニュームーン農場まで単身徒歩で帰宅する。
ニュームーンに着き、ジミーさんと話すうちに気が晴れたエミリーは、エリザベス伯母たちに気づかれないよう、7マイルの道のりをまた独り歩き出す。
エミリーちゃんの片意地の強さと、こんな体験の中においても”夜の帰宅道”を劇的に楽しめる アーティスト感性がよく見て取れるシーンでした。

・第十二章 乾草づかの下で
”シュルーズベリータイムズ”の特別版予約注文勧誘のため、エミリーちゃんとイルゼちゃんの2人は 2泊3日で近隣の家々を回る勧誘旅を実施。不愉快なことばかりを言う住人も含め、人間観察もしながら楽しく勧誘の旅は続くが、日没近くで道に迷った2人は 雨の心配がないのを良いことに乾草づかの上で一夜を明かす。
美しい星空の下におけるエミリーちゃんのモノローグ↓が印象的でした。
ー有限の世界は一瞬、無限の世界にかわりーしばし人間が神性をおびー醜いものがすべてかき消えて後には完全な美だけが残る。おおー美ーエミリーはあまりの喚起に身を震わせた。彼女は美を愛したー今夜ほど美に満ち足りたことはなかった。身動きをしたり呼吸をしたらからだを流れている美の流れが途切れるのではないかと恐れた。人生は神の音楽を奏でるための素晴らしい楽器のように思えた。
「ああ、神様、わたしをそれにふさわしい者になさってくださいませーああ、わたしをそれにふさわしい者になさってくださいませ」 とエミリーは祈った。

「アンの青春」でも、アンちゃんとダイアナちゃんの2人が村の改善会の資金集めに村の家々を回ったり、あひる小屋の屋根にはまって身動きが取れなくなったところに雷雨が来て ハイテンションになったり…というシーンが描かれていますが、 それらの体験が「文学」に昇華されていく…そこの説得力は圧倒的に「エミリーはのぼる」の描写の方が精度が高く、洗練されていると感じました。

・第二十一章 水よりも濃く
…ルース伯母さんカッケェえええええ!!

・第二十二章 「わたしを愛してください、わたしの犬を愛してください」
・第二十三章 ひらいたドア
・第二十四章 まぼろしの谷
本作「のぼる」のクライマックス、ミス・ロイアルのニューヨークへの誘いがあり、エミリーちゃんが自分自身の進むべき道を自ら見出していく一連のターン。
ミス・ロイアルとの出会いのシーン…部屋中を引っ掻き回す「犬」を、お互いに相手の飼い犬だと勘違いして、「なんて失礼な人なんだ」と心象最悪でしたが、勘違いだと分かると一気に場の空気が和む描写も、2人が似た気質を持っており相性が良いことが見て取れて…キレのあるシーンでした。

1作目・可愛いエミリーから読んで来て、この場面でこの選択… “プリンスエドワード島・ニュームーン農場で執筆する道” を選ぶエミリーちゃんの心持ちの説得力が凄い!
モンゴメリさんの作品の中で、エミリーシリーズでしか得られない爽快感/感動なのではないかと思います。

・第二十五章 恋の季節
次巻、恋愛面を進めていくよ~ …という予告的な意味合いも含めているタイトルでしょうか。
キレッキレの終章だと思います。

周囲の望む一族内の婚約者・アンドルーを超冷静にぶった切った後、 テディが自分を求めないことに対するゆらゆらざわざわするエミリーちゃんの心情 が綴られています。
わたしはもし我慢しなければ、テディ・ケントをいくらでも愛せたのだーもし彼が望めば、明らかに彼はそれを望まないらしい。~略~
それでいい、かまやしない。もしテディがわたしを欲しないなら、わたしもテディを欲しない。それがマレー家のやり方である ~云々

…言い回しが天才的! 我が強すぎて、 なんて 可愛くなさすぎるエミリーちゃんの思考回路!

それでいてラスト、池の水面をふと見たときに、垂れ下がっている枝の影がちょうど木の葉の冠ー月桂冠のように見えて…
わたしはそれをいい兆(しるし)として受けとった。
そうだ、テディはただ恥ずかしかったのだろうと。

…この、最後の最後の一文!なんというキレ!
自分の心に言い訳して言い訳して… だけど本当はテディくんに自分を望んで欲しい …エミリーちゃんの深層の心情が顔を見せる瞬間がたまりませんでした。


『エミリーはのぼる』…超傑作だと思います!!!



『エミリーの求めるもの』(Emily's Quest)
1927年著・1969年和訳

【新潮文庫・背面あらすじ】
平和で旧時代的なニュー・ムーンの世界から、ボーイフレンドのテディも、親友のイルゼも、都会へと飛びたっていった。 孤独に耐えながら、ひたすら創作に没頭するエミリー。 野心(アンビッション)に燃える彼女にも、時として眠れぬ「夜中の三時」が訪れる。
いわゆる適齢期を迎えた女性の、微妙な乙女心が求めるものは何かー このエミリー・シリーズ完結編は、村岡女史最後の訳業となった。

(ニュームーン農場)
・エミリー・バード・スター
17歳。シュルーズベリーでの3年間の高等教育の後、ニュー・ムーン農場に戻り、ひたすら執筆の道を志す。結婚適齢期が近づきはじめると、彼女の結婚に係り様々な男性が名乗りを挙げ始め、恋愛の噂が絶えない。

(幼なじみたち)
・テディ・ケント
モントリオールのデザイン学院へ進学し、画家として成功をおさめ始める。エミリーを愛している素振りを見せるものの、はっきりとしたことは言わず、遠くに暮らすうちにエミリーとは徐々に心の距離が出来始める。

・イルゼ・バーンリ
モントリオールの“文学と表現の学校”へ進学する。作中、幼い頃よりペリーを愛していたことをエミリーに打ち明けるも、彼を諦め、“習慣のようになった”テディと婚約する。

・ペリー・ミラー
貧しい生まれながら 高等教育の中で頭角を現し、シャーロットタウンの法律事務所で働く。
エミリーに何度もプロポーズするも断られ続け、それでもなお良き友人として付き合っている。

(その他)
・カーペンター先生
エミリーの執筆作品を辛口で批評してくれた先生。本作序盤で病死し、彼の死はエミリーの孤独に拍車をかける。

・ディーン・プリースト
伝統あるプリースト家の独身中年男性。エミリーの良き理解者だが、彼女の執筆活動にはあまり良い反応を示さない。エミリーへの愛情を自覚しながらもそれを隠してきていたが、大けがをして半年間病床に伏せていた彼女を支え、結婚の約束を取り付ける。
その昔花嫁が逃げたという曰くつきの“失望の家”を購入し、新たな住まいにしようと準備するも、テディを愛していることを自覚したエミリーに「あなたを愛していない」と破談を切り出され、承諾する。

・ミセス・ケント
テディの母親。一人息子を溺愛し エミリーの存在を憎む。都会へ出ている息子に対し エミリーの他の男たちとの恋愛噂を逐一報告し、またテディからエミリーにあてた愛のメッセージの綴られた手紙を隠蔽する等、2人の関係を悪化させる数々の所業を行う。
物語終盤、エミリーが彼女の亡き夫(テディの父親)の手紙を見つけたことで心救われ、これまでの自身の行動を反省するようになる。


【感想】
エミリーシリーズ3部作の最終章。
幼馴染カルテット+ディーンさん+そのほかの数多の求婚者たち(+裏でミス・ケントの暗躍)…と、 登場人物たち全員自分勝手なため引き起こされる、コロッコロ形成逆転しまくる ラブバイオレンス!

とにかく、はっきり自分の気持ちを相手に伝えていない状態の上で、誤解や嘘・その他もろもろの各人の環境変化が重なっていき、 相当話が詰まった上での婚約破棄や結婚式当日ドタキャンが横行するひどい世界戦でして…
なんというか…アンシリーズって本当に優しい世界だったんだな…というか、
「エミリーの求めるもの」を読んでいると、 全員どっかで人様に迷惑をかけまくらないと自分の根幹にある感情に戻ってこれない、たいがいなキャラクターばかり なんです…

…が、っっっ超オモシロかった…!! これはここにしかない面白さだ…。
エゴイスティック×複数主体でこじれまくってて最高だった!!

第1作目から仕掛けてあったキャラ配置/伏線を、余すことなくすべて生かし切って ラストまで突き抜けていて、これだけドタバタして人間関係も焦土と化したんじゃないかというとそうでもなくて、ラストで主役たちが向かうべき未来に踏み出すことが出来ていることがきちんと伝わってきて、爽快感を持って読み切ることができて感動しました。


【エミリーちゃんの第3の気質について】

エミリーシリーズの特徴として、とにかく ”家系・血筋に係る意識” が非常に強調して描かれており、彼女の意識の中で、自分の気質をおそらく下記のように認識しているのだろうと思います。

①母方・マレー家の血筋:
自然を愛し、代々プリンスエドワード島に住む伝統ある血筋。

②父方・スター家の血筋: フリーライターだった父と同様、執筆に情熱を燃やす血筋

…エミリーちゃんは2作目「エミリーはのぼる」のラストで、自身の生きる道を上記2つの血筋を混合させた
ところにある 「プリンスエドワード島で目に映るあらゆるものを自身に取り込み、文学にして昇華/表出すること」 に見出します。

彼女の文学&自然に向かう志向性について「血筋」という確固たるもので裏打ちしてあるので、読者にも伝わり易いですし、何よりもエミリーちゃん自身がこれらの血筋を引き合いに出して「自分の定義」を行っています。 エミリーちゃんは「自分の定義」に誇りを持ち、何度挫折があったとしても忠実にその道を進みます。

ただ本シリーズを読み進めると、エミリーちゃんの思考回路にもうひとつ… 第3の気質 があるように思います。
幼い頃よりテディくんに口笛の合図で呼ばれればすぐに飛んでいく… テディくんが大好きで、テディくんに求められたい!というロマンチックで乙女チックな側面 です。

これもしっかり血筋で説明できるように、最初から仕掛けてある…エミリーちゃんが物心つく前に亡くなった「母親の気質」だと受け取っています。
③母親・ジュリエットの気質: 若くして貧乏なジャーナリスト(エミリー父)と恋に落ち、家族に大反対されるも駆け落ちする。恋に生きた女性。

エミリーちゃん自身が、自分のこの気質をしっかり定義できていない。
母親の記憶はないですし、周囲の人々からは口をそろえて「母親に似てない」「母親はすごく可愛い娘だった」と言われますので。
※父には「お前はあまりお母さんに似てない。でも笑顔が似ている」と言われていた。

またこの第3の気質が、もう2つの気質:①自然を愛し②執筆に情熱を燃やす気質と親和性が高くないのも、自身の定義に組み込まれにくい要因だと思います。
この第3の”恋愛”気質を貫こうとすると、相手の世界に飛び込んでいく…つまり相手都合に合わせて動く必要が出てきますので、エミリーちゃんのやりたい執筆活動に支障がでる可能性もあるんです。


執筆活動だけを自身の使命と認識するのであれば、恋に向かいたい志向性は日陰に置いた方が都合がいい…でもどうしても彼女の深層に存在しますので。
本作「求めるもの」においては、エミリーちゃんがこの第3の気質を素直に表に出すことが出来ず、焦燥にかられ苦しむことになります。



【カップルについて】

・エミリーちゃん/テディくん
メインカップルであるエミリーちゃんとテディくん。
この2人のキャラ設定は、アンちゃん/ギルバートと相反する形で作り込んであると感じます。

アンシリーズは、アンちゃんが思ったよりも臆病な子で、そしたらアンちゃんを幸せにすることを生きがいにする推進力お化け・ヒーローのギルバート氏が暴走を始めました。 奴が、あまりに強力過ぎた…。
最終的にはアンちゃんが人生を選ぶというよりは、“ギルバートの理想”にアンちゃんが人生を全振りする、作品全体が“ギルバートの理想”の実現&ブライス一家万歳!にたどり着く…言ってしまうと完全に“ギルバートが作品を乗っ取る”状態になってました。これがアンシリーズ最大の魅力であることは確かですが、強力過ぎて何もかもが乗っ取られてたと思います。

エミリーシリーズで描きたいのは、あくまで “エミリーちゃん自身の主体性、アーティスト性” ですから、 ヒーローのテディくんは、 第一に“ギルバートにならないようにすること”を大前提に、設定から作り込んであるキャラクター だと思います。
この子自身も画家…アーティストであるという点と、何よりも母親の存在ですね。

エミリーちゃんとテディくんは2人ともアーティストで、やりたいことが他にきちんとある子たちなので、 相手の存在は“唯一の生きがい”ではない んです。
だから、相手のことは大好きだし もし相手が自分を望んでくれるなら…! とお互いにずっと思ってるんですが、お互いに絶対にそれを直接には言わない。

特にテディくんには、 母親・ケント夫人の存在がずっと付きまとっています ので。
出逢った頃からテディくんがエミリーちゃんのことを大好きだったので、ケント夫人はエミリーちゃんを目の敵にしていましたし、かといってたった一人の親族を捨てることなどテディくんにはできないし…
画家として成功して、母親を引き取って面倒を見て、亡くなるまできちんと見届けて…
そこまで来ないと、最終的にテディくんがエミリーちゃんに直接愛を伝えることが出来なかったのもすごく説得力がありましたし、どんなに大どんでん返しを繰り返しても納得できました。

エミリーちゃんもね…困ったことに 自分よりどうしても母親を優先させてしまうテディくんだから好きなんだろうな、ってのもなんとなく分かる ので。
自分は強くて、他に執筆という生きがいもあるので、テディくんに求められなくても大丈夫だけど、 ケント夫人はテディくんがだけが生きがいなので。

極論、エミリーちゃんはテディくんが居なくても大丈夫だし、テディくんも相手がエミリーちゃんでなくても大丈夫だし …と、エミリーちゃんは言語化できる次元では思っているのではないかと思いますが、下線部については 先に語った彼女の第3の気質がどうしてもうずいて苦しい …そんなぐるぐるした心もちで10代後半~20代後半を過ごすことになりました。

ラスト、 テディくんの告白(プロポーズ?)の言い回し↓が、ギルバートと正反対 で本当に興味深かったです。
「ぼくを愛することができないとは言わないでくれ。できるんだーそうしなけりゃいけないんだーねぇエミリー」ー彼の眼は一瞬間、彼女の月の光のような、明るい眼に合ったー
「きみは愛している!」

エミリーちゃんの主体的な愛情を、テディくんの方から懇願する …という言い回しですね。
根幹のところで言いたいこととしては、「望ましい未来に向かいたい、それをあなたにも望んで欲しい」ということなので、アンちゃん/ギルバートのプロポーズシーンと同じ意なのですが、でも言い回し自体が真逆の形になっているところは、2組のカップルの違いがよく見て取れて面白いところだと思っています。


・イルゼちゃん/ペリーくん
もう一組の幼馴染カップル。イルゼちゃんはずっとペリーくんのことが好きだったのですが、ペリーくんが幼い頃よりずーっとエミリーちゃんしか見ていなかったことや、立身出世のためにペリー君が別の縁談の話も進めている状況もあり、想いを伝えることもせずになんとか彼を諦めようと、テディくんと婚約/結婚を進めようとします。
※イルゼちゃん&ペリーくんは、エミリーちゃん&テディくんの絶妙な両想い関係には気づいていない

イルゼちゃん/ペリーくんの2人は、普通小説を書くとしたらこの子たちを主役にした方が明朗な物語になるだろうな…というエミリーちゃん/テディくんより すごく“主役っぽい設定”を持った子たち だと思っています。
イルゼちゃんは、幼い頃より母親がおらず、父親にも長いこと構ってもらえなかった娘で、 奔放さの裏に愛情への渇望や不安定さを垣間見せることが度々あり、 読者としても 「幸せになってほしいなぁ…」 と常々思って読み進めてしまう娘でした。

クライマックス、テディくんとの結婚式を間近に控えたイルゼちゃんが 妙なハイテンションになって来て、そこから夜通し泣きはらしたり ペリーくんからの結婚祝いを叩き割ったり…とどんどん不安定になっていき、式の直前、ペリーくんが事故にあったとの報を聞いてから忽然と姿を消してしまうシーンは、 ある意味爽快な面白いシーン でしたね…!

もちろん超絶傍迷惑な行動なんですが…まぁ…幼少期からのあの子の置かれた状況を考えれば、父親だって村の人たちだって 誰もそうも強く文句は言えないよね…
タイミングの良し悪しはさておき、 誰よりも早く自分の気持ちに従って動いたイルゼちゃんのおかげで、結果、幼馴染カルテットは正常の一番望ましい形に落ち着くことができたよね… と思います。

エミリーちゃんとテディくんは…たとえ誤解やすれ違いがなかったとしても、
最終的にはケント夫人が存命のうちには、結ばれることはなかっただろうと思いますので。


【若くして亡くなった母親の生き方の肯定について】

ここまで感想を書いて来て、本作の"恋愛"面には、アンシリーズと同様に ”若くして亡くなった母親の生き方の肯定”というテーマがあること をひしひしと感じました。

本作は、やたらと ”若くして死別した夫婦” が登場します。
エミリーちゃんの両親もですし(駆け落ちするも、母が若くして病死、数年後に父も病死)、イルゼちゃんの両親も(母親が誤って井戸に転落、その後12年間不貞を疑われ続けていた)、テディくんの両親も(父が若くして病死、母は一人息子を連れて引きこもりの生活)です。
周囲にも、来るはずだった花嫁が来ず未完成のまま放置された”失望の家”や、新婚時に奥様を失い気の触れた老人等、やたらと結婚にまつわる悲劇が蔓延しており、幸せが長続きした夫婦像がほとんど居ない。

エミリーちゃん、イルゼちゃん、テディくんが、心から想う本命の相手になかなか面と向かって愛を伝える/結婚を切り出すことが出来なかったのもなんか納得できますし、でも最後は皆”結婚”に向かっていく…。
両親のことが心理的なネックになってるとか、両親の生き方の肯定がしたいとか、はっきりそれを言語化できる次元で自覚できているわけではないのですが、 めぐりめぐった結果として”両親/母親の生き方の肯定”をしているんだな、 と思います。

このテーマは、アンシリーズでも思いっきり描かれていました(アンちゃんは、出産直後に亡くなった両親の目指していたであろう”幸せな家庭を築く”道に進んでいく)。

モンゴメリさんの結婚観の根底に、 ”両親(特に母親)の生き方の肯定” …母親の生き方の再生産をしていくという観点があったんだろうな、と感じています。



ざざざっと思ったことを書きたくって来ましたが、
やっぱりエミリーシリーズも、“心情構成”を念頭においた、練り込んだキャラクター配置・繊細な各種設定の数々が本当に凄まじい

特に本シリーズは、 狙って仕掛けたものを、きれいに見事に回収し切ってラストを迎えていますので、 意図したものをまっすぐ書き通すことが出来た作品 として、モンゴメリさんの構成作家としてのずば抜けた手腕がよくよく語れるシリーズだと思います。

アンシリーズにひと区切りつけた後、モンゴメリさんがなぜ本シリーズを執筆したくなったのかもよく分かりますし、非常に読み応えがありました。

アンシリーズと比較すると、相当バイオレンスで攻撃的な話回しも多いので、 アンシリーズよりも読む人を選ぶ作品だろうなぁ… とも思いますが、 この書き方でしか描けないぶった切った爽快感もあるな、 と感じています。

総じて、超面白かったです!!
アンシリーズを完読し、もう一段階モンゴメリさんの構成力を深堀り/堪能したい方は、是非!


さて…次は 「青い城」 かな??
(1926年著・「エミリーはのぼる」1925年と「エミリーの求めるもの」1927年の間の作品)

なるべく時系列順に、ぼちぼちと読み進めていきたいと思っています!



【村岡花子さん最後の訳業】

最後に、少し話はそれますが…文庫背面の説明文や巻末の寄稿によると、 エミリーシリーズ3作目「エミリーの求めるもの」は、 村岡花子さんの最後の訳業 とのことでした。

本作の最後の原稿を出版社に手渡した1968年10月、その月のうちに村岡花子さんは75歳で亡くなられたとのことで… エミリーシリーズ3部作をきちんと翻訳し切れたことは、モンゴメリ作品の訳業という偉業の一貫として本当にやり切れてよかったなぁ …と感じます。

『可愛いエミリー』のタイトル一個取ってもいくらでも語れますが、
村岡花子さんは天才です。

村岡花子さんの他の訳業に手を付けたわけではないので全部想像で言いますが、 モンゴメリ作品の訳業を鑑賞する限りにおいては、「英語力」という言葉では言い尽くしきれない…
”モンゴメリさんの意図を汲む力” というか、 "文脈 物語構成を捉える力” ”フィーリング/テンション/ニュアンス” 、そしてそれら捉えたものを ”日本語に起こす際の語感センス” …尋常じゃありません。

どうしてこんな繊細なものをきちんと掴んで、見事なまでに日本語でアウトプットできるのか…
何をどう語ろうとしたって …「天才」としか言えません。

国と世代を超えて、こうして私がモンゴメリ作品を堪能できるのも、 ひとえに村岡花子さんの偉業あってのことと受け取っています。
それを改めて実感する、エミリーシリーズ3部作でした。

by姉

アンの夢の家(Anne's House of Dreams)1917
炉辺荘のアン(Anne of Ingleside)1939
その1:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921
その2:アンの娘リラ(Rilla of Ingleside)1921
アンの友達(Chronicles of Avonlea)1912
アンをめぐる人々(Further Chronicles of Avonle)1920

◆モンゴメリ著 小説 感想リンク
果樹園のセレナーデ(Kilmeny of the Orchard)1910
ストーリー・ガール(The Story Girl)1911
黄金の道―ストーリー・ガール(The Golden Road)1913
可愛いエミリー(Emily of New Moon) 1923
エミリーはのぼる(Emily Climbs)1925
エミリーの求めるもの(Emily’s Quest)1927
青い城(The Blue Castle)1926

◆赤毛のアン 関連本 感想リンク

赤毛のアンの手作り絵本 / 松浦英亜樹 さんのイラストについて
赤毛のアンシリーズのコミカライズについて





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最終更新日  2026.07.10 00:38:07
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