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30年ほど前に上海の観光名所「豫園」に行ったことがある。
友人男女4人で全くのプライベート旅行だったし、上海に行くのは初めてで中国に行くのも他のメンバーは初めて、ツアーでもなくガイドも無く知人も無い
1995年、バブル崩壊後の日本はビジネスチャンスを隣国の大国「中国」に求めていた。
時代はWINDOWS95が発表されリストラの嵐の中、パソコンを習得しなければ仕事を追われるとパソコン教室が流行り、中国では改革開放の勢いが増し洗濯機や冷蔵庫が普及しはじめ5割の家庭が家電を購入するようになったが、電力の供給は追いつかず午前10時から午後6時までは停電するような有様であった。
当時の中国人の給与は一月2千円程度で、上海のような大都会では6000円程度だったと記憶している。
ビジネスのヒントを求め、大陸のエネルギーを確かめる為に旅立ったのだが今の様に翻訳機やスマホがあるわけでなく会話が出来るわけではないから、一計をたてて夜の上海に出かけた。日本人商社マン向けに流行り出した日本風居酒屋にいけば、日本語の話せる人がいると思ったのだった。
案の定、居酒屋のホールでは日本語でオーダーを取り、挨拶ぐらいは出来る若い女性が数人働いていたから、翌日一緒に出掛けてガイドをして欲しいとお願いした。
快く応じてくれた3人のスタッフと待ち合わせしたのだが、指定場所に時間通り現われたのは独りだけだった。
彼女は日本語専門学校に行くために店で働いているとたどたどしい日本語で教えてくれた。
中国の自由市場や古い町並み、お寺や開発地域の賑やかなショッピングタウンに付き合い1日案内してくれたから、私たちは彼女に日本円で1万円程の謝礼とスオッチ、ウォークマンをプレゼントした。
ビックリした彼女ははじめ申し出を辞退したが再度受け取るように促すと恥ずかしそうに受け取った。
どの場所もなかなか観光ツアーではいけない所だったが、豫園だけはどうしても行ってみたかったので多くの観光客に揉まれながら拝観したのだった。
江南様式の壮大な歴史的庭園は明代の役人が年老い病に伏せた父の為に旅気分を味わってほしいと18年かけて中国各地の名所を2万平方メートルの庭園内に造らせたというから桁外れな孝行息子である。
豫園の話は良い思い出だったが、膝や腰の痛みは深刻でいずれ身体が動かなくなり外出もままならなくなるであろう私にとって教訓でもあった。
家に居ながら心を放ち、豊かな気持ちで日々を送ることが出来るようにに、私は重い腰を上げて庭に出た。
「あいたたった!」
貴方の年頃にありがちです。診断名、年寄りの冷や水
(ちらっとよぎる弱気な言葉)
ふかふかパワーON!日曜大工も出来ますよ、パらららららら

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