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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ8〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。二人のような貴公子にはまして対象になる女があるものですか。私などの気楽な階級の者の中にでも、この方と打ち込んでいいのはないですからね。見苦しくもない娘で、それ相応な自重心を持っていて、手紙を書く時には樹木・草花・岩の一部に文字を組み込んだ絵のような簡単な文章を上手 に書き、墨色のほのかな文字で相手を引きつけておいて、もっと確かな手紙を書かせたいと男をあせらせて、声が聞かれる程度に接近して話そうとしても、息よりも低い声で少ししかものを言わないというようなのが、男の正しい判断を誤らせるのです。なよなよとしていて優し味のある女だと思うと、あまりに柔順すぎたりして、またそれが才気を見せれば多情でないかと不安になります。そんなことは選定の最初の関門ですよ。妻に必要な資格は家庭を預かることですから、文学趣味とかおもしろい才気などはなくてもいいようなものですが、真面目一方で、なりふりもかまわないで、前髪をうるさがって耳の後ろへはさんでばかりいて、た だ物質的な世話だけを一所懸命にやいてくれる、そんなのではね。お勤めに出れば出る、帰れば帰るで、役所のこと、友人や先輩のことなどで話したいことがたくさんあるんですから、それは他人には言えません。理解のある妻に話さないではつまらない。この話を早く聞かせたい、妻の意見も聞いてみたい、こんなことを思っていると何処ででも独笑が出るし、一人で涙ぐむこともある。また自分のことでないことに正義感から出る憤りを起こし、自分の心にだけ置いておくことに我慢のできぬような時、自分の妻はこんなことのわかる女でないのだと思う。
2024.06.08
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「西岳華山の旅31」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。華山金鎖関から東峰の中間あたりに、中峰へ縦走出来る登山道があり、その険しい登山道に入り少し後悔した。一枚岩に造られた石段であるが、鎖を持たなければ登れない角度であった。カメラをバッグに収納しバッグを石段に、擦れないように、背中の方へ回し登った。面倒でも一度金鎖関まで戻り、回り道の、安全な方法を取った方が良かったかも・・。中峰の玉女峰まで行くと足がガクガクした。このままでは、先へ登れないだろうと思い、自分で片方ずつの足をマッサージはじめた。いつもなら、これほどの疲労感を感じないが、今回の旅行前に体を作るための時間がなく、着実に体の衰えが忍び寄っているにも拘らず、いきなり飛行機で飛んで来てしまった。中峰より左方向へ進めば南峰へ登るための、長空桟道が見れるとのことでまた寄り道をする。
2010.07.27
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ5〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。階級の別はどのようにつけるのですか。上中下を何で決めるのですか。よい家柄でもその娘の父は不遇で、恵まれない役人で貧しいのと、並みの身分から高官に成り上がっていて、それが得意で贅沢な生活をして、初めからの貴族に負けないような家の娘と、 どちらへ属させたらいいのだろうと、こんな質問をしている所へ、左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞とが、源氏の謹慎日を共にしようとして出て来た。風流男という名が通っているような人だったので、中将は喜んで左馬頭を問題の中へ引き入れた。不謹慎な言葉も多く、いくら出世しても、もとの家柄がよいとは言えないから世間の思わくもやはり違う。もとはいい家でも逆境に落ちて、何も昔の面影もない姿になってみれば、貴族的な品のいいやり方で押し通せるものでもないし、見苦しいことも人から見られるわけだから、それはどちらも中流階級ですよ。受領といって地方の政治にばかり関係している連中の中にもまたいろいろ階級がありましてね、いわゆる中流として恥ずかしくないのがありますよ。また高官の部類へやっとくらいの家よりも、参議にならない四位の役人で、世間からも認められていて、もとの家柄もよく、富んでいてのんきな生活のできている所などはかえって朗らかなものですよ。不足のない暮らしができるのですから、倹約もせず、そんな空気の家に育った娘に軽蔑のできないものがたくさんあるでしょう。
2024.06.05
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「遺体も凍ったまま登山家の目に映る」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。エベレストを目指す登山家の栗城史多(のぶかず)を知ったのは5年前の事。8167m・ヒマラヤの登頂シーンをインターネットで生中継した登山家だ。2009年単独エベレスト登頂で9本の指に凍傷を負い第2関節から切断した。2012年エベレスト西稜登頂で両手・両足・鼻に重度の凍傷を負ってしまった。この時点で手の指9本の大部分を失うがエベレスト登頂目指しネット配信。2018年5月21日午後3時にエベレスト下山途中の栗城が遺体で発見と発表。下山を始めたが無線連絡に反応しなくなり撮影隊が息絶えた栗城さんを発見。右手親指以外の両手9本の指を失ってもエベレスト登頂を目指していた。facebookには栗城(くりき)さんから多くの勇気や挑戦する姿をありがとうと。栗城さんは午前10時頃体調悪化で7400m地点から下山を始めたと配信した。午前0時にエベレストの苦しみも困難も感じ感謝しながら登ってますと配信。「栗城史多さんが最後に配信した亡くなる15時間前の音声facebook」2015年秋エベレスト登頂に5度挑戦するも残り700mの8150m地点で下山。2016年1月NHKで「5度目のエベレストへ挑戦ー栗城史多」の番組も見た。エベレストで単独撮影する方法も話していたが3倍の時間が掛かっている。マイナス30度のエベレストで遭難した遺体も凍ったまま登山家の目に映る。216人もの命が絶たれ150人の放置されたままの遺体は登山家の道標になる。生きて帰って来る事を誓ってたが栗城史多さんは残念な結果になってしまった。栗城史多さんの遺体回収が出来るかどうか分からないがチームは挑戦してほしい。7200m付近のキャンプ地だが栗城史多さんのご冥福をお祈り申し上げます。
2018.05.22
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ7〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。式部丞の方を見ると、妹たちが若い男の中で相当な評判になっていたが、それを暗に言っているのだと思い、式部丞は何も言わなかった。そんなに男の心を引く女がいるであろうか、上の品にはいるものらしい女の中にだって、そんな女は中々少ないものだと分かっていると源氏は思っている。 柔らかい白い着物を重ねた上に、袴は着けずに直衣だけを落ち着いた感じに掛けて、体を横にしている源氏は平生よりも美しく、女性であったらどんなに綺麗な人だろうと思われた。 この人の相手には 極楽浄土往生の九品の中の最上位の中から選んでも飽き足りないと見えた。ただ世間の人として見れば無難でも、実際自分の妻にしようとすると、合格する女性は見つからないものですよ。男だって官吏になって、お役所の勤めというところまでは、誰もできるが、実際適材適所が行くということは難かしい。どんなに聡明な人でも一人や二人で政治はできないのだから、上官は下役に助けられ、下役は上に従 って、多数の力で役所の仕事は済むが、一家の主婦にする人を選ぶのには、備えさせねばならぬ資格が幾つも必要である。これがよくてもそれには適しない。少しは譲歩してもまだなかなか思うような人はない。世間の多数の男も、いろいろな女の関係を作るのが趣味ではなくても、生涯の妻を捜す心で、できるなら一所懸命になり自分で妻の教育のやり直しをしたりなどする必要のない女はないかとだれも思うのでしょう。必ずしも理想に近い女ではなくても、結ばれた縁に引かれて、一生を共にするのはまじめな男に見え、また捨てられない女も世間体がよいが、だが世間を見ると、上手くいっていませんね。
2024.06.07
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ6〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。宮仕えをして思いがけない幸福のもとを作ったりする例も多いと、左馬頭(さまのかみ)が言うと、それでは何でも金持ちでなければならないと源氏は笑っていた。あなたらしくない事を口にするものではありませんよと、中将は軽く注意を促すように言った。左馬頭はなお話し続けた。家柄も現在の境遇も一致している高貴な家のお嬢さんが平凡な人であった場合、どうしてこんな人ができたのかと情けないことだろうと思うと話す。そうではなくて地位に相応しくすぐれたお嬢さんであったら、それはたいして驚きませんね。当然ですもの。私らにはよくわからない社会の事ですから上品は省く事にしましょう。こんなこともあります。世間からはそんな家のある事なども無視されているような寂しい家に、思いがけない娘が育てられていたとしたら、発見者は非常にうれしいでしょう。意外であったという事は十分に男の心を引くカになる。父親がかなり年寄りで、醜く肥った男で、見掛けの姿のよくない兄を見ても、娘は知れたものだと軽蔑している家庭に、思い上がった娘がいて、歌も上手であったりなどしたら、それは本格的なものではないにしても、ずいぶん興味が持てるだろう。完全な女の選択には入りにくいでしょうと言いながら、同意を促すように式部丞の方を見ると、自身の妹たちが若い男の中で相当な評判になっていると思った。
2024.06.06
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ3〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。初めからほんとうに秘密の大事な手紙などは、だれが盗んで行くか知れないので棚などに置くわけにもいかない、だがこれはそれほどの物でもないのだから、源氏は見てもよいと許した。中将は少しずつ読んでから、いろんなのがありますねと想像だけで、だれとかかれとか筆者を当てようとする。上手く言い当てるのもあるが、全然見当違いのことを言いながら、それであろうと深く追究したりする。そんな時に源氏はおかしく思いながらも、あまり相手にならぬようにして、上手く皆を中将から取り返した。あなたこそ女の手紙をたくさん持っているでしょう。少し見せてほしいものだ。そのあとなら棚のを全部見せてもいい。あなたの御覧になる価値のあるものはいないでしょうと、こんな事から頭中将は女についての感想を言い出した。これならば完全だ、欠点がないという女は居ないと私は今やっと気付いた。ただ上っつらな感情で達者に手紙を書いたり、こちらの言うことに理解を持っているような利巧な人もたくさんいるので、そこを長所として取ろうとすれば、きっと合格点に入るという者は中々いないと思う。自分が少し知っている事で得意になって、 ほかの人を軽蔑する事のできる厭味な女が多い。
2024.06.03
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源氏物語〔1帖桐壺17〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。「尋ね行くまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」絵で見る楊貴妃はどんなに名手の描いたものでも、絵における表現は限りがあって、それほどのすぐれた顔も持っていない。太液の池の蓮花にも、未央宮の柳の趣にもその人は似ていたであろうが、また唐の服装は華美ではあったであろうが、更衣の持った柔らかい美、艶な姿態をそれに思い比べて御覧になると、これは花の色にも鳥の声にもたとえられぬ最上のものであ った。お二人の間はいつも、天に在っては比翼の鳥、地に生まれれば連理の枝という言葉で永 久の愛を誓っていたが、運命はその一人に早く死を与えてしまった。秋風の音にも虫の声にも帝が悲しみを覚えておいでになる時、弘徽殿の女御はもう久しく夜の御殿の宿直にもお上がりせずにいて、今夜の月明に更けるまでその御殿で音楽の合奏をさせているのを帝は不愉快に思うほどであった。このころの帝のお心持ちをよく知っている殿上役人や帝付きの女房なども皆弘徽殿の楽音に反感を持った。負けずぎらいな性格の人で更衣の死などは眼中にないというふうをわざと見せているのであった。月も落ちてしまった。「雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生の宿」命婦が御報告した故人の家のことをなお帝は想像しながら起きておられた。右近衛府の士官が宿直者の名を披露するのをもってすれば午前二時になったのであろう。
2024.05.21
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ4〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。親がついていて、大事にしてもらい、屋敷内の奥の邸宅の建物の部屋で育っているうちは、その人の一部分だけを知って男は自分の想像だけで十分補って恋をすることになるですね。顔がきれいで、娘らしくおおようで、そしてほかにすることがないのですから、そんな娘には一つくらいの芸の上達が望める。それができると、仲に立った人間がいいことだけを話して、欠点は隠して言わないようにしている。そんな時にそれは嘘だなどと、こちらもいい加減なことを言う事は可能ではなく、真実だろうと思って結婚したあとで、だんだんあらが出てこないわけはない。中将がこう言って嘆き溜息をついた時に、ありきたりの結婚失敗者ではない源氏も、何か心にうなずかれることがあるか微笑を浮べていた。今言った一つくらいの芸ができるというほどの取り柄もできない人も世の中には存在する。そんな所へは初めからだれもだまされに行きませんよ。何も取り柄のないのと、完全であるのとは同じほどに少ないもの。上流に生まれた人は大事にされて、欠点も目だたないで済みますから、その階級は別ですよ。中の階級の女によってはじめてわれわれはあざやかな、個性を見せてもらうことができるのだと思う。またそれから一段下の階級にはどんな女がいるのだか、まあ私にはあまり興味が持てないと言って、愛想を振りまく中将に、源氏はもう少しその観察を語らせたく思った。
2024.06.04
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「南京事件4」 「中国写真ライフ」では、江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。画像は新しく建てられた南京大虐殺記念館の入口までの通路脇に作られたモニュメントである。どのモニュメントを見てもリアルな表現で作られているが、作った人達は戦争を知らない若い芸術家達なので想像でしかない。話ではモニュメントの製作に入る前、中国で製作された旧日本軍による虐殺の映画を見せイメージ作りに拍車を掛けたとの事である。私も中国語の南京大虐殺の映画をDVDで見たことがあるが、日本兵が妊婦の腹を銃剣で突き刺し、腹を割き、銃剣の先に突き刺した未熟児を空高くかざし、日本兵は笑っていた。いくら時代が違うとしても日本兵が、そんな事を本当にしたのだろうかと疑問の思いで見ていたのに対し中国人の若手芸術家は憎しみを込めた思いで見ていたに違いないとモニュメントを見て確信する。
2012.03.17
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「体のバランスを上手く保ちながら歩く事」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。背骨が歪んでいるのか左側のお尻の筋肉に痛みを感じ出してより5年が過ぎた。右側に荷物を持つ癖で左側へ重心を移して歩いていたからなのかも知れない。妻のベッドから車椅子への移乗でも左側に負担が掛かっていたのかもと思う。お尻の筋肉の奥に引っ掛かる違和感を感じ左足のつま先にしびれも出ている。 4年半以上前に交通事故を起こし40日間入院してリハビリ病院へ転院。のんびりリハビリしている事は出来ないと思うが家まで8キロの距離。ギブスがやっと取れた状態の体で歩くのは無理があり過ぎると断念した。妻の在宅介護中の交通事故で妻の事も気になりホープの事も気になった。ホープを車へ乗せていれば交通事故などには遭う事もなかったであろう。仮定の話しをしてみてもどうなるものではないが病院に居ると妄想する。作業療法士が左のお尻をマッサージする時に顔をしかめていたようだ。坐骨神経痛か梨状筋症候群の痛みなのかと聞かれたが専門的には分からない。背骨や骨盤の歪みにより坐骨神経痛から片足にしびれが出る事が多いという。退院後も左臀部と左足の痺れは感じたが妻の介護で病院へも行かなかった。だが温泉の電気風呂だけは欠かす事はなく治療の目的で温泉へも通った。ホープや「もも」の散歩も欠かす事はなく体重の偏りを気にしながら歩いた。頻繁に夜の星を眺めるようになったのも左臀部の痛みが起因していた。上を向いて歩くと体のバランスを上手く保ち歩く事が出来ていたからだった。
2017.03.03
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「余計な事を言うのは私の悪い癖」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬との散歩の途中で撮影した写真を公開しています。妻の療養する病院の内装改修工事がやっと終わった。昨年初夏に妻の病室の窓側天井からエアコンの水漏れがしていた。ベッドが置かれている上の部屋から冷房排水漏れのようだった。妻の寝ているベッドはテレビ台の横にあり水滴は掛からない。病院のテレビ台の下には妻の寝間着を畳んで入れ込んでいる。始めはブルーシートを被せていたが見舞いに行っても落ち着かない。看護助手に折角乾かしても水滴で寝間着が湿っぽいと冗談を言った。5日後に妻の元へ行った時は窓から50センチ空間を空けベッドを移動していた。ブルーシートはしてないが透明なシートをしているのが窮屈な感じである。真夏にはエアコンをフル回転するのか水漏れはピークに達していた。応急工事は秋口から行うと看護師が申し訳ないように私に話す。私が改修工事ではなく応急工事だけですかと余計な事を言ってしまった。余計な事を言うのは私の悪い癖であるが改修工事になった原因ではないと思う。
2016.06.05
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「南京事件10」 「中国写真ライフ」では、江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。上の絵の写真は虐殺を始めたところの1シーンだが日本皇軍で使用されていた機関銃は九九式軽機関銃。1分間に550発を発射させる事ができるが装弾可能は30発なので何度も装弾しなければならない。1ヶ月余りの期間、南京市内を巡回して残党兵を射殺するだけでも大変な精神的苦痛を受けるだろう。その前に残党兵は戦意を喪失して士気が下がり白旗を掲げて投降して来たのではないだろうか。中国の映画やテレビでは、投降した便衣兵を集め虐殺に及ぶシーンを延々と映し出しているが当時の日本皇軍の機関銃では延々と射撃できない。中国側が問題にしているのは日本の残虐行為だけで南京攻略までに至った前後関係には口を閉ざしている。日本人が忘れ去ろうとしている。または全く知らない中国軍による日本人居留民の虐殺「通州事件」の事を。中国の居留区に暮らす大勢の日本人を虐殺した。「通州事件」日本の世論を奮い立たせ日本皇軍を動かし南京攻略に踏み切り命を下したが上海で戦死者が続出した。下の写真は「支那事変」で皇軍連戦勝利の「画報」である。
2012.03.23
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「今年も宮崎駿監督は雑木林の手入れを行った」 「Dog photography and Essey」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。「淵の森の会」と聞いて何のことか分かる人はアニメ通なのだろうか。東京東村山市にある淵の森緑地公園の事で宮崎駿監督の家の近くだ。宮崎駿監督が良く散歩している公園で「となりのトトロ」の雑木林。となりのトトロの雑木林のモデルとなった淵の森公園である。所沢に住む宮崎駿監督は東村山にある淵の森公園まで来て散歩してる。20年前に監督は所沢市と東村山市へ3億円を寄付し両市が雑木林を購入。その後も雑木林を購入し続け現在では6200平方メートルまでになった。6200平方mを坪に換算すると1876坪で50坪の住宅が37軒建つ広さだ。毎年1月に「淵の森の会」が中心となり木の枝や下草引きの手入れをする。所沢から東村山までは列車で一駅3分で着くが近くと言うよりとなりだ。「となりのトトロ」のタイトルがどう名付けられたのかは分からない。子どもの時にしか会えないトトロは子供ばかりか私も心を打たれた。今年の「淵の森の会」も宮崎駿監督を中心に260名で雑木林の手入れを行った。
2018.01.23
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「原本を実家から取り寄せた」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。中宮さまが筆や墨や髪をくださったのを、女房たちは大げさに騒いで、いつも奥のほうにいるくせに、こんな仕事をするとはと咎める。でも殿は墨挟(短い墨を挟む道具)、墨、筆など沢山下さった。 じぶんの部屋に、隠しておいた物語の原本を実家から取り寄せたのを、中宮さまの所へ行っている間に、殿がこっそりやって来て探し出されて、内侍の督(ないしのかん)の殿(道長次女妍子)に渡してしまわれた。なんとか書き直した本は、みな紛失してしまって、手直ししていないのが出まわって、気がかりな評判がたったことだろう。物語とは源氏物語のことで、原本、清書本、自分の部屋にあった本や、なんとか書き直した本がこのときに存在していたことを思わせる日記だ。
2022.11.29
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源氏物語〔桐壺10〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。桐壺の更衣は優しい同情深い女性であったのを、帝付きの女官たちは皆恋しがっていた。「なくてぞ人は恋しかりける」とはこうした場合のことであろうと思えた。時は人の悲しみにかかわりもなく過ぎて七日七日の仏事が次々に行なわれる、そのたびに帝からはお弔いの品々が下された。桐壺更衣が死んだのちも日が経っていくに従ってどうしようもない寂しさばかりを帝は覚えるようになり、女御、更衣を宿直にされることも絶えてしまった。ただ涙の中の御朝タであって、拝見する人までがしめっぽい心になる秋であった。「亡くなってからまでも人の気を悪くさせる御寵愛ぶりね」などと言って、右大臣の娘の弘徽殿の女御などは今さえも嫉妬を捨てなかった。帝は一の皇子を御覧になっても更衣の忘れがたみの皇子の恋しさばかりをお考えなって、親しい女官や、 御自身の乳母などをその家へつかわしになり若宮の様子を報告させていた。あまりの寵愛ぶりであったのでその当時は嫉妬を感じたのであるとそれらの人は以前のことを思っていた。優しい同情深い女性であったのを、帝付きの女官たちは皆恋しがっていた。
2024.05.14
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源氏物語〔桐壺11〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。野分ふうに風が出て肌寒さを感じられる日の夕方に、平生よりもいっそう故人が偲ばれになり、靫負の命婦(ゆげいのみょうぶ/衛門府の官人である女官)という者を使いとしてお出しになった。月がかかっている夕方の美しい時刻に命婦を出かけさせて、そのまま深い物思いをしておいでになった。以前には月夜は音楽の遊びが行なわれて、更衣はその一人に加わってすぐれた音楽者の素質を見せていた。またそんな夜に詠む歌なども平凡ではなかった。彼女の幻は帝のお目に立ち添って少しも消えない。しかしながらどんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。命婦は故大納言家に着いて車が門から中へ引き入れられた刹那からもう言いようのない寂しさが味わわれた。末亡人の家であるが、一人娘のために住居の外見などにもみすぼらしさがないようにと、りっぱな体裁を保って暮らしていたのである。だが、子を失った女主人の無明の日が 続くようになってからは、しばらくのうちに庭の雑草が行儀悪く高くなった。またこのごろの野分の風でいっそう邸内が荒れた気のするのであったが、月光だけは伸びた草にもさわらずさし込んだその南向きの座敷に命婦を招じて出て来た女主人はすぐにもものが言えないほどまたも悲しみに胸をいっぱいにしていた。
2024.05.15
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源氏物語〔1帖桐壺23〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。桐壺更衣によく似たあの方と親しくなりたいという望みが心にあった。帝には二人とも最愛の妃であり、最愛の御子であった。帝は藤壺へ彼を愛してあげなさいと言い、不思議なほどあなたとこの子の母とは似ていると言った。失礼だと思わずにかわいがってやってください。この子の目つきや顔つきがまたよく母に似ていますから、この子とあなたとを母と子と見てもよい気がしますなど帝がおとりなしになると、子供心にも花や紅葉の美しい枝は、まずこの宮へ差し上げたい、自分の好意を受けてという態度をとるようになった。現在の弘徽殿の女御の嫉妬の対象は藤壼の宮であったからそちらへ好意を寄せる源氏に、一時忘れられていた旧怨も再燃して憎しみを持つことになった。女御が自慢にし、ほめられてもおいでになる内親王方の美を遠くこえた源氏の美貌を世間の人は言い現わすために光の君と言った。女御とし て藤壼の宮の御寵愛が並びないものであったから対句のように作って、輝く日の宮と一方を申していた。源氏の君の美しい童形を変えたくないように帝はおぼしめしたが、いよい よ十二の歳に元服をさせることになる。男子が成人になったことを社会的に承認し祝う通過儀礼の儀式の元服式の準備も何も帝御自身で指図された。前に東宮の元服式を紫宸殿であげた時の派手やかさにせず、その日官人たちが各階級別々にさずかる饗宴の仕度を内蔵寮、穀倉院などでするのは公式の仕度で、十分でないと仰せがあって、華麗をきわめたものにした。清涼殿は東に面しているが、庭の前の座敷に玉座の椅子が置かれ、元服される皇子の席、 加冠役の大臣の席がそのお前に出きていた。
2024.05.27
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源氏物語〔1帖桐壺25〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。杯を賜るついでに、 いたいけな宮が初めて髪を結ぶ元結には末長い寿ぎ(ことほぎ/祝いの言葉を唱えて神に祈る)の気持ちに娘との末長い縁の願いをこめたであろうの元結の礼に結婚の祝福のご趣向もあって大臣をはっとさせていた。大臣の女との結婚にまで話が及び、天皇が綴る和歌は大臣を驚かした。「結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色しあせずば」と返歌を奏上してから大臣は、清涼殿の正面の階段を下がって拝礼をする。左馬寮の御馬と蔵人所の鷹をその時に賜わった。そのあとで諸員が階前に出て、官等に従ってそれぞれの下賜品を得た。この日の饗宴の席の折り詰めの料理、籠詰めの菓子などは皆右大弁の命令により作った物である。一般の官吏に賜う弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、東宮の元服の時以上であった。夜源氏の君は左大臣家へ婿になって行った。この儀式にも善美は尽くされた。 高貴な美少年の婿を大臣はかわいく思った。姫君のほうが少し年上であったので、年下の少年に配されたことを、不似合いに恥ずかしいことに思っていた。この大臣は大きい勢力を持った上に、姫君の母の夫人は帝の同胞だったが、あくまでもはなやかな家である所へ、今度また帝の愛子の源氏を婿に迎えたのであるから、東宮の外祖父で未来の関白と思われている右大臣の勢カは比較にならぬほど気押されていた。
2024.05.29
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ1〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。源氏物語2帖帚木(ははきぎ)を研鑽。桐壺帝が命名した光源氏、すばらしい名で、青春を盛り上げてできたような人と想像できる。また自由奔放な好色生活が想像されるが、実際はそれよりずっと質素な心持ちの青年だった。その上恋愛という一つのことで後世へ自分が誤って伝えられるようになってはと、異性との交際を極力内輪にしていたのであるが、ここに書く話のような事が伝わっているのは世間のうわさからおもしろがって広まる。自重してまじめな風体の源氏は恋愛風流などには疎かった。好色小説の中の交野の少将(中納言なる人物が交野の鷹狩りが縁で大領の娘と契るが、以後訪れないため娘は投身自殺をはかるという物語)には笑われていたであろうと思われる。中将時代にはおもに宮中の宿直所に暮らしていた時、たまにしか舅の左大臣家へ行かないので、左大臣は光源氏が別に恋人を持っているかのような疑いを受けていた。舅の左大臣は世間にざらにあるような好色男の生活はきらいであった。まれには風変わりな恋をして、たやすい相手でない人に心を打ち込んだりする欠点はあった。梅雨のころ、帝の謹慎日が幾日かあって、帝の傍に仕える大臣は家へも帰らずに皆宿直する。こんな日が続いて、源氏の御所住まいが長くなった。大臣家ではこうして途絶えの多い婿君を恨めしくは思っていたが、やはり衣服その他贅沢を尽くした新調品を御所の桐壼へ運ぶのに飽きることはなかった。
2024.06.01
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「ジョギングが良いが長続きしないだろう」 「ワンダーフォトライフ」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。(ももは電車が好きで警報機が鳴る前から私を引きずる)私が何度も失敗を繰り返しているのは睡眠導入剤の服用後眠りに落ちる事。睡眠導入剤服用前は1日の予定をこなし切れず仕方なく服用する。服用してから2か月ほど前の鈴鹿市広報の漢字を見ては小筆の練習。まだ良いまだ良いと思いながら小筆の練習をしていていつしか眠りに落ちる。全く意識を失くしてしまう状況なので時には椅子から転げ落ち危ない。椅子に座り眠っても疲れは取れなく目が覚めると疲労感のみ残っている。医師からも薬を服用した後は必ずベッドに行き横になるようにと言われている。薬の量は半分に割って飲むようにするようになり3時間で目が覚めてしまう。抗不安剤は1錠服用しているので目が覚めても直ぐに眠れば熟睡できる。椅子に座ったまま眠った場合に困る事は足のむくみが出る事である。足の甲がむくみ夜まで履いていた靴が窮屈なほどになってしまう。朝靴を履いても窮屈な感じの違和感があるが1.5キロ歩くとむくみが取れる。(リードを確保してなければ電車に体当たりかも)完全にむくみは取れないが動く事によって筋肉が伸び縮みするのか軽くなる。散歩は有酸素運動の代表的な動きであるが脂肪が燃えるという事なのだろう。ジョギングが良いとは思うが長続きしない事が分かっているので歩くのみだ。地域の人達からも「ももちゃん」は貴方の健康づくりに貢献してると言われる。
2017.08.26
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